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スチュワート教授は語り続ける プレセア暦三〇四八年 王都コル某邸宅
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「所詮、体などというものは単なる器に過ぎない。私が私であること、君が君であること、グレースがグレースであることは人格と記憶で決まるものだ。その人格も記憶の積み重ねで出来上がるとしたら記憶こそ最も重要なものとは思わないか? 私は研究に打ち込んでいるうちに、自分に与えられた時間がいかに短いものかと思い知らされた。たとえ魔法の力を借りて長生きしたとしても高々三百年だ。まあ三百年生きる魔法を私はまだ手に入れてはいないが。それにしたって、長生きしたところでいつかは老いる。それならば別の若い体を見つけて、私の記憶をその若い体にそっくりそのまま移植することができないかと考えた。もしそれができればその若者は私なのだ。そうやって、それを繰り返して前世の記憶を維持している限り私は永遠の存在になる。不老不死を手にしたに等しいとは思わないかね」
「しかしそのようなことが可能なのですか? 偶然前世の記憶が残っているならともかく、意識的に誰かに記憶を植えつけることが」
マルセルが持つ魔法なら可能のように思えた。しかしそれにも限界があるだろう。人ひとり分の一生の記憶をまるごと移植することまでは可能とは思えない。ましてや何代にもわたる人生の記憶を維持したまま残すなど不可能にしか思えなかった。
「ところが前世の記憶を残したまま何代にも渡って生まれ変わる者がいるのだ。その話は南の大陸を何度も訪れ、アブドニア文明の言い伝えを耳にするうちに聞くことができた。偶然一代分の前世の記憶を持っているのではなく、何代にも渡って生まれ変わった記憶を全て持つ者がいるというのだ」
「俄かには信じられません。実際に会ってみないと」
「近いうちに会えるのだよ」
「どちらで?」
「それは言えない」南の大陸のどこかなのだろう。
「教授はそんな話を信用したのですか?」
「ああ。私もはじめは信じられなかった。しかし人の記憶を奪ったり植えつけたりする魔法が存在することを知って考えを変えた」
「そんな魔法が本当にあるのですか?」
あることはわかる。マルセルも持っているし、スチュワート教授自身も誰かから与えられて記憶を奪う魔法を保持しているのだ。
「私はさる人物から記憶を操作する魔法を譲り受けた」
操作ではないだろう。単に奪うだけだ。スチュワート教授の中には奪う術しかなかった。奪った後に別の記憶を植えつける魔法もあるにはあったが、その術式の短さから見てたいした記憶は植えつけられないだろう。
おそらくは残った記憶で何とか埋め合わせをして帳尻を合わせるくらいなもので、その人が体験しなかった新たな経験の記憶までも与えるものではなかった。
「その記憶を操作する魔法は、私が譲り受けたものに関しては残念ながら上級レベルではない」
なるほどスチュワート教授も完璧ではないという自覚があるようだとロアルドは思った。
「短時間で私にその魔法を使えるようにするために初級から中級のものにしたのだ。それを使ってある書物を手に入れて欲しいと言われたのだ」
「ある書物?」
「その名は明かせないが、ローゼンタール王都学院図書館に寄贈されたという。その話を聞いて私は神官の中にそれを記憶した者がいるに違いないと思った」
「それがグレース姉さまだったのですね」
「彼女が所持していたのは偶然だった。たとえ彼女がその書物を記憶していなかったとしても彼女の価値が下がるわけではないよ、安心したまえ」安心を押しつけないで欲しいとロアルドは思った。
「私は君の姉君をとても評価している。たとえその書物の記憶を持っていなかったとしても、私の研究を手伝ってもらうにふさわしい才能を持っていると思っている。だからココットになってはくれまいかと彼女にもちかけたのだ。彼女も喜んで引き受けてくれたよ」
「それは教授がそのように導いたからです。精神支配系の魔法を少しずつ送り込んで自分に好意を持つように仕向けたのです」
「私がもつ精神支配系の魔法の威力などたかが知れているよ。彼女はそんなものがなくても私を手伝う運命にあった」
「こんどは運命ですか」
「私が南の大陸でアブドミア文明を知る魔法師に会ったのも運命。アカデミーの図書館でグレースに会ったのも運命だ。私は南の大陸の魔法師と契約を交わした。王都学院アカデミーの図書館で、ある書物を見つけ、その情報をまるごと持ち帰り、かの魔法師に渡す。その代わりにその見返りとして私は前世の記憶を持つ人物に会い、記憶を移植する魔法を教えてもらうのだ」
「本当にそんなことが可能だと思っているのですか。その魔法師が教授を操って魔術書を奪おうとしているとは思わなかったのですか」
「たとえそうであったとしてもさしたる問題はない。私はひとの記憶を手に入れる魔法を手に入れた。グレースの記憶を、グレースの脳内にある十万冊以上の図書の記憶を手に入れることができるのだ。それを使えばまた記憶を移植する方法にたどり着くことができると信じている」
「神官でもないあなたが、そんな膨大な量の記憶を手に入れて記憶できると思っているのですか? せいぜい魔術書一冊分の記憶くらいしか手に入れられないでしょう」
「やってみてから言うべきだね。何なら、十万冊以上と言われる彼女の本の記憶のみならず、彼女自身の記憶をごっそりもらい受けるということもトライしてみようか。そうやって彼女の記憶が私に入ってくる。これこそ私と彼女が一つになったということにならないか」
「あなたが持っている魔法はひとの記憶を奪うのですよね? 複写するのではなく奪う。 僕の姉からごっそりと記憶を奪って、姉には何が残るのです。もし何も残らないとしたら姉はどうなるのです?」
「抜け殻のようになってしまうかもしれないな。しかし、それだと少々問題だな。ならば私の持っている不要な記憶だけでも彼女に移すとするか。ふたりして二人分の記憶を持つことになる。これこそ二人が一つになった証ではないか」
とてもそこまでのことができるとは思えないが、この考え方は危険だとロアルドは思った。
彼が南の大陸の魔法師に操られていると思っていたが、それ以上のことをやろうとしている。
やはり今日この場で決着をつけなければならないのか。しかしどのようにアプローチすべきなのか。
「とんでもない魔力を感じるな。彼は君が連れてきたのかね?」スチュワート教授が言った。
「え?」
振り返った先にマルセルが立っていた。
マルセルがスナッチの圏内にいることはわかっていた。しかしまさかこの場に姿を現すとは思わなかった。
「ここへ来るのを手伝ってくれた僕の友人です」ロアルドは答えた。
「君は魔法を使えなかったな。魔法を使える者を連れてきていたということか。まあ妥当な判断だ」
「しかしそのようなことが可能なのですか? 偶然前世の記憶が残っているならともかく、意識的に誰かに記憶を植えつけることが」
マルセルが持つ魔法なら可能のように思えた。しかしそれにも限界があるだろう。人ひとり分の一生の記憶をまるごと移植することまでは可能とは思えない。ましてや何代にもわたる人生の記憶を維持したまま残すなど不可能にしか思えなかった。
「ところが前世の記憶を残したまま何代にも渡って生まれ変わる者がいるのだ。その話は南の大陸を何度も訪れ、アブドニア文明の言い伝えを耳にするうちに聞くことができた。偶然一代分の前世の記憶を持っているのではなく、何代にも渡って生まれ変わった記憶を全て持つ者がいるというのだ」
「俄かには信じられません。実際に会ってみないと」
「近いうちに会えるのだよ」
「どちらで?」
「それは言えない」南の大陸のどこかなのだろう。
「教授はそんな話を信用したのですか?」
「ああ。私もはじめは信じられなかった。しかし人の記憶を奪ったり植えつけたりする魔法が存在することを知って考えを変えた」
「そんな魔法が本当にあるのですか?」
あることはわかる。マルセルも持っているし、スチュワート教授自身も誰かから与えられて記憶を奪う魔法を保持しているのだ。
「私はさる人物から記憶を操作する魔法を譲り受けた」
操作ではないだろう。単に奪うだけだ。スチュワート教授の中には奪う術しかなかった。奪った後に別の記憶を植えつける魔法もあるにはあったが、その術式の短さから見てたいした記憶は植えつけられないだろう。
おそらくは残った記憶で何とか埋め合わせをして帳尻を合わせるくらいなもので、その人が体験しなかった新たな経験の記憶までも与えるものではなかった。
「その記憶を操作する魔法は、私が譲り受けたものに関しては残念ながら上級レベルではない」
なるほどスチュワート教授も完璧ではないという自覚があるようだとロアルドは思った。
「短時間で私にその魔法を使えるようにするために初級から中級のものにしたのだ。それを使ってある書物を手に入れて欲しいと言われたのだ」
「ある書物?」
「その名は明かせないが、ローゼンタール王都学院図書館に寄贈されたという。その話を聞いて私は神官の中にそれを記憶した者がいるに違いないと思った」
「それがグレース姉さまだったのですね」
「彼女が所持していたのは偶然だった。たとえ彼女がその書物を記憶していなかったとしても彼女の価値が下がるわけではないよ、安心したまえ」安心を押しつけないで欲しいとロアルドは思った。
「私は君の姉君をとても評価している。たとえその書物の記憶を持っていなかったとしても、私の研究を手伝ってもらうにふさわしい才能を持っていると思っている。だからココットになってはくれまいかと彼女にもちかけたのだ。彼女も喜んで引き受けてくれたよ」
「それは教授がそのように導いたからです。精神支配系の魔法を少しずつ送り込んで自分に好意を持つように仕向けたのです」
「私がもつ精神支配系の魔法の威力などたかが知れているよ。彼女はそんなものがなくても私を手伝う運命にあった」
「こんどは運命ですか」
「私が南の大陸でアブドミア文明を知る魔法師に会ったのも運命。アカデミーの図書館でグレースに会ったのも運命だ。私は南の大陸の魔法師と契約を交わした。王都学院アカデミーの図書館で、ある書物を見つけ、その情報をまるごと持ち帰り、かの魔法師に渡す。その代わりにその見返りとして私は前世の記憶を持つ人物に会い、記憶を移植する魔法を教えてもらうのだ」
「本当にそんなことが可能だと思っているのですか。その魔法師が教授を操って魔術書を奪おうとしているとは思わなかったのですか」
「たとえそうであったとしてもさしたる問題はない。私はひとの記憶を手に入れる魔法を手に入れた。グレースの記憶を、グレースの脳内にある十万冊以上の図書の記憶を手に入れることができるのだ。それを使えばまた記憶を移植する方法にたどり着くことができると信じている」
「神官でもないあなたが、そんな膨大な量の記憶を手に入れて記憶できると思っているのですか? せいぜい魔術書一冊分の記憶くらいしか手に入れられないでしょう」
「やってみてから言うべきだね。何なら、十万冊以上と言われる彼女の本の記憶のみならず、彼女自身の記憶をごっそりもらい受けるということもトライしてみようか。そうやって彼女の記憶が私に入ってくる。これこそ私と彼女が一つになったということにならないか」
「あなたが持っている魔法はひとの記憶を奪うのですよね? 複写するのではなく奪う。 僕の姉からごっそりと記憶を奪って、姉には何が残るのです。もし何も残らないとしたら姉はどうなるのです?」
「抜け殻のようになってしまうかもしれないな。しかし、それだと少々問題だな。ならば私の持っている不要な記憶だけでも彼女に移すとするか。ふたりして二人分の記憶を持つことになる。これこそ二人が一つになった証ではないか」
とてもそこまでのことができるとは思えないが、この考え方は危険だとロアルドは思った。
彼が南の大陸の魔法師に操られていると思っていたが、それ以上のことをやろうとしている。
やはり今日この場で決着をつけなければならないのか。しかしどのようにアプローチすべきなのか。
「とんでもない魔力を感じるな。彼は君が連れてきたのかね?」スチュワート教授が言った。
「え?」
振り返った先にマルセルが立っていた。
マルセルがスナッチの圏内にいることはわかっていた。しかしまさかこの場に姿を現すとは思わなかった。
「ここへ来るのを手伝ってくれた僕の友人です」ロアルドは答えた。
「君は魔法を使えなかったな。魔法を使える者を連れてきていたということか。まあ妥当な判断だ」
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