モース10

藤谷 郁

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行かないで!

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「う……ん。気持ちいいなあ!」


 しばらくすると慧一は起き上がり、砂の上に胡坐をかいた。峰子に見向くと、


「日に焼けちゃう」


 女っぽい言い方をして、彼女を笑わせる。


「も、もう、慧一さん。駄目ですよ、笑うとお腹が……というより、全身が痛くて」


 峰子は泣き笑いだ。身をよじり、可笑しさと痛みに耐えている。


「おい、峰子」

「待ってください、もうほんとに駄目です……あはは……」

「いやいや、そうじゃなくてさ」


 慧一がいきなり手を伸ばし、スカートの裾を引っ張った。


「きゃあっ! な、ななっ、何を……!?」


 慌てふためく峰子を見て、慧一はなぜか呆れ顔になる。


「きゃーは無いだろ。スカートがまくれて、丸見えだったぞ」

「はいっ?」


 峰子は、はたと気が付く。

 笑って身をよじるうちに、衣服が乱れたらしい。慧一はスカートの裾を引っ張り、太腿を隠してくれたのだ。


「ごっ、ごめんなさい。私、誤解してしまって」

「いいよ。どうせ俺はドスケベだからな」


 冗談めかすが、峰子はますます恐縮する。


「そ、そんなこと。本当に、ごめんなさ……」

「もういいって。隙だらけだぞ」

「あっ」


 慧一は峰子の腰を抱いた。迷いのない、あっという間の早業だった。


「け、慧一さん……」


 汗と、男性の匂い。フェロモンに包まれた峰子は抗えず、されるがままになる。


「感想を教えてくれよ」


 白く柔らかな首筋に、慧一の唇が触れる。熱い息が、彼女にあの夜を思い出させた。


「か、感想……?」

「例の感想だよ。この前、聞きそびれちまったからな」


 あの夜の――

 峰子の頬が、みるみる真っ赤に染まる。


「ほら、峰子。言ってみろ」


 執拗な質問に観念したのか、ぽつりぽつりと彼女は答えた。


「あの、なんて言うか……」

「うん?」

「びっくりしました」

「……」

「……」

「へっ? まさか、それだけ?」


 峰子は黙って頷く。


「ええーっ?」


 あまりにもシンプルな感想に、慧一は不満の声を上げた。


「いやいや、もっとあるだろ? 良かったとか、悪かったとか。想像どおりだったとか、違ったとか」


 食い下がるが、峰子は固く口を閉ざす。もうなにも受け付けないように、海を見つめている。

 慧一はあきらめ、降参のポーズをした。


「分かったよ、峰子。もう追及しない」


 慧一は立ち上がり、ズボンについた砂を払う。

 峰子は恐る恐るといった感じで、こちらに顔を向けた。


「ここにいたら、干物になっちまうぞ」


 手を差し伸べると、彼女は素直につかまった。

 二人は至近距離で向き合う。慧一の優しい眼差しが、峰子を捉えている。


「峰子、俺は本当に君を好きだよ」


 低い、痺れるような男の声。峰子は何も答えず、潤んだ目で見つめ返すのみ。


「君はどう思ってるんだ、俺を」

「……」

「ケイのモデル? ただそれだけの存在なのか」


 峰子は目を見開く。何か言いたそうにするが、慧一には読み取れない。


「今日が三回目だから、あと七回だな。約束の十回が終わったら、あとはどうすればいい。俺はもう、お役ご免か?」


 困った表情は拒絶に感じられる。

 慧一は目を伏せ、峰子に背を向けると、渚を歩き出した。


 どんどん遠ざかる男を、峰子は呆然と見ている。


「……ないで」


 小さな声は波音にかき消された。瞳から感情が溢れ、彼の背中をぼんやりと滲ませる。


「行か……ないで……」


 彼は振り向かない。もう、決して振り向かない気がした。あんなにもまぶしかった海が、砂浜が、暗く閉ざされていく。


「お願い、慧一さんっ」


 峰子は駆け出した。

 あなたはもう、ケイの代わりなんかじゃない。


「独りにしないで!」


 慧一が立ち止まる。

 大きな背中に、峰子は体当たりするみたいに抱きついた。


「好き……っ」


 しぼりだすように告白する。

 慧一が振り返り、信じられないといった顔で、崩れそうな峰子を支えた。


「なんだって?」

「好きです、あなたが好きですっ……」


 涙声で訴える。あの夜からずっと、伝えたかったのだ。


「……真面目にか」


 大きく頷くと、慧一の表情がみるみる変わる。


「峰子!」


 強く抱きしめられた。

 激しく、熱い、男の人の情熱に感動する。あの夜のように――

 この温もりが、ケイから峰子を奪ったのだ。


「け、慧一さん、苦し……」


 数秒後、峰子はもがき始めた。あまりにも密着しすぎて、胸の中で息が苦しくなる。

 慧一は力を弱め、顔を覗き込んできた。


「悪い、乱暴だったな」

「いえ、そんな」


 彼を見上げ、強くかぶりを振った。


「どうしても、峰子に対しては……ドSになる」


 済まなそうに告白する。欲望に揺れる瞳が、彼の魅力をいっそう引き立たせ、峰子をうっとりとさせた。


「大丈夫です。私……」


 彼のために言葉を探す。負担にならない言葉を。


「私、ドMですから」

「……」


 慧一はきょとんとした。瞬きもせず、峰子に見入っている。


「あ、あの……すみません。やっぱり、変ですよね」


 慣れないセリフを口にした。呆れられたのだ。

 峰子は縮こまり、彼の視線から逃げるように顔を俯かせる。

 だが慧一は、肩を揺すって笑いだした。楽しそうな声が、渚に明るく響きわたる。


「そうか、峰子はドMか。知らなかった。あっはは……」


 この人は優しい――

 峰子はじんとする。自然体で、私をリラックスさせてくれる。そんな波長を彼は持っている。

 目を閉じると、慧一の胸に甘えた。

 男性の匂いが立ちのぼってくる。峰子の本能を痺れさせる、彼のフェロモンだ。


「夢みたいだな……」


 慧一は呟くと、峰子の髪にキスをした。


「夢かもしれないな」


 峰子は瞼を薄く開き、温かな胸に耳を押し付けた。呼吸が速くなっている。彼はこの状況に、とても高ぶっているようだ。

 それに、応えたいと感じる。

 夢ではないと、彼に実感してほしい。


「慧一さん」

「ん?」

「どこか、静かなところで……」

「……」


 意味が伝わらなかったのか。それとも蚊の鳴くような声だから、聞こえなかった?

 不安になり、彼をそっと見上げると……


「コ、コラ……何を言い出すんだよ」


 ちゃんと聞こえていた。
 彼はあからさまに動揺し、だけど腕はしっかりと峰子の体を拘束する。


「慧一さん?」

「いいぜ。俺はいつでも、君を求めてる」


 返事と一緒に、甘い甘いキスをくれた。

 峰子はたちまち蕩け、愛し合う喜びに浸った。



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