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滝口家
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「いいお爺さんですね」
峰子は心からそう思った。
ほんの短い時間でも、爺の人柄をよく分かることができた。
「そうだな。石田の爺さんは頼りになるよ。八十になるらしいけど、そうは思えないほどタフだし、機転は利くし」
「うふふ。妖怪じゃなくて、妖精さんかも」
「へ?」
「ううん、何でもない」
慧一は不思議そうにするが、深く追及しない。峰子の手を取り、両親の待つ家に連れて行く。
「まあ、リラックスしろ。俺が付いてる」
「はい、慧一さん」
「という俺も、峰子のお父さんに挨拶する時、ガチガチだったけど」
慧一は数日前、峰子の父親に結婚の意思を告げるため、三原家を訪ねた。かなり緊張したが、母親の後押しもあり、意外にすんなりと許してもらえた。
むしろ弟の智樹が難色を示し、峰子を驚かせた。
「弟は私と違って、甘やかされてます。多少だらしなくても、勉強をさぼっても大目に見てもらえて、それなのになぜか学校の成績はいいんですよ。友達も多いし、不思議ですよね」
峰子の言葉には愛情がこもっていて、ちょっと妬けてしまう。だけど、そんな姉だからこそ、弟は幸せを願い、慎重になるのだろう。
最後は渋々ながらも納得してくれた智樹に、慧一は感謝した。
「ま、とにかく大丈夫。親父もお袋も、君を歓迎してるよ。どうぞ、お上がりください」
慧一は門扉を開けて、峰子を案内する。客間では、いまかいまかと両親が待ちかねていた。
息子が紹介する女性を前に、父母は驚きと戸惑いを隠せなかった。
まず二十歳という若さが想定外である。
そして、この礼儀正しく真面目そうな女性を、我が家の派手好き長男が本当に選んだのか? と、嬉しい反面、大いに不安だった。
(何かの間違いじゃないか)
両親は、峰子の横でリラックスする息子を、まじまじと見つめた。
(本当に真面目な交際をしているのだろうか)
あからさまな、疑いの眼である。
慧一はその視線を受け止めると、わざとらしく真顔を作り、
「何です? 僕の顔になにか付いてますか」
とぼけた物言いをする。
母親は頬をひきつらせるが、ぐっと堪えて峰子に尋ねた。
「あの、もう一度確認させてもらってもいいかしら。峰子さんは本当に、この慧一と結婚してもいいと、考えてくださっているのね?」
父親も身を乗り出し、返事を聞き間違えないよう耳をそばだてる。
両親の態度は心外だが、慧一の女性遍歴を考えれば無理もない。これまで彼は、主に派手系美人と付き合ってきたのだ。
峰子は180度反対の地味なタイプ。見た目も、美人というより可愛い。もっと言えば、幼さすら感じられる。
「どうかしら、峰子さん。正直に答えてくださってもいいのよ?」
「は、はいっ」
峰子は震える指先で眼鏡の位置を直すと、慧一の両親を真っ直ぐに見て、はっきりと答えた。
「私は、慧一さんと結婚したいです。そして、一緒にイギリスに付いて行くつもりです」
両親は感無量といった顔で、ソファに凭れた。
冗談でも嘘でもない。この女性は本気だ。本気で息子と一緒になりたい……いや、なると決意している。
しかも、遠い海の向こうまで同行すると、そこまで言ってくれた。
八つも年上の息子のために、これからいくらでも良い相手を見つけられるであろう若い娘さんが……
「夢じゃないわよね」
「分からんぞ、母さん。夢かもしれん」
両親がうろたえるのを見て、慧一はさすがに呆れた。
「どういう意味だよ。まったく、失礼しちゃうな」
息子が口を尖らせるので、父親が慌てて取り繕う。
「いやいや、しかし嬉しいよ。慧一がこんな良い人に面倒を見てもらえるとは。これで父さんたちも安心だ」
「ちょっと待ってくれよ。面倒見てもらうってのは変な言い方だな。まるで俺が子どもみたいじゃないか」
「あ、そうか。こりゃ悪かった」
峰子が口もとを押さえ、笑うのを堪えるのが分かった。
彼女の前で子ども扱いされた慧一はばつが悪く、苦笑するほかない。
「それで、峰子さんのご両親には、挨拶が済んでいるのね」
「ああ。結婚を承諾してもらえたよ」
母親は頷くと、慧一と峰子に膝を詰めてきた。
「そうと決まれば、結婚準備ね。早速、具体的な話に取り掛かりましょ」
母親はいきなり前のめりになった。つい最近、次男の結婚式を経験したばかりだ。段取りや流れは把握している。
「おいおい母さん。まずは顔合わせして、それから両家で話し合っていろいろ決めなきゃ、三原さんに失礼だろう」
夫にたしなめられ、彼女は「あらっ」と気が付く。
「そういえば、そうだわね。ほほほ、嬉しくてつい張り切っちゃったわ。ごめんね、峰子さん」
「い、いえ、そんな」
慧一は母親似だと、峰子は思った。
整った顔立ちも、積極的で明るい性格も。その明るさは、峰子の緊張を解してくれた。
峰子は昨夜、挨拶の言葉をあれこれ考えてしまい、なかなか眠れなかった。
失礼があったらどうしよう。もし嫌われてしまったら……ネガティブな想像に押し潰されそうになった。
けれど……
慧一が生まれ育った土地を歩き、彼をよく知る老人に親切にされ、そして彼の父母と言葉を交わすうちに、不安も恐れもどこかへ飛んでいった。
これから先、未来の出来事は、自分はもちろん誰にも分からない。
さまざまなことが起こるだろう。
でも大丈夫。私はやっていけると峰子は感じた。
慧一の両親に温かく迎えられ、自然に笑みがこぼれる。
ありがとうございます――
胸の中で、感謝の言葉をつぶやいた。
峰子は心からそう思った。
ほんの短い時間でも、爺の人柄をよく分かることができた。
「そうだな。石田の爺さんは頼りになるよ。八十になるらしいけど、そうは思えないほどタフだし、機転は利くし」
「うふふ。妖怪じゃなくて、妖精さんかも」
「へ?」
「ううん、何でもない」
慧一は不思議そうにするが、深く追及しない。峰子の手を取り、両親の待つ家に連れて行く。
「まあ、リラックスしろ。俺が付いてる」
「はい、慧一さん」
「という俺も、峰子のお父さんに挨拶する時、ガチガチだったけど」
慧一は数日前、峰子の父親に結婚の意思を告げるため、三原家を訪ねた。かなり緊張したが、母親の後押しもあり、意外にすんなりと許してもらえた。
むしろ弟の智樹が難色を示し、峰子を驚かせた。
「弟は私と違って、甘やかされてます。多少だらしなくても、勉強をさぼっても大目に見てもらえて、それなのになぜか学校の成績はいいんですよ。友達も多いし、不思議ですよね」
峰子の言葉には愛情がこもっていて、ちょっと妬けてしまう。だけど、そんな姉だからこそ、弟は幸せを願い、慎重になるのだろう。
最後は渋々ながらも納得してくれた智樹に、慧一は感謝した。
「ま、とにかく大丈夫。親父もお袋も、君を歓迎してるよ。どうぞ、お上がりください」
慧一は門扉を開けて、峰子を案内する。客間では、いまかいまかと両親が待ちかねていた。
息子が紹介する女性を前に、父母は驚きと戸惑いを隠せなかった。
まず二十歳という若さが想定外である。
そして、この礼儀正しく真面目そうな女性を、我が家の派手好き長男が本当に選んだのか? と、嬉しい反面、大いに不安だった。
(何かの間違いじゃないか)
両親は、峰子の横でリラックスする息子を、まじまじと見つめた。
(本当に真面目な交際をしているのだろうか)
あからさまな、疑いの眼である。
慧一はその視線を受け止めると、わざとらしく真顔を作り、
「何です? 僕の顔になにか付いてますか」
とぼけた物言いをする。
母親は頬をひきつらせるが、ぐっと堪えて峰子に尋ねた。
「あの、もう一度確認させてもらってもいいかしら。峰子さんは本当に、この慧一と結婚してもいいと、考えてくださっているのね?」
父親も身を乗り出し、返事を聞き間違えないよう耳をそばだてる。
両親の態度は心外だが、慧一の女性遍歴を考えれば無理もない。これまで彼は、主に派手系美人と付き合ってきたのだ。
峰子は180度反対の地味なタイプ。見た目も、美人というより可愛い。もっと言えば、幼さすら感じられる。
「どうかしら、峰子さん。正直に答えてくださってもいいのよ?」
「は、はいっ」
峰子は震える指先で眼鏡の位置を直すと、慧一の両親を真っ直ぐに見て、はっきりと答えた。
「私は、慧一さんと結婚したいです。そして、一緒にイギリスに付いて行くつもりです」
両親は感無量といった顔で、ソファに凭れた。
冗談でも嘘でもない。この女性は本気だ。本気で息子と一緒になりたい……いや、なると決意している。
しかも、遠い海の向こうまで同行すると、そこまで言ってくれた。
八つも年上の息子のために、これからいくらでも良い相手を見つけられるであろう若い娘さんが……
「夢じゃないわよね」
「分からんぞ、母さん。夢かもしれん」
両親がうろたえるのを見て、慧一はさすがに呆れた。
「どういう意味だよ。まったく、失礼しちゃうな」
息子が口を尖らせるので、父親が慌てて取り繕う。
「いやいや、しかし嬉しいよ。慧一がこんな良い人に面倒を見てもらえるとは。これで父さんたちも安心だ」
「ちょっと待ってくれよ。面倒見てもらうってのは変な言い方だな。まるで俺が子どもみたいじゃないか」
「あ、そうか。こりゃ悪かった」
峰子が口もとを押さえ、笑うのを堪えるのが分かった。
彼女の前で子ども扱いされた慧一はばつが悪く、苦笑するほかない。
「それで、峰子さんのご両親には、挨拶が済んでいるのね」
「ああ。結婚を承諾してもらえたよ」
母親は頷くと、慧一と峰子に膝を詰めてきた。
「そうと決まれば、結婚準備ね。早速、具体的な話に取り掛かりましょ」
母親はいきなり前のめりになった。つい最近、次男の結婚式を経験したばかりだ。段取りや流れは把握している。
「おいおい母さん。まずは顔合わせして、それから両家で話し合っていろいろ決めなきゃ、三原さんに失礼だろう」
夫にたしなめられ、彼女は「あらっ」と気が付く。
「そういえば、そうだわね。ほほほ、嬉しくてつい張り切っちゃったわ。ごめんね、峰子さん」
「い、いえ、そんな」
慧一は母親似だと、峰子は思った。
整った顔立ちも、積極的で明るい性格も。その明るさは、峰子の緊張を解してくれた。
峰子は昨夜、挨拶の言葉をあれこれ考えてしまい、なかなか眠れなかった。
失礼があったらどうしよう。もし嫌われてしまったら……ネガティブな想像に押し潰されそうになった。
けれど……
慧一が生まれ育った土地を歩き、彼をよく知る老人に親切にされ、そして彼の父母と言葉を交わすうちに、不安も恐れもどこかへ飛んでいった。
これから先、未来の出来事は、自分はもちろん誰にも分からない。
さまざまなことが起こるだろう。
でも大丈夫。私はやっていけると峰子は感じた。
慧一の両親に温かく迎えられ、自然に笑みがこぼれる。
ありがとうございます――
胸の中で、感謝の言葉をつぶやいた。
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