モース10

藤谷 郁

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親友の恋

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 慧一はその様子を見つめ、ふと、気になることを訊ねた。


「眼鏡を外すと、クリアに見えない?」


 峰子は眼鏡をかけ直し、慧一をまぶしそうに見やる。


「あるていど離れると輪郭がぼやけますが、近くなら顔も表情も見分けがつきます」

「ふうん」


 慧一は、あの夜を思い返す。


(俺の顔、ちゃんと認識してたんだな。何かこう、別の誰かを見るような目つきだったが)


 あの夜――


 慧一は本当に訊きたいことが訊けないでいる。

 俺のスーツ姿や、ハダカを見て満足したのか。

 男を知って、気が済んだのか。

 好奇心が満たされたから、男女の営みはもう結構なのか。

 あと、なぜ意味深な発言をしたのか。

 そもそも俺のことを何だと思っているのか。

 肝心なことは、どうしても後回しになってしまう。


 何故か。

 彼自身、よく分かっている。返事を恐れるからだ。


 もう満足しました。気が済みました。セックスはもう要りません。発言に意味はありません――


 頭の中で勝手に返事を想定し、冷たい気持ちになる。


 あなたのことは、何とも思っていません――


 そんな返事なら、聞かないほうがましだ。


(ったく、俺らしくもない。情けないぞ、こんなの)


 このままでは前に進めない。チャンスは無限ではないのに。


(訊けよ、慧一。今、この場で!)


 弱気な自分に発破をかけた。


「峰子、あのな……」

「慧一!」


 口を開くのと同時に、後ろから声が飛んできた。

 びっくりしてそのほうを見ると、真介が手を上げ、こちらに歩いてくる。


(へ? 何であいつがここに)


 髪をきちんと整え、ワイシャツにスラックス姿、腕にジャケットを抱えている。


(休日出勤? 出張? それにしても、何てタイミングだよ)


 慧一の心情を知らず、真介は爽やかに微笑む。えらく機嫌が良さそうだ。どうやら、奥の椅子に腰かける峰子の姿は見えていない。


「珍しいな、日曜日にここで会うなんて。どうし……」


 テーブルまで来て、慧一が一人でないことに真介は気付く。そして、相手が誰であるか分かると目を丸くした。


「三原さん?」

「い、泉さん……」


 峰子も、真介の突然の登場に驚いた様子。だがすぐに姿勢を正し、会社で見せるのと同じ態度で挨拶をした。



「泉さん、おはようございます」

「や、やあ。おはよう」


 ぎこちなく挨拶を返すと、真介は慧一を見て何か言いたそうにする。

 だが、慧一は気付かないふりで、隣に座るよう促した。


「いや、俺はあっちに行くから……」

「なに言ってんだ、座れよ。なっ、峰子」

「はい、もちろんです。どうぞ、泉さん」

「あ……じゃあ、すみません。おじゃまします」


 真介と峰子の、堅物同士の不器用なやりとり。互いに恐縮する姿は、微笑ましいような、不格好なような、コミカルな絵面だ。

 でも慧一は、笑えなかった。


「驚いたよ」


 真介は慧一の隣に腰掛けると、そっと耳打ちした。

 驚いたのはお互い様である。ここでお前が現れるとは想定外だと、慧一は目顔で返した。



「さっき、真介君の噂をしてたのよ」


 オーダーを取りに来たおばちゃんが、ニコニコ顔で真介に声をかける。


「慧一君が、ここに女の子を連れて来るなんて初めてでしょう? 真介君が見たら妬いちゃうんじゃないのって」

「はい?」

「親友に先越されて、焦っちゃうでしょ」

「い、いやあ、別にそんなことは……」


 いきなりのツッコミに、真介はあからさまに動揺した。慧一は聞こえないふりをしている。


「それでは皆さん、ごゆっくりねえ」


 おばちゃんはオーダーを取ると、楽しげに戻って行った。


「……まいったな」


 真介は汗を拭いつつ、困ったように笑う。

 そんな彼を慧一は横目で見やり、「まいるのは俺だよ」と、心でツッコミを入れた。せっかく、大事な話をするところだったのに。


「それにしても、どうしたんだ今日は」


 慧一は気を取り直し、真介の格好をあらためて眺める。


「これから仕事か?」

「いや、違う」


 真介はチラリと峰子を見てから、テーブルの上で組んだ手に視線を落とす。


「ちょっと、大事な用事があるんだ。ここで」


 そう言いながら、もう一度峰子を見る。

 慧一は、もしやと思った。


 女か――


「誰かと、お会いになるのですか?」


 慧一が黙るので、峰子が代わりに尋ねた。


「あっ、ああ、そうなんだ。知り合いに……」


 たどたどしく返事をすると、真介は慧一に顔を向け、小さな声で教えた。


葉月はづき聖子せいこに、会うんだ」

「何だって?」


 慧一の顔色がサッと変わった。
 その険しい表情に、峰子が驚いている。

「なんでまた今頃……」


 女と会うのではと予感した慧一だが、よもや元カノが相手とは思わなかった。


「実は昨夜、聖子が突然電話してきたんだ。ゼミの仲間に俺の携帯番号を聞いたとか言って、それで、その……」

「縒よりを戻したいって?」


 真介の頬が染まるのを見て、慧一は顔をしかめた。


「マジかよ、呆れるぜ」

「う……うん」


 葉月聖子は大学時代の同級生で、真介にとって初めての恋人だった。

 彼女は一見しおらしい女だが、別の大学の男と二股をかけていた。しまいには男二人の就職先を比べ、向こうの将来性が上だと判断したらしく、真介をあっさりと棄てた。

 信じていた恋人の裏切りは、純情一途の真介にかなりの衝撃を与えた。

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