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25 自信をつけるために その二
しおりを挟む欲をかくと痛い目を見る。それは重々承知しているはずなのに、アイリスは目先の報酬に目がくらんでリスクを見落としていた。これは不覚だ。
「……アイリス? そんなに無理して今、要求を考えなくても良いんだよ……?」
アイリスのものすごく渋い表情に、逆に心配になったのか、レナルドはアイリスを気遣うように優しく言った。
しかし、そんなことでは、自分の無力感から抜け出せない。いい加減、大人の女性になったのだから覚悟を決めなければ。
「いえ、二言はありません。……では、レナルド様にお願いです。無理ならきっぱりとおっしゃってください」
「う、うん。なんだか緊張してきた」
「これはあくまで、私の希望であって絶対に必要な事でもありませんから、どうか気軽に考えてください」
アイリスは色々と前置きを言って、言っている最中に何か適切な接触の方法を考えた。
距離は縮めたい、しかし急展開しすぎるのはリスクが高すぎる、何か丁度良く、普段からの手をつないだり頭を撫でてもらったりする行為の延長線にあることを、アイリスは必死に考えた。
そして思いついたので、そのまま勢いに任せてレナルドに言ってみた。
「前回の報酬ですが、だ、抱きしめてほしいんです。軽くで、構いません」
言ってからアイリスは、手をつないだり頭を撫でてもらったりというのが、そもそも大人の男女の接触ではなく、親子のような接触でありそれに加えて抱擁を求めるなど、これまた子供っぽいと気が付いた。
ただでさえアイリスは、レナルドに子ども扱いされている節があるというのに、いくらちょうどよかったといっても方向性が違う気がする。
しかし口に出してしまったからには手遅れであり、羞恥心にアイリスは顔が赤くなっていた。
けれども、とても緊張している様子で抱きしめてほしいと言ったアイリスにレナルドはキョトンとした様子ですこし黙った。
それから向かいのソファーを立って机を回ってアイリスの隣に来た。
「……いいけど、むしろ君はそれでいいの?」
問われて今更、やっぱりやめておくというわけにも、別のいい案が思いつくわけでもなかったので、アイリスはコクコクと必死になって頷いた。
「これじゃあ、君のご褒美というより、俺のご褒美になっちゃうな」
そんな風につぶやく声が聞こえてから、レナルドはアイリスの手を取って恋人のように指を絡めてつなぎながら自分の方へとアイリスの体を向けた。
アイリスは顔が熱くてなんだか堪らなくなっていたが、自分で言ったからには抵抗をすることなどできるわけもなく、背後に回されるレナルドの手に従って体を預ける。
「実際にこうしてみると、君は案外、小さいね」
倒れこむようにレナルドと体を重ねて、彼が着ているシャツ越しに人肌のぬくもりを感じる。
「はたから見ていると、もっとかっちりしているように見えるのに、抱きしめると思ったより柔らかい事って割とあるよね」
なんだかレナルドは、抱きしめながら感想を言っていて、楽しそうにアイリスの後頭部をゆっくり撫でて、ぎゅうっと体をくっつける。
繋がれた手も主張するように指先がアイリスの手の甲を撫でている。
体格差的にアイリスは、レナルドの肩口に頬を預けるような形になっていて、寝る前なのだから香水などつけていないはずなのになんだかいい匂いがする気がする。
「君はどう?」
すでに色々な感触が否応なしにアイリスを責め立てるように主張していて、アイリスの頭はパンク寸前だった。
そこで感想など求められても、到底言葉など出てくるはずもないが、思考はめぐる。
レナルドはアイリスの事を意外と柔らかいといったが、アイリスはその逆だ。
レナルドは想像していたよりもずっとしっかりしていて、どんな風に打撃を与えてもまったく揺るがなさそうだと思った。
いや、もちろんそんなことはしないのだが、想定よりもずっとしっかりと抱きしめられてしまったので、がっつりと存在感を感じているし、想定よりもずっと筋肉質というか、ごついというか、骨太というかで。
とにかく色々整理がつかない。
大人の男の人というのは皆こういうものなのだろうか。
いや、もしかしたら、レナルドは騎士の称号を持っているので、単に体を鍛えている男の人だからかもしれない。
それにアイリスは唯一、抱き着いた男の大人の人であるはずの父親の抱擁などまったく覚えていない。
なので抱きしめるという行為が、こんなに感覚的に色々なことを感じる難易度の高い行為だと知らなかった。
アイリスの想像していた抱擁はもっと人形に抱き着くようなフワッとしてちょっと心が温まる、そういう行為だったのだ。
「っ……もっと」
「?」
「もっと柔らかいはずだと……私は思っていました……」
そう思うと彼の質問に、妙な返答をしてしまって、顔を真っ赤にしながらもう自分は何を言っているんだろうと訳が分からなくなる。
そして半ばやけくそになってアイリスは彼の肩口に頬を押し付けた。
だって、たしかに今まで思ったことすべてが一気に襲ってきて頭の中を滅茶苦茶にして大変なことになっている気がして苦しいが、その苦しさも含めて全部、まったく不快ではない。
むしろ体がじわーとあったかくなって、シャツの向こうに感じる人らしい感触がアイリスの心をいろんな意味で満たしてくれているのを感じる。
「……」
激しい羞恥心を感じながらも、愛おしさみたいなものが風船のように大きくなっていく、もうなんだか色々すごい、すごく堪らない。
心地いい、ずっとこうしてぎゅうっとしていたい。
アイリスが思っていた以上に、ハグの力というのは絶大なものだった。
しかし、しばらく子犬のようにぎゅうぎゅうと抱きしめていたアイリスだったが、しばらくしてレナルドが静かになっていることに気が付いてふと顔をあげた。
するととても落ち込んだ顔をしていて、いつもは優しいながらも威圧的にならない程度には男らしくきりりとしているように見えるのに、今はどうしてか凹んでいて、アイリスと目が合うと彼は力なく笑って言った。
「ふくよかじゃなくて……ごめん」
その言葉を聞いてアイリスははっとした。
たしかにさっき言った言葉では、彼がぷよぷよのフワフワではなかったから幻滅していると取られても仕方がない。
フォローするためにアイリスはすぐに首をフルフルと左右に振った。
「そ、そういう意味ではなく、ただ、以外にしっかりしていて筋肉質なんだなって」
「うん。そうだよね、ふくよかな方が抱きしめられて包容力あるよね。俺に抱きしめられても壁に抱き着いているようなものだもんね」
「そ、そんな風に思ってません。っ、ていうかっ、壁? 壁ですか?」
「せっかく君から触れたいと言ってくれたのに、鍛えてたばっかりに君の望みを叶えられないなんて、本当に情けない。どうにかしてもう少し太るよ」
いつもと違って落ち込んでネガティブなことを言うレナルドは新鮮で、アイリスはちょっと面白くなりながらも、ふくよかになったレナルドに自分がわーいと抱き着いている姿を想像してみた。
彼はアイリスよりも、そもそも身長があり、歳の差も少しあるし、そうなればいよいよ親子である。
「もう護衛の仕事はしないんだし、君の好みになるまで、毎日バターでもなんでも食べるから」
「バター……っ、くっ、ふ。ふふふっ」
そしてさらに変なことを言うレナルドに、アイリスはいよいよ耐えられなくなって声を漏らして笑い始めた。
しかし真剣に言っている彼に悪いので、堪えようと小刻みに震えたが声は漏れてしまう。
「ふっ、ふふっ、あはは」
「そんなに俺、おかしな事を言ったかな」
「っ、だって、何故、バター? せめてお菓子とか、お肉とかっ、あるとおもうんですがっふふふっ」
どう我慢しようとしてもこらえきれずに、アイリスは声をあげて笑った。それにレナルドは腑に落ちないとばかりにすこし眉間にしわをよせた。
「それに、レナルド様、壁だなんて思ってません。けっして、全然、まったく、そんな無機質なものなんかではない。とても温かくて……嬉しかったです」
「……包容力が足りなかったようだけど、それでもいいの?」
「はい。大満足です。今のあなたで……いえ、今のレナルド様が良いんです」
そういってアイリスはまた、レナルドの方へと倒れこんで肩口に頬を預ける。
感覚には少し慣れて、緊張よりも心地よさが勝っている。
彼の腕に抱かれてアイリスは少し目をつむった。
「……そんな風に言われると、妙な勘違いをしてしまいそうになるよ」
「……」
それからふいに言われた言葉に、アイリスは、その勘違いがアイリスもたまにしそうになるものと同じ勘違いなら、それは勘違いではないと言いたくなった。
けれど、それはきっとくるすべてを話してくれた日に取っておこうと思ったのだった。
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