53 / 82
三原家
1
しおりを挟む
無理はさせまいと思ったのに、結局、最も過酷なデートメニューになってしまった。
慧一は車を走らせながら、隣に大人しく座っている、口数少ない彼女を心配した。
「峰子、大丈夫か」
「……えっ?」
ぼんやりしていたのか、ワンテンポ遅れた反応だ。
「さっきから元気が無い」
峰子の家はすぐそこだ。
車の時計は午後八時を表示している。
海辺で峰子に告白された後、ホテルに連れて行った。
夕飯は帰りの道すがらファミリーレストランで済ませたが、その間、峰子は疲れた様子で、たびたび腰を押さえていた。
「大丈夫ですよ、心配しないで」
対向車のヘッドライトが、微笑む峰子を照らす。
慧一は黙ってハンドルを握った。
心配すればするほど、彼女は「自分が誘ったのだから」と、責任を引き受けてしまうだろう。
だからもう、彼女に何も言わず、慧一自身が反省するしかない。
愛情をコントロールする術を身に付けなければ、峰子を壊してしまう。
◇ ◇ ◇
峰子の家に着くと、慧一は車から先に降りて、助手席のドアを開けた。
「俺に掴まって」
「すみません」
彼女の手を取り、降りるのを手伝う。腰に力が入らないのか、ゆっくりとした動きだ。
慧一は峰子の身体を支えながら門扉へ歩こうとした。
だが彼女は、ためらって足を止めてしまう。
「あのっ、ここでいいですよ。ご飯を食べてくるから少し遅くなるって、母にメールしてありますし」
「いや、君をちゃんと玄関まで送る。挨拶もしたいからね」
「でも……」
歯切れの悪い峰子に、慧一はぴんとくる。
男と一緒に帰宅し、腰の抜けた格好を家族に見られたら、何と思われるか。
彼女が恐れるのは、家族の反応だ。
「いいから、行くぞ」
ためらい続ける彼女を連れて行こうとした時、ポーチに明かりが点いた。
「峰子、帰ったの?」
玄関先に母親らしきシルエットが現れる。慧一は声を大きくして、帰宅の挨拶をした。
「こんばんは。遅くなりました」
峰子は観念したのか、慧一に支えられたままポーチへと進んだ。
「こんばんは、滝口さん。こちらこそ娘がお世話になりまし……どうしたのよ、峰子」
慧一に掴まって歩く峰子を見て、母親は驚く。玄関の中に入ると、怪訝そうに二人を見回してきた。
「あの、実は……」
「足をちょっと捻っちゃったの。浜辺で、私が競争しようって誘ったから」
慧一の声に、峰子の早口が被さった。
娘の勢いに押されてか、母親はぽかんとする。
「そ、そうなの?」
慧一は何も言えなくなる。峰子が腕を強く握り、喋らせないようにしていた。
「ほほほ……峰子ったら、いつまでも子どもみたいで。滝口さん、お付き合いさせて済みませんでした」
母親が頭を下げるので、慧一は恐縮する。
「いえ、とんでもないです。僕こそ、こんな時間まで連れ歩いてしまい、本当にすみません」
母親に合わせて、深々と頭を下げる。
いたたまれない状況に、冷や汗が出てきた。峰子は、そんな二人のようすを見守っている。
慧一が頭を上げた時、廊下の奥から足音が聞こえた。母親の背後に現れたのは、銀縁眼鏡をかけた、五十年配の男性だった。
峰子の父親だと思い、慧一は緊張する。
「あら、お父さん。着替えたの?」
「うん……」
父親は短く返し、母親の隣に立った。
神経質そうな面差しの、細身の男性だ。だが、穏やかな雰囲気も感じられる。
峰子は父親似なのだと分かった。
「はじめまして。僕は峰子さんと同じ会社に勤める者で、滝口慧一といいます」
「どうも、はじめまして。私は峰子の父親です。お世話をお掛けしました」
挨拶を交わすと、父親は笑みを浮かべる。
峰子と同じ、親しみの持てる笑顔だ。
よく見ると、父親の髪が濡れている。おそらく風呂上がりで寝巻き姿だったのを、慧一のためにわざわざ着替えたのだ。
丁寧な気遣いに、慧一は申し訳ない気持ちになる。
「滝口さん、お上がりになりません?」
母親が促すと、父親も同意して頷く。
「それがいい。せっかくですからどうぞ」
慧一は迷ったが、ここで帰ってしまうと、着替えてくれた父親に悪い気がする。
「あ、はい。ではお言葉に甘えて……」
峰子が先に上がり、スリッパを出して慧一にすすめた。
「ありがとう」
