モース10

藤谷 郁

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ありのままの君

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「釣りは男のロマンかな」


 曲がりくねった道を進みながら、峰子に話しかける。


「そうなんですか?」

「ほら、男は引っ掛けるのが好きだろ……っと、これは例えが悪いな」


 ナンパになぞらえた慧一に峰子は呆れ顔だが、可笑しそうに笑った。


(だけど、今の例えは本当だぞ。男は本能的に、引っ掛けるのが好きなんだよ。 峰子も目立たないようにしなくちゃ、狙われるんだぜ)


 慧一は、心の中で続きを話す。


(俺の前ではいくら着飾っても構わない。だが他の男の前では保護色を纏ってくれ。岩や砂と同じような、地味な格好でいるんだ)


 いかにも勝手な言いように、彼自身可笑しくなる。

 だが認めざるをえない。

 情けなくても、これが男の本音であり、どうしようもない独占欲なのだ。

 
(もういっそのこと、すぐにでも入籍して一緒に住みたいくらいだ)


 何も知らない峰子を横目に、先走ったことを考える慧一だった。


 十分ほど走ると、目的地の釣り場に到着した。

 渓流釣りといっても、人口の岩場に川を引いた管理釣り場である。安全に配慮されており、周りを見ると親子連れが釣りを楽しんでいる。


「ワクワクしますね」


 受付で釣竿と餌を受け取った峰子が、川沿いをどんどん歩いて行く。


「転ぶなよ」


 慧一は保護者のように声をかける。


(まったく。これじゃ恋人というより、親子だな)


 苦笑しつつも、峰子の嬉しそうな様子に彼は満足した。




「この辺でいいだろう」


 慧一は人の少ない下流に陣取り、峰子の釣竿の糸をほどいた。

 獲物は虹鱒。餌はイクラである。


「ブドウ虫とかミミズじゃないんですね」


 峰子が腰をかがめて、慧一の手もとを覗き込んだ。


「よく知ってるな。やったことないんだろ?」

「はい。でも、子どもの頃、釣りのアニメを見たことがあるんです。すごく面白かったので、毎週欠かさず見ていました」

「ほう」


 釣りをテーマにした少年向けのアニメは慧一も知っている。

 というより、原作の漫画を読んでいた。絵が抜群に上手く内容も面白かったので、今もよく覚えている。


「そういえば峰子は、アニメが好きだったな」

「はい。他には映画も小説も。想像力を掻き立てられるものなら何でも好きです」

「なるほど、好奇心ってやつか」


 そのおかげで、慧一も峰子の目に留まったのだ。

 しかし、それはお互い様だった。慧一も好奇心から、峰子に近付いたのだから。

 互いの何かに惹かれ、好きになる。

 慧一は糸をたぐりながら、男女の縁を思った。



「それじゃ、まずは餌だ」


 慧一は峰子に、プラスチックケースに入ったイクラを差し出す。


「針につけてみろ」

「は、はい」


 イクラはぬるぬるして扱いにくそうだが、何とか針に通せたようだ。


「出来ました」

「よし。まずはこうして」


 慧一は峰子の持つ竿に手を添え、川に針を沈めた。


「このまま、しばし待つ。俺は向こうにいるから、頑張れよ」

「えっえっ、これでいいんですか?」


 慧一は岩の上に座り、見物した。
 いきなり放置された峰子は、キョロキョロしている。


「大丈夫、すぐに釣れるよ」


 たった今、養殖の虹鱒を放流してもらったばかりだ。初心者だろうが、楽々成果が上がるだろう。

 予想どおり、一分もしないうちに反応があった。


「あっ、釣れた。釣れましたよ、慧一さん!」


 慧一は座ったまま、峰子が釣り上げるのを見守る。


「このあと、どうすればいいんですか!?」

「上げればいいの」

「こうですか?」


 峰子は竿をしっかりと握るが、へっぴり腰で、ちっとも上げることができない。


「おいおい、本当にアニメを見てたのか?」


 岩を下りて手伝い、慧一が上げた虹鱒を彼女が両手で掴んだ。


「ヌルヌルします!」

「そりゃそうだ。おっ、針を呑んだか」


 虹鱒は餌ごと針を丸呑みしたようで、激しく暴れている。


「かかった時に、上手く合わせないと駄目なんですよね、確か」


 峰子は言うが、知識があっても実際にやるとなると難しいものだ。


「よくあることさ」


 慧一は小枝を拾うと、それを使って針を引っ張り出す。いささか乱暴だが、作業は早く済んだ。

 峰子は魚を受け取り、水を張ったバケツにそっと入れた。


「良かった。私にも釣れましたよ!」

「上手い上手い」


 はしゃぐ峰子を、慧一は褒め上げる。
 彼女の嬉しそうな様子が、慧一には何よりの成果であり、喜びだった。



 三十分の時間制限付きだが、なかなか楽しいレジャーだった。

 釣った虹鱒は調理場に持ち込んで塩焼きにしてもらい、その場で一匹ずつ食べることにした。


「美味しいです!」


 峰子は串に刺した魚を食べるのは、初めてだという。


「自然の中で遊ぶのって、楽しいですね。感激です」

「キャンプとか、あまり経験が無い?」


 慧一が訊くと、峰子はこくりと頷く。


「ええ。危なっかしいことは何もさせてもらえませんでした。私もそのうち、あきらめてしまったというか……」


 慧一は彼女の母親を思い浮かべた。

 きちっとした服装。整理整頓されたリビングルーム。娘を観察する眼差しと、勘の鋭さ。


(確かに……あの人の保護下にいたら、息苦しいかもしれないな)


 峰子は串焼きを夢中で食べている。口の周りに塩の粒をまぶし、実に美味そうに。


(この姿を母親が見たら、何と言うだろう。もっとお行儀よくしなさい……とか?)


 峰子は行儀がいい。それは彼女の美点であり、母親のしつけによるものだ。

 だから、悪いばかりじゃない。

 しかしガス抜きも必要だと、慧一は思う。

 周囲に気を遣い、いっぱいいっぱいになっている峰子は見ていて辛い。昨夜のように、思い切り泣いてくれたほうが、どんなに楽か知れない。


(そのことはきっと、あの母親も気付き始めてるはずだ。でなきゃ俺を、こんな風に放っておかないだろう。いくら三次元の安全な男であってもだ。それに、一緒にイベントに行くなど思いも寄らないだろう。あの人は、俺に何かを求めている。そんな気がする……)


「どうしたんですか」


 黙り込む慧一の顔を、峰子が心配そうに覗いた。


「君のことを考えてた」

「私のこと?」

「うん」


 慧一は、食べかけの虹鱒にかぶりつく。

 あっというまに平らげて、紙コップのお茶をぐいっと飲んだ。豪快な食べっぷりに、峰子が目をみはる。


「そうとも。美味いもんは、美味いように食うべきだ」

「えっ?」

「俺はありのままの姿を愛す。覚えておいてくれ」

「は、はい」


 戸惑う彼女が可愛くて、そしてまた不憫だった。

 だが不憫のままにしてはおかない。


「もう一本いこうか。すみません、塩焼き追加でお願いします!」


 調理場に勢いよく注文し、峰子に笑いかける。

 彼女も釣られて笑顔になった。


 何も心配することはない。俺はいつだって君が大好きだ――


 慧一は心で叫ぶ。

 だけどこの気持ちは、彼女が本当に自由になった時に伝えよう。

 峰子の笑顔を見つめ、慧一は自分に約束した。

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