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 たしかにシェリルには幼なじみの男の子がいた。

 将来王妃になるために公爵家と懇意にしていると何かと便利なことが多い、そういうわけでよく交流を持っていた。

 幸い、爵位継承者であるリオネルは体が弱くシェリルの魔法をありがたがっていた。なのでわりと、良好な関係を築けていたし、後継ぎのスペアとして一応は社交界に参加していたジェラルドともシェリルはよく遊んでいた。

 けれども、そんなことは遠い昔の記憶であり、言われてもなんの説得力もない。

 アイカが来てからの生活がシェリルの頭の中の大方を占めているので、そのこと以外を考えるのは難しかった。

「せめて国にいれば、こんなことにはならかった……なんて今になれば言えるが、お前にとってはただの言い訳に聞こえるんだろぉな」
「……」

 語りかけるように言うジェラルドの言葉は、まったくシェリルに届かずにシェリルはこの人は幼なじみのジェラルドだ、と言う事だけを記憶して忍び足にしてベットから降りた。

「……ただ、もうお前に危険が及ばないようにはしてきたんだ。もう二度とお前をあんな目にあわせたりしねぇ……」

 生きることへの執着だけで窓の方へと向かった。

 生きたいと心の底から望みながらも、あんな目に合うのならもう生きていたくないという絶望がむしばんで扉ではなく窓辺を選んだ。

「運命なんて無くていい。俺は、俺が望むようにする。……まあ、だからシェリルは混乱するかも知んねぇけどとにかく……今は安静にして……」

 言いながらも振り返ったジェラルドは目を疑った。

 彼女は牢に入れられ、あんなに衰弱していたと言うのに、起きてすぐに叫びだし、いつの間にか窓辺にいて、開いた窓から半分身を乗り出していた。

「っ、」

 ずるりと落ちていく体にぞっとして、すぐにジェラルドは魔法を使って風をおこす。

 それからシェリルの体を部屋の中に戻して、きっちり窓を閉めた。

 自分が持っている魔術が風でよかったと心底思いながらも、うつろな癖にギラギラと狂気にあふれている瞳に向き合う。

「っ、う、はぁ。い、いかなきゃ。いかなきゃぁっあああっ!!!!」

 ジェラルドが彼女の方へと向かう間にも、彼女は立ち上がって片足をずず、と引きずって進み窓へと手をかける。しかしジェラルドの風の魔法によって阻まれてシェリルは窓に触れることすらできない。

「邪魔しないでっ、いかなきゃ、死にたくないの」

 言いながらシェリルはジェラルドをにらんで、やっと彼を見た。シェリルの言動に怒っている様子の彼は怖かったけれども、そんなことよりもこの場にとどまっていることはできない。

 頭の中は焦燥感でいっぱいで、苦しくて涙が出てきた。

 ジェラルドは、いま彼女がこうして生きてこの場所にいるという事であの痛ましい一連の騒動は終わったつもりでいた。しかしシェリルにとっては終わりなどなく、それ自体が人生そのもので、それをどうにかしない限りは安堵などできない。

 だから終わらせるために、向かうしかない。レアンドルに愛されるしかない。

 それ以外のことなど考えられない。

「……どこに行く」

 低く少し苦し気な声がシェリルに問いかける。

 その短い言葉は、さっきの彼の言葉よりもより鮮明に理解できて、シェリルも理解してもらえるように涙声ながらも返した。

「殿下のところよう! いかなければならないの、しし、死にたくないのっ、しに、あ゛あああ!! 嫌だっ、やだやだやだっ」

 しかし返答の途中で苦しくなって声に出す。頭を振って涙をまき散らした。苦しい、とにかく苦しくてたまらない。

 カーテンに手をひっかけてぐっと引くと、レールから外れてバチバチと音がして、ちぎれたのだとわかる。

「必要ない……お前は俺の妻になったんだからなぁ。もう、あんな男の言いなりになる必要はねぇよ」
「ねぇ、お願い、帰してよぉ!! もう地下はいやなの゛!!! ちゃんと魔法を使うから、癒すからっ!!役に立つから!! 死にたくないの!!!」
「……」
「いかなきゃ、殿下、許して、許して!!! 私なんでもするから、アイカとも仲良くするから!!」

 錯乱してシェリルは窓を拳でたたく、しかし割れずに拳が痛くて窓に体ごと押し付けた。早く戻ってレアンドルに愛されなければならない。彼に媚びなければならない。

 彼が望むことすべてに応えて、たとえそれがどれほど辛くとも地下牢で死の淵に立たされるよりずっとずっとましで、それが一番いい案で、それ以外はすべてどうでもいい事だ。

 そう考えないと、何かを企んでいるとレアンドルに疑われてしまう、そんなのってないだろう。でも仕方がない、何もしていなくてもシェリルの体は勝手に動かされて害を与えてしまうのだから、そうするしかない。

「ああああああっ!!!!! もういやぁぁぁああ!!!」

 今すぐにそうしないと不安で仕方がない、レアンドルの愛がなければ頭がおかしくなってしまいそうだ。

 そう思うけれど、体も心も地下牢よりは多少マシだが、シェリルにとって針の筵に座るのと同じような場所にもどることを拒絶していて、頭の中が滅茶苦茶になって体があべこべになりそうだった。

「っ、ううぅ、グスッ、ううっ、帰らせて、行かせて」

 懇願するような言葉を聞きながらジェラルドは胸糞悪くて最悪だった。

 壊れたように窓に体を押し付けて涙を流す彼女は、長年憧れた幼なじみだ。昔は、優しい心の可愛い女の子だったのだが今ではその時の見る影もない。

 メイドに綺麗にされて魔法道具を使って治しても、手足の拘束痕は痣になって残っている。

 逃げ出さないようにと潰された片足はその役目をはたしていて、彼女は引きずるようにして歩く。

 兄に頼みこんで自分の力も存分に使い、シェリルを助け出すことに成功したが、医師の見立て通りに体の方よりも先に、心の方が駄目になってしまっている様子だった。

 現にあんなにひどい目にあわされたというのに、シェリルはレアンドルの元へと帰ることを望んでいる。普通なら、この状況を知ってまずは喜ぶはずなのに、そんな状況すら呑み込めずにただ自分を壊した場所へと戻ろうとしている。

「もう嫌なのよ。あああ!!! いかなきゃ、私、きちんと帰れるから!!」

 死にたくないといいながらも、死を与え得た原因へと向かっていこうとする。それはとても矛盾していて、止めなければならない、もう帰る場所はここなのだとシェリルに教えなければならない。

 そうしなければジェラルドとの生活はありえない。

 医師から言われた時点で何をしてでも彼女を救うのだと決めていたジェラルドは、パキッと指を癖で鳴らして一つ決意をした。

 自分がシェリルをこんな風にした同じようなクズになり下がるということは看過できない問題ではあったが、愛おしい人の為なら躊躇はない。

「……シェリル」

 名を呼ぶ。しかし、時折叫び声をあげながら今度は「私じゃないの」とうわごとを言い始めた。彼女はジェラルドの声に気がつかない。それでも「恨んでいいからな」と少し優しく言った。

 その言葉に少しだけシェリルはどういう意味か気になったが、すぐに帰らなければならない、戻らなければならないということで思考がいっぱいになる。



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