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親友の恋
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慧一はその様子を見つめ、ふと、気になることを訊ねた。
「眼鏡を外すと、クリアに見えない?」
峰子は眼鏡をかけ直し、慧一をまぶしそうに見やる。
「あるていど離れると輪郭がぼやけますが、近くなら顔も表情も見分けがつきます」
「ふうん」
慧一は、あの夜を思い返す。
(俺の顔、ちゃんと認識してたんだな。何かこう、別の誰かを見るような目つきだったが)
あの夜――
慧一は本当に訊きたいことが訊けないでいる。
俺のスーツ姿や、ハダカを見て満足したのか。
男を知って、気が済んだのか。
好奇心が満たされたから、男女の営みはもう結構なのか。
あと、なぜ意味深な発言をしたのか。
そもそも俺のことを何だと思っているのか。
肝心なことは、どうしても後回しになってしまう。
何故か。
彼自身、よく分かっている。返事を恐れるからだ。
もう満足しました。気が済みました。セックスはもう要りません。発言に意味はありません――
頭の中で勝手に返事を想定し、冷たい気持ちになる。
あなたのことは、何とも思っていません――
そんな返事なら、聞かないほうがましだ。
(ったく、俺らしくもない。情けないぞ、こんなの)
このままでは前に進めない。チャンスは無限ではないのに。
(訊けよ、慧一。今、この場で!)
弱気な自分に発破をかけた。
「峰子、あのな……」
「慧一!」
口を開くのと同時に、後ろから声が飛んできた。
びっくりしてそのほうを見ると、真介が手を上げ、こちらに歩いてくる。
(へ? 何であいつがここに)
髪をきちんと整え、ワイシャツにスラックス姿、腕にジャケットを抱えている。
(休日出勤? 出張? それにしても、何てタイミングだよ)
慧一の心情を知らず、真介は爽やかに微笑む。えらく機嫌が良さそうだ。どうやら、奥の椅子に腰かける峰子の姿は見えていない。
「珍しいな、日曜日にここで会うなんて。どうし……」
テーブルまで来て、慧一が一人でないことに真介は気付く。そして、相手が誰であるか分かると目を丸くした。
「三原さん?」
「い、泉さん……」
峰子も、真介の突然の登場に驚いた様子。だがすぐに姿勢を正し、会社で見せるのと同じ態度で挨拶をした。
「泉さん、おはようございます」
「や、やあ。おはよう」
ぎこちなく挨拶を返すと、真介は慧一を見て何か言いたそうにする。
だが、慧一は気付かないふりで、隣に座るよう促した。
「いや、俺はあっちに行くから……」
「なに言ってんだ、座れよ。なっ、峰子」
「はい、もちろんです。どうぞ、泉さん」
「あ……じゃあ、すみません。おじゃまします」
真介と峰子の、堅物同士の不器用なやりとり。互いに恐縮する姿は、微笑ましいような、不格好なような、コミカルな絵面だ。
でも慧一は、笑えなかった。
「驚いたよ」
真介は慧一の隣に腰掛けると、そっと耳打ちした。
驚いたのはお互い様である。ここでお前が現れるとは想定外だと、慧一は目顔で返した。
「さっき、真介君の噂をしてたのよ」
オーダーを取りに来たおばちゃんが、ニコニコ顔で真介に声をかける。
「慧一君が、ここに女の子を連れて来るなんて初めてでしょう? 真介君が見たら妬いちゃうんじゃないのって」
「はい?」
「親友に先越されて、焦っちゃうでしょ」
「い、いやあ、別にそんなことは……」
いきなりのツッコミに、真介はあからさまに動揺した。慧一は聞こえないふりをしている。
「それでは皆さん、ごゆっくりねえ」
おばちゃんはオーダーを取ると、楽しげに戻って行った。
「……まいったな」
真介は汗を拭いつつ、困ったように笑う。
そんな彼を慧一は横目で見やり、「まいるのは俺だよ」と、心でツッコミを入れた。せっかく、大事な話をするところだったのに。
「それにしても、どうしたんだ今日は」
慧一は気を取り直し、真介の格好をあらためて眺める。
「これから仕事か?」
「いや、違う」
真介はチラリと峰子を見てから、テーブルの上で組んだ手に視線を落とす。
「ちょっと、大事な用事があるんだ。ここで」
そう言いながら、もう一度峰子を見る。
慧一は、もしやと思った。
女か――
「誰かと、お会いになるのですか?」
慧一が黙るので、峰子が代わりに尋ねた。
「あっ、ああ、そうなんだ。知り合いに……」
たどたどしく返事をすると、真介は慧一に顔を向け、小さな声で教えた。
「葉月聖子に、会うんだ」
「何だって?」
慧一の顔色がサッと変わった。
その険しい表情に、峰子が驚いている。
「なんでまた今頃……」
女と会うのではと予感した慧一だが、よもや元カノが相手とは思わなかった。
「実は昨夜、聖子が突然電話してきたんだ。ゼミの仲間に俺の携帯番号を聞いたとか言って、それで、その……」
「縒よりを戻したいって?」
真介の頬が染まるのを見て、慧一は顔をしかめた。
「マジかよ、呆れるぜ」
「う……うん」
葉月聖子は大学時代の同級生で、真介にとって初めての恋人だった。
彼女は一見しおらしい女だが、別の大学の男と二股をかけていた。しまいには男二人の就職先を比べ、向こうの将来性が上だと判断したらしく、真介をあっさりと棄てた。
信じていた恋人の裏切りは、純情一途の真介にかなりの衝撃を与えた。
「眼鏡を外すと、クリアに見えない?」
峰子は眼鏡をかけ直し、慧一をまぶしそうに見やる。
「あるていど離れると輪郭がぼやけますが、近くなら顔も表情も見分けがつきます」
「ふうん」
慧一は、あの夜を思い返す。
(俺の顔、ちゃんと認識してたんだな。何かこう、別の誰かを見るような目つきだったが)
あの夜――
慧一は本当に訊きたいことが訊けないでいる。
俺のスーツ姿や、ハダカを見て満足したのか。
男を知って、気が済んだのか。
好奇心が満たされたから、男女の営みはもう結構なのか。
あと、なぜ意味深な発言をしたのか。
そもそも俺のことを何だと思っているのか。
肝心なことは、どうしても後回しになってしまう。
何故か。
彼自身、よく分かっている。返事を恐れるからだ。
もう満足しました。気が済みました。セックスはもう要りません。発言に意味はありません――
頭の中で勝手に返事を想定し、冷たい気持ちになる。
あなたのことは、何とも思っていません――
そんな返事なら、聞かないほうがましだ。
(ったく、俺らしくもない。情けないぞ、こんなの)
このままでは前に進めない。チャンスは無限ではないのに。
(訊けよ、慧一。今、この場で!)
弱気な自分に発破をかけた。
「峰子、あのな……」
「慧一!」
口を開くのと同時に、後ろから声が飛んできた。
びっくりしてそのほうを見ると、真介が手を上げ、こちらに歩いてくる。
(へ? 何であいつがここに)
髪をきちんと整え、ワイシャツにスラックス姿、腕にジャケットを抱えている。
(休日出勤? 出張? それにしても、何てタイミングだよ)
慧一の心情を知らず、真介は爽やかに微笑む。えらく機嫌が良さそうだ。どうやら、奥の椅子に腰かける峰子の姿は見えていない。
「珍しいな、日曜日にここで会うなんて。どうし……」
テーブルまで来て、慧一が一人でないことに真介は気付く。そして、相手が誰であるか分かると目を丸くした。
「三原さん?」
「い、泉さん……」
峰子も、真介の突然の登場に驚いた様子。だがすぐに姿勢を正し、会社で見せるのと同じ態度で挨拶をした。
「泉さん、おはようございます」
「や、やあ。おはよう」
ぎこちなく挨拶を返すと、真介は慧一を見て何か言いたそうにする。
だが、慧一は気付かないふりで、隣に座るよう促した。
「いや、俺はあっちに行くから……」
「なに言ってんだ、座れよ。なっ、峰子」
「はい、もちろんです。どうぞ、泉さん」
「あ……じゃあ、すみません。おじゃまします」
真介と峰子の、堅物同士の不器用なやりとり。互いに恐縮する姿は、微笑ましいような、不格好なような、コミカルな絵面だ。
でも慧一は、笑えなかった。
「驚いたよ」
真介は慧一の隣に腰掛けると、そっと耳打ちした。
驚いたのはお互い様である。ここでお前が現れるとは想定外だと、慧一は目顔で返した。
「さっき、真介君の噂をしてたのよ」
オーダーを取りに来たおばちゃんが、ニコニコ顔で真介に声をかける。
「慧一君が、ここに女の子を連れて来るなんて初めてでしょう? 真介君が見たら妬いちゃうんじゃないのって」
「はい?」
「親友に先越されて、焦っちゃうでしょ」
「い、いやあ、別にそんなことは……」
いきなりのツッコミに、真介はあからさまに動揺した。慧一は聞こえないふりをしている。
「それでは皆さん、ごゆっくりねえ」
おばちゃんはオーダーを取ると、楽しげに戻って行った。
「……まいったな」
真介は汗を拭いつつ、困ったように笑う。
そんな彼を慧一は横目で見やり、「まいるのは俺だよ」と、心でツッコミを入れた。せっかく、大事な話をするところだったのに。
「それにしても、どうしたんだ今日は」
慧一は気を取り直し、真介の格好をあらためて眺める。
「これから仕事か?」
「いや、違う」
真介はチラリと峰子を見てから、テーブルの上で組んだ手に視線を落とす。
「ちょっと、大事な用事があるんだ。ここで」
そう言いながら、もう一度峰子を見る。
慧一は、もしやと思った。
女か――
「誰かと、お会いになるのですか?」
慧一が黙るので、峰子が代わりに尋ねた。
「あっ、ああ、そうなんだ。知り合いに……」
たどたどしく返事をすると、真介は慧一に顔を向け、小さな声で教えた。
「葉月聖子に、会うんだ」
「何だって?」
慧一の顔色がサッと変わった。
その険しい表情に、峰子が驚いている。
「なんでまた今頃……」
女と会うのではと予感した慧一だが、よもや元カノが相手とは思わなかった。
「実は昨夜、聖子が突然電話してきたんだ。ゼミの仲間に俺の携帯番号を聞いたとか言って、それで、その……」
「縒よりを戻したいって?」
真介の頬が染まるのを見て、慧一は顔をしかめた。
「マジかよ、呆れるぜ」
「う……うん」
葉月聖子は大学時代の同級生で、真介にとって初めての恋人だった。
彼女は一見しおらしい女だが、別の大学の男と二股をかけていた。しまいには男二人の就職先を比べ、向こうの将来性が上だと判断したらしく、真介をあっさりと棄てた。
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