モース10

藤谷 郁

文字の大きさ
上 下
76 / 82
彼女のホーム

しおりを挟む
 国際展示場は、全国から集まったオタク・腐女子のみならず、企業人・一般人・マスコミ関係者……とにかく何万という人々で溢れかえっている。

 このビッグイベントは夏だけでなく、冬にも開催される。

 峰子が初めて売り手として参加したのは十七歳の冬。伊上京子と知り合ったのはその時で、彼女の同人誌を立ち読みしたのがきっかけだ。

 京子はオリジナルのBL漫画を描く同人作家であり、峰子は彼女のスペースに並ぶ同人誌ほんを一目見て、強烈に惹きこまれた。

 それまで峰子は、パロディ中心の二次創作本を楽しく読んでいたが、京子の作品と出会ったことで方向性が変わり、BLの世界に突然目覚めたのだ。

 つまり峰子のBL本制作は、京子を入り口に始まったのである。


「峰子ちゃんって、あの時高校生だったのね。ビミョーだなあって思いながら、あまりにも熱心に読んでくれるから売ってしまったわ」


 京子は峰子のスペースで休憩しながら、懐かしそうに話す。


「私のほうこそ、ごめん。十八過ぎてますって顔で、五冊も買っちゃった」


 峰子がいたずらっぽく舌を出すと、京子は楽しそうに笑った。


「あれからメアド交換して、イベント仲間になって、えっと、まだ三年かあ。もっと長いこと付き合ってるような気がするね」


 京子は凍ったジュースのパックを額に乗せる。夏の暑さと人々の熱気で会場内はとても暑い。


「あっ、ありがとうございます」


 峰子は売り子に戻り、訪れる客に丁寧に対応する。

 コミック即売会に参加するのは今回で最後。そう思うと、同人誌を買ってくれる人々の存在が、より有難く感じられた。

 モースの新刊は、売れ行き好調だ。

 いつも来てくれるお馴染みさんもいれば、新しく買い揃えてくれる、ご新規さんもいる。

 親しく声をかけてくれる人、恥ずかしそうにスケッチブックを差し出す人、「頑張ってください」と、小さな声で激励していく人。

 様々な人との交流が、すごくすごく楽しくて仕方がない。




 そんな峰子を、京子は感慨深く眺めた。

 今日の峰子は、これまでになく生き生きとして見える。


(峰子ちゃんは、間違いなく変わった。滝口慧一という男性が、こんなにも彼女を輝かせているのだわ)


 京子は思う。恋は、その人の印象を変えてしまうほどの影響を与える、一つの事件なのだ。


(リア充め、羨ましいゾ)


「京子ちゃん、そろそろ戻らないと」


 自分のサークルを放りっぱなしでのんびりする京子を、峰子が心配した。


「ああ、いいのいいの。私の本は午前中にほとんど完売したから」


 京子は余裕の笑みを浮かべると、『モース』をダンボール箱から出して、テーブルの上に補充した。勝手知ったるもので、手際がいい。


「それに私、ここである人を待ってるのよ」

「ある人?」

「うん」


 不思議そうな峰子を見て、にんまりと笑う。


「誰か知ってる人が来るの?」


 峰子の問いに、京子は深く頷く。


「私も知ってる人?」

「ええ。よーく、知ってる人よ」


 もうニヤニヤが止まらない。京子はとても我慢ができなかった。


「け・い・い・ち・さ・ん」

「……っ」


 峰子の白い頬が、たちまち紅く染まる。

 分かりやすい反応に、京子は暑い暑いと言いながら、凍ったジュースを首元に当てた。


「あーあ、まったく熱々だよねえ。もうやってらんない」

「ま、待って、京子ちゃん。まさか……本当に。本当にあの人が来るの? 慧一さんが」

「そうよ。内緒にしておこうと思ったけど喋っちゃった……って、峰子ちゃん大丈夫!?」


 峰子は両手で頬を押さえ、へたへたと床に座り込んでしまった。


「慧一さんが来る。ここへ来る……」

「もう、峰子ちゃんってば」


 峰子は驚きと喜びで、立っていられないのだ。

 京子は彼女を椅子に座らせると、新鮮な思いで見入った。

 峰子がここまで感情を表すのは、初めてのこと。どんな時でも、感情にワンクッション置いて表現していたのに。


「でも、どうして私に内緒で? 旅行の時、イベントに来るなんて一言も言わなかった」

「旅行?」


 京子は耳を疑う。というより、今の発言は聞き捨てならない。


「峰子ちゃん。今、旅行って言ったの? えっ、まさか慧一さんと……まさか二人きりで!?」


 峰子は気まずそうに目を逸らした。


「嘘でしょー! 私でさえ峰子ちゃんと二人で旅行なんてしたこと無いよ。どうして慧一さんと……っていうか、もうそんな関係に?」

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

魔石と神器の物語 ~アイテムショップの美人姉妹は、史上最強の助っ人です!~

エール
ファンタジー
 古代遺跡群攻略都市「イフカ」を訪れた新進気鋭の若き冒険者(ハンター)、ライナス。  彼が立ち寄った「魔法堂 白銀の翼」は、一風変わったアイテムを扱う魔道具専門店だった。  経営者は若い美人姉妹。  妹は自ら作成したアイテムを冒険の実践にて試用する、才能溢れる魔道具製作者。  そして姉の正体は、特定冒険者と契約を交わし、召喚獣として戦う闇の狂戦士だった。  最高純度の「超魔石」と「充魔石」を体内に埋め込まれた不死属性の彼女は、呪われし武具を纏い、補充用の魔石を求めて戦場に向かう。いつの日か、「人間」に戻ることを夢見て――。

夕陽を映すあなたの瞳

葉月 まい
恋愛
恋愛に興味のないサバサバ女の 心 バリバリの商社マンで優等生タイプの 昴 そんな二人が、 高校の同窓会の幹事をすることに… 意思疎通は上手くいくのか? ちゃんと幹事は出来るのか? まさか、恋に発展なんて… しないですよね?…あれ? 思わぬ二人の恋の行方は?? *✻:::✻*✻:::✻* *✻:::✻*✻:::✻* *✻:::✻*✻:::✻ 高校の同窓会の幹事をすることになった 心と昴。 8年ぶりに再会し、準備を進めるうちに いつしか二人は距離を縮めていく…。 高校時代は 決して交わることのなかった二人。 ぎこちなく、でも少しずつ お互いを想い始め… ☆*:.。. 登場人物 .。.:*☆ 久住 心 (26歳)… 水族館の飼育員 Kuzumi Kokoro 伊吹 昴 (26歳)… 海外を飛び回る商社マン Ibuki Subaru

10 sweet wedding

国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。

大好きな幼馴染と結婚した夜

clayclay
恋愛
架空の国、アーケディア国でのお話。幼馴染との初めての夜。 前作の両親から生まれたエイミーと、その幼馴染のお話です。

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...