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クインカ・アダマス大迷宮調査日誌(プレセア暦2811年5月11日~)
迷宮の池
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一夜明けてからジョセフ一行は亡くなった男の病室に集まった。フレッドのストーリーテリングによる男の記録を鑑賞するためだ。
「残念ながら調査団の日誌全てを複製することはできませんでした。おそらく三分の一くらいかと思われます」
「かまわない。やってくれるか?」
「わかりました」
フレッドは目を閉じた。壁にスクリーンが浮かび、昨日と同じように「第二騎士団」所属騎士フィリップ・ライターによる調査日誌が語られ始めた。
***
私はフィリップ・ライター。バングレア王国第二騎士団の騎士だ。
我々第二騎士団はクインカ・アダマス大迷宮への調査団を結成した。第二騎士団団長のマーク・ストライヤーを団長として第二騎士団所属騎士八名、王宮の命を受けた魔法師四名、総勢十二名の調査団だった。
しかし初日にして我々は巨大モンスターの攻撃に遭い騎士三名、魔法師二名を失ってしまった。現在我々は七名である。
出発日はプレセア歴二千八百十一年五月十一日だったが現在の日時は不明だ。迷宮の時空は歪んでいる。そのせいで我々は位置を見失い、時の流れをまともに感じなくなった。
実感的に日中の職務を終えたと感じた我々は、それほど空腹を感じないまま持参した食糧に手をつけた。
それに対しては反対意見もあった。この迷宮は果てしない洞窟であり、日の光の恵みを必要とする植物は自生していない。食料となりうる狩猟の対象物も現在のところ見ていないのだ。そんな状況で空腹でもないのに食糧を消費しても良いのかといった意見だった。
しかし一方で我々は遭難という現実に向き合わねばならなかった。失った仲間のことも忘れるわけにはいかない。この陰鬱な雰囲気をうち払うにはある程度の休息と食事が必要だと考えたのだ。
肉体的な疲労はまだそれほどでもなかったが我々は交代で見張りをたて食事の後の睡眠をとった。
翌朝、といっても朝日が差すわけではない。ある程度の時間が経過すると我々は揃って目覚めるのだ。
中には頻繁に目が覚めて眠れない「夜」を過ごした団員もいただろう。
私はというと、幸いなことに適当な睡眠をとることができた。攻撃に参加できない私はこの調査記録をとるのに終始頭を使っている。そのために毎日眠くなるのだ。ある意味、私の体内時計は、狂わされた懐中時計よりは役に立つのかもしれない。
二日目。あえて二日目と呼ぶことにしよう。まとまった睡眠をとった後だから二日目だ。実際の日時は不明だった。
我々は洞窟を進んだ。その洞窟を鍾乳洞と呼んだり坑道と呼んだりしているのは地面や壁の様子が異なるからだ。石灰が溶けて固まったと思われる氷柱状の鍾乳石が天井から垂れ下がったところは鍾乳洞と表現する方が良いだろう。
比較的広く大きな鍾乳洞にはところどころ隧道へと連なる穴が開いていてそこを行くと鍾乳洞とは明らかに異なる壁や地面が現れる。なぜかはわからないがそこに石灰岩はないのだ。
地質が異なる狭い隧道があり、それを我々は坑道と呼んだ。それはまるでバングレア王国のいたるところにある飛鉱石の鉱山に掘られた坑道に似ているからだ。
そしてその坑道を進むと別の鍾乳洞に行き当たる。あるいはあの巨大モンスターが出現した川へと出るのだ。
どうもこの川沿いにいくつもの鍾乳洞があり、それを繋ぐようにして坑道があるようだった。
我々の目標は地表だ。傾斜があるところはできるだけ登り坂を選んだ。起伏がある地形なので上り下りが激しかった。しかしトータルでは上り続けることに成功していると我々は思った。
どのくらい進んだかわからない。疲労や空腹、排泄欲求を感じにくくなっている。それを身体強化魔法の恩恵だけでは説明できない。やはりこの迷宮の時空は歪んでいるのだ。
実感として半日歩いただろうか。それまでとは雰囲気の異なるところに出た。坑道の先に別の鍾乳洞が現れると思ったのだが、巨大な池が現れたのだ。
川ではない。水の流れはなく、そこは静寂な水の溜まり場だった。
照明魔法を広範囲に使い、全体像を浮かび上がらせた。
坑道を出たところに人が百人くらい立てそうな比較的広い平坦な地面があった。その先に静かな池がある。
池の向こうは岩の壁になっていた。池の広さは全周にしてニキロくらいか。もちろんそれが錯覚や幻覚でなければの話だ。
その周囲はよく見ると全て岩壁というわけではなく、ところどころ我々がいるような足場があって、その背後にどこかへ通じる坑道の入り口が見えていた。
これまで我々はひたすら洞窟を歩き続けた。何となく地表に向けて少しずつだか進んでいるつもりだった。そう思わないと歩けるものではない。同じところをぐるぐると廻っているだけかもしれないとは思いたくなかった。だから流れのない池に行き当たった我々は新たな展開が待っていると思ったのだ。
「間違いなくここは初めての場所だ」だから大事にしたいとストライヤー騎士団長は言っているかのようだった。「この池を渡って向こう岸の穴から抜けたら新たな道が開けるのだろうか」
そうあって欲しいと我々は思った。
騎士の一人、魔法師の一人が水質を調べていた。
「見たところ、この池へ水を流し込む水源はないようだが」
確かに川が注ぎ込んでいるわけではない。鍾乳洞のように天井や岩肌をつたって水が落ちていく様子もなかった。
「とはいえ、水面の高さは幾度となく上下している様子がうかがえます」年配の魔法師が言った。
彼が着目したのは我々が立っている池の端だった。足場にしているスペースなのだが、岩壁を見ると何本もの横線が入っている。水嵩が増してこの足場が沈むことがあるということだ。
水が多く溢れるときはこの足場は完全に沈むのだろう。今は水が引いていて地肌が露出しているのだ。
「どこからか水が流れ込むのでしょうか」
「おそらく、池の底に穴が開いていて地下水脈と繋がっているのだろう。地下の水が増えれば水が溢れ、減れば水嵩が下がるというわけだ。あるいはもしや……」ストライヤー騎士団長は目を輝かせた。「池の底の水脈を介して別の池もしくは湖と繋がっているのかもしれない。ひょっとしてここはもう地底ではないのかも」
「山の中の洞窟だということですか?」
「雨が降ったりして湖の水嵩が増し、湖面が上昇するとそれに合わせてこの池の水嵩も増すというわけだ。我々が立っているここは地表と同じ高さなのかもしれない」
「山の中の洞窟だとしたら横へ移動しているうちに外へ出られるかもしれませんね」
「山の中心部ではなく、山の端に向かえば、だな」
水質は海水ではなく有毒な成分も含まれていないようだった。
ストライヤー騎士団長が池の向こうを指した。「あちらへ渡ってみよう」
こちらと同じように足場となる踊り場があり、坑道へ繋がる穴が見える場所が、向こう岸にもあった。およそ七百メートルほど池を渡ることになる。
そこに小舟の代わりになるものはなく、巻き物敷布を広げ、それを魔法によって硬く強化して水上を走る「魔法の絨毯」を作ることにした。
ただ問題は、魔法師が二人に減ったために「魔法の絨毯」を操る手が足りないことだ。
「三回に分けて渡るとしよう」ストライヤー騎士団長が言った。
その「魔法の絨毯」は定員四名だった。
「池の中に何かいないことを祈る」
しかしそう言っても、どんなモンスターがいるかわかったものではなかった。
第一陣は魔法師二人と騎士二人だ。魔法師二人は「魔法の絨毯」を操作する役だから何度も行き来する。騎士二人を向こう岸において戻り、第二陣は騎士団長と私を運ぶことになった。そして最後の三度目で残りの一人の騎士を連れて渡る手筈となったのだ。
第一陣は難なく向こう岸に着き、魔法師二人が戻ってきた。次はストライヤー騎士団長と私の番だ。
「魔法の絨毯」と表現したが、こうして乗ってみると筏だった。
先頭に若い魔法師ルーク、しんがりに年配の魔法師、私とストライヤー騎士団長は二人に挟まれる形で乗っていた。
かなり推進力はある。若い魔法師ルークは力業に長けているようだった。
ストライヤー騎士団長と私も池を渡った。先に来ていた二人の騎士が出迎える。
魔法師二人は「魔法の絨毯」で引き返して最後の一人を連れてくることになった。
「この先はどうなっている?」ストライヤー騎士団長が先発隊の二人に訊いた。
「我々が通ってきた坑道とよく似た感じです」
「そうか」
「しかし何となく空気の流れを感じます。風と言ったら大げさでしょうけれど」
その言葉は期待を抱かせるのに十分だった。とにもかくにも今までとは違う様子なのだと我々は感じていた。
今までとの違い。それが池の水面にも起こっていることに我々は気づくのが遅れた。
最後の一人の騎士を載せた「魔法の絨毯」がこちらへ向けて水上を滑走してくる。操作している二人の魔法師も安堵の表情を浮かべていた。
そしてあと百メートルほどでこちら側へ渡りきろうかという時に水面が激しく揺れた。
池の中心部に黒い影が浮かび上がり、顔を出した。
「魔法の絨毯」を操作する魔法師二人は進行方向に向けて照明魔法を使っていたから、背後の影を照らすことができなかった。
こちら側にいた騎士の一人が剣を抜いてふるい、その黒い影の上方に向けて雷属性の魔法を放った。
彼は魔剣を使うことで魔法師に匹敵する魔法攻撃を放つことができるのだ。それが照明弾の効果をもたらした。
まばゆい光に照らされてそれは姿を現した。
のっぺりとした丸い頭に、横に大きく開く口。目があるのかよくわからないそれは両生類のモンスターに見えた。サンショウウオを巨大化させたようなかたちだ。
それが足で水を蹴ったかのように加速した。一気に三人が乗る「魔法の絨毯」に迫る。
最も後方に乗っていた年配の魔法師が後ろを振り返り、雷属性の攻撃魔法を放った。
彼は思わずその手を打ったのだろうが、彼が攻撃にまわることで明らかに「魔法の絨毯」の推進力は低下した。
モンスターとの距離が詰まった。
「はやくこっちへ来い。こちらで援護する」
目眩ましに使った閃光弾はなんの役にも立たなかった。
闇に慣れたモンスターは見えなくても苦にならない。どんどん迫ってくる。
こちら側にいた我々はストライヤー騎士団長も含めて魔剣をふるい攻撃魔法でモンスターを押し留めようとしたが、モンスターの手前に仲間が乗った「魔法の絨毯」があったために直接狙い打つことができなかった。必然的にモンスターの頭上に何らかの魔法を放つことになる。
あと少しでこちら側の岸にたどり着くところで「魔法の絨毯」の最後尾に乗っていた年配の魔法師がモンスターに呑み込まれた。
その魔法師はモンスターの口に入った瞬間に何らかの魔法を発動した。
モンスターの動きが一瞬鈍り、小刻みに震えたかと思うと、呑み込んだ魔法師を吐き出した。
魔法師は我々のいるところまで転がってきたが、その体はねばねばした粘液に包まれていて、さらにはひどい臭いがした。
どうやら魔法師は一旦モンスターの胃の中まで呑み込まれ、そこで強酸性の粘液に包まれたようだ。その証拠に彼の体は三分の一ほど皮膚がただれ、剥がれ落ちていた。
絨毯はこちら側にたどり着けず、乗っていた騎士と若い魔法師ルークが池に落ちた。
モンスターが水面の下へと潜った。
岸にいた二人の騎士が落ちた二人を助け上げようとして水の中に飛び込んだ。
「待て、はやるな!」
ストライヤー騎士団長の叫びは彼らには聞こえなかった。
やがて若い魔法師ルークが少し離れたところから自力で岸に這い上がってきた。別のところから飛び込んだ二人の騎士のうちの一人が同じようにして這い上がってきたが、それに続いて這い上がる者はなかった。
現状、地上にいるのは騎士三名と魔法師二名。魔法師のうち年配の魔法師はモンスターの胃液で溶かされもはや力尽きようとしていた。
「口の中までは魔法耐性はないようでした」吐き出された年配の魔法師はそう言い残して死んだ。
若い魔法師ルークが治癒魔法を施していたが、戦闘に特化していた彼はB級の治癒魔法しか持っていなかった。
水面が再び盛り上がった。
「来るぞ!」我々は後退さりしながら身構えた。
モンスターの前足が現れ、岸に降りた。やはりサンショウウオのようなかたちをしている。上陸して我々全員を呑み込むつもりだ。
やられると思ったその時、青白い光に包まれて大きな魔法陣が出現した。
モンスターは突然固まったかのように動きを鈍らせ、片足を岸にかけた状態で身動きできなくなった。
「早くこちらへ!」坑道へと続く穴のところに白髪の老人が立っていた。
それが重力操作の魔法だと我々は知った。しかしモンスターのあの巨体を留め置くとは相当な魔力だ。我々は言われた通り坑道へと駆け、その中へ逃げ込んだ。
池を渡る前七人だった我々は騎士三名と魔法師一名の四人になっていた。
「残念ながら調査団の日誌全てを複製することはできませんでした。おそらく三分の一くらいかと思われます」
「かまわない。やってくれるか?」
「わかりました」
フレッドは目を閉じた。壁にスクリーンが浮かび、昨日と同じように「第二騎士団」所属騎士フィリップ・ライターによる調査日誌が語られ始めた。
***
私はフィリップ・ライター。バングレア王国第二騎士団の騎士だ。
我々第二騎士団はクインカ・アダマス大迷宮への調査団を結成した。第二騎士団団長のマーク・ストライヤーを団長として第二騎士団所属騎士八名、王宮の命を受けた魔法師四名、総勢十二名の調査団だった。
しかし初日にして我々は巨大モンスターの攻撃に遭い騎士三名、魔法師二名を失ってしまった。現在我々は七名である。
出発日はプレセア歴二千八百十一年五月十一日だったが現在の日時は不明だ。迷宮の時空は歪んでいる。そのせいで我々は位置を見失い、時の流れをまともに感じなくなった。
実感的に日中の職務を終えたと感じた我々は、それほど空腹を感じないまま持参した食糧に手をつけた。
それに対しては反対意見もあった。この迷宮は果てしない洞窟であり、日の光の恵みを必要とする植物は自生していない。食料となりうる狩猟の対象物も現在のところ見ていないのだ。そんな状況で空腹でもないのに食糧を消費しても良いのかといった意見だった。
しかし一方で我々は遭難という現実に向き合わねばならなかった。失った仲間のことも忘れるわけにはいかない。この陰鬱な雰囲気をうち払うにはある程度の休息と食事が必要だと考えたのだ。
肉体的な疲労はまだそれほどでもなかったが我々は交代で見張りをたて食事の後の睡眠をとった。
翌朝、といっても朝日が差すわけではない。ある程度の時間が経過すると我々は揃って目覚めるのだ。
中には頻繁に目が覚めて眠れない「夜」を過ごした団員もいただろう。
私はというと、幸いなことに適当な睡眠をとることができた。攻撃に参加できない私はこの調査記録をとるのに終始頭を使っている。そのために毎日眠くなるのだ。ある意味、私の体内時計は、狂わされた懐中時計よりは役に立つのかもしれない。
二日目。あえて二日目と呼ぶことにしよう。まとまった睡眠をとった後だから二日目だ。実際の日時は不明だった。
我々は洞窟を進んだ。その洞窟を鍾乳洞と呼んだり坑道と呼んだりしているのは地面や壁の様子が異なるからだ。石灰が溶けて固まったと思われる氷柱状の鍾乳石が天井から垂れ下がったところは鍾乳洞と表現する方が良いだろう。
比較的広く大きな鍾乳洞にはところどころ隧道へと連なる穴が開いていてそこを行くと鍾乳洞とは明らかに異なる壁や地面が現れる。なぜかはわからないがそこに石灰岩はないのだ。
地質が異なる狭い隧道があり、それを我々は坑道と呼んだ。それはまるでバングレア王国のいたるところにある飛鉱石の鉱山に掘られた坑道に似ているからだ。
そしてその坑道を進むと別の鍾乳洞に行き当たる。あるいはあの巨大モンスターが出現した川へと出るのだ。
どうもこの川沿いにいくつもの鍾乳洞があり、それを繋ぐようにして坑道があるようだった。
我々の目標は地表だ。傾斜があるところはできるだけ登り坂を選んだ。起伏がある地形なので上り下りが激しかった。しかしトータルでは上り続けることに成功していると我々は思った。
どのくらい進んだかわからない。疲労や空腹、排泄欲求を感じにくくなっている。それを身体強化魔法の恩恵だけでは説明できない。やはりこの迷宮の時空は歪んでいるのだ。
実感として半日歩いただろうか。それまでとは雰囲気の異なるところに出た。坑道の先に別の鍾乳洞が現れると思ったのだが、巨大な池が現れたのだ。
川ではない。水の流れはなく、そこは静寂な水の溜まり場だった。
照明魔法を広範囲に使い、全体像を浮かび上がらせた。
坑道を出たところに人が百人くらい立てそうな比較的広い平坦な地面があった。その先に静かな池がある。
池の向こうは岩の壁になっていた。池の広さは全周にしてニキロくらいか。もちろんそれが錯覚や幻覚でなければの話だ。
その周囲はよく見ると全て岩壁というわけではなく、ところどころ我々がいるような足場があって、その背後にどこかへ通じる坑道の入り口が見えていた。
これまで我々はひたすら洞窟を歩き続けた。何となく地表に向けて少しずつだか進んでいるつもりだった。そう思わないと歩けるものではない。同じところをぐるぐると廻っているだけかもしれないとは思いたくなかった。だから流れのない池に行き当たった我々は新たな展開が待っていると思ったのだ。
「間違いなくここは初めての場所だ」だから大事にしたいとストライヤー騎士団長は言っているかのようだった。「この池を渡って向こう岸の穴から抜けたら新たな道が開けるのだろうか」
そうあって欲しいと我々は思った。
騎士の一人、魔法師の一人が水質を調べていた。
「見たところ、この池へ水を流し込む水源はないようだが」
確かに川が注ぎ込んでいるわけではない。鍾乳洞のように天井や岩肌をつたって水が落ちていく様子もなかった。
「とはいえ、水面の高さは幾度となく上下している様子がうかがえます」年配の魔法師が言った。
彼が着目したのは我々が立っている池の端だった。足場にしているスペースなのだが、岩壁を見ると何本もの横線が入っている。水嵩が増してこの足場が沈むことがあるということだ。
水が多く溢れるときはこの足場は完全に沈むのだろう。今は水が引いていて地肌が露出しているのだ。
「どこからか水が流れ込むのでしょうか」
「おそらく、池の底に穴が開いていて地下水脈と繋がっているのだろう。地下の水が増えれば水が溢れ、減れば水嵩が下がるというわけだ。あるいはもしや……」ストライヤー騎士団長は目を輝かせた。「池の底の水脈を介して別の池もしくは湖と繋がっているのかもしれない。ひょっとしてここはもう地底ではないのかも」
「山の中の洞窟だということですか?」
「雨が降ったりして湖の水嵩が増し、湖面が上昇するとそれに合わせてこの池の水嵩も増すというわけだ。我々が立っているここは地表と同じ高さなのかもしれない」
「山の中の洞窟だとしたら横へ移動しているうちに外へ出られるかもしれませんね」
「山の中心部ではなく、山の端に向かえば、だな」
水質は海水ではなく有毒な成分も含まれていないようだった。
ストライヤー騎士団長が池の向こうを指した。「あちらへ渡ってみよう」
こちらと同じように足場となる踊り場があり、坑道へ繋がる穴が見える場所が、向こう岸にもあった。およそ七百メートルほど池を渡ることになる。
そこに小舟の代わりになるものはなく、巻き物敷布を広げ、それを魔法によって硬く強化して水上を走る「魔法の絨毯」を作ることにした。
ただ問題は、魔法師が二人に減ったために「魔法の絨毯」を操る手が足りないことだ。
「三回に分けて渡るとしよう」ストライヤー騎士団長が言った。
その「魔法の絨毯」は定員四名だった。
「池の中に何かいないことを祈る」
しかしそう言っても、どんなモンスターがいるかわかったものではなかった。
第一陣は魔法師二人と騎士二人だ。魔法師二人は「魔法の絨毯」を操作する役だから何度も行き来する。騎士二人を向こう岸において戻り、第二陣は騎士団長と私を運ぶことになった。そして最後の三度目で残りの一人の騎士を連れて渡る手筈となったのだ。
第一陣は難なく向こう岸に着き、魔法師二人が戻ってきた。次はストライヤー騎士団長と私の番だ。
「魔法の絨毯」と表現したが、こうして乗ってみると筏だった。
先頭に若い魔法師ルーク、しんがりに年配の魔法師、私とストライヤー騎士団長は二人に挟まれる形で乗っていた。
かなり推進力はある。若い魔法師ルークは力業に長けているようだった。
ストライヤー騎士団長と私も池を渡った。先に来ていた二人の騎士が出迎える。
魔法師二人は「魔法の絨毯」で引き返して最後の一人を連れてくることになった。
「この先はどうなっている?」ストライヤー騎士団長が先発隊の二人に訊いた。
「我々が通ってきた坑道とよく似た感じです」
「そうか」
「しかし何となく空気の流れを感じます。風と言ったら大げさでしょうけれど」
その言葉は期待を抱かせるのに十分だった。とにもかくにも今までとは違う様子なのだと我々は感じていた。
