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しおりを挟むふらふらとしているアルバートを連れて、ミオは歩いていた。デリックの部屋からアルバートの部屋までは近いのですぐに部屋に到着する。
扉を開けて中に入り、彼をおいてさっさと出ていった方がいいかと思ったが、顔を両手で覆って心底落ち込んでいる様子の彼を放って一人で帰るのもなんだか気が引けた。
……それにしても、あんなにひどいとは思ってなかった。
イーディスに彼らはとても難しい状況に置かれていて、女性にひどい目に合わされていたから少し過敏なところがある。そんな風に聞かされてはいたが、二人して男の子が泣き出すほど酷い事とは一体どんなことだろう。
今だってアルバートはものすごくしょぼくれてしまっていて、まるで老人みたいだ。
彼みたいに若い男の人の部屋に夜に入り浸るのは良くない事だとミオは知っているが、それでもイーディスと結婚しているし、なにより、あの怯えようでミオに何かできるとは思えなかった。
なので、ほんの少しだけ気を利かせて、使用人やイーディスがやるように彼が落ち着けるように紅茶を淹れてあげようと思い立つ。
「……ほら、座って、アルバート兄さん」
それから生気が抜けたようになっているアルバートの腕を掴んで、ティーテーブルの椅子を引いて座らせる。イーディスを姉と呼ぶ便宜上、アルバートの事も兄と呼んでいるがこんな風に、しょぼくれた兄があっていいものだろうか。
「今紅茶を淹れるから!」
宣言してから、お湯を沸かすためにティーケトルに水差しからお水をいれてそれから高級そうな茶器をキャビネットから取り出す。
丁寧に触れているつもりなのだがガチャガチャと音がなってしまい。イーディスや使用人のようにうまくいかない事にイラついた。
なんであんなに音もなく簡単にできていたのか非常に謎だ。
「っ、……」
そんな風に思いながらも、缶を開けてざらざらと紅茶をティーポットに入れた。適切な量がわからなかったので、適当に入れてからちょっとつまんで元に戻す。
……こんなもんかな?
ティーバックしか使ったことがないのでどんなに考えても正しい量がわからない。
それでもなんとなく入れてから、お湯が沸いた様子なので急いで手に取ろうとするが、ぼこぼこという音が大きくなって蓋が外れてぶくぶくとお湯があふれ出した。
「わっ」
もしかするとケトルに注ぐ量が多すぎたのかもしれない。手を離すと支えを失って、ケトルはバランスを崩した。ガチャンと音がしてこのままでは床に落としてしまうと思うとすぐに手を伸ばしていた。
「……あっづ!」
おちないようにもどそうと触れた場所は、お湯が沸いて熱が伝わったところに触れてしまい振り払おうとしたせいでお湯が手にかかってしまう。
「っ~、っ、いっ」
ばしゃんと音がして、湯気の立ったお湯が床に染みこんでいく。
すぐに手に触れるけれど痺れているように痛みが酷くて冷やさないとと思いはするのに体は動かない。
しかし、ガタンと急いだように立ち上がって、今気がついたとばかりにアルバートがミオの方へとやってくる。
「っ、ミオさん……申し訳ありません。俺のせいですね」
彼は言いながらミオの手に触れない位置で手をかざして、そうすると冷たくてひんやりした水がミオの手を柔らかく包み込んだ。
……っ? これ魔法? 自分以外の魔法……初めて見た。
熱くて仕方なかったのに、水に包まれてじんわり冷たくて心地がいい。
痛みがすっと消えてドキドキしていた心臓が収まっていく。ふと見上げるとアルバートはミオの手を凄く心配そうに見つめていた。
先ほどまでどんよりと落ち込んで異様な雰囲気だったが、どうにか目には光を取り戻していて、でも泣いた後みたいに、少し瞳が潤んでいた。
「感情の起伏が激しくて、自分でもうまく制御できていないんです。普段は何かとイーディスが気にけてくれているのですが、今日は……少しばかり迷惑をかけてしまいましたね」
「……」
「痛みは引いてきましたか? 火傷は痕が残りやすいのですぐに治せてよかったです。女性の手に傷をつけるわけにはいきませんから」
申し訳なさそうにしながらもそういって、ミオの事を伺うように見た。いつの間にか痛みはなくなっていて、ミオは不思議に思いながらも水の中で手をやわやわと動かす。
「フニフニしてる……」
「ミオさん、まだ治りかけなんですから、あまり動かさないでください」
「……えー、だって初体験だし」
もう全然痛くないのにそんな風に心配して焦るアルバートが面白くてミオはそう言ってもう片方の手で水の魔法をつついてみた。
「変に治ってしまったら、大変ですよ。ミオさん、座りましょう。それは後で片付けてもらいますから、ね?」
子供に言い聞かせるように困ったままの笑みで一生懸命に言う姿は、まさしく気の弱い父親のようだった。もしくは生徒に舐められている学園の先生。
ついつい困らせるようなことを言ってしまいたくなる、そんな雰囲気のある人だと思った。
