上 下
35 / 86

スチュワート教授は語り続ける プレセア暦三〇四八年 王都コル某邸宅

しおりを挟む
「所詮、体などというものは単なる器に過ぎない。私が私であること、君が君であること、グレースがグレースであることは人格と記憶で決まるものだ。その人格も記憶の積み重ねで出来上がるとしたら記憶こそ最も重要なものとは思わないか? 私は研究に打ち込んでいるうちに、自分に与えられた時間がいかに短いものかと思い知らされた。たとえ魔法の力を借りて長生きしたとしても高々三百年だ。まあ三百年生きる魔法を私はまだ手に入れてはいないが。それにしたって、長生きしたところでいつかは老いる。それならば別の若い体を見つけて、私の記憶をその若い体にそっくりそのまま移植することができないかと考えた。もしそれができればその若者は私なのだ。そうやって、それを繰り返して前世の記憶を維持している限り私は永遠の存在になる。不老不死を手にしたに等しいとは思わないかね」
「しかしそのようなことが可能なのですか? 偶然前世の記憶が残っているならともかく、意識的に誰かに記憶を植えつけることが」
 マルセルが持つ魔法なら可能のように思えた。しかしそれにも限界があるだろう。人ひとり分の一生の記憶をまるごと移植することまでは可能とは思えない。ましてや何代にもわたる人生の記憶を維持したまま残すなど不可能にしか思えなかった。
「ところが前世の記憶を残したまま何代にも渡って生まれ変わる者がいるのだ。その話は南の大陸を何度も訪れ、アブドニア文明の言い伝えを耳にするうちに聞くことができた。偶然一代分の前世の記憶を持っているのではなく、何代にも渡って生まれ変わった記憶を全て持つ者がいるというのだ」
「俄かには信じられません。実際に会ってみないと」
「近いうちに会えるのだよ」
「どちらで?」
「それは言えない」南の大陸のどこかなのだろう。
「教授はそんな話を信用したのですか?」
「ああ。私もはじめは信じられなかった。しかし人の記憶を奪ったり植えつけたりする魔法が存在することを知って考えを変えた」
「そんな魔法が本当にあるのですか?」
 あることはわかる。マルセルも持っているし、スチュワート教授自身も誰かから与えられて記憶を奪う魔法を保持しているのだ。
「私はさる人物から記憶を操作する魔法を譲り受けた」
 操作ではないだろう。単に奪うだけだ。スチュワート教授の中には奪う術しかなかった。奪った後に別の記憶を植えつける魔法もあるにはあったが、その術式の短さから見てたいした記憶は植えつけられないだろう。
 おそらくは残った記憶で何とか埋め合わせをして帳尻を合わせるくらいなもので、その人が体験しなかった新たな経験の記憶までも与えるものではなかった。
「その記憶を操作する魔法は、私が譲り受けたものに関しては残念ながら上級レベルではない」
 なるほどスチュワート教授も完璧ではないという自覚があるようだとロアルドは思った。
「短時間で私にその魔法を使えるようにするために初級から中級のものにしたのだ。それを使ってある書物を手に入れて欲しいと言われたのだ」
「ある書物?」
「その名は明かせないが、ローゼンタール王都学院図書館に寄贈されたという。その話を聞いて私は神官の中にそれを記憶した者がいるに違いないと思った」
「それがグレース姉さまだったのですね」
「彼女が所持していたのは偶然だった。たとえ彼女がその書物を記憶していなかったとしても彼女の価値が下がるわけではないよ、安心したまえ」安心を押しつけないで欲しいとロアルドは思った。
「私は君の姉君をとても評価している。たとえその書物の記憶を持っていなかったとしても、私の研究を手伝ってもらうにふさわしい才能を持っていると思っている。だからココットになってはくれまいかと彼女にもちかけたのだ。彼女も喜んで引き受けてくれたよ」
「それは教授がそのように導いたからです。精神支配系の魔法を少しずつ送り込んで自分に好意を持つように仕向けたのです」
「私がもつ精神支配系の魔法の威力などたかが知れているよ。彼女はそんなものがなくても私を手伝う運命にあった」
「こんどは運命ですか」
「私が南の大陸でアブドミア文明を知る魔法師に会ったのも運命。アカデミーの図書館でグレースに会ったのも運命だ。私は南の大陸の魔法師と契約を交わした。王都学院アカデミーの図書館で、ある書物を見つけ、その情報をまるごと持ち帰り、かの魔法師に渡す。その代わりにその見返りとして私は前世の記憶を持つ人物に会い、記憶を移植する魔法を教えてもらうのだ」
「本当にそんなことが可能だと思っているのですか。その魔法師が教授を操って魔術書を奪おうとしているとは思わなかったのですか」
「たとえそうであったとしてもさしたる問題はない。私はひとの記憶を手に入れる魔法を手に入れた。グレースの記憶を、グレースの脳内にある十万冊以上の図書の記憶を手に入れることができるのだ。それを使えばまた記憶を移植する方法にたどり着くことができると信じている」
「神官でもないあなたが、そんな膨大な量の記憶を手に入れて記憶できると思っているのですか? せいぜい魔術書一冊分の記憶くらいしか手に入れられないでしょう」
「やってみてから言うべきだね。何なら、十万冊以上と言われる彼女の本の記憶のみならず、彼女自身の記憶をごっそりもらい受けるということもトライしてみようか。そうやって彼女の記憶が私に入ってくる。これこそ私と彼女が一つになったということにならないか」
「あなたが持っている魔法はひとの記憶を奪うのですよね? 複写するのではなく奪う。 僕の姉からごっそりと記憶を奪って、姉には何が残るのです。もし何も残らないとしたら姉はどうなるのです?」
「抜け殻のようになってしまうかもしれないな。しかし、それだと少々問題だな。ならば私の持っている不要な記憶だけでも彼女に移すとするか。ふたりして二人分の記憶を持つことになる。これこそ二人が一つになった証ではないか」
 とてもそこまでのことができるとは思えないが、この考え方は危険だとロアルドは思った。
 彼が南の大陸の魔法師に操られていると思っていたが、それ以上のことをやろうとしている。
 やはり今日この場で決着をつけなければならないのか。しかしどのようにアプローチすべきなのか。
「とんでもない魔力を感じるな。彼は君が連れてきたのかね?」スチュワート教授が言った。
「え?」
 振り返った先にマルセルが立っていた。
 マルセルがスナッチの圏内にいることはわかっていた。しかしまさかこの場に姿を現すとは思わなかった。
「ここへ来るのを手伝ってくれた僕の友人です」ロアルドは答えた。
「君は魔法を使えなかったな。魔法を使える者を連れてきていたということか。まあ妥当な判断だ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄騒動に巻き込まれたモブですが……

こうじ
ファンタジー
『あ、終わった……』王太子の取り巻きの1人であるシューラは人生が詰んだのを感じた。王太子と公爵令嬢の婚約破棄騒動に巻き込まれた結果、全てを失う事になってしまったシューラ、これは元貴族令息のやり直しの物語である。

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました

悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。 クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。 婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。 そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。 そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯ 王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。 シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

異世界に来たからといってヒロインとは限らない

あろまりん
ファンタジー
※ようやく修正終わりました!加筆&纏めたため、26~50までは欠番とします(笑)これ以降の番号振り直すなんて無理! ごめんなさい、変な番号降ってますが、内容は繋がってますから許してください!!!※ ファンタジー小説大賞結果発表!!! \9位/ ٩( 'ω' )و \奨励賞/ (嬉しかったので自慢します) 書籍化は考えていま…いな…してみたく…したいな…(ゲフンゲフン) 変わらず応援して頂ければと思います。よろしくお願いします! (誰かイラスト化してくれる人いませんか?)←他力本願 ※誤字脱字報告につきましては、返信等一切しませんのでご了承ください。しかるべき時期に手直しいたします。      * * * やってきました、異世界。 学生の頃は楽しく読みました、ラノベ。 いえ、今でも懐かしく読んでます。 好きですよ?異世界転移&転生モノ。 だからといって自分もそうなるなんて考えませんよね? 『ラッキー』と思うか『アンラッキー』と思うか。 実際来てみれば、乙女ゲームもかくやと思う世界。 でもね、誰もがヒロインになる訳じゃないんですよ、ホント。 モブキャラの方が楽しみは多いかもしれないよ? 帰る方法を探して四苦八苦? はてさて帰る事ができるかな… アラフォー女のドタバタ劇…?かな…? *********************** 基本、ノリと勢いで書いてます。 どこかで見たような展開かも知れません。 暇つぶしに書いている作品なので、多くは望まないでくださると嬉しいです。

悪女の指南〜媚びるのをやめたら周囲の態度が変わりました

結城芙由奈 
恋愛
【何故我慢しなければならないのかしら?】 20歳の子爵家令嬢オリビエは母親の死と引き換えに生まれてきた。そのため父からは疎まれ、実の兄から憎まれている。義母からは無視され、異母妹からは馬鹿にされる日々。頼みの綱である婚約者も冷たい態度を取り、異母妹と惹かれ合っている。オリビエは少しでも受け入れてもらえるように媚を売っていたそんなある日悪女として名高い侯爵令嬢とふとしたことで知りあう。交流を深めていくうちに侯爵令嬢から諭され、自分の置かれた環境に疑問を抱くようになる。そこでオリビエは媚びるのをやめることにした。するとに周囲の環境が変化しはじめ―― ※他サイトでも投稿中

悪役令嬢にざまぁされた王子のその後

柚木崎 史乃
ファンタジー
王子アルフレッドは、婚約者である侯爵令嬢レティシアに窃盗の濡れ衣を着せ陥れようとした罪で父王から廃嫡を言い渡され、国外に追放された。 その後、炭鉱の町で鉱夫として働くアルフレッドは反省するどころかレティシアや彼女の味方をした弟への恨みを募らせていく。 そんなある日、アルフレッドは行く当てのない訳ありの少女マリエルを拾う。 マリエルを養子として迎え、共に生活するうちにアルフレッドはやがて自身の過去の過ちを猛省するようになり改心していった。 人生がいい方向に変わったように見えたが……平穏な生活は長く続かず、事態は思わぬ方向へ動き出したのだった。

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈 
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

処理中です...