今までとの違い。それが池の水面にも起こっていることに我々は気づくのが遅れた。
最後の一人の騎士を載せた「魔法の絨毯」がこちらへ向けて水上を滑走してくる。操作している二人の魔法師も安堵の表情を浮かべていた。
そしてあと百メートルほどでこちら側へ渡りきろうかという時に水面が激しく揺れた。
池の中心部に黒い影が浮かび上がり、顔を出した。
「魔法の絨毯」を操作する魔法師二人は進行方向に向けて照明魔法を使っていたから、背後の影を照らすことができなかった。
こちら側にいた騎士の一人が剣を抜いてふるい、その黒い影の上方に向けて雷属性の魔法を放った。
彼は魔剣を使うことで魔法師に匹敵する魔法攻撃を放つことができるのだ。それが照明弾の効果をもたらした。
まばゆい光に照らされてそれは姿を現した。
のっぺりとした丸い頭に、横に大きく開く口。目があるのかよくわからないそれは両生類のモンスターに見えた。サンショウウオを巨大化させたようなかたちだ。
それが足で水を蹴ったかのように加速した。一気に三人が乗る「魔法の絨毯」に迫る。
最も後方に乗っていた年配の魔法師が後ろを振り返り、雷属性の攻撃魔法を放った。
彼は思わずその手を打ったのだろうが、彼が攻撃にまわることで明らかに「魔法の絨毯」の推進力は低下した。
モンスターとの距離が詰まった。
「はやくこっちへ来い。こちらで援護する」
目眩ましに使った閃光弾はなんの役にも立たなかった。
闇に慣れたモンスターは見えなくても苦にならない。どんどん迫ってくる。
こちら側にいた我々はストライヤー騎士団長も含めて魔剣をふるい攻撃魔法でモンスターを押し留めようとしたが、モンスターの手前に仲間が乗った「魔法の絨毯」があったために直接狙い打つことができなかった。必然的にモンスターの頭上に何らかの魔法を放つことになる。
あと少しでこちら側の岸にたどり着くところで「魔法の絨毯」の最後尾に乗っていた年配の魔法師がモンスターに呑み込まれた。
その魔法師はモンスターの口に入った瞬間に何らかの魔法を発動した。
モンスターの動きが一瞬鈍り、小刻みに震えたかと思うと、呑み込んだ魔法師を吐き出した。
魔法師は我々のいるところまで転がってきたが、その体はねばねばした粘液に包まれていて、さらにはひどい臭いがした。
どうやら魔法師は一旦モンスターの胃の中まで呑み込まれ、そこで強酸性の粘液に包まれたようだ。その証拠に彼の体は三分の一ほど皮膚がただれ、剥がれ落ちていた。
絨毯はこちら側にたどり着けず、乗っていた騎士と若い魔法師ルークが池に落ちた。
モンスターが水面の下へと潜った。
岸にいた二人の騎士が落ちた二人を助け上げようとして水の中に飛び込んだ。
「待て、はやるな!」
ストライヤー騎士団長の叫びは彼らには聞こえなかった。
やがて若い魔法師ルークが少し離れたところから自力で岸に這い上がってきた。別のところから飛び込んだ二人の騎士のうちの一人が同じようにして這い上がってきたが、それに続いて這い上がる者はなかった。
現状、地上にいるのは騎士三名と魔法師二名。魔法師のうち年配の魔法師はモンスターの胃液で溶かされもはや力尽きようとしていた。
「口の中までは魔法耐性はないようでした」吐き出された年配の魔法師はそう言い残して死んだ。
若い魔法師ルークが治癒魔法を施していたが、戦闘に特化していた彼はB級の治癒魔法しか持っていなかった。
水面が再び盛り上がった。
「来るぞ!」我々は後退さりしながら身構えた。
モンスターの前足が現れ、岸に降りた。やはりサンショウウオのようなかたちをしている。上陸して我々全員を呑み込むつもりだ。
やられると思ったその時、青白い光に包まれて大きな魔法陣が出現した。
モンスターは突然固まったかのように動きを鈍らせ、片足を岸にかけた状態で身動きできなくなった。
「早くこちらへ!」坑道へと続く穴のところに白髪の老人が立っていた。
それが重力操作の魔法だと我々は知った。しかしモンスターのあの巨体を留め置くとは相当な魔力だ。我々は言われた通り坑道へと駆け、その中へ逃げ込んだ。
池を渡る前七人だった我々は騎士三名と魔法師一名の四人になっていた。
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