上 下
78 / 91

闇落ち (カウンタークルー 高見澤神那)

しおりを挟む
 キッチンカウンターを通して赤塚亮子あかつかりょうこからオーダー品を受け取った高見澤神那たかみさわかんなは、いつもそうしているように愛嬌ある笑顔で亮子に挨拶を返し、レジカウンターに戻った。向こうには小さな子供を連れた母親が待っていた。トレイにオーダー品とセットのおもちゃを載せ、子供に得意のスマイルを送ると、その子は嬉しそうに手を振った。
「ごゆっくりどうぞ」と神那はマニュアル通りの声かけを行い、次の客を迎えた。「いらっしゃいませ、こんちには……」
 すでにランチタイムに入っていた店はふだん通りに混んでいた。このところ定位置となった二番レジ。神那はマイペースに仕事をすすめる。下手に焦ってもミスをするので自分のペースをしっかり守っている。一番レジの蒲田美香のような臨機応変な気配りも、三番レジの古木理緒のようなてきぱきとした要領の良い動きも自分にはできないことを神那は承知しているから、決して他人のやり方に惑わされることはなかった。それが安定している要因だとトレーナーの柚木璃瀬に褒められたことがあり、神那も自分のやり方が間違っていなかったと自信を持ったのだった。
 アルバイトをしたいと言った時、両親は揃って目を丸くした。温室育ちのあなたにそんなことができるわけないじゃないの、と母親は言い、何も今しなくても大学へ入れば家庭教師のアルバイトくらいさせてやるよ、と父親がわかった風なことを言った。お小遣いを上げて欲しいのかと付け加える有様だった。それが、お金のためではなく、さらにはファーストフードのアルバイトだと言うと、父親はさらに心配そうな顔をした。
「若い男の子たちがたくさん来るんだろう?」
 父親の発想は所詮そういうものだということを神那は思い知らされた。きっと若い頃に喫茶店のウェイトレスなどに声をかけたことがあるのだろう。自分のことを棚にあげるとはこういう時に使う言葉だろうと神那は思ったが、口には出さなかった。
 中学から栴檀せんだん女学院に通い、今年は高校二年生になった。周りに男子がいない状況にはすっかり慣れてしまった。異性に見られていないと思うと、娘たちはそれなりの行動をとる。学校の敷地に入ってしまえば、とても外では見せられないような醜態をさらすようになった。
 上品なお嬢様学校と内外ともに評価されているものの、その中の世界の主人公たちはいつの間にか、それぞれ老若男女の役割を割り振られて迫真の演技をする。
 オヤジ役を振られた子は、教室の席につくとサンダルに履き替え、股を大きく開いてふんぞり返り、裏庭ではタバコを吸った。
 エコに目覚めたオバサン娘は何でも綺麗に整頓されていないと気が済まず、周りにだらしのない子がいれば必ず注意をし、ごみをかき集め、「全く近頃の子は……」などという台詞を吐いた。
 細身長身の「美少年」は娘たちの羨望の的となり、常に多くのラブレターを集め、記念日には持ち帰れないほどのプレゼントを受け取った。
 外部の人間が下す、みんな揃ってお嬢様という世界では決してなかった。一つとして同じキャラクターは存在しない。それが栴檀女学院の伝統だと、神那は後になって知らされた。
 そして幸か不幸か、神那はもって生まれた容姿が娘役にぴったりとされ、学園の寵児となった。今神那は生徒会の副会長を務めている。
 他の女子校はどうなのだろう? 共学の学校は? 神那の興味は外へ向けられるようになった。そうなったのは神那が心より尊敬していた二つ上の生徒が卒業して行ったことが影響している。
 栴檀女学院には上級生に学園を統治するキングまたはクィーンと呼ぶべき存在がいて、教師たちの目の届かないところでその影響力を発揮していた。
 頂点を極める存在たちは、生徒の支持を集めて代々生徒会の会長になる。その会長に指名されたものが事実上次の会長になることが暗黙の了解となっていた。会長の選挙は立候補に対する投票ではあるが、学校側の知らぬところで生徒たちがその代の統治者を決めるというルールが出来上がっている。
 現在の生徒会長は三年生だ。会長は秋に行われる選挙で二年生の中から選ばれ、翌年の九月まで一年の任期とされていた。したがって現在副会長の神那が時期会長となることは半ば公認されている事実だった。
 しかし現会長にしろ、次期会長候補の神那にしろ、絶対的な支持を集めるほど強く人を惹きつける魅力は足りていなかった。
 三、四年前の世代に強烈な個性の女王がいたことが、その後のリーダーたちの魅力を半減させてしまう効果をもたらしたと神那は感じている。神那の考えでは今年卒業していった先輩が最後の逸材であり、自分の代も含めて今後は影響力のある人材はしばらく現れないだろうと誰もが見ている。
 神那の目は外を向くようになった。
 これまで女性の中に異性を見い出してきた神那だが、若い男たちのいる世界で過ごせば何か変わるものがあるかもしれないと考えたのだ。その一環として、ファーストフード店でのアルバイトがあった。そこで何かを見つける。忘れていた感覚を取り戻す。神那は意気込んでクイーンズサンドのアルバイト募集に応募した。結果は見事に採用。神那は勇んで明葉ビル店にやってきた。
