モース10

藤谷 郁

文字の大きさ
上 下
55 / 82
夢のビジョン

しおりを挟む
 峰子の母親は、娘の趣味を知っていた。男同士の恋愛を描いた漫画や小説を愛好し、収集することを。

 慧一は驚きつつも、自分も「知っている」と伝えた。


「あれを見つけた時は、まさかと思ったわ」


 薄暗い街灯のもと、慧一の車にもたれるようにして立つ母親は、少し蒼ざめて見える。


「大丈夫ですか?」


 慧一が車から出ようとすると、彼女はそれを止めた。


「大丈夫。すぐに戻らなきゃいけないから」


 母親はさらに声をひそめ、娘の秘密を発見した日の衝撃を語った。


 それは、一か月前のこと。平日の午前中。

 母親は、カーテンを洗おうとして峰子の部屋に入った。よく晴れた、青空がきれいな日だった。


「あの子って、どこか抜けた所があって。引き出しの鍵を掛け忘れたんでしょうね、少し開いていたの。私はきちんと閉まっていないと気になる性質だから、閉めようとした。もちろん、中を見るつもりはまったく無かったのよ。あの子のプライバシーだし。でも、引き出しの隙間から目に入ってきたものに、私は心底驚いて、つい……見てしまった……」


 一度言葉を途切れさせると、母親は小さく息をついた。


「まあ、それがあなた……男同士のあれが……描かれた本がいっぱい入っているじゃない」


 BLの同人誌だ――

 慧一には母親のショックが想像できる。峰子と、あの倒錯した世界をどうやって結びつければ良いのか……と、混乱したのだろう。

 母親は背後を気にしている。
 峰子の部屋と思われる二階の窓は暗い。今、風呂に入っているらしい。


「それで、もう腰が抜けそうになって、あの子が帰ってきたら……いいえ、今すぐ会社に電話して問いただそうかと思ったわ」


 母親は強い調子で言うが、頭を左右に振る。


「でも、できなかった。あの大量のいかがわしい本を眺めるうちに、あの子をあんな風にさせたのは、もしかしたら私と夫なのではと思えてきて」

「あんな風?」


 慧一は眉根を寄せた。

 だが、それは母親の目には映らない。彼女は、峰子の部屋の窓を見上げ、話している。


「私達は……特に私は、長子である峰子を厳しく躾けました。その結果、確かに真面目で良い子にはなりました。でも反面、あの子は親に合わせてばかりで、自分の意思を表さない。家ばかりでなく学校でも、我慢して、周りに気を遣ってばかりいると、担任の教師から何度も指摘された」


 慧一は、峰子の堅実な仕事ぶりや、人当たりの良さ、その社会性がどうして身に付いたのか分かった気がする。

 そしてまた、人と親密に付き合うのを苦手とする、二面性の理由も。

 峰子は両親にとって、素直で世話の掛からない、大人しい女の子だった。
 いや、今でも……


「躾を厳しくし過ぎたのでは。その結果が、あの倒錯した趣味なのではないかと。慧一さん」


 母親はこちらに向き直り、黙ったままの慧一を、必死な声で呼んだ。


「あの子は、大丈夫でしょうか」


 慧一は胸を衝かれた。

 ついさっきまで、きちんと整頓されたリビングで、てきぱきとお茶を出し、朗らかに笑っていた母親。穏やかでありながら気丈に見えたこの人が、頼りなく狼狽している。

 そして、つい最近見知ったばかりの男に、娘を案じる心を、ありのまま吐露している。それは取りも直さず、他に相談する相手がいないといった、差し迫った状況を示しているのだ。

 峰子の家庭環境は、表面を見ただけでは分からない複雑なものがあるようだ。

 もっとも、何処の家庭も大なり小なり問題はあるだろうし、それが普通なのかもしれないが。


「峰子さんは……」


 慧一は、無難な言い方を考える。

 だが、心を開いてくれた相手にそれは不誠実だと感じ、はっきりと口にした。


「僕にとっては、それほど良い子じゃありません」

「えっ?」


 母親は怪訝な表情になった。


「それは、どういう意味でしょうか」


 慧一は母親に、本当に思っていることを言った。


「峰子さんは、なかなか意思表示をしてくれません。かと思うと、驚くほど大胆な発言をして、僕を振り回します」

「まあ……」


 母親は口ごもり、気まずそうにする。躾が至らずすみません、といった顔だ。


「でも、僕は彼女が好きですよ。ぜんぶ、ひっくるめて」

「ええっ?」


 母親は疑っている。あばたもえくぼだと言いたそうだ。


「ちなみに、ノロケではありません」


 慧一が注釈を入れると、気まずそうに笑う。母親の頭越しに、峰子の部屋の明かりが点くのが見えた。

 慧一はふと思いつき、母親に提案した。


「お母さん、今度の日曜日は空いていますか?」

「日曜日?」

「はい。峰子さんの趣味のイベントがあるんです。もし良ければ、僕と行ってみませんか」

「あら、そうなんですか。まあ、そんな行事があるのですか」


 母親は、ぴんとこない様子。

 峰子は親に隠れて、同人活動をしているのだ。


「峰子さんには内緒で行きましょう。時間と場所は、またご連絡します」

「え、ええ……」


 母親は、よく分からないなりに頷いている。慧一はスマートフォンを取り出し、母親の電話番号を聞いて、登録した。


「そういえば、峰子さんの趣味について、お父さんもご存じなんですか?」


 母親は顔を曇らせる。


「いいえ、あの人は何も知りません。あんな同人誌ものを見せたら、峰子を勘当するかもしれません」

「……」


 慧一は、黙ってエンジンをかけた。両親とも、峰子と別世界にいる人なのだ。


「それでは、失礼します。今夜はありがとうございました」

「こちらこそ……あの、よろしくお願いいたします」


 慧一は車を出し、ふとバックミラーを見る。

 夜の中で、母親が途方に暮れたように、立ちすくんでいた。


 十四日の日曜日――


 峰子は怒るかもしれない。

 それでも慧一は、世話を焼くことに決めた。あの子が自由になるために、それは通るべき道だと思えたから。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

魔石と神器の物語 ~アイテムショップの美人姉妹は、史上最強の助っ人です!~

エール
ファンタジー
 古代遺跡群攻略都市「イフカ」を訪れた新進気鋭の若き冒険者(ハンター)、ライナス。  彼が立ち寄った「魔法堂 白銀の翼」は、一風変わったアイテムを扱う魔道具専門店だった。  経営者は若い美人姉妹。  妹は自ら作成したアイテムを冒険の実践にて試用する、才能溢れる魔道具製作者。  そして姉の正体は、特定冒険者と契約を交わし、召喚獣として戦う闇の狂戦士だった。  最高純度の「超魔石」と「充魔石」を体内に埋め込まれた不死属性の彼女は、呪われし武具を纏い、補充用の魔石を求めて戦場に向かう。いつの日か、「人間」に戻ることを夢見て――。

夕陽を映すあなたの瞳

葉月 まい
恋愛
恋愛に興味のないサバサバ女の 心 バリバリの商社マンで優等生タイプの 昴 そんな二人が、 高校の同窓会の幹事をすることに… 意思疎通は上手くいくのか? ちゃんと幹事は出来るのか? まさか、恋に発展なんて… しないですよね?…あれ? 思わぬ二人の恋の行方は?? *✻:::✻*✻:::✻* *✻:::✻*✻:::✻* *✻:::✻*✻:::✻ 高校の同窓会の幹事をすることになった 心と昴。 8年ぶりに再会し、準備を進めるうちに いつしか二人は距離を縮めていく…。 高校時代は 決して交わることのなかった二人。 ぎこちなく、でも少しずつ お互いを想い始め… ☆*:.。. 登場人物 .。.:*☆ 久住 心 (26歳)… 水族館の飼育員 Kuzumi Kokoro 伊吹 昴 (26歳)… 海外を飛び回る商社マン Ibuki Subaru

秘密の恋

美希みなみ
恋愛
番外編更新はじめました(*ノωノ) 笠井瑞穂 25歳 東洋不動産 社長秘書 高倉由幸 31歳 東洋不動産 代表取締役社長 一途に由幸に思いをよせる、どこにでもいそうなOL瑞穂。 瑞穂は諦めるための最後の賭けに出た。 思いが届かなくても一度だけ…。 これで、あなたを諦めるから……。 短編ショートストーリーです。 番外編で由幸のお話を追加予定です。

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

10 sweet wedding

国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

Catch hold of your Love

天野斜己
恋愛
入社してからずっと片思いしていた男性(ひと)には、彼にお似合いの婚約者がいらっしゃる。あたしもそろそろ不毛な片思いから卒業して、親戚のオバサマの勧めるお見合いなんぞしてみようかな、うん、そうしよう。 決心して、お見合いに臨もうとしていた矢先。 当の上司から、よりにもよって職場で押し倒された。 なぜだ!? あの美しいオジョーサマは、どーするの!? ※2016年01月08日 完結済。

処理中です...