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しおりを挟む休日。イーディスはアルバートに行き先を黙って屋敷を出た。所用で出てくると濁すとアルバートは特に深く聞くこともなく送り出してくれて、ミオとデリックの事は任せてほしいと言ってくれた。
それを心強く思いながらも王都のすぐ隣の領地であるフェルトン侯爵領地のリンツバーク教会に向かった。
歴史的で重厚感を感じる立派な教会に馬車で乗り付けると、約束を取り付けていたダライアスが出迎えてくれた。
「お待ちしておりました。イーディス様、私が司教のダライアスです。以後お見知りおきを」
「ええ、ダライアス司教。本日はお忙しい中、私の為に時間を作ってくださって嬉しく思います。手紙での印象通り、とてもお優しそうな方で安心したしました」
イーディスは軽くドレスの裾を持ち上げて挨拶をし、すらすらと言葉を紡いだ。
ダライアスと名乗った彼は、壮年の男性で少し腰の曲がった柔和な雰囲気を持っていた。
「ありがとうございます。イーディス様……私もあの子の今の保護者の方と直接会うことが出来て、安心するような気持ちです」
優しげな笑みを浮かべて言う彼にの言葉に、デリックにきちんと愛情があってここから出た後の事を気にしていたのだとわかる。
それに間違いなく、この人がデリックの面倒を見ていた人なのだと知って、まずは安心した。
彼が言った通り、今日は結婚したイーディスとアルバートの養子に入れる為に急遽この教会から去ってしまったデリックについて話をするため、という体裁をとっている。
本題は獣の女神に関する古い文献にあるのだが、その件で誰に見られているかわからない手紙で触れれば、フェルトン侯爵家に警戒されるかもしれないと考えての事だ。
「そうですね。急に彼を引き取ることになってご挨拶もなしに、屋敷に彼を呼び寄せてしまいましたから、その節は申し訳ありませんでした」
「いえ、滅相もございません」
ダライアスに不信感を持たれないように、イーディスはことさら丁寧にダライアスと話をした。
教会の厳粛な雰囲気に気圧される様な気持ちもあったが、なんのその、王族の使いとして何度も気難しい貴族たちを相手にしてきたのだ、このぐらいでは、指先一つ震えない。
しかしイーディスはいつもの調子で話をできているが、彼はちらりと後ろを振り返って教会のエントランスを見る。
それから表情を曇らせて、それをあまり隠さずに手を向けて招き入れるようにしながら言った。
「……本日は積もる話もありますからどうぞ中へ……ただ、一つ、お伝えしておかなければならない事項がございます」
声が暗くなってイーディスは、事態をすぐに察した。ダライアスは先に歩いてイーディスを先導しながらも続ける。
「とても奇遇な事に、本日は、このリンツバーク教会の位置する領地を治めているフェルトン侯爵令嬢、ジェーン様がお見えになっており……ぜひ、オルコット侯爵家次期当主であるイーディス様にお目にかかりたいとのことです」
「……なるほど。それは確かに、大変奇遇ですね」
「ええ……とても」
……やっぱり、体裁を整えた程度では、彼女の目をかいくぐれなかったのね。
イーディスの言葉に頷くダライアスは申し訳なさそうな様子で、イーディスとジェーンの対立関係を理解しているのだろう。しかしそれでも、ジェーンの意向は、領主の意向にも近しく、それに背いては教会は立ち行かない。
逆らえない状況にあるからこそ、王族がいくらリンツバーク教会に掛け合っても、渋るわけだ。
「こちらの応接室でお待ちになっております」
扉を指示されてイーディスは苦々しい気持ちで「案内ありがとうございます」と口にした。ダライアスとは文献のこと以外にもデリックやアルバートの事を聞けたらいいと思っていたが、こうなればそうもいかないだろう。
ふぅ、と息を吐いてノックをしてから部屋へと入った。
教会らしく洗練されたシンプルな応接室の中には、赤髪の女性がふんぞり返ってという様子がしっくりくるほど不遜な態度でソファーに座りイーディスを見つめていた。
立場的にはイーディスの方が上であり、挨拶をするというよりもされる側なのだが、彼女は扇で顔を隠して偉そうにしているだけで、自己紹介すらする様子はない。
「……始めまして、ジェーン・フェルトン。私は━━━━
「あらいやですわ。泥棒猫が礼儀正しいなんて気色悪い」
「……」
開口一番彼女は、イーディスの言葉をさえぎってそう口にする。驚きのあまり面食らってしまいイーディスは口を閉ざした。
その間にも彼女はソファーから立ち上がって、扇で口元をかくしたままカツカツとヒールの音を高らかに響かせてイーディスの元へとやってくる。
それから、ずいっと顔を近づけてねめつけるようにイーディスを見つめた。
「あーあー、見れば見るほど下品な顔ね。わたくしのおさがりの使い心地はいかが?」
「……」
「感情豊かで虐めると面白いでしょう? 水の魔法使いって皆愛らしくて素敵ですわよね。か弱くて気弱で優しげで、無垢で可愛い天使のようですわ」
彼女のきつい香水の香りがするほど、ジェーンはイーディスのそばにいた。次々にされる下世話で性根を疑う発言にイーディスは口をはさむ暇がない。
「だからどこにも行けないようにその体に傷をつけて飼いならしていましたのに、簡単に盗まれて興覚めよ。それも、こんな魔法も持たない爵位だけの間抜けた顔の女に盗まれたと思うと、もう呆れかえって腹も立たないわ」
アルバートを傷つけていたことをまるでなんとも思っていないような言葉、イーディスに対する暴言、一語一句がイーディスを脅すために発言されたようなドスの聞いた声をしている。
「貴族として出来損ないのくせに、わたくしから物をかすめ取るなんて良い度胸ですわ。その思いあがった鼻っ柱を折って、二度と見れない顔にして差し上げたいぐらい」
彼女は手にしていた扇をパシンと手に打って、閉じてからイーディスの頬にピタッとあてた。
魔法を持っていないから貴族として出来損ないだという考え方は確かに昔から存在する。魔法を持っている貴族に比べるとイーディスは相手にならないくらい弱い。
それでも、魔力を持って、魔力や魔法を持った子供を生み出せる人間はそれだけで価値がある。だからこそ貴族社会では魔法持ちだけが優遇されるのではなく、魔力の量が決まる血筋を大切にしてきた。
そういう歴史がある、しかしそれを認めたくない人間はこういう風に魔法のない人間を罵る、よくある悪口だ。
しかし、それを言われただけでは片づけられない危機感を感じる。目の前にいる彼女は今にも手を出してきそうな様子で、嫌でも目を離すことができない。
目線を下げたその瞬間に敗北が確定するような、そんな獣のような相手だ。
「……されたくなければ帰りなさい。わたくし、お前の顔を見ているとそのうち魔力が制御できなくなりそうですわ」
「……」
「見てわかるわよね。機嫌が悪いわ、お前ではわたくしにかないませんもの」
地を這うような声、本当にやるぞとばかりに扇をパチンパチンと自分の手のひらに打ち付けていた。
…………。
イーディスは、こういう苛烈な相手は得意ではない。元から得意で、同じ熱量で張り合えるのならばウォーレスに初めから暴力を振るわれることをよしとしていないし、従者職についていない。
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