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不眠症ってやつでは……。10
しおりを挟む先生は立ち上がって、本棚や作業台がある場所へと移動して、私に手招きする。
クラリスはソファーでヴィンスを呼び止めた。
……いいなぁ、ヴィンス。私もクラリスと色々お話ししたい事があるのに。魔法の事で知りたい事は山ほどあるが、最初に少しだけ事情を話してくれた彼女は、私の今世で相当に重要人物だ。
だって、そもそもこの体はクラリスのもので、そしてクラリスのしがらみ、人間関係の中に私がいるのだ。
ローレンスやララの事、それ以外のこと。そのクラリスの言う思惑とやらだって、それ絡みなんだろう。
原作でのクラリスや、ローレンス、ララの事を私は知っていると言うだけで、それ以上のそれぞれの深い思いまでは理解出来ていない。
そういう事を聞いておきたい。そして……クラリスの人となりも。何故、ここに居るのか、何故エリアル先生とこんなに仲良しなのか。
「クレア、改めて。クラリスの下僕のエリアルです」
やっぱりなんでこんな事になっているのか、説明が欲しかった。クラリスは下僕を作るのが趣味なのだろうか。
「え?えー、先生、えっと……エリアル先生、は……先生なのか下僕なのかどっちなんですか」
混乱しつつ考えて先生に問いかけると、彼は少し逡巡してから、パッと口を開く。
「下僕です。クラリスをお世話し、メンテナンスをし、食事を用意し、寝食を共にしつつ、一生を捧げていますので。教師は二の次です」
一番、想定外の答えが返ってきて、そんな馬鹿なと思うが、むしろそういうすこしおかしな人なのだと無理矢理に納得する。魔法を使っていないと声すら聞き取れないような人なので、変わった人でも問題ないだろう。
ふわふわと目元から光が浮き出しているだけで、相変わらず表情は伺えない。
「わ、分かり……ました。えっと……私は……」
流れ的に、自分の事を先生に言った方が良いのかと思ったが、上手く説明できる気がしない。沈黙して首を捻ると、先生は私の自己紹介はあまり興味がなかったらしく、いくつか積まれている書類の束の中からクリップで止められている一部を取り出した。
「君が何者かということについて、僕はあまり深く言及しないことにしているんです。どうかそれほど悩まずに」
「……そう……なんですか?……それはまた、何で?」
「魂がどこからやってくるか、という疑問に繋がってしまうからですね。僕は、今、クラリスと言う存在を体から取り出すことに成功しています。これ以上、世界の深淵に足を突っ込む気はありません」
パラパラと紙をめくりながらエリアル先生はそう答えて、下を向いて落ちてきた横髪を耳にかける。
「死後の世界や、魂の行方、それは知ってしまえばたくさんのもの、例えば宗教や習慣など色々なものを否定しうる。だから、君の出自を研究してはいけない。それに僕には、魔法という素晴らしい研究材料がありますから……」
存外、彼はまともな事を言う人らしい。言われてみれば納得だ。確かに私自身も気にはなるが、解き明かしてしまった時、それは誰かの不利益になるかもしれない。そこまでの好奇心は私には無いので目を瞑っておくのが吉だろう。
「なるほど……先生、意外と常識的?なんですね」
「意外ですか……僕は……ごく普通の人間ですよ。意外でも何でもありません」
「は、はい?」
それに声が小さいと言うだけで、話をする分には、吃ることも無く一般的なペースで話をする。先生らしい敬語の口調も、教師という職業ならではだろうか。同じ敬語でもヴィンスとは少し違った雰囲気を感じる。
「クラリスに関してのみ、僕は少し常軌を逸しているかもしれません…………他人から見ればとても滑稽だとはわかっていますが、彼女は私にとって、かけがえのない存在なんです。以上です、理解して貰えましたか」
理解も何も、まったく分からないし、この人何も説明して居ないんだが、わかりましたか?と教師に圧をかけられて聞かれると頷くしかない。
「クレア、君が聞き分けの良い子で大変助かりました。ではまず、君の特殊な状態、これについて勘づいている人間はいますか?」
胸元から、万年筆を取り出して、彼は束ねている紙の一番上の紙にペンを添える。
私の状況……、それは、クラリスはクレアとなっており、けれどクレアは私であるという事を知っている人という事?
ん?あれ、なんだっけ?私は私だが、クレアであり、同時にクラリスでもある。ともかくの様は中身が違うという事に勘づいている人という意味だろう。
「多分……ローレンス。彼、一度も私をクラリスって呼ばないから」
「ふむ。他には」
「ヴィンスは知ってる。サディアスはそれほどクラリスと中が深くなかったから、人が変わったようだとは言われるけど、気がついていないみたい」
そうだ、この世界で“私”を認識しているのは、ヴィンス、ローレンスを含むいまこの場にいる二人を合わせた四人である。
先生はローレンスとヴィンスの名前を書いて、トントンとペンで紙を叩く。
「ローレンスは現実主義だ、大方、クラリスの人格障害や記憶障害を想定している可能性が大きいですね」
まぁ、急に性格が変わっていると思ったら、そういう考え方になるだろう。しかし、エリアル先生は、ローレンスの事をしっかりと警戒しているらしい。外面に騙されていたら現実主義なんて言葉は出ないと思うし。
「ヴィンスは……クラリスにお任せしましょう」
「任せるって、何をですか?」
「そのうち分かりますよ。では、クレア。君はこれ以上、君自身、がクラリスではないという事を他人に知られないように行動をしてください」
突然そう言われても、理由が分からない。先生はページをめくって、私に見せる。そこには分かりやすくイラストを織り交ぜて、説明が記載されている。
「君という新たな魂が入った体はもはや別人です。けれど、それが周知された場合どういう事を引き起こすのか……簡単に言えば、僕がやったような人体からの離脱について現実的に考えてしまう人間が多く出る」
イラストには幽体離脱のようなものが描かれている。それは別に、出来たら面白いのかなと思うのだが何がそんなにいけないのだろう。
「魔法玉を出してください」
言われて差し出すと、エリアル先生はじっとそれを眺めて、優しく手に取る。手で触れて、チラと私を見た。魔力を込めろということだろうかと思い意識を集中して魔法を使う。今日は重複使用の簡易魔法玉を持ってきていないので、コアと瞳が光るだけだ。
「そもそも、クラリスの……つまりこの魔法玉は僕が長年研究した末に改造した特別なものです。固有魔法がより強く発動するように調節しました」
「そうなんですか」
「そして、魔法玉がローレンスの手に渡る前に、クラリスに魔法を使わせ、別のコアに彼女の魂だけを移しました」
ふむ、よく分からないが頷いておく。
先生はまた別のイラストをさして、魔法玉のようなイラストから矢印を引いて猫の絵に繋げる。
もうひとつ分岐して描かれているのが、ドーナツのように中身が無くなったコアの魔法玉のイラストだ。
……!あ、それで、そういう事か。
絵で見て初めて納得する。妙な欠陥品だったという事では無かったのだ。クラリスが分離した方法は魔法、そして、その部分、つまり魂のはいった部分を彼女が持って行ってしまったから私の魔法玉はドーナツなんだ。
「こうして自分の体から分離して、クラリスはやっと自分の人生を、いや、猫生を手に入れたんです」
……今、言い直す必要あったかな……。
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