82 / 82
モース10【最終章】
2
しおりを挟む
高層ホテルの窓から見渡す世界は幻想的だった。
雪と、街の光。
まるで、この世に二人きりになったかのような感覚――
峰子はガウンを羽織り、窓辺に立った。恋人と久しぶりに肌を合わせた彼女の、満たされた表情がガラスに映る。
「えらく降ってきたな。明日は積もるぞ」
慧一が背後から近付き、後ろからくるむように抱いた。
「風邪引かないようにしなくちゃな」
慧一の体は温かい。
頼もしい腕に包まれて、峰子は心地よく、落ち着いた気分になる。
「そういえば、日本に帰る前にロンドンを観光したよ。同じ会社の人が案内してくれてさ」
「ロンドンを?」
雪降る東京の街を眺めながら、慧一がふいに話し始めた。
「見どころをいろいろ教えてもらったけど……君は大英博物館とか、行ってみたいだろ」
峰子は思わず慧一に振り向く。
「うん、もちろん。もう見てきたの?」
「いいや。俺はバッキンガム宮殿とかビッグベンとか、外から眺めただけ。あまり時間もなかったし。まあ、向こうに落ち着いたら二人でゆっくり周ろうぜ」
峰子はほっとする。
慧一が楽しみを取っておいてくれたのだと思い、嬉しかった。
「私、行ってみたいところが他にもあるの」
「ほう」
雪はさらに降りしきる。明日は銀世界になるだろう。
部屋の温度が下がった気がする。
慧一は峰子の体が冷えないよう、被さるように包み込んだ。
「その場所はね……」
「待った、当ててやるよ」
慧一はしばし考え、やがてある答えに行きつく。
「分かった、あれだ!」
クロゼットに吊るしたスーツを指した。
「サヴィルロウストリート。スーツのオーダー店が並ぶ通りだな」
「慧一さん、よく知ってる……当たりです」
峰子が目を丸くする。
「スーツフェチの峰子には堪らない聖地、だろ?」
「はい。イギリスはスーツの発祥地だし、本場のブリティッシュスタイルを見てみたい。必ず行ってみたいと思ってるんです。それに……」
慧一の腕をぎゅっと掴み、小さく言った。
「慧一さんを見つけたきっかけは、スーツなんです。あなたと今こうしていられるのはスーツのおかげだから、その聖地に、お礼に行きたいんです」
慧一は胸を衝かれた。
サヴィルロウストリートは、オーダー店の老舗が軒を連ねる通りの名称だ。サヴィルロウは、『背広』の語源になったとも言われる。
まさに、峰子にとって聖なる地。そして、縁結びの意味もある。
「……なるほど。それは、重要な場所だな」
峰子の体を強く抱いた。仄かな香りと、温もりが伝わってくる。
「俺は、ずっと寂しかった」
慧一の、心の底からの声が響く。
「君と一緒に居たい。いつも、いつまでも」
頬をすり寄せる。今夜は慧一も甘えたい気持ちになっていた。長旅の疲れも、緊張も、峰子の体温を感じることで、嘘のように解けていく。
「峰子、俺は嬉しい。君と出会えて、本当に……」
二人の出会いは確かに偶然かもしれない。だが慧一は、運命だと感じている。とても奇跡的な運命。
(俺は君のことを、ずっと前から知っていた。そんな気がする。多分、君も……)
唇を彼女のうなじに熱く押し付け、吐息まじりの囁きを、ほんのりと紅く染まった耳朶に与える。
「愛してるよ」
窓の外、降りしきる雪に目を当てたまま、峰子は頷く。
互いの心に、穏やかな熱情がこみ上げてくる。
「私も……愛してる。すごく、幸せです」
慧一は腕に力を込め、かけがえのない存在を抱きしめる。
「峰子」
雪に覆われた世界。
とても静かで、峰子は本当に、この世に二人きりでいるような気がした。
慧一は言葉を継げずにいる。
妻に甘えながら、もしかしたら泣いているのかもしれない。
「慧一さん」
峰子は夫と向き合い、彼の頬をそっと撫でた。
潤んだ瞳に、煌くエンゲージリングが映り込む。
「きれいだ」
寄り添い合い、鼓動を重ねた。
奇跡のような運命、そしてこれからの永遠を、互いの中にはっきりと見とめる。
心に生成された、それは何より確かな絆だった。
モース10――
二人はすべてに、感謝を捧げた。
雪と、街の光。
まるで、この世に二人きりになったかのような感覚――
峰子はガウンを羽織り、窓辺に立った。恋人と久しぶりに肌を合わせた彼女の、満たされた表情がガラスに映る。
「えらく降ってきたな。明日は積もるぞ」
慧一が背後から近付き、後ろからくるむように抱いた。
「風邪引かないようにしなくちゃな」
慧一の体は温かい。
頼もしい腕に包まれて、峰子は心地よく、落ち着いた気分になる。
「そういえば、日本に帰る前にロンドンを観光したよ。同じ会社の人が案内してくれてさ」
「ロンドンを?」
雪降る東京の街を眺めながら、慧一がふいに話し始めた。
「見どころをいろいろ教えてもらったけど……君は大英博物館とか、行ってみたいだろ」
峰子は思わず慧一に振り向く。
「うん、もちろん。もう見てきたの?」
「いいや。俺はバッキンガム宮殿とかビッグベンとか、外から眺めただけ。あまり時間もなかったし。まあ、向こうに落ち着いたら二人でゆっくり周ろうぜ」
峰子はほっとする。
慧一が楽しみを取っておいてくれたのだと思い、嬉しかった。
「私、行ってみたいところが他にもあるの」
「ほう」
雪はさらに降りしきる。明日は銀世界になるだろう。
部屋の温度が下がった気がする。
慧一は峰子の体が冷えないよう、被さるように包み込んだ。
「その場所はね……」
「待った、当ててやるよ」
慧一はしばし考え、やがてある答えに行きつく。
「分かった、あれだ!」
クロゼットに吊るしたスーツを指した。
「サヴィルロウストリート。スーツのオーダー店が並ぶ通りだな」
「慧一さん、よく知ってる……当たりです」
峰子が目を丸くする。
「スーツフェチの峰子には堪らない聖地、だろ?」
「はい。イギリスはスーツの発祥地だし、本場のブリティッシュスタイルを見てみたい。必ず行ってみたいと思ってるんです。それに……」
慧一の腕をぎゅっと掴み、小さく言った。
「慧一さんを見つけたきっかけは、スーツなんです。あなたと今こうしていられるのはスーツのおかげだから、その聖地に、お礼に行きたいんです」
慧一は胸を衝かれた。
サヴィルロウストリートは、オーダー店の老舗が軒を連ねる通りの名称だ。サヴィルロウは、『背広』の語源になったとも言われる。
まさに、峰子にとって聖なる地。そして、縁結びの意味もある。
「……なるほど。それは、重要な場所だな」
峰子の体を強く抱いた。仄かな香りと、温もりが伝わってくる。
「俺は、ずっと寂しかった」
慧一の、心の底からの声が響く。
「君と一緒に居たい。いつも、いつまでも」
頬をすり寄せる。今夜は慧一も甘えたい気持ちになっていた。長旅の疲れも、緊張も、峰子の体温を感じることで、嘘のように解けていく。
「峰子、俺は嬉しい。君と出会えて、本当に……」
二人の出会いは確かに偶然かもしれない。だが慧一は、運命だと感じている。とても奇跡的な運命。
(俺は君のことを、ずっと前から知っていた。そんな気がする。多分、君も……)
唇を彼女のうなじに熱く押し付け、吐息まじりの囁きを、ほんのりと紅く染まった耳朶に与える。
「愛してるよ」
窓の外、降りしきる雪に目を当てたまま、峰子は頷く。
互いの心に、穏やかな熱情がこみ上げてくる。
「私も……愛してる。すごく、幸せです」
慧一は腕に力を込め、かけがえのない存在を抱きしめる。
「峰子」
雪に覆われた世界。
とても静かで、峰子は本当に、この世に二人きりでいるような気がした。
慧一は言葉を継げずにいる。
妻に甘えながら、もしかしたら泣いているのかもしれない。
「慧一さん」
峰子は夫と向き合い、彼の頬をそっと撫でた。
潤んだ瞳に、煌くエンゲージリングが映り込む。
「きれいだ」
寄り添い合い、鼓動を重ねた。
奇跡のような運命、そしてこれからの永遠を、互いの中にはっきりと見とめる。
心に生成された、それは何より確かな絆だった。
モース10――
二人はすべてに、感謝を捧げた。
0
お気に入りに追加
23
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
ホリカヨは俺様上司を癒したい!
森永 陽月
恋愛
堀井嘉与子(ホリイカヨコ)は、普段は『大奥』でオハシタとして働く冴えないOLだが、副業では自分のコンプレックスを生かして働こうとしていた。
そこにやってきたのは、憧れの郡司透吏部長。
『郡司部長、私はあなたを癒したいです』
※他の投稿サイトにも載せています。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
トップシークレット☆桐島編 ~お嬢さま会長に恋した新米秘書~
日暮ミミ♪
恋愛
大財閥〈篠沢(しのざわ)グループ〉本社・篠沢商事に勤める25歳の桐島貢(きりしまみつぐ)。
彼は秋のある夜、上司の代理で出席した会社のパーティーで、会長令嬢で高校2年生の篠沢絢乃(しのざわあやの)に一目惚れ。
その三ヶ月後、会長・篠沢源一が末期ガンでこの世を去る。
葬儀の日、父の遺言により会長の後継者となった絢乃を支えるべく、秘書室へ転属する旨を彼女に伝える。
絢乃は無事、会長に就任。会長付秘書として働くことになった貢はある日、会社帰りの愛車の中で絢乃に衝動的にキスをしてしまい――!?
草食系男子の年上秘書×キュートな10代の大企業総帥による、年の差オフィスラブストーリーのヒーローサイド。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
10 sweet wedding
国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。

王宮に薬を届けに行ったなら
佐倉ミズキ
恋愛
王宮で薬師をしているラナは、上司の言いつけに従い王子殿下のカザヤに薬を届けに行った。
カザヤは生まれつき体が弱く、臥せっていることが多い。
この日もいつも通り、カザヤに薬を届けに行ったラナだが仕事終わりに届け忘れがあったことに気が付いた。
慌ててカザヤの部屋へ行くと、そこで目にしたものは……。
弱々しく臥せっているカザヤがベッドから起き上がり、元気に動き回っていたのだ。
「俺の秘密を知ったのだから部屋から出すわけにはいかない」
驚くラナに、カザヤは不敵な笑みを浮かべた。
「今日、国王が崩御する。だからお前を部屋から出すわけにはいかない」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる