305 / 305
この世界で生きていく……。10
しおりを挟む夜ではあったが、まだ時間が浅く、外の街灯と部屋から漏れる灯りでそれなりにバルコニーは明るかった。
風が少し吹いているが、寒くはない。
今日は、バルコニーに机は出ておらず、ただ広い空間が広がっていた。
「クレア」
柵に寄りかかるようにして、外を眺めていたローレンスは、振り返りもせずに私の名前を呼ぶ。適当に歩みを進めて、彼の隣に向かう。
「よく来たね。そのドレス、よく似合っているよ」
流し目でこちらを見て、それから、また下階に視線を落とす。「ありがとう」と返しつつも、ローレンスの視線の先を追った。
そこには校門付近に生えているふたつの大きな桜の木があった。
入学当時に下から見た大きな桜の木、ここからでは少し小さく見えるけれど、それでもとても立派な木だと言う事実は変わらない。
風が吹くと、その花びらが舞い散る、風に煽られて、桜吹雪が舞い上がった。
その光景は、強く前世を思い出させてどうにも感傷的な心地になる。前世でもただでさえ、桜を見ると浮かれ気分と共に、すぐに散ってしまうその花に寂しさというか悲しさというかそういう感情が呼び起こされるのだ。
卒業式などには、いつも決まってどこかで咲いていて、今まで当たり前だった日常が、変わってしまう。私の中で桜はそんな、別れの象徴のような花なのだ。
「パーティでは、すまないね。君はまだどうあっても、クレア・カトラスと言う平民の身分だから」
「ううん……大丈夫、こうして二人で話せる時があれば十分だよ」
学園街の灯りの方へと、視線を移す。今日あたり、学園街の方でも宴会やパーティーが歓迎会だとか送迎会として開かれているのでは無いだろうかと思う。
「…………君は望まないね。地位には興味が無いのだとしても、あるに越したことはないんだよ、クレア」
「……うん、うーん」
「私の役に立ってくれるんだろう?」
「それは、もちろん。……ねぇ、ローレンス、私が必要になりそうなことは無い?」
役に立ってくれると言う話題から、何となく、団体戦の時の事を思い出して聞いてみる。
あの時から、私はローレンスが安心できるように、力をつけて彼のそばで生きていこうと決めた。
この世界、この場所、結局いちばん最初に提示された私の居場所。それを仕方なくではなく、自ら望んで選びとった。
「……無いね。何せ、ララが呪いの継承者を二人も抱え込んだのだし、君の露見した固有魔法は、誰だって喉から手が出るほど欲しい物のようだから、今は……忙しくしているよ、留まっている淀みは感じない」
「そっか。じゃあもっと強くならないとね。貴方がいつだって、大丈夫なんだって思えるように」
それでいつか、そんなものがなくても、ただ平和が続くだけの日々に、幸せが感じられるようになったらいいと思う。
「……もっと……か。どうだろうね。今日は君にひとつ朗報があるよ」
そんな言葉と共に彼は今日初めてこちらに体を向ける。それから、嫋やかな金髪を風になびかせて、柔らかく微笑む。ローレンスは一歩進んでて、私を優しく抱きとめた。
久しぶりの彼の体温に思い切り抱き締め返したくなるが、朗報というのが気になって、首を上に向けて、ローレンスを見上げる。そうすると、少し強く抱かれて、彼は魔法を使う。
「…………」
それから、小さなナイフを出現させた。
……なにか怒らせることしたっけ? もしかして、ローレンスまでララのようにドレス姿を晒したと怒るのだろうか。
そんな事を途端に考えて、身を固くすると、ローレンスはふふっと笑って、背後の窓からの光を反射するようにナイフの刀身を光らせた。
「あ……色が……」
「君を脅すのも楽しいけれど、今日はこれを報告しようと思ってね」
