モース10

藤谷 郁

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三原家

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「ええ、僕は製造課の所属です。峰子さんと部署は違いますが……」


 正直に話そうとして、慧一は迷った。

 つい最近名前を聞いたばかりの男に、いきなり娘と恋人関係だと言われて、この父親はどう思うだろう。ストレートに表現して、いいものかどうか。

 だが、いずれ明らかになる。変に誤魔化すのは、不誠実というもの。

 僕は娘さんの恋人だと、はっきり告げておこう。


「僕は……」


 慧一が言いかけると、隣に座る峰子が身を固くするのが分かった。まだ言わないでほしいと、全身でアピールする気配が伝わってくる。


(峰子?)


 父親は次の言葉をじっと待っている。

 正直に言ってしまいたい。誤魔化すなど自分らしくもない。

 だが、そういう問題ではないと分かっている。ここは、峰子の気持ちを優先させるべきだ。


「僕は、部署は違いますが、峰子さんとご縁があり、良いお付き合いをさせていただいております」


 中途半端な表現だ。

 嘘ではないが、もっとしっかりと、現状をありのままに告げたい。

 しかし自重した。

 峰子と、峰子とのこれからのために。


 父親は無言のまま腕組みすると、何か考える風に膝の辺りへと目を凝らした。

 慧一は審判でも待つかのように緊張する。

 隣に座る峰子の表情がどんなものか分からない。

 今の返事が正解であるようにと、切実に願った。


 その時、リビングの扉が開いた。

 三人同時に顔を上げ、飲み物を運んできた母親に注目する。


「あら、どうかしました?」


 母親は首を傾げつつ、木製のコースターをテーブルに並べた。お茶を淹れたタンブラーを、その上に置いていく。

 母親の話し方は穏やかだが、動作はてきぱきとしている。

 鷹揚な峰子と、実は反対の気性かもしれない。慧一は何となく、そう思った。


「麦茶です。どうぞ、滝口さん」

「すみません、いただきます」


 一口飲むと、ちょうど良い冷たさだった。


「どうですかね、滝口さん。峰子は会社でちゃんとやっていますかね」


 父親が峰子のほうをチラリと見てから、不意に訊いた。

 慧一は、話題が変わったのを理解するとタンブラーを置き、きちんと答えた。


「はい。峰子さんは真面目で、とても丁寧な仕事ぶりだと、社員に評判が良いですよ」

「ほお、そうかね」


 父親は顔を綻ばせた。


「この子は少し頼りないところがあるので、日頃から心配しています。会社の方にご迷惑をお掛けしていないかと」

「全然信用してくれないんです」


 峰子が不満げに口を挿んだ。


「そう言われても、な」

「ええ」


 両親が目を合わせ、苦笑する。どうやら峰子は家庭内では半人前扱いのようだ。親からすれば、子どもはいつまでたっても子ども。まだまだ頼りなく見えるのだろう。

 慧一は麦茶を飲みながら、ふと、コースターに目を留めた。白く可憐な花が描かれている。


「エーデルワイスですね」


 何気なく呟くと、母親が「あら」と言って、嬉しそうに微笑んだ。


「そうそう、エーデルワイス。この前、親戚がスイスに旅行してね、その時のお土産なの。スイスの国花だそうね」

「実は、僕の弟も新婚旅行でスイスを訪れて、同じ絵柄の土産を買ってきたんです」

「えっ? 弟さんは既にご結婚を?」


 両親は驚いた顔になる。


「はい。今年の春に」

「まあ、そうなの。まだお若いのよね?」

「今年で二十四歳になります」

「二十四歳?」


 両親が顔を見合わせる。

 晩婚化傾向の昨今、珍しく思うのだろう。しかも弟は就職して間もなくの結婚だ。男にしては、随分と早い決断といえる。


「実は、私も二十四歳で所帯を持ったんですよ」

「えっ?」


 父親の言葉に、慧一はハッとする。


「そうなんですか?」

「見合い結婚です。私は兄弟が多くて、上から順に早く落ち着かせようと親がやっきになり、あれよあれよと言う間に一緒になっていました」


 母親も笑いながら、


「私のほうは、さらに二つ年下の二十二歳でしたけど。お付き合いもそこそこに話がまとまって、まあ幸いに気が合ったから良かったんですけど、生活のほうは始めは大変で……あら、ご免なさいね、こんなこと。おほほほ」


 峰子が慧一に肩をすくめてみせる。いつも聞かされる話なのかもしれない。

 弟の話は、三原家に馴染むいいきっかけになった。雰囲気が和み、それからは、かなり打ち解けて話すことができた。


春彦はるひこよ、感謝するぜ)


 遠くに暮らす弟に、胸の内で礼を言った。



 慧一は二杯目の麦茶を飲み切ったのを潮に、暇を告げた。


「何のお構いもできず」


 玄関まで送りながら、母親が済まなそうに言う。


「いえ、とんでもないです。こちらこそ夜分に失礼しました」

「はあ、でも……」


 母親はなおも言葉を継ごうとした。まだ引きとめたい様子であるのが、慧一には有難かった。


 靴を履くと、慧一はあらためて両親にお礼を述べた。

 両親は柔らかい笑顔だ。峰子も嬉しそうに慧一を見つめている。

 今夜は上出来な対面になった。

 慧一は喜ぶが、慎重にコントロールする。三原家との関係は、まだまだこれからなのだ。


 峰子が見送ろうとするが、彼女の体調を思い、遠慮した。

 玄関ドアを丁寧に閉めて、アプローチを通り門扉を出るまで、慧一は気を抜かなかった。重要な取引先を辞する営業マンといった気分である。

 車に乗り込むと、ようやくほっとした。


「さてと、帰るか」


 独り言を呟き、エンジンをかける。

 静かな住宅街に、その音は大げさに響く。慧一は早くこの場から立ち去らねばとアクセルを踏みかけるが、窓をコツコツと叩く者がいた。


「えっ?」


 峰子かと思って顔を向けると、それは母親だった。

 ちょっとびっくりして、慌てて窓を下ろしてからエンジンを切る。母親はなぜか、そわそわした様子だ。


「ごめんなさいね、慧一さん。あ、そのまま車に乗ってて」

「あ、はい」


 辺りをはばかるようなヒソヒソ声に釣られ、慧一も声を落とす。

 それにしても、わざわざ表に出て来るとは、一体何事だろう。不思議に思いながら、母親の真面目な顔に目を当てた。

 母親は家のほうをちらちらと見ながら、


「慧一さん。あなた、峰子の趣味をご存知?」

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