81 / 82
モース10【最終章】
1
しおりを挟む
慧一と峰子が結婚式を挙げたのは十一月。
あれからひと月が過ぎ、今はクリスマスシーズンの真っ只中だ。
慧一の海外転勤が間近に迫っているため、二人は入籍後も各々の実家で生活を続けている。本格的な新婚生活は、転勤先のイングランドでスタートする。
「何だかドキドキするなあ」
空港へ向かうタクシーの中、峰子は頬を紅潮させた。
慧一は先週、現地での生活準備のため、イングランドに飛んだ。そして今夜の便で彼はいったん日本に戻り、いよいよ十日後、二人一緒に海を渡るのだ。
この一週間、峰子は寂しかった。
ほんの一週間彼と会わないだけで寂しいなんて、どうかしている。
情けなく、そしてくすぐったくもあった。 とにかく、結婚したばかりという状態はくすぐったくて仕方がないのである。
甘くて優しくて、幸せな時間そのもの。どうしても落ち着かない。
そんな日々の中、峰子は暇を見つけては自室の整理をした。
大量の同人誌はひとまず京子に預かってもらう。 実家に置くより、そのほうが自然に思えるから。
京子は快く引き受けてくれたが、預けに行った時、やはり寂しそうにした。
峰子は胸が痛んだが、別れ際に彼女が、『日曜日に、泉さんと美術館に行くの』と、頬を染めるのを見て、驚きと嬉しさで思わず抱き付いてしまった。
慧一と峰子の結婚式をきっかけに彼らは親しくなり、紆余曲折を経て進展したのだ。
「慧一さんは知ってるのかな。早く教えてあげなくちゃ」
イルミネーションが輝く空港に降り立ち、深呼吸をする。
息が白い。
微かに、雪の匂いがした。
「寒……」
マフラーを押さえる左手の薬指にはマリッジリング、そして重ね付けできるようデザインされたエンゲージリングが輝いている。
――本物のモース10だぜ、峰子。
指輪を峰子に贈る時、慧一が囁いた。
あらゆる鉱物の中で、飛びぬけた硬さを誇るダイヤモンド。そう、二人を結び付けたモースの指標である。
峰子は指輪を包むように右手を添え、到着ロビーで慧一を待った。
(慧一さん、まだかな)
同じ便で到着した乗客たちが次々と出て来るというのに、彼の姿は見えない。
(まだ来ない、まだ来ない、どうしたの? 早く来てくれないと……)
高鳴る胸の鼓動に揺さぶされ、倒れそうになる。もう限界だと目を閉じかけた瞬間、声が聞こえた。
「峰子、ただいま!」
見ると、陽気な彼の笑顔が瞳に飛び込んできた。
「慧一さんっ」
夫が帰ってきた。ただそれだけのことに感極まり、泣きそうになっている。
「どうした、寂しかったのか」
慧一は傍に来ると、目を潤ませる峰子の髪をそっと撫でた。
「わからない……けど、何だか」
もごもご言う妻の肩を抱き、彼は歩き出した。
「準備は整ったぜ。もういつでも生活できる。これからはずっと一緒にな」
「うん、うん……」
とても嬉しい。それでも峰子は泣きそうで、顔を上げられない。
(こんな頼りないことでどうするの。これから、慧一さんを支えていかなきゃ……なのに)
峰子は心で自分を叱る。
だけど感情を制御できず、しばらく彼の腕の中で甘えた。
「今夜は予定どおり東京に泊まるぞ」
タクシーに乗り込むと、慧一は峰子に告げた。
「ここのところ忙しかったからな、君へのサービスも込めて」
「ありがとう、慧一さん」
くっついてくる峰子を抱き寄せ、慧一は窓を見やった。
「おっ……珍しいな、雪だ」
夜の街に、白いかけらが降りてきた。
あれからひと月が過ぎ、今はクリスマスシーズンの真っ只中だ。
慧一の海外転勤が間近に迫っているため、二人は入籍後も各々の実家で生活を続けている。本格的な新婚生活は、転勤先のイングランドでスタートする。
「何だかドキドキするなあ」
空港へ向かうタクシーの中、峰子は頬を紅潮させた。
慧一は先週、現地での生活準備のため、イングランドに飛んだ。そして今夜の便で彼はいったん日本に戻り、いよいよ十日後、二人一緒に海を渡るのだ。
この一週間、峰子は寂しかった。
ほんの一週間彼と会わないだけで寂しいなんて、どうかしている。
情けなく、そしてくすぐったくもあった。 とにかく、結婚したばかりという状態はくすぐったくて仕方がないのである。
甘くて優しくて、幸せな時間そのもの。どうしても落ち着かない。
そんな日々の中、峰子は暇を見つけては自室の整理をした。
大量の同人誌はひとまず京子に預かってもらう。 実家に置くより、そのほうが自然に思えるから。
京子は快く引き受けてくれたが、預けに行った時、やはり寂しそうにした。
峰子は胸が痛んだが、別れ際に彼女が、『日曜日に、泉さんと美術館に行くの』と、頬を染めるのを見て、驚きと嬉しさで思わず抱き付いてしまった。
慧一と峰子の結婚式をきっかけに彼らは親しくなり、紆余曲折を経て進展したのだ。
「慧一さんは知ってるのかな。早く教えてあげなくちゃ」
イルミネーションが輝く空港に降り立ち、深呼吸をする。
息が白い。
微かに、雪の匂いがした。
「寒……」
マフラーを押さえる左手の薬指にはマリッジリング、そして重ね付けできるようデザインされたエンゲージリングが輝いている。
――本物のモース10だぜ、峰子。
指輪を峰子に贈る時、慧一が囁いた。
あらゆる鉱物の中で、飛びぬけた硬さを誇るダイヤモンド。そう、二人を結び付けたモースの指標である。
峰子は指輪を包むように右手を添え、到着ロビーで慧一を待った。
(慧一さん、まだかな)
同じ便で到着した乗客たちが次々と出て来るというのに、彼の姿は見えない。
(まだ来ない、まだ来ない、どうしたの? 早く来てくれないと……)
高鳴る胸の鼓動に揺さぶされ、倒れそうになる。もう限界だと目を閉じかけた瞬間、声が聞こえた。
「峰子、ただいま!」
見ると、陽気な彼の笑顔が瞳に飛び込んできた。
「慧一さんっ」
夫が帰ってきた。ただそれだけのことに感極まり、泣きそうになっている。
「どうした、寂しかったのか」
慧一は傍に来ると、目を潤ませる峰子の髪をそっと撫でた。
「わからない……けど、何だか」
もごもご言う妻の肩を抱き、彼は歩き出した。
「準備は整ったぜ。もういつでも生活できる。これからはずっと一緒にな」
「うん、うん……」
とても嬉しい。それでも峰子は泣きそうで、顔を上げられない。
(こんな頼りないことでどうするの。これから、慧一さんを支えていかなきゃ……なのに)
峰子は心で自分を叱る。
だけど感情を制御できず、しばらく彼の腕の中で甘えた。
「今夜は予定どおり東京に泊まるぞ」
タクシーに乗り込むと、慧一は峰子に告げた。
「ここのところ忙しかったからな、君へのサービスも込めて」
「ありがとう、慧一さん」
くっついてくる峰子を抱き寄せ、慧一は窓を見やった。
「おっ……珍しいな、雪だ」
夜の街に、白いかけらが降りてきた。
0
お気に入りに追加
23
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
ホリカヨは俺様上司を癒したい!
森永 陽月
恋愛
堀井嘉与子(ホリイカヨコ)は、普段は『大奥』でオハシタとして働く冴えないOLだが、副業では自分のコンプレックスを生かして働こうとしていた。
そこにやってきたのは、憧れの郡司透吏部長。
『郡司部長、私はあなたを癒したいです』
※他の投稿サイトにも載せています。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。

淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
カモフラ婚~CEOは溺愛したくてたまらない!~
伊吹美香
恋愛
ウエディングプランナーとして働く菱崎由華
結婚式当日に花嫁に逃げられた建築会社CEOの月城蒼空
幼馴染の二人が偶然再会し、花嫁に逃げられた蒼空のメンツのために、カモフラージュ婚をしてしまう二人。
割り切った結婚かと思いきや、小さいころからずっと由華のことを想っていた蒼空が、このチャンスを逃すはずがない。
思いっきり溺愛する蒼空に、由華は翻弄されまくりでパニック。
二人の結婚生活は一体どうなる?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる