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 何処までも永遠に続く暗闇の中で、その存在はぽつりと佇んでいる。現実世界では実態を持てず、こうして無意識の状態にのみ観測が許される、紛うことなき化け物。

 奴の全てを形容して表すことは出来ないが、部分的な表現ならできる。所々、肉肉しいような質感をしていて、多少毛が生えている。

 それが、俺の周りを右から左へ、上から下へ、どの方向にも存在していて、俺が意識を向ける場所全てに存在している。

 暗闇の中にいるのに奴は見える。視認できるという意味ではない、見えるように奴のことが分かる。
 当たり前だ、自分の無意識の世界なのだから、誰がどこで何をしていようとも見るまでも無いはずだ。

「ぐ、っ、う」

 奴を視界に入れないように目を両手で抑えていると今度は、内部に奴の存在を感じる。
 気がついてしまえばもう、無視することは出来ない、内側から、何かがせり上がってくるようで、口を抑えるが、そんな行為は意味もなく、吐瀉物を吐き出す。

 喉の奥を無数のプラスチックの玩具のような固いものが逆流してきて、それが自立して俺の外へと出ようと、喉を引っ掻き足を動かす。さらにえずいて吐き出せば異様に足の長い昆虫だった。
  
 ……気色、悪りぃ。

 足ともがぐらと揺れた気がして、床へと倒れ込むと地面が消え闇深くへと落ちていく。

 また、……むりだ、っ──────

──────っあああっ!!」
「どぅわぁぁ!」
 
 力に任せて起き上がると同時に悲鳴と、椅子から転げ落ちるような音がした。
 
 喉に手を当てて先程の出来事がただの悪夢だったことを確認する。化け物はどこにも存在しない、起きている限りは、俺の現実を侵食することは出来ない。

 っ……久々に、やっちまった。

 深く眠れば夢を見てしまうに決まっていたのに、疲労が溜まっていたのか、起きる事が出来なかった。

「っ、ねぇ!びっくりしたんだけど!!なんでそんな平然としてるかな?!」
「……?」
「誰だって顔した?今、こいつ誰だって!」
「……」
「せっかく、色々世話してやってるのに!」

 俺が顔を顰めるとギャンと吠えるように言う。モーリスは初見の印象と少し違って見えた。
 表情をクルクル変える様は、少し幼く見える。

 ……俺はあれからどうなった?今は何時だ。

 時計がないか部屋を見渡せば、全く見覚えのない部屋だ、ただ作り的には住み込み使用人部屋らしいということは分かる。
 寝台が俺が寝ている分ともうひとつあり、その他クローゼットや、作業机も二つずつだ。二名用の相部屋だろう。

 「ほら、水」

 サイドテーブルに置かれていた、コップをモーリスが俺に差し出す。喉は、確かに乾いている、受け取り、口に入れれば自分が想像より長い間眠っていたことに気がつく。

「食事もあるけど……その前にお礼!この僕がお前の世話してるの、ありがとうの一言も言え!」

 めんどくせ。こいつ。
 
 俺が嫌そうな顔をするとまたよく響く声で、ギャンと吠える。

「僕は先輩!お前は後輩なんだぞ!敬えよ」

 突っかかってもいいが、正直今は、十分過ぎるほど睡眠をとったので気分がいい。不快な痛みがある場所はくすない。
 それに、モーリスには話を聞かないといけないだろう。
 
 首に付いている重たい奴隷証。やはり、というか、ヴァレールは俺を逃がすつもりはなかった。
 ならば、ここでの扱いがどうなるのか、それを知っているのは、目の前にいるモーリスだろう思う。

「……アリガト、な」
「……な、なんか、片言じゃない?」
「……」
「まぁ……いい、けど?」

 モーリスは、少し嬉しそうに頬を緩め、俺の腿の上にパン粥の皿の乗ったトレーを置く。うっすら湯気が立っていて、匙で粥を掬って口へ運ぶ。

 ……残飯以外食ったの……いつぶりだ。

 俺が飛び起きなくても、そろそろ起こす予定だったのだろう、だから、こうして、出来たての食事なんだ。
 
 想像以上に匙が進む。人前で無ければ、皿を持ってかきこみたかったが、空腹を堪えて、口を動かす。簡素なパン粥ごときにと言われるかもしれないが、こんなに美味しいと感じるものがこの世にあるんだと、酷く大袈裟な事を思った。

 俺、ろくなもん食ってた事がねぇもんな。

「それ、そんなに美味しい?」
「……」
「味が薄くない?」

 ふとモーリスが不思議そうに、首を傾げた。最下層の労働環境の事など上級使用人には分からないだろう。
 素直なモーリスの疑問に僻みすら感じずに、返事をする。

「吐瀉物みてぇなもん、食わされてたんでな。うめぇよ」
「あ、ごめん」
「べつに」

 吐瀉物とは、残飯に残飯を混ぜてそのうえでかさましに腐ったもんも、食えないもんも入れて火にかけたスープのような汚物の事だ。
 胃に入れば空腹はしのげたが、舌を引っこ抜きたいと三度ほど思ったことがある。

「で……俺はどうなんだ、誰に従えばいい」
「誰って、僕じゃない?仕事教えるし」
「……?」

 モーリスの言葉をそのまま受け取って彼の手を見るが証の指輪が無い。それではいざとなった時に、俺に命令が出来ないだろう。銃か鞭でも使うつもりだろうか。

 しかし、そうだと言うのなら、疑うつもりはない。ヴァレールが証の指輪を持ったまま、実質的な俺の命令権はモーリスが持つとか、そういう話だろう。
 であれば、こいつはルームメイトのベットに俺を寝かせている場合じゃない。
 それを理由にルームメイトに折檻されるのは俺なんだ。

「何か、仕事はあるか。すぐにでも動ける」
「……え。ないよ深夜だもん今」
「……」

 じゃあ、なんで、ルームメイトは、戻って無い。あの粥はどこから出てきた?

「まぁ、良いや。もう僕も寝るし君も明日まで休んで」
「……」
「あ、そうだ。……言い忘れてたけど、女と間違えてごめん。お前が男で僕、少し安心したんだ……それだけ」

 モーリスは少し俯き、声を暗くして言った。特に気にしては居ないが、少し含みのある言い方が引っかかる。
 意味は深く考えないけれど、彼が女性に対してなにか思う所があるのは確かな様だった。

「食器、下げてくるよ」

 俺の手からトレーを取り、部屋の扉へ向かう。
 俺にやらせない事を疑問に思ったが、まだこの屋敷の構造を把握していない、命令して迷われるより、自分でやった方が早いと判断したんだろう。

 モーリスが出ていったので俺は、ベットから降りた。
 長く眠っていたからか、少しふらついたがそれほど酷くもない、窓辺に足を進めてカーテンを少し避ければ、窓の外は何も見えないほど真っ暗だった。

「……」

 休めか……檻に入れられるでもなく、鎖に繋がれた状態でもないのに、そう命じられた事はない。
 脱走の心配は、そもそも無いと信じきってる?いや、モーリスが奴隷の扱いに慣れていないのか?

 いくら奴隷証が有るとは言え、人権派団体のような場所に逃げ込まれる場合もあるだろ。
 まぁ、俺は、行けないけど。

 ネフィア人の奴隷だったならどうやって逃げるか想像した後に、無駄だと思い、部屋の端の床に腰を下ろす。服は、眠った時と変わっていない、上着の下を見られてはいないだろう。

「え?!何、なんでそんな端っこに居るの?」

 戻ってきたモーリスが、俺の予想外の行動に飛び上がりまた声をあげた。

「……」
「ね、寝ようよ。そろそろ僕、明日の仕事もあるし」
「……」
「無視……っ、もう!灯り消すからね!、消すよ!ほんとに!」
「あぁ」

 モーリスは勢いよく灯りを消し、その足で自分の寝台に乱暴に倒れ込む。
 しばらく沈黙の後、大きなため息が聞こえて、小さな声でモーリスは喋りだした。

「お前みたいなのか、ルームメイトとか、僕割と不安なんだけど」
「……」
「ねぇ、本当にその状態で寝るの?なに?護衛の任務中なの?不寝番なの?」
「……」
「はぁ~…………おやすみ」

 彼はその一言を最後に、規則正しい寝息を立て始める。
 
 俺が……ルームメイト。所々噛み合わなかった彼の言葉に納得が行った。この待遇は、ヴァレールに気に入られたからなのか、それとも、モーリスが本当に奴隷というものを理解していないのかどちらだろうか。

 ……ぬか喜びはしたくねぇ。
 いつか、必ず生活水準は、元の身分に見合ったものに戻る。

 しかしこいつ、奴隷の扱いが分からなくても、俺が殺人鬼だって事は知ってるはずだ。良くもまぁ、同じ部屋で、眠れるもんだな。


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