40 / 42
40
しおりを挟むイーディスはソファーに座ったジェーンの前に跪いて、彼女を見上げることもなく頭を垂れて、ジェーンの高いヒールを見ていた。
「ようやく、立場が分かって来たようでわたくしもうれしいわ、イーディス。でも、お前の提案はあまりに望みすぎではなくて?」
そんな声が上から降ってくるが、声音には優越感がにじんでいて、自分より立場が上の女を跪かせて、自分にすべての決定権がある事がよっぽどうれしいのだとわかる。
「……本当に申し訳ないと思っていますっ。貴方様からアルバートを奪って返す代わりに情報が欲しいなんて不快に思われても仕方ありません」
イーディスはあえて焦った声でそう口にして、肩を震わせて恐れているかのように演技をした。
ふふっとかすかな笑い声が聞こえてきてこの人は本当に単純な人だと思う。
「ですが、このままではダレル国王陛下に私は何と申し上げて、彼らをジェーン様の元に返したといえばいいのかっ、国王陛下に失望され、爵位の継承もままならないかもしれないっ」
「……それは可哀想ねぇ」
「だからどうかお願いします。ジェーン様、私、ダレル国王陛下の命でアルバートと結婚したけれど愛のない結婚生活にもう耐えられないんです。どうか、獣の女神の文献を一目だけでもっ」
もったいつけていう彼女に切羽詰まった声でイーディスは言う。どの言葉だって本音ではなかったし彼女がただ信じ込んで、満足できてそのぐらいならいいかという妥協を引き出すための妄言だ。
演技などやったことは無かったが、他人の望む言葉を言うのも、行動をとるのもイーディスの特技だ。
「そうね、お前はただの駒、王族の使い捨ての操り人形ですものね。両親ともに領地を治める貴族としての矜持も忘れて付き従う家畜も同然」
「っ、……」
さらにウォーレスの件もあって、多少傷ついた演技もうまくなった。人を故意に傷つけるような人たちはその反応を見て自分の価値を再認識する。
だから平然としているよりも、多少大袈裟に反応した方がいい。
……それに王族の事をいくら言われても、そんなのありきたりな悪口ですもの。
今までだって王族に苦い思いをさせられてきた貴族たちには同じような言葉を沢山投げかけられた。
「それでも、幸せな結婚を望んで、アルバートをわたくしに返す判断をできるだなんてお前はまだ見込みがありますわ」
「あ、ありがとうございます、ジェーン様っ」
「辛いわよね。こんなに惨めな思いをさせられているのに、当のアルバートは屋敷で一人のうのうと今も暮らしているんでしょう? お前がやつれても毎週わたくしのところに来ていても何もしてくれないんですものね」
「ええっ、そうなんです」
「お前だって一人のレディだもの、大切されて心を通わせた相手と幸せな結婚をしたいわよね。他の女に気のあるアルバートとともにいるのはつらいでしょう」
王族の件についてはいくら言われても、イーディスの心には響かない。
しかし、アルバートの件については少し違って、まったく合っていないはずなのに、毎週この話をしてひたすらに彼女を肯定しているからか、苦しくなる気持ちもある。
それに、来るたびに今日も彼はイーディスを守ってくれなかったのだと言われて、そのたびにジェーンはアルバートはジェーンを愛しているからだと必ず断言する。
その声をイーディスは心の中でも完全に否定できなくなっていた。だって、そうだろう。こんなに彼女は自信をもってそういえて、たしかに彼女の言っている通りイーディスは愛のない契約結婚をアルバートに持ち掛けた。
アルバートがイーディスについてきたのは、都合がよかったからだ。愛だの情だのではない。
……ずっとわかっていたはずなのに。……人に言われるとそのたびに、現実味を増していくようで、私のアルバートに対する気持ちが希望などないと冷えて固まっていく。
「初めて会った時はお前の事を目の敵にしていたけれど、ここまでくれば哀れで利用されただけの女だとわかるわ」
勝ち誇ったような声で彼女はそういって、イーディスの顎を閉じた扇で掬って顔をあげさせた。
「いい顔ですわ。……負け犬らしくて、愛嬌がある」
そんな表情を作っているつもりもなかったのに、彼女を見上げたイーディスはそんな風に言われて、自分が苦しげな顔をしていることを自覚した。
これだって作戦のうち、彼女は自分の術中にはまっていると心の奥底では理解しているのに、それでも、こうして跪いていると心は勝手に勘違いする。
「……少しぐらい、温情を与えてもいいような気がしてくる……でもそれにしてはわたくしに対するリスペクトが足りませんわよね」
うっそりと笑いながら彼女は組んでいた足を持ち上げて、どすっとイーディスの肩に置いた。蹴られたというほどでもないがじんと肩が痛む。
「ねぇ、イーディス。靴を舐めなさい、そしたら仕方がないからお前の条件を吞んであげる」
「……」
「それに王族の情報も色々と流すのよ? こんな情けない事をしてわたくしから情報を得たって言いふらされたくなければね」
取ってつけたように彼女はそう付け加えて、イーディスの眼前に靴を差し出して「ほら、早くなさい」と催促するように言う。屈辱を味わわせるにしては随分と綺麗な靴だ。
可愛い高いヒールで、ピンク色をしている。これを舐めるだけで、イーディスの目標のものが手に入る。それさえ手にしてしまえば、後はどうとでもなる。
……抵抗がないかと言われれば嘘になる。流石に膝を折るよりもずっとやりたくない。
「できないの? あーんなに情けなく懇願してきたのに? お前の覚悟はその程度なのかしら?」
言われてぐっと拳を握る。反抗的な態度をとれば今まで彼女を満足させてやっていたのが水の泡だ。
……プライドなんて、大切にしたい人に比べればずっと重要度は低いのよ。
言い聞かせるように思う。いろんな感情が織り交ざって震える吐息をはいて、イーディスはその綺麗なつま先に手を伸ばした。
「そう、それでいいわ。お前もわたくしの新しいペットにしてあげますわ」
両手で包み込んで顔を近づけた。下から見上げた彼女の顔は醜い支配欲に滲んでいて、イーディスは悪魔に心を売ったような気持になりながら、その足先に丁寧に口をつけようとした。
その途端、ガシャァンと耳をつんざく破砕音がして窓から風が吹き込む。それにすぐに魔法だと気がついた。ルチアがイーディスの危機だと勘違いして突入してきたのかもしれない。
それなら彼を宥めなければと振り返った。ルチアはああ見えて気は長くない。乱暴な魔法も使うタイプだ。
「……お久しぶりです。ジェーン」
しかし窓の外にいたのは、この場所にいるはずのないアルバートであり、何が起こって彼が来るような事態になったのかとイーディスは目を丸くした。
今日はデリックとミオの編入テストの日だ。そちらで何かあったのかもしれない。そんな風に考えるけれど、今この状況に対する上手い言い訳が思い浮かばなかった。
……流石にアルバートだって、私がこんなことまでして情報を手に入れようとしていたなんて思ってないわよね。
丁寧に手を離して、すくっと立ち上がった。
恥ずかしいんだか、悲しいんだか、驚いているんだか自分自身もよくわからなくて、黙った。
それになんだかいつもと違う雰囲気に、彼はジェーンの事を本当は愛していて、いつまでたっても情報を持ってこられないイーディスに呆れてやってきたのではないかとすら思う。
「アルバート! 良く帰って来たわ、わたくし、愚かなお前の事がずっと心配だったんですのよっ」
混乱しているイーディスとは裏腹に、彼女はイーディスのことなどもうどうでもよくなったかのようにソファーから立ち上がってかつかつと歩いていく。
しかし彼は壁を一つ挟んで向こう側だ。窓のあった腰ほどまでの高さの壁が二人を阻んでいる。
そんなもの問題ではないとばかりにジェーンは手を触れてそのままゴウッと音を立てて壁を燃やした。
彼女の持つ炎の魔法は強力だ。壁に使われている木材などはすぐに消し炭になってがらりと崩れる。
「わたくしのお仕置きが怖くてずっと帰ってこられなかったのでしょう? まったく頭が悪いんですから、お前は。でも自分から戻ってきたんですもの、少し焦がすぐらいで許してあげますわよ」
言いながらジェーンはアルバートの首に腕を回して抱き着く。その気軽さに嫌悪感を覚えながらもイーディスのところに飛んでくるルチアに腕を差し出した。
217
お気に入りに追加
1,207
あなたにおすすめの小説
婚約破棄されましたが、帝国皇女なので元婚約者は投獄します
けんゆう
ファンタジー
「お前のような下級貴族の養女など、もう不要だ!」
五年間、婚約者として尽くしてきたフィリップに、冷たく告げられたソフィア。
他の貴族たちからも嘲笑と罵倒を浴び、社交界から追放されかける。
だが、彼らは知らなかった――。
ソフィアは、ただの下級貴族の養女ではない。
そんな彼女の元に届いたのは、隣国からお兄様が、貿易利権を手土産にやってくる知らせ。
「フィリップ様、あなたが何を捨てたのかーー思い知らせて差し上げますわ!」
逆襲を決意し、華麗に着飾ってパーティーに乗り込んだソフィア。
「妹を侮辱しただと? 極刑にすべきはお前たちだ!」
ブチギレるお兄様。
貴族たちは青ざめ、王国は崩壊寸前!?
「ざまぁ」どころか 国家存亡の危機 に!?
果たしてソフィアはお兄様の暴走を止め、自由な未来を手に入れられるか?
「私の未来は、私が決めます!」
皇女の誇りをかけた逆転劇、ここに開幕!
【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。
くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」
「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」
いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。
「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と……
私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。
「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」
「はい、お父様、お母様」
「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」
「……はい」
「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」
「はい、わかりました」
パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、
兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。
誰も私の言葉を聞いてくれない。
誰も私を見てくれない。
そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。
ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。
「……なんか、馬鹿みたいだわ!」
もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる!
ふるゆわ設定です。
※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい!
※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ!
追加文
番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
君は妾の子だから、次男がちょうどいい
月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。


《完結》愛する人と結婚するだけが愛じゃない
ぜらいす黒糖
恋愛
オリビアはジェームズとこのまま結婚するだろうと思っていた。
ある日、可愛がっていた後輩のマリアから「先輩と別れて下さい」とオリビアは言われた。
ジェームズに確かめようと部屋に行くと、そこにはジェームズとマリアがベッドで抱き合っていた。
ショックのあまり部屋を飛び出したオリビアだったが、気がつくと走る馬車の前を歩いていた。

【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜
高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。
婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。
それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。
何故、そんな事に。
優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。
婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。
リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。
悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる