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しおりを挟む忙しく生活していると、突然、このオリファント子爵邸に珍しく客がやってくることになったらしい。
いつもなら見栄っ張りなオリファント子爵であるシャロンの父、ランドルが予定が決まった時点で応接間の掃除を命じて、その準備に明け暮れるのだが、その来客は突然の事だった。
やってきたのはオリファント子爵とよくギャンブルに興じている友人のベイリー伯爵だった。
彼はなんだかとてもばつが悪そうというか、緊張しているような顔をしていて、隣には顔から何からすべてを覆うローブを羽織った男が立っていた。
その異様な有様にオリファント子爵は息をのんで変な顔をしたが、自身より身分が上のベイリー伯爵が連れてきた人間であるので何も言わず、応接間にすんなり通した。
そして、その給仕の為にシャロンは駆り出され、紅茶を淹れて茶菓子を出してオリファント子爵の隣にたたずんでいた。
「さて、早速で悪いんだがオリファント子爵……そ、そのどのように言ったらいいか、わたくしも困ってるんだが」
ゆとりのあるソファーにベイリー伯爵と謎の男は腰かけていて、隣の男に怯える様な目線を送りながらベイリー伯爵はオリファント子爵にぎこちなく笑いかける。
その異常な緊張感を纏ったベイリー伯爵にオリファント子爵は何も言えずに続きを促すように彼を見つめた。
「その下女が、末娘のシャロン・オリファントで間違いないか?」
「ん?……ああ、これですかな。そうです、これが親不孝にも出戻りおったバカ娘ですが……おい、シャロン」
……お腹、空いた。
話題が自分の事についてになるなど思っていなかったシャロンは、テーブルの上の茶菓子に夢中だった。
あまれば食べられる。そして、こういう深刻な場面ではお茶菓子は手を付けられない事の方が多い。
そうなればずっと栄養不足で常に満足に食べられないシャロンの腹も少しはマシになるかもしれない。そう考えての事だった。
しかし、呼びかけを無視したシャロンにオリファント子爵は、自分の優位性を示すために立ち上がって、シャロンの胸ぐらをつかんだ。
バツンと何かが切れる音がする。
「呆けおってこの女。まともに仕えることもできないのか愚図め!」
怒鳴られてハッとする、それから何の話だったか分からないが、目の前にいるオリファント子爵の事よりも、ネックレスのチェーンがちぎれた事の方に焦ってシャロンはすぐに自分の足元へと視線をやった。
……まずい。
「申し訳ありませんな、ベイリー伯爵。本当に愚鈍な娘でして……他人の前で恥をかかせおって! いい加減にせんと、おい! どこを見て」
一度振り返りことわりを入れてから、再度シャロンの方へと振り返ったオリファント子爵はシャロンの視線の先を追うように地面を見た。
そこには、案の定ちぎれてしまったチェーンと指輪が落ちていた。それをいぶかしみながらも拾い上げて、じろりと見てから、おもむろにオリファント子爵は振りかぶって殴るふりをした。
……っ。
ぐっと目をつむって、肩をすくめるシャロンに少し気分を良くしたのか鼻で笑って彼は言った。
「こんな下らんものを隠し持ってたとは、昔の持ち物はすべて売らせたというのに図太い女だ、まったく」
吐き捨てるようにしてその小さな指輪を見て、それからあざけるような顔をしたままベイリー伯爵と男に向かって振り返り、続けていった。
「とまぁ、こんな様子の器量の悪い女ですがこれに何か用事ですかな」
指輪は彼の手に収まったままであり、混乱しつつもシャロンは視線を下げて何も言わずにじっとしていた。
きっと一目見ただけで、金目のものに目がないこの男は石の割れた指輪になんか価値がないと気がついただろう。
話が終われば返ってくる。それでも長年つけていただけに、自分の手から離れているとそわそわとしてしまって仕方がなかった。
オリファント子爵に問いかけられて、ベイリー伯爵は隣の男を見た。彼は、間をおいてから立ち上がり、張りのある若い男性らしい声で言った。
「彼女を娶りたい」
「は、はぁ?」
混乱しているオリファント子爵に、ローブの男はまったく気にしていない様子でシャロンのそばへとやってきた。
どうやら彼は若い男性のようだが、酔狂なことを言う、シャロンのような傷ものの女性を娶るなど家族が大反対するに決まっている。
「何をおっしゃるかと思えば……」
すぐに笑い声と共に馬鹿にするかのように、そう口にしたオリファント子爵だったが、ベイリー伯爵がしきりに小さく首を振っていた。
そういう態度をとらない方がいい相手だとオリファント子爵も理解した様子で、目上の人間に対する態度へと変化させる。
「しかし、ですな。ほら丁度この指輪のように、この女はすでに他の男に貰われた身ですからな」
「構わない。この子は邪魔なのでしょう。先ほどから邪険に扱っているし」
「それは……もちろんこれを食わせるにも金が要るわけでして、生きているだけで何かと用入りですしな」
そうは言いつつもシャロンの家族はシャロンの労働によって、使用人を雇わなくてよくなったので、それなりに得をしているのだが、そうは言わずにきちんと面倒を見てやっているような顔をした。
「なら、問題ないのでは?」
「はぁ、まぁ……しかし、そうはいっても手塩にかけて育てた末娘ですから……すでに死んだも同然ですから、それほどとは言いませんが、これの飯代くらいは……ねぇ?」
言いながらもオリファント子爵はローブの男を上から下までじっとりと見つめる。
それはとてもいやらしい視線で、死んだものだとか言いながらも、何か金にならないかと探っている様子だった。
それに、ローブの男は特に狼狽する様子もなく、すっと自らの手に触れて、するりと抜き取って美しい大きな宝石のついた指輪を取り出した。
「これ以上、出せというのならこの話はなかったことにする」
きっぱりとそう言い切って、それを差し出した。オリファント子爵は目の色を変えてその指輪に飛びつくようにして彼に近寄り大切に手に取った。
しかしまだ、その手の中にはシャロンの大切な指輪が入っているはずだ。
「どうやら話は決まったようだね。シャロン、行こうか、持ち物があるなら待つけれど」
「……」
「シャロン?」
オリファント子爵はローブの男から貰った大きな指輪を光にかざしてみたりして、もうシャロンを好きにしていいとばかりの態度だった。
こちらの様子には気がついていない。
……今、返してもらわないと、一生……。
そう思うと目を話すことはできなかった。あれは、たしかに嫌な思い出もあるが大切なものだ。すべて忘れて手放してしまうつもりもない。
そんなシャロンの視線に気がついたのか、ローブの男は、軽くオリファント子爵に声をかけた。
「子爵、彼女から奪った方の指輪を返してあげてほしい。そうすれば俺たちはここを去る」
「!……ああ、いりませんよこんなガラクタ」
そういって軽く投げてよこすのだった。それを取ってローブの男はシャロンにそれを握らせた。それを握って彼を見つめる、素性はまったくわからないが、身分を隠して地位を失った女を買うなど、碌なことではないのだろう。
シャロンの身内に素性もわからないように配慮してるのは、シャロンがどんな目に合っていても助けにこさせないためだとも取れる。
……使用人扱いよりはましだといいね。
しかしシャロンは、いつものようにポジティブに軽く考えて、「ありがとう」と指輪を受け取ってそんな風に思った。怖い事は考えない以外、シャロンにはこの状況の対処法は思い浮かばなかった。
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