 しかしそこで目にしたのは男たちの醜さだった。相手のことを少しも思いやらない稚拙な誘い、断られても懲りずに何度もおっかける執着心、言葉すらかけられずただじろじろと舐めるように見る粘着性、たまたま近くにいた人間がそうだったのかもしれないが、神那はすっかり幻滅してしまった。これなら栴檀の中にいる女生徒の方がよほどかっこよく男らしく見える。神那は次第に客に対する愛想と、スタッフに対する態度を使い分けるようになって行った。
 そしてそうした中で神那のこころを捉えたのは、やはり女性だった。
 赤塚亮子。明鏡大学生活科学部一年生。彼女は明鏡女子高校の出身で、現学部も八割が女子という学部であることもあり、女の世界の住人だった。必然、神那と共通するところがある。そのため亮子には女子校特有の異性の魅力を持ち合わせた女性の匂いが漂っていた。神那はすぐに亮子の虜となった。
 亮子が隣りのレジにいるときは、神那の気持ちは数倍高ぶった。ミスをしないよう気をつけていないと、ついつい客の声を聞き逃してしまう。亮子の話す声、亮子の靴音、亮子の放つほのかな匂い、それらすべてが神那の知覚を刺激した。亮子の笑顔を正面から見ることのできる客に激しい嫉妬を感じたこともある。
 こうした感情、感覚は去年の春以来だった。二年上の先輩女子が卒業して久しく感じたことのなかった気持ちの高ぶりである。亮子が明鏡大学の学生であることを聞きだした神那は、自分も明鏡大に進学したいと思ったほどだ。そういえば二年上の先輩も明鏡大へ進学したのではなかったか。
 いつしか神那は、唐突に亮子に聞いていた。話すきっかけになれば何でも良いのだ。
「あの、栴檀の卒業生で桜井陶子さくらいとうこという人が明鏡大の理工学部にいるんですけれど、ご存知ですか?」
「桜井?」
 学部も異なるし、明鏡大ほどのマンモス大学なら知っている方が奇蹟に近いと神那は思い直した。
「さあ、ごめんなさい。実は私、同じクラスの人間もまだろくに覚えていないの。明鏡女子高校の時の友人との付き合いがあるくらいで、新しく友人を作ったりしないし、今もこうして大学から離れてアルバイトをしている身だから」
「そうですよね」
 神那はさして落胆しなかった。今や桜井陶子よりも赤塚亮子の方が身近で気になる存在なのだ。
「でも、理工学部の女子って、少ないのよね。ひとりすごく綺麗で可愛い子がいたけれど、いつも男子学生と一緒にいるわね。その男子学生、キャンパスではイケメンとして有名なのよ」
「だったら違うようですわ」
 神那は否定した。桜井陶子が男に惹かれることなどありえないからだ。彼女は私を一人前にしてくれた。あの愛撫の仕方、口の這わせ方、指先の調べは栴檀の歴代女王から受け継がれてきたものだ。しかし今の自分にこれを伝える適当な後継者が見当たらないのが残念だった。
(亮子さん、あなたに教えて差し上げてもよろしいのです……)
 神那は本気でそれを考えていた。
 女子校出身の亮子ならきっとわかってくれるはずだ。神那は亮子の腰のくびれあたりから丸く絶妙に描かれた下半身のラインを舐めるように鑑賞した。これを見たとき、神那は亮子が桜井陶子とどことなく似ていることに気づいた。ああやはり自分は亮子の中に桜井陶子の影をみているのかと思ったくらいだ。陶子の呪縛から離れることはできないのか。
 そうした神那の意識の流れは、時としてたちまち断ち切られることがあった。それは二人の間の悩ましい空気をぶち壊す無粋な、男の視線だった。
 男の視線を浴びることはある程度覚悟をしていた。それはアルバイトをしたいと打ち明けた時に、余計な心配を見せた父親のことばを頭の中にしまいこんでいたからだ。
「パパが神那と同じ年頃の男の子だったら、神那のような可愛い子を絶対に放ってはおけないね。声をかける勇気がなかったとしても、常に影からじっと見つめているかもしれないよ」
 しかし西章則と田丸誠の視線はそのような生やさしいものではなかった。彼らの目線は視姦だった。自分と亮子は、この二人の頭の中で裸に剥かれ、良いように犯されている。彼らの卑猥な妄想を考えるだけで、神那は許せない怒りを感じた。
 何か行動しないととんでもない事態になってしまう。そう思った神那は店長である江尻マネージャーに相談したのだ。まともに話をしたことのない上司に相談するというのは、神那にとってもすごくストレスではあったが、瀬に腹は代えられなかった。
 江尻はやはり困った様子を顔に浮かべ、とりあえず善処するようなことを言ったが、神那は不満だった。西章則は、何だかんだと絶妙な理由をつけてキッチンを抜け出し、神那と亮子に遠慮のない視線を向けた。田丸誠は、口に出せない苛立ちをすべて見つめることで代償しようと神那の立ち居振る舞いを観察した。もはや耐えられない。彼らの冒涜こそ粛清されるべき対象だと神那は思いつめたのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

軍艦少女は死に至る夢を見る~戦時下の大日本帝国から始まる艦船擬人化物語~

takahiro
キャラ文芸
 『船魄』(せんぱく)とは、軍艦を自らの意のままに操る少女達である。船魄によって操られる艦艇、艦載機の能力は人間のそれを圧倒し、彼女達の前に人間は殲滅されるだけの存在なのだ。1944年10月に覚醒した最初の船魄、翔鶴型空母二番艦『瑞鶴』は、日本本土進攻を企てるアメリカ海軍と激闘を繰り広げ、ついに勝利を掴んだ。  しかし戦後、瑞鶴は帝国海軍を脱走し行方をくらませた。1955年、アメリカのキューバ侵攻に端を発する日米の軍事衝突の最中、瑞鶴は再び姿を現わし、帝国海軍と交戦状態に入った。瑞鶴の目的はともかくとして、船魄達を解放する戦いが始まったのである。瑞鶴が解放した重巡『妙高』『高雄』、いつの間にかいる空母『グラーフ・ツェッペリン』は『月虹』を名乗って、国家に属さない軍事力として活動を始める。だが、瑞鶴は大義やら何やらには興味がないので、利用できるものは何でも利用する。カリブ海の覇権を狙う日本・ドイツ・ソ連・アメリカの間をのらりくらりと行き交いながら、月虹は生存の道を探っていく。  登場する艦艇はなんと57隻!(2024/12/18時点)(人間のキャラは他に多数)(まだまだ増える)。人類に反旗を翻した軍艦達による、異色の艦船擬人化物語が、ここに始まる。  ――――――――――  ●本作のメインテーマは、あくまで(途中まで)史実の地球を舞台とし、そこに船魄(せんぱく)という異物を投入したらどうなるのか、です。いわゆる艦船擬人化ものですが、特に軍艦や歴史の知識がなくとも楽しめるようにしてあります。もちろん知識があった方が楽しめることは違いないですが。  ●なお軍人がたくさん出て来ますが、船魄同士の関係に踏み込むことはありません。つまり船魄達の人間関係としては百合しかありませんので、ご安心もしくはご承知おきを。かなりGLなので、もちろんがっつり性描写はないですが、苦手な方はダメかもしれません。  ●全ての船魄に挿絵ありですが、AI加筆なので雰囲気程度にお楽しみください。  ●少女たちの愛憎と謀略が絡まり合う、新感覚、リアル志向の艦船擬人化小説を是非お楽しみください。またお気に入りや感想などよろしくお願いします。  毎日一話投稿します。

シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜

長月京子
恋愛
学院には立ち入りを禁じられた場所があり、鬼が棲んでいるという噂がある。 朱里(あかり)はクラスメートと共に、禁じられた場所へ向かった。 禁じられた場所へ向かう途中、朱里は端正な容姿の男と出会う。 ――君が望むのなら、私は全身全霊をかけて護る。 不思議な言葉を残して立ち去った男。 その日を境に、朱里の周りで、説明のつかない不思議な出来事が起こり始める。 ※本文中のルビは読み方ではなく、意味合いの場合があります。

処理中です...