147 / 156
結論 1
しおりを挟む今日が何か特別な日だったのかどうかはわからない。でも、いつものように、バルコニーでリシャールを待っていると、予期せぬ来訪者がやってきた。
彼はオレールという名の鬼族であり、僕とリシャールを襲ったことのある怖い人だ。しかし、今となっては誰が見方で誰が敵かなんてそんな簡単な状況じゃない。
雪の降る寒い夜だというのに、オレールはリヒトお兄さんと同じように薄着で屋根の上からバルコニーに飛び込んできた。
「久しいな、召喚者、私を出迎えるために外に出ていたのか?」
彼は偉そうに微笑んでそう聞いて、真っ赤な瞳を歪めて僕を見た。
待っていたなんてそんなはずはない。不意の来訪だったのは彼だって自覚があるだろうから、特に何も言わずに、召喚者塔の入口の方へと視線を移動する。
「お、お兄さんなら、今はいませんよ。お城の方にいるみたいです」
「なんだ、つまらないやつだ。其方は人間のくせに純血の鬼族にそんな態度を取るなど無礼ではないか」
「……ごめんなさい」
不服だと言わんばかりにオレールがそう言い、僕はあまり彼に構う気が起きなくて、謝罪を口にした。
思ったよりも自分の声は、酷く落ち込んでいるのがバレバレで他人に会ったからと言って元気を装えるだけの気力すら、今の僕にはないのだとボンヤリ思った。
「……以前会った時に比べてまるで生気がないな、其方。……まあいい、リヒトがいないのであればまた改めるとしよう」
そう言ってオレールはくるっと身を翻す。やっぱりお兄さんへの用事だったようで僕自身に用ではない事に少し安堵した。しかし鬱々とした気分はどうしようもないままでバルコニーの柵に腕を乗せて突っ伏した。
「しかし、其方、随分とやつれている様子だな。こんなに魔力の宿ったうまそうな人間を放置ているなんてリヒトも罪な奴なのだ」
「……」
「もしや、自分の運命を悟ったのか?」
聞かれて、運命というのが何を表しているのか理解できた自分は、その質問にイエスと答えられるだろうと思う。
でも答えはイエスだけど、死にたくなんてない。それに病んでいるのはそのことだけじゃない。
上手く受け入れられないのは、別の理由だ。
「そ、そうです、ケド、それだけじゃないです」
気まぐれに答えた。本当はこんなこと言っても意味なんかないと思うのに、それでも誰かに話をしたらマシになるかもしれないと思って口にしたのだった。
「ほう。何か特殊な理由があるとうかがえる……しかし、あえていうなら其方は滑稽に映るな、自身の身に危険が迫っているのに、そうして何もせずに家畜小屋の中で出荷される日を待っている」
僕の答えにさほど興味もなさそうに、オレールは備えつけのテーブルセットに腰かけて、偉そうに首をかしげてそんなことを言う。
たしかに、彼からはそう見えるのだろうけれども、僕にはそれ以外の選択肢は無いし、僕に一番大事なのは、死ぬとか生きるとかそういう話じゃなくて、もっと身近で、もっと現実的に目の前にある問題の方が大切だ。
どんなに聞きたいと望んでも、リシャールは僕に話をしてくれないし、嘘もついて黙らせて、あれから一度も彼に同じことを聞けていない。
その代わりに、大事にやさしく抱いてくれるけど、それがどこからくる感情でどうしてそうなっているのかもわからない。
教えてくれればいいのに、何も分からなくて、僕だけがこの世界でひとり何もできないし、何も持っていないみたいで、過ごす日々は馬鹿みたいに苦しい。
リヒトお兄さんもルシアンも、リシャールも自分の力で自分のできることできちんと動いて、自分にできることをしているのに僕だけ置いてけぼりで誰にも必要とされなくて、死んでしまってもよくて、一人ぼっちだ。
「そんな悲運を受け入れるなんて、家畜根性極まっているな。其方だったら私も首輪をつければ簡単に飼えそうだ」
「……僕ってそそんなに、ちょろそうに見えますか」
言われた言葉に怒りもせずにそう聞いた。そんな風に見えるから、誰もかれも僕に本当の事を教えてくれないのだろうか。
疑問に思ってオレールの方を見ると彼は、笑みを深めて、口を開く。
「其方は怯えた目をしてる。他人に媚びる目だ、与えられるのを望む弱者の目だ。そういう人間は、心底懐いたりしないが扱いやすいのだ」
「扱いやすい」
「そうだ。一時でも安堵を与えられることを望んでいる、甘ったれた考えで、崇高さのかけらもない、他人に依存する精神性を持っている」
…………そんなこと。
ないとは言い切れない。そうかもしれない。僕は頭もよくないし、力もない。
今だって本当はこんなに苦しいのなら逃げちゃいたいと思ってる。
出来ることはやって、これでも頑張った方で、一生懸命生きているのにそれでも何も分からなくて、やっぱり安心できなくて、不安があるのがつらくてたまらない。
しんしんと降り積もる雪が視界の端をはらはらと落ちていく。静かで寂しくて、寒くて、誰も僕を見ていてくれない。
誰もいなくて、安心させてくれないなら、どこか遠くに、行ってしまいたい。
「……其方を私がここから救い出してあげようか?」
悪魔のささやきのように鬼が言う。その響きは甘美で、今のもうどうしようもない自分には、魅力的に聞こえてしまう。
「この手を取れ、召喚者。私はリヒトと話をつけるまでは故郷に帰れないのだ、しばしの間、連れ合いにしてやろう」
息を吐いたら、白くなって風にあおられて消えていく。
白銀の髪をもつ吸血鬼はやはりとても魅惑的に見えて、あんなに怖い化け物だと思っていたのに、こうして言われるとその魅惑を簡単には振り切れない。
手を伸ばされて、考えた。
誰とも心が通じていない今、僕がただここにいてもいい事なんてないかもしれない。
こうしていることこそ、ただの愚行なのかも知れない。お兄さんも戻ってこないしリシャールも、ルシアンもただ僕を見捨てて、こうしてそれでも待っている僕が都合がいいから置いていったのかもしれない。
その可能性は決してないとは言い切れない。リシャールがここに帰ってくるのだって僕が勝手に逃げ出さないように、つなぎとめるためだけなのかもしれない。
……僕なんて死んじゃってもいいって、皆思ってるかもしれないですよね。
だから何も言わないし、だから、帰ってこない、だから……。
手を伸ばそうと思った。駄目だとわかっていても、どこか遠くに連れ出してくれるのなら、それで安心させてくれるのなら、良いのかもしれないと思って手を伸ばす。
視界に入ったのは、この間貰った刺繍の入った手袋で、しばらくは慣れなかったけど、今はこれをつけているとまるで愛情を纏ってるみたいで安心する。
……。
今までもらったことがなかった僕だけに向けられるかもしれない愛情、家族愛でも友愛でもない、彼の気持ち。
それは、とても。
「……やめときます」
「なんだ、つまらぬ。しかし、その選択の意味は果たしてどうでるのだろうな」
「……わかんないです。わ、わかんないけど、でも」
タイミングよく、リシャールが帰ってくるのが見えた。
……ここで彼の手を取ったら、僕がこの世界に逃げてきちゃった時と同じですね。どこか遠くに行きたいと思って、それが不幸にも叶ってしまった前回。
それと同じで、遠くにいけてしまうかもしれなかった今。
でも、きっとこの場所にあるものを失ったらもう二度と、手に入らない。
手袋を確認するみたいに手で手を撫でた。嘘かもしれない。何もかも全部、リシャールが僕を思ってくれているのは嘘で、本当に見えるなんて言う気持ちはただの僕の希望的観測に過ぎなくて、ただの幻かもしれない。
だから知らないふりして、彼を恨んで逃げてしまっても、罰は当たらないかもしれない。それでも、傷ついてもいいから本当であることに、僕は賭けたい。
「頑張ります」
「好きにしたらいい、気が向いたら私にも血を少し分けてくれれば、手を貸してやらんこともないのだ」
そういいながらオレールは、トンっとバルコニーの柵に飛び乗って、暗闇の中に消えていく。
彼はお兄さんに簡単にぼこぼこにされて、権威も何も感じられなかったが、こうしてきちんと話して見ると急に襲ってきたこと以外は割と、普通の人なのだなと思った。
23
お気に入りに追加
239
あなたにおすすめの小説
乙女ゲームが俺のせいでバグだらけになった件について
はかまる
BL
異世界転生配属係の神様に間違えて何の関係もない乙女ゲームの悪役令状ポジションに転生させられた元男子高校生が、世界がバグだらけになった世界で頑張る話。
精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる
風見鶏ーKazamidoriー
BL
秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。
ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。
※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。
【完結】愛執 ~愛されたい子供を拾って溺愛したのは邪神でした~
綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
BL
「なんだ、お前。鎖で繋がれてるのかよ! ひでぇな」
洞窟の神殿に鎖で繋がれた子供は、愛情も温もりも知らずに育った。
子供が欲しかったのは、自分を抱き締めてくれる腕――誰も与えてくれない温もりをくれたのは、人間ではなくて邪神。人間に害をなすとされた破壊神は、純粋な子供に絆され、子供に名をつけて溺愛し始める。
人のフリを長く続けたが愛情を理解できなかった破壊神と、初めての愛情を貪欲に欲しがる物知らぬ子供。愛を知らぬ者同士が徐々に惹かれ合う、ひたすら甘くて切ない恋物語。
「僕ね、セティのこと大好きだよ」
【注意事項】BL、R15、性的描写あり(※印)
【重複投稿】アルファポリス、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ
【完結】2021/9/13
※2020/11/01 エブリスタ BLカテゴリー6位
※2021/09/09 エブリスタ、BLカテゴリー2位

【完結】冷血孤高と噂に聞く竜人は、俺の前じゃどうも言動が伴わない様子。
N2O
BL
愛想皆無の竜人 × 竜の言葉がわかる人間
ファンタジーしてます。
攻めが出てくるのは中盤から。
結局執着を抑えられなくなっちゃう竜人の話です。
表紙絵
⇨ろくずやこ 様 X(@Us4kBPHU0m63101)
挿絵『0 琥』
⇨からさね 様 X (@karasane03)
挿絵『34 森』
⇨くすなし 様 X(@cuth_masi)
◎独自設定、ご都合主義、素人作品です。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
捨て猫はエリート騎士に溺愛される
135
BL
絶賛反抗期中のヤンキーが異世界でエリート騎士に甘やかされて、飼い猫になる話。
目つきの悪い野良猫が飼い猫になって目きゅるんきゅるんの愛される存在になる感じで読んでください。
お話をうまく書けるようになったら続きを書いてみたいなって。
京也は総受け。
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる