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しおりを挟む……焦がす?
ジェーンの言葉が気になって、少し考えたが、先ほどの炎の魔法を見て嫌な想像が思い浮かんだ。今までジェーンがアルバートに何をしてきたのか、その鱗片が見えた気がする。
「あら、デリックはどこ?ちゃんと連れてこなければ駄目じゃないの、アルバート、お前がわがまま言って育てている獣なんだから、首輪をつけて連れてこないと。あーあ、せっかく許してあげようと思いましたのにがっかりですわ。デリックが遅れた分お前が罰を受けるのよ」
「……ジェーン」
「返事ははい、でしょう? 何をぼうっとしてるのよ!」
ジェーンはそう言ってきつくアルバートを叱りつけておもむろに手をあげた。
しかしその手をすぐにつかんで、アルバートは力任せにジェーンを突き飛ばした。
「えっ」
混乱した彼女の声が聞こえて、イーディスも心の中で同じように混乱した。
そうされることを全く考えて居なかったらしく、数歩後退してからよろめいて、どたっとジェーンはうつくしいドレスを翻らせてひっくり返った。
「……ジェーン、貴方、イーディスになんて事させてるんですか」
「は?」
「ここに来るまでは、イーディスの足を引っ張ってしまうだけだという思いも消えませんでしたし、俺は確かに貴方が怖いですよ。対面するだけで手足が震えて呼吸が苦しい」
「アルバート?」
「幼いころのように治りきらないほどの火傷を負わされるのではないかと思うと体がいう事を聞かないんです」
「何を言ってますの?」
「でも、デリックたちが言っていた、夫婦だから何とかなるってこういう気持ちだったんですかね」
独り言のように彼は言ってそれから、床で転がって混乱しているジェーンにゆっくりと近づいた。
足取りはしっかりとしていて、いつもの優しい気弱な彼とは違った様子で、恐ろしいほど真剣な声音も、その瞳に灯るはっきりした敵意もすべてがジェーンに向けられていて、そばで見ているだけのイーディスも委縮してしまうほどだった。
「……ジェーン、書庫の鍵を渡してください」
「な、な、な何言ってっますの??!! このわたくしに向かって、そんな態度許せませんわっ」
静かな声で言うアルバートにジェーンは威嚇するような大きな声で言って、立ち上がろうと床に手をついた。それを、アルバートは勢いよく、思い切り踏みつけた。
ドンッという地面を突く音と同時にぱきゃと何かしけった枝でも折ったような音だった。
「ぎっ、ぎゃぁあ! あ、ああっ、は、はぁ? ななな、何なのよ!」
「鍵を、出してください。ジェーン。俺と勝負してみますか? 魔法学園にも通わずにずっとのうのうと過ごしてきた貴方が俺に勝てると思いますか?」
「っ、っ……」
脅すような言葉に、彼女はやっと状況を正しく理解した様子で、黙り込んだ。それからおずおずと自分の服の中から小さな鍵を取り出して、アルバートに投げつけるように渡した。
「ありがとうございます。……イーディスこのまま、資料をもらって帰りましょう」
ふと声をかけられて、恐ろしい事を平気でしていた彼に呼ばれたことに驚いたがとにかく、駆け足でアルバートの元へと向かった。
アルバートはイーディスの為に応接室の扉を空けてくれて、部屋を去ろうとしたが、座ったままのジェーンが背後から呪詛を吐くような声で言った。
「この恩知らず……こんなことしてただじゃ済まさないわよ。この、わたくしをコケにして、復讐してやるんだから……」
じっとりとした恨みを含んだ言葉は、聞くと呪いがかかりそうな嫌な音色をしていて、それにイーディスは気分が重くなった。
それでも、ジェーンから無理矢理、色々な物を奪ったイーディスには何も言えない。
そのまま立ち去ろうとするとアルバートは、振り返って彼女の元へと向かってそれから、膝をついて、イーディスに背を向けていった。
「貴方が……俺に多少乱暴をされただけで復讐ですか……そういう風に思うのも自由です。けど、じゃあ貴方は俺に殺されても文句言えませんよね。魔法を会得するのだけは早く、抵抗するすべのない俺たち兄弟を燃やして遊んでいた貴方は、溺死させられる覚悟あるはずですよね」
イーディスからは、ジェーンの顔だけが見えた。
ゆっくりと言い聞かせる様なアルバートの言葉に、ジェーンもただ静かになって、あっという間に彼女の顔の周りに球体に水が浮かんでいて、何かを言おうとしたジェーンの口からはこぽこぽと空気が出てくる。
驚いた彼女は水を吸い込んでしまったらしくびくっと反応してから、喉を抑えて手で必死に水をかいた。
……炎の魔法で蒸発させられないのね。
苦しそうにしているジェーンにイーディスは冷静にそう思う。
イーディスは魔法に詳しくないので魔力や熟練度による魔法の抵抗力もよくわからないが、それでもこの状況では明らかな実力差があるのがわかる。
「っ、がはっ、ゴホッゔぇ」
「覚悟が出来たら、いつでも来てくださいね。必ず殺しますから」
きっぱりとそういってからアルバートはイーディスの元へと戻ってきた。彼女は酷く青ざめた顔をしていて、覚悟ができるときなんて一生来ないと物語っていた。
応接室から出てアルバートは迷いない足取りで教会内を歩いた。それにイーディスは驚きつつも声をかけられないまま、後ろをついて歩いていた。
そもそもこうして彼がここにいるのかも不思議で、何故かという事から先ほどの出来事まで様々な考えが駆け巡って、しばらくは足を動かして考えを放棄していた。
しかし、地方からもお祈りの為にやってくる貴族たちも使う礼拝堂の前を通った時に、なんとなく彼の服の裾を引いた。
今の時間は説教なども行われていなくて、真剣に祈っている人、それからこんな場所でも社交をしている人もいて割と賑やかな様子だ。
何故ここで声をかけたかというと、彼に対してイーディスが少々怖いという感情を持っていたからなのだが、それを自覚することは無くなんとなく「アルバート」と軽く呼ぶ。
「……はい、どうかしましたか」
イーディスの声にいつもの口調でアルバートは振り向いた。
しかし、どこか張りつめていて、いつもは気弱な困り眉なのに今日はきりりとしていて、大柄なだけあって振り向いて問われると圧倒されてしまう。
けれども朗らかな教会の雰囲気に合わせて、イーディスは持ち前の気さくな笑みを浮かべてから、最初に思ったことを聞いてみた。
「失望してはいない?」
首をかしげて彼に問う。するとその質問の意味が分からなかった様子でキョトンとして聞いて来た。
「何に?」
「私が、ああまでしていたこと」
「……あまり思い出したくない」
ひざまずいて文字どおり靴をなめてまで、情報を手に入れようとしていたプライドのない人間だという事に失望していないか、そういう問いだった。
それにアルバートはまた難しい顔をしてぐっと眉間にしわを寄せて、鋭い瞳をする。
……そんな顔をさせるほど情けなかった?
聞こうと思った言葉は声にならなくて、イーディスは彼の怖い雰囲気に呑まれて黙り込んだ。しかしアルバートは続けていった。
「あんな風なことを貴方に要求して、楽しげにしていたあの人の事も、今まで何もしていなかった自分にも……無性に腹が立って……あんまり考えると今にもあの人を殺してやりたくなる」
「……」
「イーディスが居れば強くなれるんだなんて、言われたけど本当にその通りで、貴方がいればあの人も怖くなかった、でも、常識的にはやってはいけないことまでやってしまいそうで、どうしようもなくて……申し訳ありません」
鋭い瞳をゆがめて、アルバートは言いながら振り返ってまた進もうとする。それをイーディスは手を掴んで止めた。
意外な言葉に驚く気持ちもある。しかしどうにも彼自身なんだか上手く自覚できていない様子で認めたら楽になれるのではないかと思う。
「……アルバートは……やっぱり優しいのね」
「イーディス?」
「私の為に怒ってくれてありがとう」
手を取ってそのまま隣を歩いた。怖いと思うのだって当然だろう。イーディスはアルバートが我を忘れるほど怒っているところをそもそも初めて見たのだから。
「……助けに来てくれて嬉しかった。ジェーンより私を選んでくれた事もとても嬉しい……だからアルバート……もう怒ってなくても大丈夫よ」
難しい顔をしている彼にそう言って、今度はイーディスが手を引いて歩きだした。
そうすると細かい息づかいが聞こえて、やっと緊張が切れたのかなと思う。和やかに社交をしていた貴族たちは、泣いている大男を颯爽と連れて歩くイーディスに奇異の視線を向けていたが、そんなことはさして気にならない。
「申し訳ありません、すみません。本当に情けなくてっ」
「いえ、格好良かったわ」
「ずっと貴方にすべてを頼って、負担をかけて」
「大丈夫よ。何とかなったもの」
「でも、俺、本当にどうしようもありません」
「ふふっ、そんなことないわ! それに思い出して」
言いながらイーディスは持ち前の明るい笑みを浮かべて、その口角をアピールするように人差し指を立てて歩きながらアルバートの方を見る。
「私たちの契約結婚の条件! 幸せそうにすること、だから笑って幸せになってジェーンを見返すのが復讐よ!」
前向きに言った。イーディス達の関係を縛る契約結婚。それは、感情も縛ってしまってイーディスの恋心には障害だが、今だけは彼を励ます方法としてとても有用だった。
イーディスの笑みを向けられてアルバートも、いつもの困った笑みを見せて相変わらずのしょぼくれた様子で笑った。
それに、この優しくてどうしようもない彼がやっぱり好きなのだと思ってしまうのにイーディスは参ったなと思うのだった。
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