礼を言うと、彼女は両親から見えない角度で、そっと腕に触れた。
慧一は父親の後について廊下を進み、リビングに通された。
「客間のほうがきれいだが、この部屋はエアコンが効いてるから」
済まなそうに言う父親に、慧一は微笑み、
「おじゃまいたします」
すすめられたソファに峰子と並んで座る。父親は正面に座った。
客間のほうがきれいと父親は言うが、リビングもきちんと片付いている。すっきりとした印象の部屋だ。
壁に油彩画が一枚掛けてある他、余分な装飾はない。テレビは隅に押しやられたようにあり、その横に、立派な書棚が設えてある。
整然と並ぶ書物を見れば、文学全集と画集が大部分を占めていた。
「滝口さん……でしたね」
父親は少し遠慮がちに、慧一に話しかけた。
「峰子と同じ会社にお勤めでも、部署は違うと家内から聞いています」
「はい」
「それでは、なぜ……」
父親は、何か訊きたそうにして、口ごもった。
慧一はだが、察することができた。
なぜ部署の違う娘と一緒にいるのだ。そう、疑問に思われたのだろう。
慧一は車を走らせながら、隣に大人しく座っている、口数少ない彼女を心配した。
「峰子、大丈夫か」
「……えっ?」
ぼんやりしていたのか、ワンテンポ遅れた反応だ。
「さっきから元気が無い」
峰子の家はすぐそこだ。
車の時計は午後八時を表示している。
海辺で峰子に告白された後、ホテルに連れて行った。
夕飯は帰りの道すがらファミリーレストランで済ませたが、その間、峰子は疲れた様子で、たびたび腰を押さえていた。
「大丈夫ですよ、心配しないで」
対向車のヘッドライトが、微笑む峰子を照らす。
慧一は黙ってハンドルを握った。
心配すればするほど、彼女は「自分が誘ったのだから」と、責任を引き受けてしまうだろう。
だからもう、彼女に何も言わず、慧一自身が反省するしかない。
愛情をコントロールする術を身に付けなければ、峰子を壊してしまう。
◇ ◇ ◇
峰子の家に着くと、慧一は車から先に降りて、助手席のドアを開けた。
「俺に掴まって」
「すみません」
彼女の手を取り、降りるのを手伝う。腰に力が入らないのか、ゆっくりとした動きだ。
慧一は峰子の身体を支えながら門扉へ歩こうとした。
だが彼女は、ためらって足を止めてしまう。
「あのっ、ここでいいですよ。ご飯を食べてくるから少し遅くなるって、母にメールしてありますし」
「いや、君をちゃんと玄関まで送る。挨拶もしたいからね」
「でも……」
歯切れの悪い峰子に、慧一はぴんとくる。
男と一緒に帰宅し、腰の抜けた格好を家族に見られたら、何と思われるか。
彼女が恐れるのは、家族の反応だ。
「いいから、行くぞ」
ためらい続ける彼女を連れて行こうとした時、ポーチに明かりが点いた。
「峰子、帰ったの?」
玄関先に母親らしきシルエットが現れる。慧一は声を大きくして、帰宅の挨拶をした。
「こんばんは。遅くなりました」
峰子は観念したのか、慧一に支えられたままポーチへと進んだ。
「こんばんは、滝口さん。こちらこそ娘がお世話になりまし……どうしたのよ、峰子」
慧一に掴まって歩く峰子を見て、母親は驚く。玄関の中に入ると、怪訝そうに二人を見回してきた。
「あの、実は……」
「足をちょっと捻っちゃったの。浜辺で、私が競争しようって誘ったから」
慧一の声に、峰子の早口が被さった。
娘の勢いに押されてか、母親はぽかんとする。
「そ、そうなの?」
慧一は何も言えなくなる。峰子が腕を強く握り、喋らせないようにしていた。
「ほほほ……峰子ったら、いつまでも子どもみたいで。滝口さん、お付き合いさせて済みませんでした」
母親が頭を下げるので、慧一は恐縮する。
「いえ、とんでもないです。僕こそ、こんな時間まで連れ歩いてしまい、本当にすみません」
母親に合わせて、深々と頭を下げる。
いたたまれない状況に、冷や汗が出てきた。峰子は、そんな二人のようすを見守っている。
慧一が頭を上げた時、廊下の奥から足音が聞こえた。母親の背後に現れたのは、銀縁眼鏡をかけた、五十年配の男性だった。
峰子の父親だと思い、慧一は緊張する。
「あら、お父さん。着替えたの?」
「うん……」
父親は短く返し、母親の隣に立った。
神経質そうな面差しの、細身の男性だ。だが、穏やかな雰囲気も感じられる。
峰子は父親似なのだと分かった。
「はじめまして。僕は峰子さんと同じ会社に勤める者で、滝口慧一といいます」
「どうも、はじめまして。私は峰子の父親です。お世話をお掛けしました」
挨拶を交わすと、父親は笑みを浮かべる。
峰子と同じ、親しみの持てる笑顔だ。
よく見ると、父親の髪が濡れている。おそらく風呂上がりで寝巻き姿だったのを、慧一のためにわざわざ着替えたのだ。
丁寧な気遣いに、慧一は申し訳ない気持ちになる。
「滝口さん、お上がりになりません?」
母親が促すと、父親も同意して頷く。
「それがいい。せっかくですからどうぞ」
慧一は迷ったが、ここで帰ってしまうと、着替えてくれた父親に悪い気がする。
「あ、はい。ではお言葉に甘えて……」
峰子が先に上がり、スリッパを出して慧一にすすめた。
「ありがとう」
礼を言うと、彼女は両親から見えない角度で、そっと腕に触れた。
慧一は父親の後について廊下を進み、リビングに通された。
「客間のほうがきれいだが、この部屋はエアコンが効いてるから」
済まなそうに言う父親に、慧一は微笑み、
「おじゃまいたします」
すすめられたソファに峰子と並んで座る。父親は正面に座った。
客間のほうがきれいと父親は言うが、リビングもきちんと片付いている。すっきりとした印象の部屋だ。
壁に油彩画が一枚掛けてある他、余分な装飾はない。テレビは隅に押しやられたようにあり、その横に、立派な書棚が設えてある。
整然と並ぶ書物を見れば、文学全集と画集が大部分を占めていた。
「滝口さん……でしたね」
父親は少し遠慮がちに、慧一に話しかけた。
「峰子と同じ会社にお勤めでも、部署は違うと家内から聞いています」
「はい」
「それでは、なぜ……」
父親は、何か訊きたそうにして、口ごもった。
慧一はだが、察することができた。
なぜ部署の違う娘と一緒にいるのだ。そう、疑問に思われたのだろう。
10
お気に入りに追加
23
あなたにおすすめの小説
ホリカヨは俺様上司を癒したい!
森永 陽月
恋愛
堀井嘉与子(ホリイカヨコ)は、普段は『大奥』でオハシタとして働く冴えないOLだが、副業では自分のコンプレックスを生かして働こうとしていた。
そこにやってきたのは、憧れの郡司透吏部長。
『郡司部長、私はあなたを癒したいです』
※他の投稿サイトにも載せています。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
トップシークレット☆桐島編 ~お嬢さま会長に恋した新米秘書~
日暮ミミ♪
恋愛
大財閥〈篠沢(しのざわ)グループ〉本社・篠沢商事に勤める25歳の桐島貢(きりしまみつぐ)。
彼は秋のある夜、上司の代理で出席した会社のパーティーで、会長令嬢で高校2年生の篠沢絢乃(しのざわあやの)に一目惚れ。
その三ヶ月後、会長・篠沢源一が末期ガンでこの世を去る。
葬儀の日、父の遺言により会長の後継者となった絢乃を支えるべく、秘書室へ転属する旨を彼女に伝える。
絢乃は無事、会長に就任。会長付秘書として働くことになった貢はある日、会社帰りの愛車の中で絢乃に衝動的にキスをしてしまい――!?
草食系男子の年上秘書×キュートな10代の大企業総帥による、年の差オフィスラブストーリーのヒーローサイド。

貴族の爵位って面倒ね。
しゃーりん
恋愛
ホリーは公爵令嬢だった母と男爵令息だった父との間に生まれた男爵令嬢。
両親はとても仲が良くて弟も可愛くて、とても幸せだった。
だけど、母の運命を変えた学園に入学する歳になって……
覚悟してたけど、男爵令嬢って私だけじゃないのにどうして?
理不尽な嫌がらせに助けてくれる人もいないの?
ホリーが嫌がらせされる原因は母の元婚約者の息子の指示で…
嫌がらせがきっかけで自国の貴族との縁が難しくなったホリーが隣国の貴族と幸せになるお話です。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
10 sweet wedding
国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる