恋物語

藤谷 郁

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スーパーガール

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翌朝、私はアラームが鳴る前に、目を覚ました。


「あれ、ここは……?」


数秒後、ここが自分のアパートではないことを思い出し、跳び起きた。

この部屋は、棚橋さんが倉庫代わりに借りているという502号室。布団の周りに山積みになった本をぼんやり眺めてから、スマートフォンを確かめた。

午前5時45分。カーテン越しに射し込む朝陽が眩しい。


「あ、メールがきてる」


アプリを開くと、棚橋さんの名前が表示される。一瞬、驚くけれど、すぐに思い出す。昨夜、互いのアドレスを登録したのだった。

メールは寝ている間に届いたようだ。


《 おはようございます。僕は毎朝5時半から6時まで公園を散歩します。その間留守にしますが、部屋に入ってもいいですよ 今日もよろしくお願いします 》


「へえ、棚橋さんって早起きなんだ。健康的だなあ」


規則正しい生活ぶりに感心する。それに、今日もよろしくと添えるところが彼らしい。とても律義なメールだ。


「さっすが、棚橋さん。よし、今日も頑張るぞー!」


布団を片付け、顔を洗ってから、昨日買ってもらった着替えを身に着けた。Tシャツとパンツという色気のない格好だけど、動きやすい。


「それにしても、本当に本が好きなんだなあ」


布団の周りも本が山積みだったが、リビングもすごい。

壁際に大きな書棚が立ち、しかも、ぎちぎちに本が詰まっている。

部屋の中央には、小さな書棚が並び、歩く隙間もない。


「電子書籍に切り替えれば、かなり省スペースなのに」


でも、棚橋さんには紙の本が似合う。コーヒーを手に本を読む姿こそが、私の理想である文学青年なのだ。

バッグを肩に、玄関へと歩く。廊下にまで本の山が続くのを見て、ふと、ため息が出てしまった。

文学青年に憧れる私にとって、棚橋さんは理想的な男性。でも、こんなにも大量の本を目にすると、漫画や雑誌しか読まない自分など価値がないように思えてくる。

彼女になるなんて、到底無理な話ではないか。それ以前に、本当の姿を知られたら、嫌われてしまうだろう――学くんのように。


「あー、もう。そんなこと考えてる場合じゃない!」


ネガティブな感情から逃げるように、急いで玄関を出た。


棚橋さんは昨夜、いつでも出入りできるようにと、私に501号室の鍵を預けた。

カードキーで開錠しながら、少し心配になる。

いくら私が生活のサポートをすると言っても、こんな簡単に鍵を預けるなんて、信用しすぎでは?

職場で見る彼はしっかり者で、あらゆる面できちんとしている。それなのに、ちょっと呑気な気がした。


「なんて……そういう私も、棚橋さんのアパートで寝泊まりしてるし。お互い様かも」


普通の女子なら、こんな大胆なシチュエーションは無理だろう。

どんな紳士な男でも100パーセント信用などできない。相手が好きな男性であっても、恋人でもない人の部屋に泊まるのは危険だ。

私の場合、『男に負けない腕力』という悲しい自信があるから、できることなのだ。


(もし万が一、億が一、棚橋さんに襲われても……勝つことが可能だもの)


台所に入り、朝食の準備を始める。私は朝からたくさん食べるけど、棚橋さんは小食かな。スマートだし、余分な脂肪はつけたくないだろうな。

そんなことを考えながら目玉焼きを作っていると、玄関の開く音が聞こえた。振り向くと、清々しい笑顔の棚橋さんが現れる。


「ただいま。今日もよく晴れて、暑くなりそうだよ」

「……あ、お、お帰りなさい」


職場を離れた棚橋さんは、呑気と言うより、天然なのだ。

親しみのこもる挨拶に戸惑いつつ、私は幸せを感じるのだった。




私と棚橋さんの半同居生活は順調に続いた。

介助という慣れない作業が何とかなったのは、私がスポーツ学部の学生だったことが大きい。

骨折など負傷したアスリートをサポートする講義や実習を受けたことがあり、それが役に立った。

また、実際に介助することで、講義の内容をより理解できるため、勉強にもなる。

でも、私が何より嬉しいのは、棚橋さんと親しくなれたこと。生活をともにすることで、これまで知らなかった情報を得ることができる。

例えば、彼の実家は岐阜県にあり、家族は両親と弟が一人。大学進学時に上京したことなど、個人的な話を聞けた。

好きな本、好きな食べ物、好きな音楽など、趣味嗜好についても。

憧れの人に近付きすぎると幻滅するというが、彼の生の姿は、私をよりいっそう夢中にさせた。理想を壊されることなく、それどころか、新たな魅力を発見したりする。


私は充実している。幸せなのは間違いない。

ただ、この生活には妥協点があった。


私は、自分の本当の姿を晒さないために、彼に隠しごとをしている。

例えば、格闘技の選手だったこと。高校時代の部活動を訊かれた時、「空手部……」とうっかり答えてしまい、慌てて「の、マネージャーです」と付け足した。

自分のことを運動バカの怪力女ではなく、スポーツ好きの普通の女子であると偽ったため、これまでのようにジムに通えなくなった。

アイデンティティをないがしろにするのは不本意だが、妥協せざるをえない。

これほど密接に生活していると、ちょっとしたことで何もかもばれてしまいそうで、怖いのだ。

棚橋さんは、そんな私の恐れに、まったく気付かない。私の話すことをすべて信じ、好意的に接してくれる。

幸せだけど、隠しごとをしているという負い目が常にあった。自分自身をないがしろにしている、もどかしさも感じる。

でも、彼の笑顔を見ると、やっぱり幸せいっぱいになるのだ。

この生活には、いつか終わりが来ると知りながら、彼をますます好きになるのを止められなかった。

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