「…………」
ローレンスの胸に抱かれたまま、そのナイフに私は吸い込まれるようにして手を伸ばした、触れてみて、それから指を滑らせる。
ピリッとした痛みが走って、指先が切れた。当たり前だ、刃物なのだから、ほかのナイフと同じで切れる。
そんな事も、今だけは忘れるほど、それがとても綺麗な物のように見えていたのだ。
「……たまに君は驚くような事をするね。大丈夫かな? それほど傷は深くないように思うけれど」
「…………ローレンス、これ、どうしてかって自分でわかる?」
今まで真っ黒だった刀身は、プラチナでできているかのように白く美しい刃となっていた。私は、彼のその黒い刃が何を表しているのか、彼に教えて貰っていた。
そして、それが変わることがあるだなんて、まったく考えていなかった。ローレンスの心に根深くこびりついて離れない、そういうものだと思っていた。
「…………さぁね。ただ、先日出した時にはこの色だったのだから、自然現象だろうね」
「そう……なんだ」
「……ただだからといって、君がどこかに行っていい理由にはならないよ」
教えてくれた割には、不安なのか、ローレンスはそんな風に続ける。そんな事、考えるわけが無いだろう。
少し背伸びをして、彼の唇を塞いだ。
驚くローレンスに私は感情を隠さずに、言う。
「良かったね、ローレンス。良かった。少しづつでも、貴方の傷が癒えているのがわかって嬉しい」
「……」
「ローレンス、きっといつか、すっかり嫌なことは忘れて、私と、ララと、ドラブルもない平穏な日々で思い出をいっぱいにする時が来たらいいね」
ローレンスに言っていると言うより、これは自分自身の目指す先だ。そして何かがあった時には、自分が安寧を手に入れるために戦うべきだ。
守るもののために、手を尽くすべきだ。
彼の胸板に頭を預けて抱きしめる。
そうすると緩く頭を撫でられて、上から声が降ってくる。
「……君は、馬鹿だね。随分と頭が悪い」
「ひ、酷い……」
「こんな男に生涯を捧げて、今でものうのうと笑っている、本当に」
一度、間を置いて、きつく抱き直される。
「愛おしい」
その言葉に私は何も言えずにただただ、ローレンスの胸の中で、目を瞑った。
言葉にこもった熱が何よりも本音だと言うことを伝えていて、嬉しさと愛おしさに顔が熱くなる。
彼の胸のかなでモゾモゾと動いて、桜の木を眺めた。前世、私は、何もなかった。死ぬ時にすら、なんだったんだと思う様な、ただ流されるだけの人生。
変えようとして、踏み込んで生きる事の面倒くささや、やりづらさ、結局ぶつかるだけのときだってあった。
……でも、ああ、やっぱり、正解だった。
この場所にいて、そしてきっと私でなければダメで、私もローレンスでなければダメな、そんな関係がここにある。
きっと私が死ぬ時、なんだったんだなんて虚しいことは思わない。きっと、まだ死ねないと抗って生きようとするんだ、そう出来る、そうしたいと自然と思える、居場所がある、関係がある。
それが何よりも嬉しくて、涙が視界を歪ませる。
ぽたぽたと流れた涙にローレンスは気がついて、少し声を出して笑って、緩く私の背中をさすった。
暖かさと、嬉しさと、達成感と、それからもう、数え切れない複雑な感情に、涙が止まらなかった。
良かったと思う。私はこの世界にやってきて、良かった。
春の風に煽られて桜が散っていく、暖かな鼓動と、耳触りのいい私を呼ぶ声。
私はこの世界で生きていく、そう心の中で決めて、あとはただ心地のいい時間に身を委ねた。
27
お気に入りに追加
137
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
悪役令嬢でも素材はいいんだから楽しく生きなきゃ損だよね!
ペトラ
恋愛
ぼんやりとした意識を覚醒させながら、自分の置かれた状況を考えます。ここは、この世界は、途中まで攻略した乙女ゲームの世界だと思います。たぶん。
戦乙女≪ヴァルキュリア≫を育成する学園での、勉強あり、恋あり、戦いありの恋愛シミュレーションゲーム「ヴァルキュリア デスティニー~恋の最前線~」通称バル恋。戦乙女を育成しているのに、なぜか共学で、男子生徒が目指すのは・・・なんでしたっけ。忘れてしまいました。とにかく、前世の自分が死ぬ直前まではまっていたゲームの世界のようです。
前世は彼氏いない歴イコール年齢の、ややぽっちゃり(自己診断)享年28歳歯科衛生士でした。
悪役令嬢でもナイスバディの美少女に生まれ変わったのだから、人生楽しもう!というお話。
他サイトに連載中の話の改訂版になります。
悪役令嬢になりたくないので、攻略対象をヒロインに捧げます
久乃り
恋愛
乙女ゲームの世界に転生していた。
その記憶は突然降りてきて、記憶と現実のすり合わせに毎日苦労する羽目になる元日本の女子高校生佐藤美和。
1周回ったばかりで、2週目のターゲットを考えていたところだったため、乙女ゲームの世界に入り込んで嬉しい!とは思ったものの、自分はヒロインではなく、ライバルキャラ。ルート次第では悪役令嬢にもなってしまう公爵令嬢アンネローゼだった。
しかも、もう学校に通っているので、ゲームは進行中!ヒロインがどのルートに進んでいるのか確認しなくては、自分の立ち位置が分からない。いわゆる破滅エンドを回避するべきか?それとも、、勝手に動いて自分がヒロインになってしまうか?
自分の死に方からいって、他にも転生者がいる気がする。そのひとを探し出さないと!
自分の運命は、悪役令嬢か?破滅エンドか?ヒロインか?それともモブ?
ゲーム修正が入らないことを祈りつつ、転生仲間を探し出し、この乙女ゲームの世界を生き抜くのだ!
他サイトにて別名義で掲載していた作品です。
【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。
氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。
私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。
「でも、白い結婚だったのよね……」
奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。
全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。
一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。
断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

悪役令嬢の生産ライフ
星宮歌
恋愛
コツコツとレベルを上げて、生産していくゲームが好きなしがない女子大生、田中雪は、その日、妹に頼まれて手に入れたゲームを片手に通り魔に刺される。
女神『はい、あなた、転生ね』
雪『へっ?』
これは、生産ゲームの世界に転生したかった雪が、別のゲーム世界に転生して、コツコツと生産するお話である。
雪『世界観が壊れる? 知ったこっちゃないわっ!』
無事に完結しました!
続編は『悪役令嬢の神様ライフ』です。
よければ、そちらもよろしくお願いしますm(_ _)m
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろうにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
転生者はチートな悪役令嬢になりました〜私を死なせた貴方を許しません〜
みおな
恋愛
私が転生したのは、乙女ゲームの世界でした。何ですか?このライトノベル的な展開は。
しかも、転生先の悪役令嬢は公爵家の婚約者に冤罪をかけられて、処刑されてるじゃないですか。
冗談は顔だけにして下さい。元々、好きでもなかった婚約者に、何で殺されなきゃならないんですか!
わかりました。私が転生したのは、この悪役令嬢を「救う」ためなんですね?
それなら、ついでに公爵家との婚約も回避しましょう。おまけで貴方にも仕返しさせていただきますね?

誰からも愛されない悪役令嬢に転生したので、自由気ままに生きていきたいと思います。
木山楽斗
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢であるエルファリナに転生した私は、彼女のその境遇に対して深い悲しみを覚えていた。
彼女は、家族からも婚約者からも愛されていない。それどころか、その存在を疎まれているのだ。
こんな環境なら歪んでも仕方ない。そう思う程に、彼女の境遇は悲惨だったのである。
だが、彼女のように歪んでしまえば、ゲームと同じように罪を暴かれて牢屋に行くだけだ。
そのため、私は心を強く持つしかなかった。悲惨な結末を迎えないためにも、どんなに不当な扱いをされても、耐え抜くしかなかったのである。
そんな私に、解放される日がやって来た。
それは、ゲームの始まりである魔法学園入学の日だ。
全寮制の学園には、歪な家族は存在しない。
私は、自由を得たのである。
その自由を謳歌しながら、私は思っていた。
悲惨な境遇から必ず抜け出し、自由気ままに生きるのだと。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
うわ〜!王太子が胸糞!脅迫、暴言、暴力の最低クズ男!処刑が枕詞か?王太子のとこだけ飛ばしたいくらい。そんなに魔法が欲しいのなら、嫁になるララに頼めばいいんじゃない?
感想ありがとうございます。これからクズな理由まできちんと書けたらと思います。頑張ります。