軽く背中を押されて、彼を座らせたテーブルにミオはすっかり座らされて、向かいにアルバートも座る。
それから魔法に集中できる体勢になったからか、くるくると水が渦巻いてひんやりしていたのが、一肌程度にあたたかくなる。
「今度はあったかくなった……」
「……そうなんですね。感じ方は人それぞれで、実際俺が触るとただの冷たい水なんです」
「へぇ、不思議ね」
「はい、そうですね」
会話をしているうちに治療は終わった様子で、さらりと水は流れて霧散するように消えていく。その光景は少しキラキラと光っているようで美しく、手を見てみるとまったく何事もなかったかのようにまっさらに治っていた。
「……すごい」
ついつい呟きながら手のひらをなぞった。自分の魔法はあんなに制御不能でまったく可愛くもきれいでもすごくもないのに、こんな魔法があるのならそちらの方が欲しかったぐらいだ。
「そうでもありませんよ。こんなのはただのまやかしですから」
しかし、アルバートはそうは思っていないらしく彼は困った笑みにしょぼくれた様子でそういうのだった。
それに、髪も目も寒色系の色をしているからだろうか、どこかはかなげで悲しそうに見える。
「どうして? 本当に魔法みたい、私はすごいと思う!」
思ったままを口にすると彼は、考えるように視線を空に預けて、それから改めてミオを見ながら口にした。
「……治しても治しても傷つく原因を正せない力だからですかね。それでも間違いを正せる力があったとしても俺自身が扱えるとは思いませんが」
……治しても、治しても??? なんでそんなに怪我ばかりするの??
アルバートの言いたいことがまったくわからなくて、ミオは渋い顔をして首を傾げた。
それからやっと、前の婚約者というアルバートとデリックに酷い事をした人たちから逃げられなかった、ということを言っているのだとわかった。
……でも、逃げられる力があってもそれを扱えないって、それは流石に気弱すぎじゃない?
そんな風にも考える。ミオだったらそんな人はありえない、嫌なことは嫌という派なのでそう思う。しかし世の中にはそういう人もいるのだとは知っているし、押し付けるべきではない。
「それは、大変だと思うし、私にはわからない苦労だけど……それをイーディス姉さんはやったから、アルバート兄さんもデリックもここにいるんでしょ?」
そしてさらに、彼らのトラウマ克服のために奮闘している。ここにきてミオはまだまだ日が浅いが、それでも一番この屋敷で忙しそうにしているのはイーディスだと思う。
「それにプラスして二人の負った傷まで治そうとしてるんだから、アルバート兄さんもどうにか自分の性根を変えようとしてみたらいいじゃない」
考えつつも口にしてみる、しかし、アルバートは同じように困った笑みを浮かべているだけだ。
「やってみたら案外何とかなるかもしれないし」
「……そう思いますか」
「うん」
「…………善処します」
「うん」
絞り出すように言われた言葉に、それが彼なりの最大限の譲歩のような気がしてそれ以上、ミオの意見を押し付けない方がいいと思った。
しかし、それでもあれほど怯えている様子を見た後だと、何であんなことになったのかという説明が欲しくて、ミオはよくないと思いながら不自然な会話の流れにならないように、気をつけながら聞いてみた。
「……イーディス姉さんもすごく困っていた様子だったし、参考になるかわからないけど、どうしてトラウマになっちゃったのか、私もきけたらいいなって思ったんだけど」
「そうですね……」
「教えてくれるの?」
軽く同意をして、ミオが食いつくとアルバートは優しく目を細めて笑った。
「……止めておきましょう。辛い事を思い出すより、どうしたらこの弱気な性格が治るか考えていた方が建設的だと思いませんか? ミオさん」
「!……それはそう」
「はい。……たとえ俺がどんなことをされていようとも、ずっとこのままでいい理由はありません。そう思いませんか」
「……うん」
彼の話を聞いてみたいとは思ったが、そういわれてしまえばその方が合理的だ。
過去は過去、今は今なのだから、好奇心はしまっておいてせっかく前向きに考えてくれるらしいアルバートを無視せずにどんな風にしたらいいのか考えた方がいいかもしれない。
「そうとなったら私も協力する。いつも忙しそうなイーディス姉さんに少しでも休み時間をあげたいから」
「いい心掛けですね。俺も、イーディスにはよく休んで自分を大切にしてほしいです」
ミオが宣言すると、彼も同じように宣言して、あれやこれやと二人で話をした。
あまり建設的な話し合いではなかったが、一緒に暮らしているお兄さん的存在であるアルバートと顔を突き合わせて二人で話す機会になって少し信頼することが出来た。
見た目通りの弱気でいい人だと思えたので、これからも屋敷内で気軽に話が出来そうでミオは嬉しくなったのだった。
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