モース10

藤谷 郁

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三原家

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 無理はさせまいと思ったのに、結局、最も過酷なデートメニューになってしまった。

 慧一は車を走らせながら、隣に大人しく座っている、口数少ない彼女を心配した。


「峰子、大丈夫か」

「……えっ?」


 ぼんやりしていたのか、ワンテンポ遅れた反応だ。


「さっきから元気が無い」


 峰子の家はすぐそこだ。

 車の時計は午後八時を表示している。


 海辺で峰子に告白された後、ホテルに連れて行った。

 夕飯は帰りの道すがらファミリーレストランで済ませたが、その間、峰子は疲れた様子で、たびたび腰を押さえていた。


「大丈夫ですよ、心配しないで」


 対向車のヘッドライトが、微笑む峰子を照らす。

 慧一は黙ってハンドルを握った。

 心配すればするほど、彼女は「自分が誘ったのだから」と、責任を引き受けてしまうだろう。

 だからもう、彼女に何も言わず、慧一自身が反省するしかない。

 愛情をコントロールする術を身に付けなければ、峰子を壊してしまう。



◇ ◇ ◇



 峰子の家に着くと、慧一は車から先に降りて、助手席のドアを開けた。


「俺に掴まって」

「すみません」


 彼女の手を取り、降りるのを手伝う。腰に力が入らないのか、ゆっくりとした動きだ。

 慧一は峰子の身体を支えながら門扉へ歩こうとした。

 だが彼女は、ためらって足を止めてしまう。


「あのっ、ここでいいですよ。ご飯を食べてくるから少し遅くなるって、母にメールしてありますし」

「いや、君をちゃんと玄関まで送る。挨拶もしたいからね」

「でも……」


 歯切れの悪い峰子に、慧一はぴんとくる。

 男と一緒に帰宅し、腰の抜けた格好を家族に見られたら、何と思われるか。

 彼女が恐れるのは、家族の反応だ。


「いいから、行くぞ」


 ためらい続ける彼女を連れて行こうとした時、ポーチに明かりが点いた。


「峰子、帰ったの?」


 玄関先に母親らしきシルエットが現れる。慧一は声を大きくして、帰宅の挨拶をした。


「こんばんは。遅くなりました」


 峰子は観念したのか、慧一に支えられたままポーチへと進んだ。


「こんばんは、滝口さん。こちらこそ娘がお世話になりまし……どうしたのよ、峰子」


 慧一に掴まって歩く峰子を見て、母親は驚く。玄関の中に入ると、怪訝そうに二人を見回してきた。


「あの、実は……」

「足をちょっと捻っちゃったの。浜辺で、私が競争しようって誘ったから」


 慧一の声に、峰子の早口が被さった。

 娘の勢いに押されてか、母親はぽかんとする。


「そ、そうなの?」


 慧一は何も言えなくなる。峰子が腕を強く握り、喋らせないようにしていた。


「ほほほ……峰子ったら、いつまでも子どもみたいで。滝口さん、お付き合いさせて済みませんでした」


 母親が頭を下げるので、慧一は恐縮する。


「いえ、とんでもないです。僕こそ、こんな時間まで連れ歩いてしまい、本当にすみません」


 母親に合わせて、深々と頭を下げる。

 いたたまれない状況に、冷や汗が出てきた。峰子は、そんな二人のようすを見守っている。

 慧一が頭を上げた時、廊下の奥から足音が聞こえた。母親の背後に現れたのは、銀縁眼鏡をかけた、五十年配の男性だった。

 峰子の父親だと思い、慧一は緊張する。


「あら、お父さん。着替えたの?」

「うん……」


 父親は短く返し、母親の隣に立った。

 神経質そうな面差しの、細身の男性だ。だが、穏やかな雰囲気も感じられる。

 峰子は父親似なのだと分かった。


「はじめまして。僕は峰子さんと同じ会社に勤める者で、滝口慧一といいます」

「どうも、はじめまして。私は峰子の父親です。お世話をお掛けしました」


 挨拶を交わすと、父親は笑みを浮かべる。

 峰子と同じ、親しみの持てる笑顔だ。


 よく見ると、父親の髪が濡れている。おそらく風呂上がりで寝巻き姿だったのを、慧一のためにわざわざ着替えたのだ。

 丁寧な気遣いに、慧一は申し訳ない気持ちになる。


「滝口さん、お上がりになりません?」


 母親が促すと、父親も同意して頷く。


「それがいい。せっかくですからどうぞ」


 慧一は迷ったが、ここで帰ってしまうと、着替えてくれた父親に悪い気がする。


「あ、はい。ではお言葉に甘えて……」


 峰子が先に上がり、スリッパを出して慧一にすすめた。


「ありがとう」


 礼を言うと、彼女は両親から見えない角度で、そっと腕に触れた。

 慧一は父親の後について廊下を進み、リビングに通された。


「客間のほうがきれいだが、この部屋はエアコンが効いてるから」


 済まなそうに言う父親に、慧一は微笑み、


「おじゃまいたします」


 すすめられたソファに峰子と並んで座る。父親は正面に座った。

 客間のほうがきれいと父親は言うが、リビングもきちんと片付いている。すっきりとした印象の部屋だ。

 壁に油彩画が一枚掛けてある他、余分な装飾はない。テレビは隅に押しやられたようにあり、その横に、立派な書棚が設えてある。

 整然と並ぶ書物を見れば、文学全集と画集が大部分を占めていた。


「滝口さん……でしたね」


 父親は少し遠慮がちに、慧一に話しかけた。


「峰子と同じ会社にお勤めでも、部署は違うと家内から聞いています」

「はい」

「それでは、なぜ……」


 父親は、何か訊きたそうにして、口ごもった。

 慧一はだが、察することができた。

 なぜ部署の違う娘と一緒にいるのだ。そう、疑問に思われたのだろう。



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