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モース10【最終章】
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慧一と峰子が結婚式を挙げたのは十一月。
あれからひと月が過ぎ、今はクリスマスシーズンの真っ只中だ。
慧一の海外転勤が間近に迫っているため、二人は入籍後も各々の実家で生活を続けている。本格的な新婚生活は、転勤先のイングランドでスタートする。
「何だかドキドキするなあ」
空港へ向かうタクシーの中、峰子は頬を紅潮させた。
慧一は先週、現地での生活準備のため、イングランドに飛んだ。そして今夜の便で彼はいったん日本に戻り、いよいよ十日後、二人一緒に海を渡るのだ。
この一週間、峰子は寂しかった。
ほんの一週間彼と会わないだけで寂しいなんて、どうかしている。
情けなく、そしてくすぐったくもあった。 とにかく、結婚したばかりという状態はくすぐったくて仕方がないのである。
甘くて優しくて、幸せな時間そのもの。どうしても落ち着かない。
そんな日々の中、峰子は暇を見つけては自室の整理をした。
大量の同人誌はひとまず京子に預かってもらう。 実家に置くより、そのほうが自然に思えるから。
京子は快く引き受けてくれたが、預けに行った時、やはり寂しそうにした。
峰子は胸が痛んだが、別れ際に彼女が、『日曜日に、泉さんと美術館に行くの』と、頬を染めるのを見て、驚きと嬉しさで思わず抱き付いてしまった。
慧一と峰子の結婚式をきっかけに彼らは親しくなり、紆余曲折を経て進展したのだ。
「慧一さんは知ってるのかな。早く教えてあげなくちゃ」
イルミネーションが輝く空港に降り立ち、深呼吸をする。
息が白い。
微かに、雪の匂いがした。
「寒……」
マフラーを押さえる左手の薬指にはマリッジリング、そして重ね付けできるようデザインされたエンゲージリングが輝いている。
――本物のモース10だぜ、峰子。
指輪を峰子に贈る時、慧一が囁いた。
あらゆる鉱物の中で、飛びぬけた硬さを誇るダイヤモンド。そう、二人を結び付けたモースの指標である。
峰子は指輪を包むように右手を添え、到着ロビーで慧一を待った。
(慧一さん、まだかな)
同じ便で到着した乗客たちが次々と出て来るというのに、彼の姿は見えない。
(まだ来ない、まだ来ない、どうしたの? 早く来てくれないと……)
高鳴る胸の鼓動に揺さぶされ、倒れそうになる。もう限界だと目を閉じかけた瞬間、声が聞こえた。
「峰子、ただいま!」
見ると、陽気な彼の笑顔が瞳に飛び込んできた。
「慧一さんっ」
夫が帰ってきた。ただそれだけのことに感極まり、泣きそうになっている。
「どうした、寂しかったのか」
慧一は傍に来ると、目を潤ませる峰子の髪をそっと撫でた。
「わからない……けど、何だか」
もごもご言う妻の肩を抱き、彼は歩き出した。
「準備は整ったぜ。もういつでも生活できる。これからはずっと一緒にな」
「うん、うん……」
とても嬉しい。それでも峰子は泣きそうで、顔を上げられない。
(こんな頼りないことでどうするの。これから、慧一さんを支えていかなきゃ……なのに)
峰子は心で自分を叱る。
だけど感情を制御できず、しばらく彼の腕の中で甘えた。
「今夜は予定どおり東京に泊まるぞ」
タクシーに乗り込むと、慧一は峰子に告げた。
「ここのところ忙しかったからな、君へのサービスも込めて」
「ありがとう、慧一さん」
くっついてくる峰子を抱き寄せ、慧一は窓を見やった。
「おっ……珍しいな、雪だ」
夜の街に、白いかけらが降りてきた。
あれからひと月が過ぎ、今はクリスマスシーズンの真っ只中だ。
慧一の海外転勤が間近に迫っているため、二人は入籍後も各々の実家で生活を続けている。本格的な新婚生活は、転勤先のイングランドでスタートする。
「何だかドキドキするなあ」
空港へ向かうタクシーの中、峰子は頬を紅潮させた。
慧一は先週、現地での生活準備のため、イングランドに飛んだ。そして今夜の便で彼はいったん日本に戻り、いよいよ十日後、二人一緒に海を渡るのだ。
この一週間、峰子は寂しかった。
ほんの一週間彼と会わないだけで寂しいなんて、どうかしている。
情けなく、そしてくすぐったくもあった。 とにかく、結婚したばかりという状態はくすぐったくて仕方がないのである。
甘くて優しくて、幸せな時間そのもの。どうしても落ち着かない。
そんな日々の中、峰子は暇を見つけては自室の整理をした。
大量の同人誌はひとまず京子に預かってもらう。 実家に置くより、そのほうが自然に思えるから。
京子は快く引き受けてくれたが、預けに行った時、やはり寂しそうにした。
峰子は胸が痛んだが、別れ際に彼女が、『日曜日に、泉さんと美術館に行くの』と、頬を染めるのを見て、驚きと嬉しさで思わず抱き付いてしまった。
慧一と峰子の結婚式をきっかけに彼らは親しくなり、紆余曲折を経て進展したのだ。
「慧一さんは知ってるのかな。早く教えてあげなくちゃ」
イルミネーションが輝く空港に降り立ち、深呼吸をする。
息が白い。
微かに、雪の匂いがした。
「寒……」
マフラーを押さえる左手の薬指にはマリッジリング、そして重ね付けできるようデザインされたエンゲージリングが輝いている。
――本物のモース10だぜ、峰子。
指輪を峰子に贈る時、慧一が囁いた。
あらゆる鉱物の中で、飛びぬけた硬さを誇るダイヤモンド。そう、二人を結び付けたモースの指標である。
峰子は指輪を包むように右手を添え、到着ロビーで慧一を待った。
(慧一さん、まだかな)
同じ便で到着した乗客たちが次々と出て来るというのに、彼の姿は見えない。
(まだ来ない、まだ来ない、どうしたの? 早く来てくれないと……)
高鳴る胸の鼓動に揺さぶされ、倒れそうになる。もう限界だと目を閉じかけた瞬間、声が聞こえた。
「峰子、ただいま!」
見ると、陽気な彼の笑顔が瞳に飛び込んできた。
「慧一さんっ」
夫が帰ってきた。ただそれだけのことに感極まり、泣きそうになっている。
「どうした、寂しかったのか」
慧一は傍に来ると、目を潤ませる峰子の髪をそっと撫でた。
「わからない……けど、何だか」
もごもご言う妻の肩を抱き、彼は歩き出した。
「準備は整ったぜ。もういつでも生活できる。これからはずっと一緒にな」
「うん、うん……」
とても嬉しい。それでも峰子は泣きそうで、顔を上げられない。
(こんな頼りないことでどうするの。これから、慧一さんを支えていかなきゃ……なのに)
峰子は心で自分を叱る。
だけど感情を制御できず、しばらく彼の腕の中で甘えた。
「今夜は予定どおり東京に泊まるぞ」
タクシーに乗り込むと、慧一は峰子に告げた。
「ここのところ忙しかったからな、君へのサービスも込めて」
「ありがとう、慧一さん」
くっついてくる峰子を抱き寄せ、慧一は窓を見やった。
「おっ……珍しいな、雪だ」
夜の街に、白いかけらが降りてきた。
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