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彼女のホーム
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峰子は誰かと密に付き合うのが苦手なはずだ。
それなのに、彼と二人きりで旅行なんて、信じられない。恋人になったとは聞いたが、いくら何でも早すぎる。
京子は、二人のスピード展開についていけず、混乱した。
しかし、ふと思い出す。慧一との電話で、京子はモースになぞらえて、彼に結婚を示唆した。もしやあれが刺激になって……?
京子は自分のことのように、どきどきしてきた。
「待って、峰子ちゃん。もしかして、ひょっとすると」
「は、はい?」
「プロポーズされたとか!?」
「あ……っ」
峰子は手にした同人誌を、バサッと落とした。どうやら図星である。
「京子ちゃん、私……」
峰子は言おうと思っていた。
京子にだけは、必ず早く言おうと決めていたのだ。
だけど、いざとなると切り出せない。つまりそれは、しばしの別れを意味する報告でもあるから。
「いやいや待って、峰子ちゃん。まず言わせてほしいのよ、私から」
「えっ?」
京子は峰子の手を握り締めると、視線を合わせてから静かに伝えた。
「おめでとう」
京子の手の平はジュースのパックで冷えていたが、すぐに温もった。峰子が強い力で握り返したから。
「京子ちゃん、私……すぐに言おうと思ってたの。だけど」
「うんうん」
分かってほしくて一生懸命な峰子の手を、京子もぎゅっと握り返す。
「大丈夫、ちゃんと伝わってるよ」
後悔が押し寄せるのを、峰子は止められなかった。
どうしてもっと彼女と二人きりで食事をしたり、旅行をしたり、親密に付き合えなかったのだろう。峰子の性格を理解し、適度な距離を置いてくれるこの優しい友人と、どうして手のひとつも繋がずにこられたのだろう。
「京子ちゃん。私、外国に行くの。慧一さんと結婚したら、イギリスに」
「え……?」
スペースの前を、ひっきりなしに人が行き交う。時間は流れる。物事は形を変えてゆく。
「こういうの、なんて言ったっけか。ゆく河の流れは絶えずして……方丈記だっけ」
京子は泣きそうになりながら、やっと笑う。峰子も釣られて語尾が震えた。
「でも、ずっとじゃないよ。きっと帰ってくるから」
「そう、そっか。そう……」
失いかけて初めて知る、その人の大切さ。
峰子は今、他人事のように思っていた言葉を、骨身に沁みて実感した。
しみじみとした気持ちで、二人は向き合う。
感情の高ぶりを抑え、峰子が現状を少しずつ話すのを、京子は黙って聞いた。
「じゃあ、互いの親には、まだ何も言ってないの?」
「うん。私、慧一さんのご両親の顔も知らなくて」
京子はしばし考え込むが、突然、「あっ」と声を上げる。
「そういえば慧一さんが、今日は誰かと一緒に来るって言ってた。確か、身内の人だとか」
「ええっ!?」
峰子は打たれたように、椅子から立ち上がった。
「ここへ? お家の人と一緒に来るの?」
「う、うん、多分? だって身内というと、やっぱりそうだよね」
「嘘、困る。そんなのは」
峰子は大いにうろたえ、テーブルに並ぶ同人誌の数々を見回す。ここは腐女子のジャンル、BLコーナーなのだ。
「どうしよう、京子ちゃん!」
「ど、どうしようって……あっ」
京子にも打つ手はない。
なぜなら、彼女の視界には既に、片手を上げて合図する滝口慧一の姿があった。
「覚悟を決めるしかないよ、峰子ちゃん。慧一さんだって考えがあるはずだよきっと」
京子は峰子を励まし、慧一が来るほうへ彼女の体を向けさせた。
「きちんと挨拶して、とにかく失礼のないようにするの。大丈夫よ」
「う、うん」
京子のアドバイスを聞きながら、峰子はめまいがしそうだった。こんなの、サプライズなんてものではない。奇襲だ、夜襲だ、あんまりだ!
峰子の心情をよそに、慧一がどんどん近付いてくる。
彼はスーツ姿だ。
とても素敵だけれど、今は見惚れる余裕がない。
彼はニコニコしている。
峰子の驚く顔を見て、満足するかのように。
(本当に、なんて人だろう)
後ろに誰かいる。きっと彼のお母さんだと峰子は思い、緊張する。
それなのに、彼と二人きりで旅行なんて、信じられない。恋人になったとは聞いたが、いくら何でも早すぎる。
京子は、二人のスピード展開についていけず、混乱した。
しかし、ふと思い出す。慧一との電話で、京子はモースになぞらえて、彼に結婚を示唆した。もしやあれが刺激になって……?
京子は自分のことのように、どきどきしてきた。
「待って、峰子ちゃん。もしかして、ひょっとすると」
「は、はい?」
「プロポーズされたとか!?」
「あ……っ」
峰子は手にした同人誌を、バサッと落とした。どうやら図星である。
「京子ちゃん、私……」
峰子は言おうと思っていた。
京子にだけは、必ず早く言おうと決めていたのだ。
だけど、いざとなると切り出せない。つまりそれは、しばしの別れを意味する報告でもあるから。
「いやいや待って、峰子ちゃん。まず言わせてほしいのよ、私から」
「えっ?」
京子は峰子の手を握り締めると、視線を合わせてから静かに伝えた。
「おめでとう」
京子の手の平はジュースのパックで冷えていたが、すぐに温もった。峰子が強い力で握り返したから。
「京子ちゃん、私……すぐに言おうと思ってたの。だけど」
「うんうん」
分かってほしくて一生懸命な峰子の手を、京子もぎゅっと握り返す。
「大丈夫、ちゃんと伝わってるよ」
後悔が押し寄せるのを、峰子は止められなかった。
どうしてもっと彼女と二人きりで食事をしたり、旅行をしたり、親密に付き合えなかったのだろう。峰子の性格を理解し、適度な距離を置いてくれるこの優しい友人と、どうして手のひとつも繋がずにこられたのだろう。
「京子ちゃん。私、外国に行くの。慧一さんと結婚したら、イギリスに」
「え……?」
スペースの前を、ひっきりなしに人が行き交う。時間は流れる。物事は形を変えてゆく。
「こういうの、なんて言ったっけか。ゆく河の流れは絶えずして……方丈記だっけ」
京子は泣きそうになりながら、やっと笑う。峰子も釣られて語尾が震えた。
「でも、ずっとじゃないよ。きっと帰ってくるから」
「そう、そっか。そう……」
失いかけて初めて知る、その人の大切さ。
峰子は今、他人事のように思っていた言葉を、骨身に沁みて実感した。
しみじみとした気持ちで、二人は向き合う。
感情の高ぶりを抑え、峰子が現状を少しずつ話すのを、京子は黙って聞いた。
「じゃあ、互いの親には、まだ何も言ってないの?」
「うん。私、慧一さんのご両親の顔も知らなくて」
京子はしばし考え込むが、突然、「あっ」と声を上げる。
「そういえば慧一さんが、今日は誰かと一緒に来るって言ってた。確か、身内の人だとか」
「ええっ!?」
峰子は打たれたように、椅子から立ち上がった。
「ここへ? お家の人と一緒に来るの?」
「う、うん、多分? だって身内というと、やっぱりそうだよね」
「嘘、困る。そんなのは」
峰子は大いにうろたえ、テーブルに並ぶ同人誌の数々を見回す。ここは腐女子のジャンル、BLコーナーなのだ。
「どうしよう、京子ちゃん!」
「ど、どうしようって……あっ」
京子にも打つ手はない。
なぜなら、彼女の視界には既に、片手を上げて合図する滝口慧一の姿があった。
「覚悟を決めるしかないよ、峰子ちゃん。慧一さんだって考えがあるはずだよきっと」
京子は峰子を励まし、慧一が来るほうへ彼女の体を向けさせた。
「きちんと挨拶して、とにかく失礼のないようにするの。大丈夫よ」
「う、うん」
京子のアドバイスを聞きながら、峰子はめまいがしそうだった。こんなの、サプライズなんてものではない。奇襲だ、夜襲だ、あんまりだ!
峰子の心情をよそに、慧一がどんどん近付いてくる。
彼はスーツ姿だ。
とても素敵だけれど、今は見惚れる余裕がない。
彼はニコニコしている。
峰子の驚く顔を見て、満足するかのように。
(本当に、なんて人だろう)
後ろに誰かいる。きっと彼のお母さんだと峰子は思い、緊張する。
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