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三原家
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無理はさせまいと思ったのに、結局、最も過酷なデートメニューになってしまった。
慧一は車を走らせながら、隣に大人しく座っている、口数少ない彼女を心配した。
「峰子、大丈夫か」
「……えっ?」
ぼんやりしていたのか、ワンテンポ遅れた反応だ。
「さっきから元気が無い」
峰子の家はすぐそこだ。
車の時計は午後八時を表示している。
海辺で峰子に告白された後、ホテルに連れて行った。
夕飯は帰りの道すがらファミリーレストランで済ませたが、その間、峰子は疲れた様子で、たびたび腰を押さえていた。
「大丈夫ですよ、心配しないで」
対向車のヘッドライトが、微笑む峰子を照らす。
慧一は黙ってハンドルを握った。
心配すればするほど、彼女は「自分が誘ったのだから」と、責任を引き受けてしまうだろう。
だからもう、彼女に何も言わず、慧一自身が反省するしかない。
愛情をコントロールする術を身に付けなければ、峰子を壊してしまう。
◇ ◇ ◇
峰子の家に着くと、慧一は車から先に降りて、助手席のドアを開けた。
「俺に掴まって」
「すみません」
彼女の手を取り、降りるのを手伝う。腰に力が入らないのか、ゆっくりとした動きだ。
慧一は峰子の身体を支えながら門扉へ歩こうとした。
だが彼女は、ためらって足を止めてしまう。
「あのっ、ここでいいですよ。ご飯を食べてくるから少し遅くなるって、母にメールしてありますし」
「いや、君をちゃんと玄関まで送る。挨拶もしたいからね」
「でも……」
歯切れの悪い峰子に、慧一はぴんとくる。
男と一緒に帰宅し、腰の抜けた格好を家族に見られたら、何と思われるか。
彼女が恐れるのは、家族の反応だ。
「いいから、行くぞ」
ためらい続ける彼女を連れて行こうとした時、ポーチに明かりが点いた。
「峰子、帰ったの?」
玄関先に母親らしきシルエットが現れる。慧一は声を大きくして、帰宅の挨拶をした。
「こんばんは。遅くなりました」
峰子は観念したのか、慧一に支えられたままポーチへと進んだ。
「こんばんは、滝口さん。こちらこそ娘がお世話になりまし……どうしたのよ、峰子」
慧一に掴まって歩く峰子を見て、母親は驚く。玄関の中に入ると、怪訝そうに二人を見回してきた。
「あの、実は……」
「足をちょっと捻っちゃったの。浜辺で、私が競争しようって誘ったから」
慧一の声に、峰子の早口が被さった。
娘の勢いに押されてか、母親はぽかんとする。
「そ、そうなの?」
慧一は何も言えなくなる。峰子が腕を強く握り、喋らせないようにしていた。
「ほほほ……峰子ったら、いつまでも子どもみたいで。滝口さん、お付き合いさせて済みませんでした」
母親が頭を下げるので、慧一は恐縮する。
「いえ、とんでもないです。僕こそ、こんな時間まで連れ歩いてしまい、本当にすみません」
母親に合わせて、深々と頭を下げる。
いたたまれない状況に、冷や汗が出てきた。峰子は、そんな二人のようすを見守っている。
慧一が頭を上げた時、廊下の奥から足音が聞こえた。母親の背後に現れたのは、銀縁眼鏡をかけた、五十年配の男性だった。
峰子の父親だと思い、慧一は緊張する。
「あら、お父さん。着替えたの?」
「うん……」
父親は短く返し、母親の隣に立った。
神経質そうな面差しの、細身の男性だ。だが、穏やかな雰囲気も感じられる。
峰子は父親似なのだと分かった。
「はじめまして。僕は峰子さんと同じ会社に勤める者で、滝口慧一といいます」
「どうも、はじめまして。私は峰子の父親です。お世話をお掛けしました」
挨拶を交わすと、父親は笑みを浮かべる。
峰子と同じ、親しみの持てる笑顔だ。
よく見ると、父親の髪が濡れている。おそらく風呂上がりで寝巻き姿だったのを、慧一のためにわざわざ着替えたのだ。
丁寧な気遣いに、慧一は申し訳ない気持ちになる。
「滝口さん、お上がりになりません?」
母親が促すと、父親も同意して頷く。
「それがいい。せっかくですからどうぞ」
慧一は迷ったが、ここで帰ってしまうと、着替えてくれた父親に悪い気がする。
「あ、はい。ではお言葉に甘えて……」
峰子が先に上がり、スリッパを出して慧一にすすめた。
「ありがとう」
礼を言うと、彼女は両親から見えない角度で、そっと腕に触れた。
慧一は父親の後について廊下を進み、リビングに通された。
「客間のほうがきれいだが、この部屋はエアコンが効いてるから」
済まなそうに言う父親に、慧一は微笑み、
「おじゃまいたします」
すすめられたソファに峰子と並んで座る。父親は正面に座った。
客間のほうがきれいと父親は言うが、リビングもきちんと片付いている。すっきりとした印象の部屋だ。
壁に油彩画が一枚掛けてある他、余分な装飾はない。テレビは隅に押しやられたようにあり、その横に、立派な書棚が設えてある。
整然と並ぶ書物を見れば、文学全集と画集が大部分を占めていた。
「滝口さん……でしたね」
父親は少し遠慮がちに、慧一に話しかけた。
「峰子と同じ会社にお勤めでも、部署は違うと家内から聞いています」
「はい」
「それでは、なぜ……」
父親は、何か訊きたそうにして、口ごもった。
慧一はだが、察することができた。
なぜ部署の違う娘と一緒にいるのだ。そう、疑問に思われたのだろう。
慧一は車を走らせながら、隣に大人しく座っている、口数少ない彼女を心配した。
「峰子、大丈夫か」
「……えっ?」
ぼんやりしていたのか、ワンテンポ遅れた反応だ。
「さっきから元気が無い」
峰子の家はすぐそこだ。
車の時計は午後八時を表示している。
海辺で峰子に告白された後、ホテルに連れて行った。
夕飯は帰りの道すがらファミリーレストランで済ませたが、その間、峰子は疲れた様子で、たびたび腰を押さえていた。
「大丈夫ですよ、心配しないで」
対向車のヘッドライトが、微笑む峰子を照らす。
慧一は黙ってハンドルを握った。
心配すればするほど、彼女は「自分が誘ったのだから」と、責任を引き受けてしまうだろう。
だからもう、彼女に何も言わず、慧一自身が反省するしかない。
愛情をコントロールする術を身に付けなければ、峰子を壊してしまう。
◇ ◇ ◇
峰子の家に着くと、慧一は車から先に降りて、助手席のドアを開けた。
「俺に掴まって」
「すみません」
彼女の手を取り、降りるのを手伝う。腰に力が入らないのか、ゆっくりとした動きだ。
慧一は峰子の身体を支えながら門扉へ歩こうとした。
だが彼女は、ためらって足を止めてしまう。
「あのっ、ここでいいですよ。ご飯を食べてくるから少し遅くなるって、母にメールしてありますし」
「いや、君をちゃんと玄関まで送る。挨拶もしたいからね」
「でも……」
歯切れの悪い峰子に、慧一はぴんとくる。
男と一緒に帰宅し、腰の抜けた格好を家族に見られたら、何と思われるか。
彼女が恐れるのは、家族の反応だ。
「いいから、行くぞ」
ためらい続ける彼女を連れて行こうとした時、ポーチに明かりが点いた。
「峰子、帰ったの?」
玄関先に母親らしきシルエットが現れる。慧一は声を大きくして、帰宅の挨拶をした。
「こんばんは。遅くなりました」
峰子は観念したのか、慧一に支えられたままポーチへと進んだ。
「こんばんは、滝口さん。こちらこそ娘がお世話になりまし……どうしたのよ、峰子」
慧一に掴まって歩く峰子を見て、母親は驚く。玄関の中に入ると、怪訝そうに二人を見回してきた。
「あの、実は……」
「足をちょっと捻っちゃったの。浜辺で、私が競争しようって誘ったから」
慧一の声に、峰子の早口が被さった。
娘の勢いに押されてか、母親はぽかんとする。
「そ、そうなの?」
慧一は何も言えなくなる。峰子が腕を強く握り、喋らせないようにしていた。
「ほほほ……峰子ったら、いつまでも子どもみたいで。滝口さん、お付き合いさせて済みませんでした」
母親が頭を下げるので、慧一は恐縮する。
「いえ、とんでもないです。僕こそ、こんな時間まで連れ歩いてしまい、本当にすみません」
母親に合わせて、深々と頭を下げる。
いたたまれない状況に、冷や汗が出てきた。峰子は、そんな二人のようすを見守っている。
慧一が頭を上げた時、廊下の奥から足音が聞こえた。母親の背後に現れたのは、銀縁眼鏡をかけた、五十年配の男性だった。
峰子の父親だと思い、慧一は緊張する。
「あら、お父さん。着替えたの?」
「うん……」
父親は短く返し、母親の隣に立った。
神経質そうな面差しの、細身の男性だ。だが、穏やかな雰囲気も感じられる。
峰子は父親似なのだと分かった。
「はじめまして。僕は峰子さんと同じ会社に勤める者で、滝口慧一といいます」
「どうも、はじめまして。私は峰子の父親です。お世話をお掛けしました」
挨拶を交わすと、父親は笑みを浮かべる。
峰子と同じ、親しみの持てる笑顔だ。
よく見ると、父親の髪が濡れている。おそらく風呂上がりで寝巻き姿だったのを、慧一のためにわざわざ着替えたのだ。
丁寧な気遣いに、慧一は申し訳ない気持ちになる。
「滝口さん、お上がりになりません?」
母親が促すと、父親も同意して頷く。
「それがいい。せっかくですからどうぞ」
慧一は迷ったが、ここで帰ってしまうと、着替えてくれた父親に悪い気がする。
「あ、はい。ではお言葉に甘えて……」
峰子が先に上がり、スリッパを出して慧一にすすめた。
「ありがとう」
礼を言うと、彼女は両親から見えない角度で、そっと腕に触れた。
慧一は父親の後について廊下を進み、リビングに通された。
「客間のほうがきれいだが、この部屋はエアコンが効いてるから」
済まなそうに言う父親に、慧一は微笑み、
「おじゃまいたします」
すすめられたソファに峰子と並んで座る。父親は正面に座った。
客間のほうがきれいと父親は言うが、リビングもきちんと片付いている。すっきりとした印象の部屋だ。
壁に油彩画が一枚掛けてある他、余分な装飾はない。テレビは隅に押しやられたようにあり、その横に、立派な書棚が設えてある。
整然と並ぶ書物を見れば、文学全集と画集が大部分を占めていた。
「滝口さん……でしたね」
父親は少し遠慮がちに、慧一に話しかけた。
「峰子と同じ会社にお勤めでも、部署は違うと家内から聞いています」
「はい」
「それでは、なぜ……」
父親は、何か訊きたそうにして、口ごもった。
慧一はだが、察することができた。
なぜ部署の違う娘と一緒にいるのだ。そう、疑問に思われたのだろう。
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