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刺繍の手仕事 その1
しおりを挟む執務用のテーブルに、裁縫箱を広げる。
昨日、城下町に出た時に買った布と、それから刺繍糸を包装を外して、箱の中に丁寧に入れる。
この裁縫箱はトランクでもってきた嫁入り道具の一つだ。
私自身は、すぐに屋敷に帰る予定だったが万が一を考えて、持っていけと言われた物の一つ。他には、お化粧箱とか、手鏡、何かあった時用のお金なども入っている。
屋敷を出る時、何故、そんなに荷物を詰め込むのか不思議だったが今なら分かる。こうして重要なものを最初から持たせておけば、私がいざ嫁入りした時に、荷物を送る手間が省けるからだろう。
そして実際に、持ってきたもの以外の私物は送られてきていない。
嫁入り道具を詰め込んだせいで、装飾やら服やらが入らなかったのだけど、まあ、一番大事なネックレスは持っているし、そもそもお見合いパーティ以外では着飾る場面もないので、今も特に苦労はない。
テキパキと裁縫箱の中身を整えて箱を閉め、抱え込むようにその箱を抱きしめる。
新しい素材を入れたので、念入りに魔力を込めなければならない。
「それほど、大切なものなのか?」
私を覗き込むようにクルスは屈んで視線を合わせる。
今日は、病み上がりの私の様子を見に来てくれたらしい。
仕事の予定があって、構うことができず申し訳ないが、クルスは私の仕事を機嫌良さげに見ていた。
「大事っていえば大事だけど、これはほら、裁縫箱だから」
「だからなんだ」
「だからって……?手仕事だよ」
パッと離してクルスに見せてみれば、怪訝そうに首を傾げた。
あれ?ピンと来てない?刺繡は、女性の手仕事の代名詞だと言われるぐらい、メジャーな手仕事だと思うけれど……。
「お茶を置いておきますね」
「どうぞ」
リノが、クルスに椅子を運んできて、マティがお茶を出してくれる。
気が利く二人だ。お礼を言って、クルスは椅子に腰掛けた。
「あ、マティ、ねぇ、マティもやるでしょ?刺繍」
「……出来ないことはありませんが」
「じゃあ何が得意?」
「何と言われましても……」
「??……うん、ごめん、大丈夫」
二人はぺこりと頭を下げて去っていく。私は椅子をクルスの方に向けて座り直した。
なんだかマティは、煮え切らない反応だったな。もしかして、手仕事が、あまり得意では無いのかもしれない。それならば、無粋なことを聞いてしまった。
後で謝らないと。
私は、改めて裁縫箱を抱きしめる。
それから、体の中心を意識して、目を瞑る。
魔力を込めるのは、想像力が大事だ。これに使った魔力はそのまま刺繍に使われる、大切に魔力を込める必要がある。
私の魔法が大事な人の助けになりますように。
昔、初めて手仕事を教わった時に、習った言葉を頭の中で復唱しながら、魔力を込める。
「お前も圧が出せたんだな」
「……圧って、圧力?」
「ああ、強くは無いが……妙な魔力だ」
「手仕事用の魔力だからね、獣人が言う圧力ってやつとは違うんじゃないのかな」
「……?魔力は、魔力だろ」
魔力をたっぷりと注ぎ込みながら、クルスと話す。
クルスは、この感じだと、手仕事をしていないのかもしれない。まぁ、そういう人もいるだろう。手仕事の品を送らなくても、クルスの血縁はみんな自分で自分の身は守れそうだしね。
あ、でも、もしかして、あれがそうだったのかな。クルスはいつだかマジックアイテムを私にくれた。もしかして、あれが人間の手仕事と同じような意味合いがあるのかな。
「そうだけど。手作りに使う魔力は違うでしょ」
「……」
相手を慈しんで作るのだ。そうでなければ、魔法が発動しない。
「先程から、お前との会話が噛み合ってないな……説明してくれないか?魔力を使う手仕事、多分、獣人には無い文化だ」
「……え、無いの?」
「ないと思うが」
クルスは首を傾げて、それから何気なく、私の裁縫箱に触れた、バチッと、大きな静電気のような音がして、クルスの手が弾かれる。
「……ッ、」
「な、なんで触ったの」
「いや、魔力が宿っているから、素材の確認をだな」
「……そっか、本当に手仕事を知らないのね」
クルスは手がヒリヒリとしているのか、パタパタしながら、楽しそうに揺らしていたしっぽをへたらせる。
知らないのに、可哀想なことをしてしまった。
私は、クルスの手を取って、自分の魔力を取り除く。
魔力が見えているわけじゃないけれど、手仕事の道具に触れてしまった人がいたら、こうするのだ。
「ごめんね」
「知らなかったとはいえ、すまない。守護の魔術をかけるほど、大切なものか」
そんな魔法かけた覚えはないけれど、誰にも触れさせてはいけないと言われているので、かかっているのかもしれない。
もにもにとクルスの手を握って、治れ~と念じる。それと同時に片手では、裁縫箱を抱いたまま魔力をこめ続けている。
もう少し、魔力をかけとこうかな。
しかし、クルスの手は、ごつい。
大きくて、筋張っていて、けれど、しっとりとした質感。そして、爪は男爪でしっかり切りそろえられている。するすると彼の手を指でなでる。
月光浴の日、私を先導してくれた手は、少し爪が長くて、この手とは正反対だった。
それに、そういえば、首に触れられた気がする。熱でも測っていたんだろうか。
考え事をしつつも、クルスの手を握っていると、急に、クルスは私の手を両手で包み込んで、ぎゅっと握りこんだ。
「え、えっと……クルス?」
彼の方を見てみると、視線を逸らして、何も答えない。
それから、私の手を開かせて、指と指の隙間を爪でなぞってみたり、手の甲を優しく指の腹で擦ったりする。
うわぁ、これは、なんて言うか。
は、恥ずかしい。
「俺の気持ちがわかったか」
「……わ、わかったです」
「ならいい」
魔力を込めている間、なんとも、気恥ずかしい時間が十分ほど続いた。
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