モース10

藤谷 郁

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連れていって

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 夕食会場はレストランの個室で、和食のコース料理だった。


「牛肉の味噌ステーキと、信州そばが美味しかったですね」


 デザートの葡萄ゼリーを手に、峰子が嬉しそうに笑う。

 慧一はスプーンを置くと、そんな彼女をそれとなく観察した。特に変わったところは無い。穏やかで優しい、いつもの峰子である。

 しかし、そこが気になった。

 唯と大浴場で一緒になったはずなのに、その話題がひとつも出ないのは不自然だ。随分とご機嫌なのも、かえって妙である。

 何か隠しているのでは――と、勘繰ってしまう。

 だが、わざわざ話を振ることもあるまい。慧一はそう思い、食事中も唯のことは話題に出さなかった。


「そろそろ行くか」


 慧一は伝票を取り、ナフキンで口を拭う峰子に声をかけた。


「はい」


 彼女はすぐに立ち上がるが、その拍子にぐらっとよろめき、テーブルに手をついた。


「おい、大丈夫か」

「え、ええ」


 そう言いながら、やはりフラフラしている。


「調子悪いな。貧血?」


 慧一は峰子の腕を支え、顔を覗き込む。青っぽい顔色だ。


「ごめんなさい。温泉に長いこと浸かってたから……」


 峰子は言いかけて、ぱっと口を押さえた。

 気まずそうに俯く姿を見て、やはり風呂で何かあったのだと、慧一は確信する。


「ごめんなさい、あの、何でもないんです」


 笑顔を作るが、顔は青いままだ。


「とにかく部屋に戻ろう」

「……すみません」


 湯あたりだけでなく、生理のほうも具合の悪い理由だと慧一には分かる。

 そして何より、唯と接触したことが一番の原因に違いない。なのに、こんなになっても慧一に気を遣っている。

 相変わらずの峰子の態度が彼にはもどかしく、歯がゆかった。もっと感情をぶつけて欲しいと本気で思った。



 ◇ ◇ ◇



「横になれよ、ほら」


 部屋に入ると、慧一は峰子をベッドに寝かせた。


「すみません。せっかくの旅先の夜なのに」

「いいよ。まだ明日があるだろ。ゆっくり休め」


 ベッドに寝かせる時、峰子の浴衣が乱れ、白く柔らかそうな素肌が覗いた。


 ――せっかくの旅先の夜なのに。


「おやすみ」


 慧一は部屋の灯りを消してから、唇を噛んだ。

 だけが楽しみなわけではない。
 だが、大きな割合で期待したのは確かだ。

 目の前に浴衣姿の峰子が横たわっているのに手を出せない。
 これもまた一つの生殺しである。

 欲望をぐっと堪え、ベッドから離れた。




「ふう……」


 ベランダに出て椅子に座った。

 涼しい風がわたり、どこからか川のせせらぎが聞こえてくる。

 山の夜。高原の夜。

 星は美しく、清らかに瞬いている。


(良いところだ……)


 気持ちがよくて、うとうとしかけた頃、袂に入れたスマートフォンが鳴り響いた。

 慧一は驚き、すぐに応答する。


「もしもし?」

『あ、慧一さん。私です』


 弟の嫁だった。
 久しぶりに聞く義妹の声に、慧一は思わず笑顔になる。


「里奈ちゃんか。電話をくれるなんて珍しいなあ、どうしたんだ」

『ウフフ、お久しぶりです。お元気そうですね』

「俺は元気だよ……って、君こそ体調はどうだい。この前、春彦から聞いて驚いたよ」


 慧一はおめでとうを言うと、椅子を立ってベランダの柵にもたれた。

 電波のかげんか、声が遠い気がする。カラマツ林を眺めながら、義妹との会話に集中した。



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