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42 間違ってなかった

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 どうしようもない無力感にさいなまれたフィオナは、ただ報告書の続きをかけずにぼうっとしていた。

 いつの間にか夕方になっていて、今日のうちにもう数枚分マーシアに提出するつもりだったのに、それにもまったく手を付けられていなかった。

 やり始めなければと思うのだ。しかしペンをとってから、自分の人生のいったいどこに選び取れる救いがあったのかという問いが思い浮かんでペンを手放してしまう。

 そんなことを数十回繰り返して、斜陽に赤く部屋が染まっている。

 ロージーは気遣ってお茶を出してくれつつもそれ以上の干渉はしない。きっと自分に口を出せる領分ではないと察してくれているのだと思う。

 今まで側にいてくれた時に起こったことは、もれなく彼女と共有できていたけれどヴェロニカの事はまた別の話だ。

 今はそれを聞かれても、うまく説明できる気がしない。

 話し始めたら取り乱してしまいそうで、椅子の上で拳を握って手紙を片手に持ったまま険しい顔をしていた。

 ふとトントントンと軽い足音がして、おもむろに視界にルイーザが入り込んできて、もうそんな時間かと思う。
 
 夕食時になったから、フィオナと共にダイニングへと向かうためにやってきたのだろう。

 彼女はすぐにフィオナの様子に不思議そうに首をかしげて、くるくるした桃色の髪を揺らした。

 さらりと肩から髪が落ちて、ちらりとこちらを見上げる彼女の瞳は心配の色を表していた。

「……フィオナ様?」

 何か安心させるようなことを言うために、フィオナは顔をあげた、と同時に、ルイーザはおもむろにフィオナの引っ付いて問いかけてきた。

 間近で目が合って、ぐっと抱き寄せられると腕を回されている感覚がはっきりと伝わってくる。

 そういえばこんな風に抱きしめられたのはいつぶりだろうか。

「落ち込んでるの? 大丈夫だよ、ルイーザがいるよ」

 子供っぽい舌足らずな高い声で、ルイーザは大人ぶってフィオナを慰めた。

 普段だったら、可愛いなと思いながらありがとうと返すのだが、今日はその小さな少女の気遣いが身に染みてしまって、ついフワフワの髪を撫でながら漏らした。

「……ルイーザ、実は私、触れると人の記憶を操れるんです。だからその、怖がられたり、嫌がられたりするみたいで、そんな自分が少々苦しくてですね」

 ルイーザはフィオナに懐いてくれて落ち込んでそうだったら、こうして励ましてくれる。そんな彼女につい甘えたくなる。

 しかしこうして触れ合ってくれるのは、フィオナを正しく知らないからだという気持ちがあった。

 だからこそ言ってしまった。言いながら後悔していた。

「それに、昔の私の罪は、抗えば抗うほど深くなって今、善い行いをしようとしても、どんどんと罪深くなっていって、私は胸を張って外を歩けないような人間なのかもしれません」
「……」
「元からずっと何も考えずに、何もせずにしていた方が楽だったかもしれません。そうだったなら、私はあんな風に恐れられて逃げられて然るべき人間だったんだって知らなくて済みました」

 ノアの事を思い出しながら、フィオナは小指の指輪を指先で撫でた。

 冷たい石の感触はなめらかでノアの魔力を感じる。彼は今どこで何をしているんだろうか。

 まったくもって分からない。

「何も知らないままでいて、ただ我慢さえしていればよかったなら、今の私は無価値なんでしょうか」

 語尾は消え入るように小さくなっていて、ルイーザが正しく聞き取れたかどうかもわからない。
 
 それでも口にしたのは心のもやもやを吐き出したかったからだった。

 のどに詰まっていた言葉は、吐き出すと少しは軽くなる気がした。しかし自分の吐いた言葉を自分で聞いて再度認識すると、さっきにもまして言ったことが正しいような気がしてきてしまう。

「……私は、フィオナ様が何したか知らないよ」

 困ったようなルイーザの声がして、ふと彼女が離れていく。

 いかないでと情けない事に縋りつきたくなるような心地だったが、流石にそこまで強引なことはできない。

 こんなフィオナの体など誰も触れたくはないだろう。

 けれどもルイーザは勢いよくフィオナの膝の上に乗って上半身をぎゅっと包みこむみたいに、きつく抱きしめた。

「っ」
「でも、なんでそんなに悲しいこと言うのッ? 私、フィオナ様がどんな力持ってても怖くないよッ。大好きだもんッ怖いなんてあるわけないッ」

 ルイーザはフィオナの首筋に顔を埋めてぐりぐりと押し付けている。

 しずくが伝ってドレスに染みこむ、悲しくなって涙をこぼすまでの間が短い所はとても子供らしいと思った。

 ルイーザの体が熱くて抱きしめると息が苦しい。

「だってフィオナ様、優しいからッ、誰も怖がって近づかなくても私がぎゅってするよ!」
「ルイーザ……」
「それに、私を助けてくれたのフィオナ様じゃんッ! 私今、すごく楽しいッ、フィオナ様にあの時ついていって、よかったって思うのッ、それなのに何もしなければよかったって酷いじゃんッ」

 ルイーザはフィオナから体を離してぐいぐいと肩を掴んで揺らした。

 彼女は怒りながら涙をこぼしていて顔は真っ赤だった。

「私も助けなきゃよかったって事ッ? フィオナ様は私がいらない?!」
「そんなことない……絶対にないです」
「そーでしょ! 私にとってもそうなのッフィオナ様が大好きだよッ、だから、っ、だからぁ、そんな悲しい事いわないでよぉっ」

 ルイーザはフィオナの膝の上でぐしゃりと顔を歪めて涙をこぼす。ぼたぼたと落ちていく大きなしずくとルイーザの泣き声に、フィオナはつられて鼻の奥がつんとした。

 ……そうです、たしかに、私は手遅れだったかもしれないです。

 でも、助けた人も、出会った人も、好きになった人も変わらずここにいます。
 
 ヴェロニカ様からの酷い手紙があったって、何を言われたって事実は変わりません。

 進んできた道の軌跡は変えられない。だからこその選択でだからこその責任です。

 今、ただこうしてフィオナが傷ついていることに泣いてくれる少女がいる。それだけで間違ってなかったと言えるだろう。

「ふ、うぇえ~ん」
「っ、ごめんなさいルイーザ。もう言いません。だからそんなに泣かないでください」
「む、むりぃ~っ、うゔっ」
「っ、ふふっ」

 顔を真っ赤にして泣くところ、も大きく声をあげるところも子供らしくて普段からの大人っぽい彼女のギャップにフィオナは思わず笑みをこぼして、そのまま、自分も泣いていた。

 ヴェロニカからの手紙の内容もノアに避けられてしまった事にもぐっとこらえて大人らしく我慢していたが、まだまだそれらを当たり前のように呑みこむことは難しい。

 それにノアも言っていた、大人だって泣いていいし完璧にできる人間はいない。

 誰かに頼って頼られて、望みをかなえていく。

 それが正しい形なのだ。

 そうやっと本当の意味で認めることができてフィオナは、また前を向くことができたのだった。



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