モース10

藤谷 郁

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望まぬ再会

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 再び車に乗り込むと、ビーナスラインを東へ走った。

 車山の山頂を左手に望む辺りは、いかにも高原らしい爽やかな風景が広がる。晴れた空に緑の斜面が鮮やかに映えて、とても美しい。

 峰子は車窓にはりつき、自然が描き出す曲線に見とれている。


「ビーナスラインは初めて?」

「はい。清里や小淵沢には行ったことがありますが、ここまで来たのは初めてです」

「それは良かった」


 アバウトに選んだ場所だが、正解だったようだ。彼女の笑顔を見て慧一は満足する。

 二人は笑顔で、ドライブを楽しんだ。



 白樺湖しらかばこまで来ると、家族連れや団体の観光客らで賑わっていた。近くにレジャー施設があるらしい。


「楽しそうですね」

「ちょっと寄ってみるか」


 峰子は夏休み中の子ども達を見ながら、嬉しそうにする。慧一は駐車場を探して、車をとめた。


「さてと、峰子ちゃんは遊園地に行きたいですか?」


 子ども扱いすると峰子はむくれる真似をするが、すぐに笑って、


「散歩しましょう」


 湖のほとりを指差した。



 カラマツ林に囲まれた道をしばらく歩くと、ホテルの裏手にあたる静かな場所に出た。

 湖の上にボートがいくつか浮かんでいる。

 観光客の姿がチラホラ見られるが、レジャー施設の辺りに比べれば、のんびりしたものだ。

 緑の葉を揺らす白樺の木が、標高の高い場所に来たことを教えてくれる。慧一はようやく、いつもと違う空間に二人きりでいることを実感した。


 どちらからともなく手を繋ぐ。

 それはとても、自然な仕草だった。


(俺達は融合している)


 慧一は峰子の白い腕や首筋に目を当てる。自然光の下で見る彼女の素肌は本当にきれいで、女そのものの魅力に溢れている。


(もっとしっかりと、ひとつになりたい)


 急激に、欲望が湧き上がってきた。

 慧一は前かがみになりつつ、その辺りの木蔭へ座るよう峰子に命じ、自分はトイレに行って来ると言ってその場を離れた。

 峰子は不思議そうな顔をするが、もう手など繋いでいられない。

 今夜のことで頭がいっぱいだった。

 明日の朝まで時間はたっぷりある。どうなってしまうのだろう。


「ああー、イカンイカン」


 慧一は欲望を払うように頭を振った。

 あの子を壊してしまうような抱き方は封印だ。そう戒めながらも、どうしても頬が緩んでしまう。


「イカンと言ってるのに!」


 慌てて顔を引き締めると、肉体をコントロールしろと自分に言い聞かせる。


「でも、できるかしらアタシに」


 気を逸らそうとして女言葉でふざけるが、まったく効果がなかった。しかも傍から見れば、怪しい変人である。


(駄目だ、自信が無いぜ)



◇ ◇ ◇



 一方、乱れに乱れる慧一とはまた別の意味で、峰子もまた今夜のことを考えていた。


「どうしよう……」


 実は今朝から胸が張っている。これは生理の前兆だ。まだ大丈夫だが、今にも始まってしまいそうな気配だ。

 そうなったら……


「がっかりするかな、慧一さん」


 無意識に出た言葉に自分で反応し、かあっと赤くなった。

 そして、自分も落胆しているのに気づくと頭が熱くなり、くらくらしてきた。


 慧一に抱かれることは、彼女にとってもはや自然現象だった。彼に対しての気持ちと、それは関係が深い。

 こんな望みを他者に対して持つなんて信じられない。


(もっとしっかりと、ひとつになりたい)


 静かな湖面が、峰子の心を素直にさせる。

 慧一は自分にとって特別な人だと、実感できる。

 誰かと結婚するなんて有り得ない――峰子はずっと思っていた。それなのに、今、彼に求められ、その有り得ないはずの答えが表れつつあった。

 彼の両親、兄弟、親戚や近所の人々、慣習、しがらみ、結婚という形式に付いてくるあらゆる煩わしさ。それが殆ど何でもないことのように思える。

 私は、大人なのだ。もう、子どもではない。


「峰子!」


 ふいに名前を呼ばれた。

 いつの間にか、峰子の横に慧一がしゃがんでいた。


「どうした、ぼーっとして」


 明るい眼差しが、彼女を捉えている。

 二人きり、湖のほとりで過ごす午後。木蔭を渡る風は涼しく、とても優しい。

 そして、目の前で自分を見つめるこの人は、もっともっと優しい。

 峰子は微笑むと、その愛しい人に近付いて、そっと唇を重ねた。


「……」


 数秒後、名残惜しげに離れた。

 男は突然の愛情を受けたためか、ひどく無防備な顔に見える。

 峰子は湖に視線を戻すと、膝を抱えてうふっと笑う。慧一のことを、時々すごくかわいいと思ってしまう。今もそうだった。


「……お前ってやつは」

「ごめんなさい」


 膝の中に顔を埋め、クスクスと笑う。


「俺をどうする気だよ」


 口を尖らせて仰向けにひっくり返る慧一。峰子を恨めしげに、まぶしそうに見つめる。


「やっぱり容赦しない」


 まだ笑う峰子に、その言葉は聞こえない。彼女の胸には、愛しさが満ち溢れていた。




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