19 / 42
19
しおりを挟むそれからしばらく、イーディスはルチアを伴って昼食を彼の元へと運んだ。相変わらず反応はなかったがそれでも、この扉の向こうに臆病な少年がいるのだと思えば、声をかけるのだって楽しくなるというもの。
キッチンワゴンの車輪をロックしてそれから、イーディスはノックをした。するといつもとは違い、部屋の中から物音が聞こえてきた。それから、扉がゆっくりと開く。
扉の向こうにはあの日に見た大きな狼がいて、じっと見据えてその牙をガルルッと見せるのだった。
それにおや? と不思議に思う。せっかく出てきてくれたのに威嚇されてしまった。
こんな様子の狼の魔獣に出会ったら、イーディスだって黙って逃げ出すが、あの先日の彼の事を想いだして、なるほどと納得する。
……きっと私を怖がらせてやろうっていたずらね。
そんな風に考えて「カァッ!」と抗議するように鳴くルチアを気にせずに「始めまして!」と握手をしようと手を差し出した。
しかし、それに反射するように「ガウッ」とデリックは短く吠えてその手にバクッと食いついた。
「え」
ぎちっと牙が肉にうずまって鈍い痛みを生み出す。
「っ、ゔ」
咄嗟に手を引き戻そうと考えるが、皮膚が引きつってびくともしない。
噛みついたままこちらを見つめているグレーの瞳には、魔力がともってキラキラとしていた。
痛みに膝を折ってデリックの瞳と目を合わせてそのまま見つめていると「カァー!」と怒った様子でルチアが、デリックの顔に向かって激突した。
そのまま爪を使ってデリックの顔をげしげしと攻撃していく。
それに堪らず、デリックはイーディスの手を離して前足で自分の顔を守るようなしぐさをしたと思えば、人の体になり、適当なシャツに、スラックスというラフな格好の少年が現れる。
「っ、なんだよ! だから俺言ったじゃんっ、女の人、苦手だから会ったら噛むって!」
「カァ!」
「これでも我慢したっ!頑張ったんだって」
「カー!」
「わかってるって、兄さまにも怒られるっていうんだろ!」
「カァ!」
「でも、仕方ないじゃんか、打たれると思ったんだって、体が勝手にっ」
強気にこちらをにらんで来ていたと思えば、ルチアがひと鳴きするごとにデリックの顔はどんどんと気弱になっていく。それに言っていることがなんだか闇深い。
そして彼の言葉にルチアはもう一度強く「カァ」というとそれにデリックはそのグレーの瞳を大きく見開いて、ぐぐっと顔にしわを寄せる。
「なんだよ。そんなこと言わなくてもいいじゃんか。っ、俺だって悪いと思ってるんだって」
それから、瞳にウルウルと涙がたまっていく、と思えばすぐに涙が零れ落ちた。
……涙もろいのは遺伝かしら。
酷い痛みと不思議な光景に他に考えることは山ほどあったような気がしたが、イーディスは、アルバートの事を想いだしてそんな風に考えた。
それに、髪の色や目の色は似ていないけれど、よく見てみれば顔立ちはそっくりだ。
気弱な雰囲気がアルバートをほうふつとさせて、不思議と噛まれたという事実よりも彼が泣いているという事に思考が向く。
「カァ」
「そうだよ。ジェーンは俺に酷いことするし、兄さまにも同じようにしてた」
「カー」
「扇で打ったりしてくるんだ。でもずっと静かにしていれば、怒られないから」
泣きながらもデリックはルチアと話をしている様子で、次から次に溢れてくる涙を拭っていた。
彼らは話をしている様子だったが、イーディスにルチアの言葉はわからない。それでも黙ってここから去るのも違うだろうと思い、手で涙をぬぐう彼にハンカチをさしだした。
するとそれだけで、飛び上がらんばかりに驚いてフワフワとしている彼の白髪が揺れた。
「……素手で目をこすったら、目元が痛くなるわ」
言いながらその手を取ってハンカチを握らせる。それからデリックと何か話をして、どうやらイーディスと会うように説得してくれたらしい、ルチアに視線を向けた。
「ルチア、貴方ったら、やっぱり人間の言葉わかっていたのね」
「カァ」
「カラスは頭がいいと聞いていたけど、凄い事ね」
ルチアの頭を魔力を込めながら撫でる。そうするとルチアは誇らしそうに胸を張ってぴょんぴょんっと小さく飛び跳ねる。よっぽどご機嫌だ。
しかしやっぱり噛まれた方の手は痛む。見てみれば変な色に変色してきていた。
……参ったわね。自重するように言われたのに、また怪我をしたなんて言ったら、アルバートに呆れられてしまうわ。
そう考えつつもハンカチをきちんと渡して、床に座り込むデリックに目線を向ける。
「改めて初めまして、デリック」
「っ……」
名前を呼ぶととても警戒した様子で、目を見開いてこちらを見る。噛みついてきたときには多少なりとも怖いと思ったが、こうして人の姿をしていると表情が読みやすい。
それに、アルバートに似ているのでどんな感情なのか理解するのも簡単だった。
「イーディス・オルコットよ。アルバートと結婚したから貴方の姉に当たるわ。これから一緒に暮らすのだから気軽に呼んでくださいね」
「……」
顔を青くさせて、できるだけ小さくなるように肩をすぼめて猫背になりながら彼はイーディスを焦点が合ってない瞳で見つめた。
イーディスに話された内容ではなかったが、ルチアとの会話で彼がアルバートと同じ境遇にいたのだと理解できた。それなら、やはり配慮は必要だ。
彼にそうしたように、できるだけ優しくしようと思う。
「そのハンカチ、デリックにあげるわ。食事時に驚かせてごめんなさいね。ルチア、私はそろそろ行くわ、あまり、デリックをいじめてはだめよ」
「かぁ」
イーディスが立ち上がりそう言うとルチアはいつもと同じように返事を返す。
その返答は一体何と言っているのかイーディスも聞いてみたいと思ったけれど、それはもっと仲良くなってからデリックに聞けたらいいなと思うのだった。
445
お気に入りに追加
1,207
あなたにおすすめの小説
婚約破棄されましたが、帝国皇女なので元婚約者は投獄します
けんゆう
ファンタジー
「お前のような下級貴族の養女など、もう不要だ!」
五年間、婚約者として尽くしてきたフィリップに、冷たく告げられたソフィア。
他の貴族たちからも嘲笑と罵倒を浴び、社交界から追放されかける。
だが、彼らは知らなかった――。
ソフィアは、ただの下級貴族の養女ではない。
そんな彼女の元に届いたのは、隣国からお兄様が、貿易利権を手土産にやってくる知らせ。
「フィリップ様、あなたが何を捨てたのかーー思い知らせて差し上げますわ!」
逆襲を決意し、華麗に着飾ってパーティーに乗り込んだソフィア。
「妹を侮辱しただと? 極刑にすべきはお前たちだ!」
ブチギレるお兄様。
貴族たちは青ざめ、王国は崩壊寸前!?
「ざまぁ」どころか 国家存亡の危機 に!?
果たしてソフィアはお兄様の暴走を止め、自由な未来を手に入れられるか?
「私の未来は、私が決めます!」
皇女の誇りをかけた逆転劇、ここに開幕!
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
君は妾の子だから、次男がちょうどいい
月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。


