モース10

藤谷 郁

文字の大きさ
上 下
62 / 82
一泊旅行のお誘い

しおりを挟む
 課長との電話を切り、天井をぼんやり眺めていると、ベッドの上のスマートフォンが鳴った。あまりにも突然なので、必要以上に驚いてしまう。

 急いで手に取ると、峰子からだ。

 慧一は深呼吸をし、顔を引き締めてから応答した。


「もしもし」

『こんばんは。ごめんなさい、私、お風呂に入っていたから』


 可愛い声が聞こえると、慧一の表情は簡単に緩んだ。


「いいよ、急用ってわけじゃないから」

『そうなんですか?』


 峰子は気の抜けた声になる。


(……ひょっとして、例の件だと思ったのかな)


 慧一は、峰子がきちんと考えてくれていると分かり、素直に喜んだ。


「デートのお誘いなんだけど」

『あ、そういえば明日からお休みですね』

「うん。一週間もあるだろ。どこかにゆっくり遊びに行こうぜ」

『えっ、ゆっくり……ですか?』

「うん」


 電話機の向こうで峰子が沈黙する。随分長い沈黙である。


「峰子?」

『はい、分かりました。一泊なら大丈夫だと思います』

「一泊?」

『ええ』


 どうやら、ゆっくりというのを、泊まりで旅行すると解釈したらしい。

 峰子ならではの早とちりである。慧一は “一日ゆっくり” という意味で言ったのに。

 慧一は口を押さえ、笑いたいのを懸命に堪えた。笑ったりすれば、折角のチャンスがふいになってしまう。


『あの……慧一さん?』

「そう、一泊なら大丈夫なんだ。そうか、それはラッキーだ」


 大真面目に応答し、慧一はカレンダーを確かめた。


「いつがいいかな。十四日はイベントだから、それ以外の日で、そうだな……十一日にするか?」

『えっと、明後日から一泊ですね。はい、私は大丈夫です』



(よしっ!)


 速攻でカレンダーに印をつけた。


「どこか希望の場所はあるかい」

『そうですね、うーん』


 なかなか答えない。どうやら考え込んでしまったようだ。


「俺が決めようか」

『すみません、私、迷っちゃって』

「本当に、どこでもいい?」

『はい、もちろんです。あの……』


 言葉を探してか、峰子は口ごもる。

 相変わらずの気遣いをもどかしく思うが、同時に愛しくもある。

 慧一は大らかな愛情で彼女を待った。


『私』

「うん」

『慧一さんと一緒なら、どこでも満足です』


 さらりと殺し文句を言う。


(ひょっとしてこの子は、俺の急所を熟知してるんじゃないか)


 慧一は倒れそうになりながら、胸で叫んだ。


(俺を揺さぶるのはやめてくれ!)



 口に出そうになるが、我慢する。それを言ったら彼女はもう必殺技を封印してしまうかもしれない。慧一にとって、それは痛い損失になる。


「そっか、サンキュ」


 本音を隠し、軽く受けておいた。


「それじゃ、朝八時ごろに迎えに行くよ」

『えっ?』

「八時は早いか。九時にする?」

『い、いいえ、八時でも構いません。でも、家の前は……私、表通りに出ていますね』


 慧一はピンときた。この慌てぶりは……


「家族に内緒で行くつもりか」

『だって、言ったら出してもらえません』


 子どものような言い方をする。実際、あの家では彼女は子ども扱いなのだろうが。


「……そうだな」


 慧一は考えた。

 確かに、嫁入り前の娘を男と外泊させるなど、彼女の両親が許しそうにない。


「峰子、それなら……」

『やめるなんて嫌ですよ』

「ん?」

『旅行をやめるなんてっ』


 珍しく強引な彼女にたじろぐが、その意気込みは慧一を感動させた。 彼女の慧一に対する意思が、ひしひしと伝わってくる。


「やめないよ。お母さんに代わってくれ」

『そんなこと!』


 峰子の声が裏返る。だが、ここは譲らない。


「いいから、交代しろ」

『だって』

「早く」

『もう、知りませんよ』


 部屋を移動する気配がした。慧一はスマートフォンを持ち直し、母親が出るのを待つ。


『もしもし、代わりました』


 母親の声が聞こえた。辺りをはばかるような喋り方である。


「こんばんは、夜分にすみません。滝口です」

『ええ。あの、峰子は自室に帰しましたから、今は私一人です。でも例の話でしたら、私の携帯にかけてくださったほうが』


 イベントの話だと思われたようだ。


「いえいえ違います。あの件ではありません」

『はあ』

「十一日から、峰子さんと一泊旅行に行きたいと思っています」

『え?』

「許可してもらえますか」

『……』


 絶句している。
 それはそうだろう。こんなことを親に直接訊く馬鹿はそうそういない。


『あ、ごめんなさいね。そう、旅行ですか。峰子と二人きり? ですよね、もちろん』

「ええ」

『それは』

「やはり無理でしょうか」

『……うっふふ』

「?」


 母親はなぜか笑い出した。

 電話の向こうで、ずっと笑っている。どうにかなってしまったのでは……と、本気で心配しかけた頃、落ち着いた声が戻った。


『許可も何も、滝口さん』

「はい」

『あなた、どちらにしても連れて行くつもりでしょう』

「うっ」


 図星を刺され、慧一は驚く。

 なぜ分かったのだろうと、首をひねった。

 母親の軽やかな口調が聞こえた。


『あなたを初めて見た時からもう、分かってました。もう、バレバレですよ』

「バ、バレバレですか?」


 何が何だかかよく分からないが、とりあえずどうしてなのか訊いてみる。

 母親はもう一度笑ってから、種明かしをした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ホリカヨは俺様上司を癒したい!

森永 陽月
恋愛
堀井嘉与子(ホリイカヨコ)は、普段は『大奥』でオハシタとして働く冴えないOLだが、副業では自分のコンプレックスを生かして働こうとしていた。 そこにやってきたのは、憧れの郡司透吏部長。 『郡司部長、私はあなたを癒したいです』 ※他の投稿サイトにも載せています。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

そこは優しい悪魔の腕の中

真木
恋愛
極道の義兄に引き取られ、守られて育った遥花。檻のような愛情に囲まれていても、彼女は恋をしてしまった。悪いひとたちだけの、恋物語。

トップシークレット☆桐島編 ~お嬢さま会長に恋した新米秘書~

日暮ミミ♪
恋愛
大財閥〈篠沢(しのざわ)グループ〉本社・篠沢商事に勤める25歳の桐島貢(きりしまみつぐ)。 彼は秋のある夜、上司の代理で出席した会社のパーティーで、会長令嬢で高校2年生の篠沢絢乃(しのざわあやの)に一目惚れ。 その三ヶ月後、会長・篠沢源一が末期ガンでこの世を去る。 葬儀の日、父の遺言により会長の後継者となった絢乃を支えるべく、秘書室へ転属する旨を彼女に伝える。 絢乃は無事、会長に就任。会長付秘書として働くことになった貢はある日、会社帰りの愛車の中で絢乃に衝動的にキスをしてしまい――!? 草食系男子の年上秘書×キュートな10代の大企業総帥による、年の差オフィスラブストーリーのヒーローサイド。

貴族の爵位って面倒ね。

しゃーりん
恋愛
ホリーは公爵令嬢だった母と男爵令息だった父との間に生まれた男爵令嬢。 両親はとても仲が良くて弟も可愛くて、とても幸せだった。 だけど、母の運命を変えた学園に入学する歳になって…… 覚悟してたけど、男爵令嬢って私だけじゃないのにどうして? 理不尽な嫌がらせに助けてくれる人もいないの? ホリーが嫌がらせされる原因は母の元婚約者の息子の指示で… 嫌がらせがきっかけで自国の貴族との縁が難しくなったホリーが隣国の貴族と幸せになるお話です。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

10 sweet wedding

国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。

処理中です...