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本編
昼休み、ランチしながら「保健だより」を考える
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その日の昼休み、あたしは再び保健室を訪れた。
保健委員の広報作成をするというのは建前で、槇村雪菜先輩と本谷優理香先輩と一緒にお弁当を食べるためだった。
保健室で生徒がお弁当を食べるのは、ほんとうはNGなのだが、その日の保健の先生によっては黙認してくれる。
保健室の養護教諭は全部で三人くらいいるようで、今日在室していたのは最も年配の先生だった。五十代後半と思われるその先生は、昼休みはいつもどこかへ昼食を食べに行くようだった。
「槇村さん、留守をお願いね」と言って年配の先生は姿を消した。
そうなると保健室内には槇村雪菜先輩と本谷先輩、あたしの三人になった。奥のベッドで誰か休んでいるようだったが、存在感はまるでなかった。
「私も来て良かったのですか?」本谷先輩は恐縮しながら雪菜先輩に訊いた。
「もちろんよ」雪菜先輩は目を細める。「その代わり、『保健だより』の記事、一緒に考えてね」
「それは構いませんが、良いんですか? 私で」
「ぜひお願いしたいわ」
記事を書く担当が本谷先輩になっている。本谷先輩は保健委員ではない。ただ、この三人の中では最も文才があった。
「私には文才がないから。文系なのにね、ほほほ」雪菜先輩が笑う。
「そうなのですか?」あたしは口をはさんだ。「でも、文芸部の部誌には槇村さんの書かれたものもたくさん見ますよ」
「あれだけ書くのにどれほど時間がかかるか。みんなに手伝ってもらってようやくできあがるのよ」
「ちょっと信じられませんね」
「私も信じられないわ」雪菜先輩は笑う。何となくネジがゆるんでいるような雰囲気だ。
「部長は、何を書くかを決めるまでに時間がかかりますよね」本谷先輩が言った。「まるでレストランに入って、メニューを見て、どれにしようか悩んでいるみたいに」
「選択肢がたくさんあると迷うわよね。でも、保健だよりを書くときにはその選択肢さえ思い浮かばないの。どうしてでしょうね」
「すみません、たとえが悪かったようです」本谷先輩が頭を掻いた。「部長は天然でしたね」
「でも学校の成績は学年五位以内に入っていらっしゃいますよね?」あたしは訊いた。
中間テストの成績優秀者が学内に貼り出される。それどころか校内ネットでいつでも見ることができるのだ。それも過去五年分くらい。
あたしは以前成績優秀者名簿を過去にさかのぼって見たことがあるが、槇村雪菜先輩はほとんどずっと学年五位以内に入っている。それほど優秀な先輩が文を書けないなんて、とても信じられないのだ。
「私、暗記は得意だから。それも短い時間で多くのものを覚えられるらしいの」
「ら、らしいって?」
「短時間だとか、たくさん覚えられるか、なんて私にはわからないのよ。ずっとそれが私にとって普通だったから。ひとに指摘されて、それが凄いことだと教えられたわ」
「おっとりしているように見えて、一度見たものはすぐに覚えられるみたいよ」本谷先輩が言った。「だから授業を受けたその場でほとんど全部暗記するみたい」
「すぐに忘れてしまうから、後々役に立たないのだけれどね」
「数学とか理系科目はどうしているのですか?」あたしは訊いた。
「それも暗記と同じよ。解き方を暗記するの。たくさん問題と解答を読めばそれだけ経験値があがるというわけよ」
「だったら、一年の時の物理はまだ覚えていませんか?」あたしはいまだに物理の課題のことが頭から離れなかった。
「ごめんね、一年くらいするともう覚えていないのよ。そうしないと次の新しいことが覚えられないじゃない」
「はあ、そうですか」あたしは少し落胆した。
「それにね、私の場合は、まわりがあれこれ面倒を見てくれるから助かっているという面もあるかな」雪菜先輩は言った。「暗記すべきものも用意してくれるお友達がたくさんいるの。私はそれを覚えるだけでいい」
「それはきっと槇村さんの人望のたまものだと思います」この人のためなら何でもサポートしてあげたい、そんな気持ちが自然とわいてくるのだ。
ということで、先にお弁当を食べ終わった本谷先輩とあたしは保健だよりの記事を一緒になって考えた。
「梅雨時だし、これからますます暑くなるので熱中症対策とか必要でしょうか」あたしは言った。「でもありきたりですかね?」
「毎年書かれるものでも必要なものなら書いた方が良いと思うよ。ここ何年かの過去の広報を見て流用できるものは使うと良いかしら。全く同じ文だと芸がないけれど、面白おかしく書き換えれば良いわね」
「そういうのをお願いしたいのよ」雪菜先輩は目を輝かせた。「今年は本谷さんお得意のラノベ風味が感じられる広報ができあがりそうね」
「ちょっと、それ、楽しそうなんですけれど、良いんですか?」本谷さんも調子に乗っている。
「良いわよお、私が許すわ」良いのかい。
面白いとは思うけれど、保健委員の広報としてどうなのかとあたしは思ってしまった。
「いっそのことキャラをつくって会話文にしてみてはどうでしょう。掛け合い漫才みたいな感じにしたらみんな読むと思いますよ。やっぱり文章は読まれてナンボですからね」本谷さんはいよいよ目を輝かせた。
何だか良からぬ方向に向かっている。そう思ったのはあたしだけのようだった。
保健委員の広報作成をするというのは建前で、槇村雪菜先輩と本谷優理香先輩と一緒にお弁当を食べるためだった。
保健室で生徒がお弁当を食べるのは、ほんとうはNGなのだが、その日の保健の先生によっては黙認してくれる。
保健室の養護教諭は全部で三人くらいいるようで、今日在室していたのは最も年配の先生だった。五十代後半と思われるその先生は、昼休みはいつもどこかへ昼食を食べに行くようだった。
「槇村さん、留守をお願いね」と言って年配の先生は姿を消した。
そうなると保健室内には槇村雪菜先輩と本谷先輩、あたしの三人になった。奥のベッドで誰か休んでいるようだったが、存在感はまるでなかった。
「私も来て良かったのですか?」本谷先輩は恐縮しながら雪菜先輩に訊いた。
「もちろんよ」雪菜先輩は目を細める。「その代わり、『保健だより』の記事、一緒に考えてね」
「それは構いませんが、良いんですか? 私で」
「ぜひお願いしたいわ」
記事を書く担当が本谷先輩になっている。本谷先輩は保健委員ではない。ただ、この三人の中では最も文才があった。
「私には文才がないから。文系なのにね、ほほほ」雪菜先輩が笑う。
「そうなのですか?」あたしは口をはさんだ。「でも、文芸部の部誌には槇村さんの書かれたものもたくさん見ますよ」
「あれだけ書くのにどれほど時間がかかるか。みんなに手伝ってもらってようやくできあがるのよ」
「ちょっと信じられませんね」
「私も信じられないわ」雪菜先輩は笑う。何となくネジがゆるんでいるような雰囲気だ。
「部長は、何を書くかを決めるまでに時間がかかりますよね」本谷先輩が言った。「まるでレストランに入って、メニューを見て、どれにしようか悩んでいるみたいに」
「選択肢がたくさんあると迷うわよね。でも、保健だよりを書くときにはその選択肢さえ思い浮かばないの。どうしてでしょうね」
「すみません、たとえが悪かったようです」本谷先輩が頭を掻いた。「部長は天然でしたね」
「でも学校の成績は学年五位以内に入っていらっしゃいますよね?」あたしは訊いた。
中間テストの成績優秀者が学内に貼り出される。それどころか校内ネットでいつでも見ることができるのだ。それも過去五年分くらい。
あたしは以前成績優秀者名簿を過去にさかのぼって見たことがあるが、槇村雪菜先輩はほとんどずっと学年五位以内に入っている。それほど優秀な先輩が文を書けないなんて、とても信じられないのだ。
「私、暗記は得意だから。それも短い時間で多くのものを覚えられるらしいの」
「ら、らしいって?」
「短時間だとか、たくさん覚えられるか、なんて私にはわからないのよ。ずっとそれが私にとって普通だったから。ひとに指摘されて、それが凄いことだと教えられたわ」
「おっとりしているように見えて、一度見たものはすぐに覚えられるみたいよ」本谷先輩が言った。「だから授業を受けたその場でほとんど全部暗記するみたい」
「すぐに忘れてしまうから、後々役に立たないのだけれどね」
「数学とか理系科目はどうしているのですか?」あたしは訊いた。
「それも暗記と同じよ。解き方を暗記するの。たくさん問題と解答を読めばそれだけ経験値があがるというわけよ」
「だったら、一年の時の物理はまだ覚えていませんか?」あたしはいまだに物理の課題のことが頭から離れなかった。
「ごめんね、一年くらいするともう覚えていないのよ。そうしないと次の新しいことが覚えられないじゃない」
「はあ、そうですか」あたしは少し落胆した。
「それにね、私の場合は、まわりがあれこれ面倒を見てくれるから助かっているという面もあるかな」雪菜先輩は言った。「暗記すべきものも用意してくれるお友達がたくさんいるの。私はそれを覚えるだけでいい」
「それはきっと槇村さんの人望のたまものだと思います」この人のためなら何でもサポートしてあげたい、そんな気持ちが自然とわいてくるのだ。
ということで、先にお弁当を食べ終わった本谷先輩とあたしは保健だよりの記事を一緒になって考えた。
「梅雨時だし、これからますます暑くなるので熱中症対策とか必要でしょうか」あたしは言った。「でもありきたりですかね?」
「毎年書かれるものでも必要なものなら書いた方が良いと思うよ。ここ何年かの過去の広報を見て流用できるものは使うと良いかしら。全く同じ文だと芸がないけれど、面白おかしく書き換えれば良いわね」
「そういうのをお願いしたいのよ」雪菜先輩は目を輝かせた。「今年は本谷さんお得意のラノベ風味が感じられる広報ができあがりそうね」
「ちょっと、それ、楽しそうなんですけれど、良いんですか?」本谷さんも調子に乗っている。
「良いわよお、私が許すわ」良いのかい。
面白いとは思うけれど、保健委員の広報としてどうなのかとあたしは思ってしまった。
「いっそのことキャラをつくって会話文にしてみてはどうでしょう。掛け合い漫才みたいな感じにしたらみんな読むと思いますよ。やっぱり文章は読まれてナンボですからね」本谷さんはいよいよ目を輝かせた。
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