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恐ろしい事があった日は……。8

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 いちばん最初に、寝落ちしたのはシンシアだった。私の悪役令嬢なりかわり物語を聞き終わって、現在進行形で三股していること、ララとの関係性、対策もこれからの事も一切建設的な事は話さずに、こんこんと話した。

 次は、夏休みに実家へと帰った時の、チェルシーの婚活話を聞き、シンシアも何か話をしてよと振り返った時には、ソファに体を預けてぐっすりと眠ってしまっていた。

 深夜遅くになっても戻ってこないヴィンスとサディアスを心配しつつ、チェルシーは、それなら二人で今度は別の話をしようと誘ってきた。

 私も今日は灯りを消して、きっちりとベットで眠ることは出来ないと思っていたのでそれに同意し、チェルシーの家族の事や家の商売の事なんかを聞いて、代わりに私は、前世での記憶を話してみたりした。

 段々と二人とも、言っていることに脈絡がなくなって来て、私も眠たくて仕方が無かったのだが、どうしても、事件後にヴィンスとサディアスの二人と会っていないことが気がかりで、ペラペラともう、チェルシーに通じるかどうかなど、考えずに話をした。

 気がつけば今度はチェルシーが眠ってしまっていて、時間を確認するともう夜明け頃だった。
 けれども、外は変わらず真っ暗で、今日はどうやら曇りか、雨なのだろうと思う。

 ……公開試合の前半、ぐっすり眠ってたおかげだね。

 そのおかげでオールできた。寝息を立てるチェルシーとシンシアを見て、私はソファを立ち部屋の灯りを消した。

 せっかく眠るのなら、ぐっすり眠って、心身を回復した方がいい。灯りを消すと、窓の外の方が若干明るいような気がする程度で、重たい暗闇と夜の静寂に包まれる。

 視界が悪くなって、起きている人間が自分以外に居ないとなると、消し去っていたはずの、凄惨な死体を直視してしまった記憶が蘇る。今ここにもそれが存在するような気になって、身震いする。

 ……大丈夫。……ホラー映画なんかを見た時と同じだよ。

 きっと、明日には忘れて、その日の夜には、くだらないことを考えているうちに眠ることが出来るはずだ。そのまま記憶は薄れていって、怖いと思うのは今日だけだ。

 部屋の中心で立ち尽くしてそう考えた。

 すると、背後の扉が開く、出来るだけ音を立てないように配慮されたようにゆっくりと扉が開いて、中に入ってこようとするサディアスとぱっちり目があった。

「…………」

 ……今戻ってきたのかな?……でも、それにしては、ちょうどチェルシーが眠ってすぐだ。……もしかして部屋の外にいた?

「なんだ、君は起きてたのか」
「うん……もしかして入りづらかった?」

 サディアスが普段より小さな声で言うので、私も同じように小さな声で返す。

「いや、ただ随分楽しそう話してたからな、今の俺の状態で部屋に入るとチェルシーもシンシアも驚くだろ」
「…………まぁ、そうだね」

 そう言って、視線を落とす、顔や手はどこかで洗ったのか血はついていないが、彼のワイシャツは赤黒い染みだらけだ。

 完全に殺人鬼の格好だ。出来るだけ事件の事を思い出さないように三人でお喋りしていたので、確かに今の格好のまま入ってこられたら、少し気まずかったかもしれない。

 現に私だって、灯りが付いた状態で、彼に会っていたら、ギョッとすると思う。薄暗くて助かった。

「クレア、チェルシー様、シンシア様には外傷はございませんでしたか?お二人を貴方様に預ける形になってしまい申し訳ございませんでした」
「それは大丈夫。それより入ったら?二人はソファで寝ちゃったから、サディアスの寝室の方で灯りをつけて話そう?」
「そうするか」
「承知いたしました」

 私の提案を二人は呑んで、三人でサディアスの寝室の方へと移動する。部屋に入って灯りをつけて見ると、薄暗い場所で見たより随分と、サディアスもヴィンスもくたびれて見えた。

「お疲れ様、二人とも、何時頃に戻ってたの?」
「…………いつ頃だった?」
「深夜を回った当たりです」
「そんな前からいたんだ、ごめんね気が付かなくて」

 サディアスは眠たいのか少し、ぼんやりしながら答えて、ヴィンスの方は、不気味なぐらいいつもと同じ笑顔だ。

「いやいい。……けどな、驚いたぞ、戻ってみれば君らはきゃあきゃあ楽しそうに喋っててな、初めて人を殺したとは思えな━━━━
「サディアス様、そのお話は必要ですか?」

 ヴィンスはすぐにサディアスの言葉を遮って、彼に笑顔で圧をかける。まぁ、そう思われても仕方ないだろうが、そうでもしていなければ、不安だったのだ。

 私達は全員、本当は今日見てしまった事、やってしまった事に内心では、ガタガタ震えていた。

 サディアスはヴィンスに言葉を遮られて、眠たげなまま、少し考えて、あっと今気がついたとばかりに、言い直す。

「すまない、無神経だった」
「いいよ、気にないで。とりあえずサディアスは着替えたら?そのままじゃ気持ち悪いでしょ」
「あ……あぁ、そうするな」

 私に指摘されて、サディアスは、はぁと大きくため息をついて、それから数秒きつく目を瞑ってから、パッと開いて、寝室にあるクローゼットの方へと向かっていく。

 残ったヴィンスは、私と目を合わせてニコッとして、口を開く。

「事後処理については、成功しましたとだけお伝えしておきますね。少々手間がかかりましたが、捕虜が良い仕事をしてくれました」
「…………うん、わかった。チェルシーは罪に問われないって事でいいんだよね?」
「その辺は抜かりなく。そもそもが、チェルシー様シンシア様に対する殺害が目的でしたから、反撃しただけの彼女たちは罪に問われる事はありません」
「そっか……良かった」

 どんな処理をしたのかということは分からない。学園街を守っている兵士さん達にお願いしたのか、もしくは何かの力を借りたのかだと思うが、はっきりとさせたところで、事実は変わらない。

 二人が、どうにかしてくれたのなら、目を瞑るべきだ。だって、結局、それらは私にはどうしようもない事だから。

 きっと、私は、私だけだったのならシンシアとチェルシーをしっかり助ける事など出来なかっただろう。
 二人が容赦なく、あの倉庫にいた人たちを……。

 そこまで考えて、小さなナイフで人の首を掻き切るヴィンスの姿を思い出して、そんな時でも彼は笑顔を絶やさなかったと思う。
 
 着替えをして、適当なワイシャツを着ているサディアスは、いまだに腰に大剣を携えていて、人を殺した武器をぶら下げているのだと考える。

「……、……」

 サディアスが戻ってきて、私は反射的に一歩後ろに下がった。剣なんてそもそも、人を殺すためにある武器だ。生活に当たり前に馴染んでいて、気にならなくなっていただけで、私達の力は簡単に人の命を奪う。

 そう考えると、いまだにホラー映画の中に自分がいるようで、どうにもいつもの気軽な会話ができない。嫌な動悸がする。

「……遠いな」
「…………」

 私の二人に対する怯えに、サディアスは気がついたのか、単にいつもより私が距離を取っている事を言っているだけなのか、ポツリとそんな事を言った。

「そ、そう?」

 平静を装おうとすればするほど、冷や汗が出てきて、いつだって、彼らが戦っている所を見て、心強いとは思えど、怖いなんて思ったことがなかった。

 そのはずなのに、人を殺したと言うだけで、そしてそれでも平然として私の前にいることに、なぜだか人ならざる者のように見えてしまう。

 サディアスの真っ赤な瞳は私の異常を見逃さないとばかりに細められ、こちらをじっと見つめている。ヴィンスは無言だった。
 沈黙が重たくのしかかる。

 私はそれに耐えられなくなり、いよいよ何か、なんでもいいから言おうと考えた時。

 カラーン……カラーン。

 澄んだ鐘の音が遠くの方から響いてくる。
 ふと目をやると、まだ薄暗い朝に、部屋の光を反射するように白いものが降り注いでいる。

 …………あ、これ。冬初めの鐘。

 記念祭が終わった後に鳴る、最初の鐘、愛の伝説の鐘の音。

 そして名前通りに初雪が降っているのをなんだかものすごい奇跡でも見てしまったような気がして、ふと、私の現実へと引き戻される。

 窓から、二人へと視線を戻せば、サディアスの目付きが悪くなっているのは、彼だって疲弊しているからだとわかるし、ヴィンスは私に心配させまいと、しているのだとわかる。
 
 ……そうだよ。この二人が怖いわけが無い。

 それに、私達が、夜通し今日あった事の恐怖を忘れるために明るく楽しく話をしていた事と似たような事だ。

 二人だって平静を装う。けれど、恐ろしいことがあったのだ。二人は私が背負えない事を背負ってくれている。手を下すことが出来る。

 ただ出来ると言うだけで、やりたいわけじゃないのだ。

「ヴィンス、サディアスちょっと隙間なく二人並んでくれない?」
「……ええ、構いませんが……」
「何でだ……」

 そんな風に言いつつ、二人は寄り添って並ぶ。私は数歩下がって、それから二人に向けて助走を付けて走った。それからぴょんと飛び上がって、思い切り、ぶつかるように手を広げてハグをした。

「っ……君な、どうしたんだ急に」
「ふふっ、驚きましたクレア」
  
 ぎゅっと思い切り抱き締めれば、彼らはやっぱりいつもの二人で、サディアスはそんな事を言いつつも、私を押しのけたりしない。ヴィンスは、抱きしめ返してくれる。

 暖かい人の感覚、これだけで、今日あった恐ろしい事は、急速に薄まっていく。

 二人の肩に頭を擦り寄せて、それからゆっくりと離す。

「……おかえり、二人とも。大好きだよ」
「急だな、君は」
「私もお慕い申し上げています、クレア」
「…………俺も君が好きだぞ」
「うん、ありがと」

 そんなふたりの返答を聞くと酷く安心してしまってもう一度、まとめて抱きしめて、肩に頭を預けて目を瞑った。



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