モース10

藤谷 郁

文字の大きさ
上 下
44 / 82
幸せな日曜日

しおりを挟む
 土曜日――

 慧一は終日、モースを読んで過ごした。


(それにしても、いろいろな意味で興味深い同人誌ほんだ)


 BLならではのエピソードだろうが、よく分からない部分がある。峰子への質問事項を、頭にメモしながら読み込んだ。




 翌日、日曜日の朝。

 とりあえず読み終わったので、その感想を伝えるという名目で峰子に電話をかけた。

 本音を言えば、彼女の声が聞きたい。できれば、どこかドライブにでも連れ出そうと目論んでいる。

 もっと深く強く、彼女と関わりたい。貪欲になっては駄目だと思いながら、なかなかコントロールが難しいものだ。




『はい、峰子です』


 彼女が電話に出たのは、呼び出し音が鳴ってすぐ。しかも、「三原」ではなく「峰子」と応答した。

 いきなり不意打ちを食らい、慧一は喜びながらも動揺する。


「おう、俺だ」

『おはようございます、慧一さん』

「おはよう」


 峰子の声は明るかった。明るいが、どこか元気がないような気もする。


「いつもと違うな」

『え……』

「どこか調子悪い?」

『……』


 息を呑む気配。どうやら図星のようだ。


「もしもし」

『すみません。あの、実はそうなんです……』

「風邪?」

『いえ……』


 やはり元気がない。
 あの日かな――と思ったが、それは言わないでおく。


「そうか。今日、できれば会えないかなーと、思ったんだけど」

『あっ、大丈夫です。会えます』


 意外にも、かぶりつくような反応。元気はあるようだ。


「具合が悪いんじゃないのか」

『違うんです」


 どうも要領を得ない。慧一はだんだん焦れてきた。


「峰子、はっきり言え。どうしたんだ」

『き……』

「き?」

『筋肉痛で』

「……」


 ようやく、峰子の状態を理解した。慧一は噴きそうになった口を押さえる。


「そ、そうか。そんなに酷いのか」

『いえ、昨日より楽になったんです。それに、今朝起きた時はガチガチでしたけど、だいぶ復活しました』

「復活?」


 言い方が面白くて、ついに笑った。


『笑わないでください』


「ゴメンゴメン。そう、それは悪かった。なら、一応動けるんだな」

『ええ』

「今から迎えに行ってもいいか」

『あ、はい。それなら私、表通りに出ていますので』

「いいよ、家の前に車をつけるよ」

『でも……』


 ためらうのは遠慮なのか、それとも、家族に見られるのが恥ずかしいのか。

 慧一は真面目な声で言った。


「遠慮するな。それに、俺は君を誘拐しようってわけじゃない。お茶に付き合ってもらうだけだ」

『はい……』

「大事な娘さんを預かる。そんなつもりでいるよ」


 納得したのかどうか、峰子は小さな声で「分かりました」と、素直に返事した。


「じゃあ、これから行くよ」

『はい、待っています』


 数秒の間を置き、通話が切れた。



「あっ、そういえば、モースの感想を伝えるはずだったのに」


 同人誌を介さずとも、峰子と会話できたことに気付く。しかも、すんなりとデートに誘い出せた。

 二人の距離がぐっと近付いたという手応えを感じる。

 慧一は笑顔になると、いそいそと準備を始めた。



 身支度を整えると慧一は車に乗り込み、峰子のもとへとひたすら走った。

 フロントガラスには、快晴の夏空が広がる。爽やかな景色の中、自然と気持ちが浮き立ってくる。


 それにしても……と、慧一は頬を緩めた。


 峰子には悪いが、彼女の筋肉痛が自分の仕業だと思うと妙に嬉しい。あの夜が夢ではなかったのだと、その証拠のように思える。

 ある意味、サディスティックな悦びだった。




 約束どおり、峰子の自宅前に車をつけた。

 慧一は門扉の前に立ち、深呼吸してからインターホンを鳴らす。

 ほどなくして玄関ドアが開き、峰子が現れた。


「やあ、お待たせ」


 にこりと笑い、峰子の後ろをそっと窺った。


「ご家族は?」

「父は町内会の用事で留守です。母は近所のお友達と買い物に出かけました。あと、弟はまだ寝ています」


 峰子は二階の窓を見上げながら言う。


「弟さんか。高校生?」

「はい。今、高校三年生です。今日は予備校が休みだから、朝寝してるんです」

「受験生なんだ」

「ええ」


 慧一は遠い昔を思い出す。

 高校三年生の夏、希望の大学に入りたくて、脇目も振らずに勉強した。ガールフレンドはいたが、デートなんてほとんど出来ず、自然解消した記憶がある。


「そうか。出かけることは、お母さんに言ってある?」

「はい。慧一さんと一緒にって伝えました」

「ふうん、そう……で、お母さんは何て?」


 それとなく訊くと、峰子は首を傾げる。


「それが……」

「うん?」


 彼女はなぜか、俯いてしまった。


「えっ? どうしたんだ。お母さんが何だって?」


 峰子の反応を見て不安になる。もしや、母親に良く思われていないのでは。

 だが、顔を上げた彼女の顔はどちらかと言うと嬉しそうで、しかも赤らんでいる。


「峰子?」

「あの人なら、安全ねって……」

「あんぜん?」

「はい」


 慧一は面食らった。まったくの誤解である。滝口慧一は、安全どころか危険極まりない男なのだ。

 そこまで信頼されると、逆に困ってしまう。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

ホリカヨは俺様上司を癒したい!

森永 陽月
恋愛
堀井嘉与子(ホリイカヨコ)は、普段は『大奥』でオハシタとして働く冴えないOLだが、副業では自分のコンプレックスを生かして働こうとしていた。 そこにやってきたのは、憧れの郡司透吏部長。 『郡司部長、私はあなたを癒したいです』 ※他の投稿サイトにも載せています。

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

そこは優しい悪魔の腕の中

真木
恋愛
極道の義兄に引き取られ、守られて育った遥花。檻のような愛情に囲まれていても、彼女は恋をしてしまった。悪いひとたちだけの、恋物語。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

10 sweet wedding

国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。

処理中です...