モース10

藤谷 郁

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夜へ

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 午後九時――

 客室の鍵を開ける慧一の後ろに、峰子が立っている。

 食事と会話で少しはほぐれた態度も、ここへきてリセットされたようだ。彼女の緊張感が痛いほど伝わってくる。

 慧一は背中を見せたまま彼女に告げた。


「これから部屋に入るけどな、峰子」

「はい」

「二人でお茶を飲みながら、楽しくお喋りするってわけじゃないぞ」

「はい」


 峰子のか細い、しかし素直な返事に慧一は頷く。


「分かってるならいい」


 言いながら、勢いよくドアを押した。

 先に入るよう峰子を促す。

 彼女は軽く会釈をして慧一の前を通り、部屋の奥へとそろそろと進んだ。ドアが静かに閉まると、正真正銘、二人きりになった。

 照明が抑えられたオレンジの空間。

 中央にはダブルベッドが、やけに大きく存在している。

 峰子は窓辺に寄り、海を見ている。男に背をむけたまま、ピクリとも動かない。
 
 慧一は上着を脱ぐと無造作にソファの背に放り、ネクタイを緩めた。

 首筋に汗が滲む。こちらも少し緊張している。


(慌てるなよ)


 口の中でひとりごち、ゆっくりと峰子に近付いた。思い切ったように腕を伸ばすと、細い肩を掴む。

 彼女の体が強張るのを、手の平に感じた。


「峰子」

「は……い」


 声も上ずり、気の毒なぐらいガチガチである。

 だが慧一は情けをかけるつもりは一切ない。二人きりになった瞬間から男と女だ。躊躇も遠慮もしない。


「本当にいいのかなんて、俺は訊かないよ」

「はい……」


 腕に力を入れ、峰子の体をこちらに向かせた。

 怯えた瞳とがち合うが、慧一は構わず、彼女の眼鏡をそっと外して傍らのテーブルに置く。そして、返すその手で顎を支えた。

 慧一の感性にぴたりと符合する、峰子のかわいい顔。

 月明かりに映える白い肌は、慧一よりもよほど肌理が細かく透明だった。

 眉も睫も薔薇色の唇も、微かに震えている。


(今からすべて、俺のものにする)


 唇を塞ぐように、キスをした。


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