《完結》愛する人と結婚するだけが愛じゃない
ぜらいす黒糖
恋愛
オリビアはジェームズとこのまま結婚するだろうと思っていた。
ある日、可愛がっていた後輩のマリアから「先輩と別れて下さい」とオリビアは言われた。
ジェームズに確かめようと部屋に行くと、そこにはジェームズとマリアがベッドで抱き合っていた。
ショックのあまり部屋を飛び出したオリビアだったが、気がつくと走る馬車の前を歩いていた。

【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜
高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。
婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。
それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。
何故、そんな事に。
優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。
婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。
リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。
悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。

【完結】さようなら、婚約者様。私を騙していたあなたの顔など二度と見たくありません
ゆうき
恋愛
婚約者とその家族に虐げられる日々を送っていたアイリーンは、赤ん坊の頃に森に捨てられていたところを、貧乏なのに拾って育ててくれた家族のために、つらい毎日を耐える日々を送っていた。
そんなアイリーンには、密かな夢があった。それは、世界的に有名な魔法学園に入学して勉強をし、宮廷魔術師になり、両親を楽させてあげたいというものだった。
婚約を結ぶ際に、両親を支援する約束をしていたアイリーンだったが、夢自体は諦めきれずに過ごしていたある日、別の女性と恋に落ちていた婚約者は、アイリーンなど体のいい使用人程度にしか思っておらず、支援も行っていないことを知る。
どういうことか問い詰めると、お前とは婚約破棄をすると言われてしまったアイリーンは、ついに我慢の限界に達し、婚約者に別れを告げてから婚約者の家を飛び出した。
実家に帰ってきたアイリーンは、唯一の知人で特別な男性であるエルヴィンから、とあることを提案される。
それは、特待生として魔法学園の編入試験を受けてみないかというものだった。
これは一人の少女が、夢を掴むために奮闘し、時には婚約者達の妨害に立ち向かいながら、幸せを手に入れる物語。
☆すでに最終話まで執筆、予約投稿済みの作品となっております☆
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる