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46 結末
しおりを挟むクランプトン伯爵家のタウンハウスから戻ったアイリスは、その日の夜もレナルドと二人でこれからの事について彼の自室で仕事の話をしていた。
ひと段落して軽い軽食をつまみながら夜の時間を過ごすこの時間がアイリスは割と好きで、静かな時間が流れるのをゆっくりと感じられる時は充実しているように思う。
「そういえば、シルヴィアは相変わらずだったかな。君には言ってなかったけれど彼女とはすこしだけ面識があってね。ナタリアさんと一緒にいるところを見て、とても驚いたのは記憶に新しいよ」
「はい。変わらず……と言っていいのか、とても二人は仲のよさそうな様子でした」
「そっか。……あまり深くは知らないけれどどこか世間を達観しているようなところのある子だったから、夢中になれる仕事が見つかったようで何より」
レナルドは、紅茶を飲みながらふと思い立ってシルヴィアの話題を出した。
彼らが知り合いであったことは、意外ではあったが年の近い貴族でシルヴィアはグッドフェロー伯爵家という王都住まいの貴族だ、城に勤めていたレナルドと知り合いなのは何の違和感もないだろう。
……それにたしかに不思議な雰囲気のあるとてもきれいな子です。彼女はナタリアの世話を焼くのが好きなのかなと思いましたが真偽はわかりません。
昼間の出来事を思い出しつつアイリスはそんな風に思う。
「……それにしても、あの子ってすごく天邪鬼なんだね、ナタリアさんに結構なことを言っているように見えるんだけど、姉妹として君は彼女たちの関係ってどう見えた?」
レナルドは考えながらそういって、アイリスも天邪鬼ともいえるのかと新たなる知見を得た気持ちになる。
「天邪鬼……たしかに。それならああいう感じなのは照れ隠しなんでしょうか。……私はてっきりとても世話好きで世話の焼けるところが好きなのかと……」
「世話好きかぁ……言われてみればそうとも見受けられるけど……なんだか不思議な関係性だよね」
「はい……難しい関係性ですね」
レナルドとアイリスは結局そうといえばそうだし、そうではないといえばそうというような曖昧な言葉しか見つけられずに会話を終える。
もし機会があったら、シルヴィアともすこし仲良くなってみたいと思ったのだった。
それからふとした静寂があたりをつつんで、いつもの通りにレナルドが何か話題を振ってくるだろうかとアイリスは、紅茶を飲み終わって、彼に視線を向けた。
するとレナルドはアイリスと目が合ってすぐに目線を逸らす、しかし間を置かずに向かいのソファーから立ち上がって、おもむろに机を回ってアイリスの方へとやってきた。
「…………隣に座ってもいいかな」
いつもと違う様子にアイリスは、一つ瞬きをしてそれから「ええ」と短く返す。
隣にレナルドが腰を下ろすとソファーのスプリングがきしむ音がして、すぐ近くに彼の存在を感じる。
ふと、また抱きしめてくれるのかとドキドキしたが、しばらくしても動きはない。
…………何か言いづらい事でもあるのでしょうか。
そう考えるとある一つの事項が思い浮かんだ。
それは舞踏会の事があってうやむやになっていた事項ではあったが、アイリスとレナルドの関係性の中でとても大切な事項だ。
「話をしてもいいかな。アイリス。随分待たせてしまったけれど心の整理がついたから」
とても静かな声でレナルドは言って、彼の方へと視線を向けると間近で目が合ってその藍色の瞳に決意が灯っているのが見て取れる。
……やっぱりその話ですか。たしかにずっと待っていましたし、機会が来るのを心待ちにしていました。
「まずはずっと待っていてくれてありがとう。アイリス。おかげで俺は、心が決まった」
アイリスの沈黙を了承だと受け取ったレナルドは、ゆっくりと話し始める。
それにアイリスは静かに彼の話をきちんと聞いて、それから思っていたことを口にするそれが会話の順序として正しいのだと思う。
しかしアイリスはもう知っている。彼がどんな風に人を殺してどんな風に当時を過ごしたのか。
だからこそ、制止するようにレナルドの手に触れて、アイリスは決意して、小さく息を吸った。
「……レナルド様、それでも私から言わせてもらえませんか。いつもレナルド様にリードしてもらってばかりで、私はいつも受け入れている側でした。ですから今日は、私から」
安心させるように笑みを浮かべて、手に力を込めて優しく握る。
すると彼は驚いた様子だったけれど「うん」ととても小さな声で言った。
「……あなたが何故、私に革命当時のことの話をしてくれないのか、それはとても私の中で大きな問題でした」
アイリスは舞踏会の出来事以来どう彼に伝えるべきかずっと考えてきた。
知ってしまった事実はとてもたしかに、人から見たら恐ろしい事でおぞましい行為で、国を守る騎士としては正しくない行いに見えたのかもしれないけれど、答えはすでに出ている。
「そのことでこれから先何か不都合があるから隠しているのではないか、自身にどのように作用してくるのかそれがわからない事はとても恐ろしかった。
でも、あなたが誠実だと思えたから私は待つことができた。それはレナルド様だからです」
手を取って彼がいつもしてくれるように恋人のように指を絡めて手をつなぐ。
手にお互いの体温をうつして、彼とともにありたいと願っていると伝えるようにきゅっと握る。
けれど、彼の瞳は決意とともに、不安も浮かんでいる。それほど深刻に今でもそのことを捕らえている。
アイリスにはその心の重りはとても重そうに見える。
だから、それが話をすることによって消えたらいい。
「あの舞踏会の日、私はあなたの事を人づてから聞きました。恐ろしい人なのだと、騎士という仕事から逸脱して、同僚を殺し、地位を得るために一人だけで王族にすり寄ることを選んだただの人殺しだと」
「……」
それにはきちんと正しくアイリスが彼の事を知っていると示す必要がある。だからこそ間違いないように言葉をまったく選ばずに直球に言う。
「おぞましい人殺しで、そんなあなたとそばにいて家庭を築くことは誰しもが恐れてしかるべきだと、言われたんです」
アイリスの言葉にとても苦しそうな表情をするレナルドは心細そうに見える。
「それに、その言葉が周りの人たちから見た大袈裟な言葉ではなく、あなたは容赦なく人を切れる、そして殺せる人だと後ろから見ていて思ったんです」
「……っ」
「たしかに人を殺せる人というのは私も怖いです。あなたの剣は人の血を知っている。そしてあなたは強い、私にはまったくかないません」
彼の魔法の炎に紛れて見えた、炎以外の赤色、逃げ去るアルフィーの背に当てられた攻撃。
それはアイリスにとって衝撃的なものであることはたしかだった。
しかし、そうだとしても……そうだからこそ、アイリスは思うのだ。
アイリスですらそれによって起こる誰かの悲しみも苦悩も、恐ろしいと思う気持ちもわかるのに、目の前にいるこんなに優しい人がそれを理解していないはずがない。
知っていてなお、剣をふるうのは何故なのか、革命のさなかに彼が起こした行動の原理は何だったのか、アイリスはちゃんと知っている。
「……でも、レナルド様、私は思います」
強く彼の記憶に残ってほしくてアイリスはきゅっと手に力を籠める。レナルドと目を合わせてゆっくりと目を細めた。
「レナルド様の剣は守るためにふるわれているのだと思います。……傷つけることも何かを得ることも、目的ではなく、あなたの剣はただ本当の意味で人を守るためにあるのだと思うんです。
ウィリアム王太子殿下だってきっとそれを知っているから、レナルド様の事が大好きなんだと思うんです。
国の為を思って最善を尽くす騎士という仕事からすれば、あなたの行為は正しいものではなかったのかもしれません。
でも、私から見たあなたはずっと正しく思いやりがあって優しい人です。
私を守るためにふるってくれたその剣が、救い出すために伸ばしてくれたあなたの手が、どんな色に染まっているのだとしても私は愛おしいと思います。
愛しています。レナルド様」
彼はきっと職業として人を守ることは向いていなかった。
そしてそれを理解したからこそ、きっと彼は騎士業から離れることを選んだのだと思う。
そして、やってしまったことを罪深い事で受け入れられない行為だと思っているからこそアイリスにも言いたくなかったのだろう。
しかし、レナルドはまったく間違ってなんかいない。
例え人からどんな風に言われて思われたのだとしても、小さな子供を守りたかっただけの優しい人なのだとアイリスはちゃんと知っている。
だからこそアイリスは、レナルドの事が好きだ。そういう強くて優しくて守ってくれるレナルドを愛している。
それがアイリスの出した答えだ。
自信を持ってそう言える。
しかし彼はすぐにはアイリスの言葉を受け止められなかった様子で、目を見開いた後に、押し黙ってそれから、上を向いて眉間に手をやった。
「…………レナルド様?」
「あ、いや……ちょっと、じんときちゃって……ごめん。俺、今すごく情けない、よね」
……泣きそうって事ですか?
少し震えた声でそういう彼にアイリスは、彼の表情を覗き込みたくなったが、流石にそれは野暮だろう。
「すごくうれしい、君がそんな風に思ってくれて、っ、俺も愛してる」
目が合わないまま言われた言葉はとても切羽詰まったような涙声だったけれど、やはりとてもうれしくて、上を向いたままいっこうに目が合わないレナルドの胸に思い切って飛び込んだ。
背後に手を回してぎゅっと抱きしめると、温かくて愛おしくて胸が熱くなる。
すぐに背に回される手もアイリスの事をきつく抱きしめる。
それから、うまく言えてよかったと少しほっとして、そうしてしばらく二人は抱きしめあって夜を過ごしたのだった。
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