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調査報告
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真介と短く言葉を交わし、立ち去ろうとした峰子は、黙ったままの慧一をちらりと見上げた。
それは一瞬のことだが、慧一は反射的に横を向き、怒ったように口を引き結んだ。
峰子は会釈をすると、足早に歩いていった。
慧一はパンプスの音を耳にしつつ、彼女に何も悟られなかっただろうかと心配した。
まだどきどきしている。
認めたくはないが、体は正直だ。
「いいよな、あの子。清潔な感じがして、今時珍しいよな」
峰子の後姿をいつまでも見送る真介に、慧一は複雑な思いだった。
全部話していいものかどうか。
こんなに心も頭も乱される経験はかつて無い。
恋という感情は、実にやっかいでしんどいものだと、慧一は今頃になって学ぶのだった。
◇ ◇ ◇
喫茶ロマンの片隅で、慧一はスマートフォンをいじりながら、真介を待っている。
携帯に女の連絡先を登録したのはいつ以来だろう。
今現在、アドレス帳に並ぶのは、女と言っても色気のない関係ばかりだ。母親と、弟の嫁、あとは会社関係の人間。
俺も寂しい男だなあと、慧一はつくづく思う。
女性だけでなく、男の友人も決して多くない。会えばワイワイやるような間柄でも、連絡先が分からない相手が殆どだった。
昨夜、峰子の連絡先を登録した。
彼女の端末にも、慧一のそれが同じく登録された。彼女のアドレスに「他の男」の名前があるのかどうか、気になった。
彼女の場合、まず有り得ないだろうが、万が一ということもある。
慧一は息をつくと、スマートフォンをポケットに仕舞う。
約束の七時まで、あと十分。
テーブルの上には例の本、モース4が置いてある。
(真介のやつ、どんな顔をするのやら)
同人誌の作者名を知り、驚愕とする友人を想像した。
(あいつは峰子をまるで聖女のように見ている。聖女は聖女だが、かなり困ったタイプだぞ)
慧一はふと考えた。考えたというより、それは妄想に近い。
キスをしてくれと言ったら、キスをくれた。
と言うことは、もしもエッチしてくれと言ったらどうするのか。
『エッチしてくれ』
『はい、します』
(俺にのしかかる峰子。奪われる俺……って、待てよ)
「俺が奪われてどうするんだ」
慧一は苦笑した。いくらなんでも馬鹿げている。
「あるわけねえだろ、そんなこと」
飛躍した想像に独り笑っていると、入り口のドアが開いて真介が現れた。
バイトのおばちゃんにテーブルを教えられ、慧一のほうへ歩いてくる。緊張の面持ちで、だがスタスタと、彼らしい落ち着いた足取りだ。
「待ったか?」
「ううん、ちっとも」
女のような声音で返す。
「……あのな」
慧一のいつもの冗談口に呆れながら、真介はホッとした顔になる。朝、元気がないように見えたので、心配したのだろう。
真介は椅子に座るとおばちゃんにブレンドを頼んだ。それから、厳しい目つきになって慧一と向き合う。
「それで? どうだったんだ、これは」
テーブルの同人誌を指で叩き、調査報告を催促する。
「作者が誰か分かったんだろ?」
「うん」
「工場の人間か? 誰だったんだ」
「うん」
頷くばかりの慧一に、真介は焦れた。
「煮えきらんなあ、早く言えよ」
「驚くなよ」
慧一はカップを置くと、ゆっくり顔を上げ、前のめりの真介に忠告する。
「ちゃんと俺の言うことを信じろよ。怒るなよ」
妙に前置きする慧一に、真介は変な顔をしたが、
「いいぞ、さあ言ってくれ」
さらに前傾姿勢になり、身構えた。
「三原峰子だ」
「……」
真介は無反応だ。
頭の中で、今慧一が言った名前と、目の前にある “いかがわしい同人誌” を、懸命に結び付けようとしているのかもしれない。
それにしても、反応がなさすぎる。
「真介?」
慧一は心配になってきた。
「大丈夫か? おい」
慧一は、微動だにしない友人の、テーブル上で握り締められた拳を掴んだ。
「ぎゃっ!」
真介は叫ぶと、慌てて慧一の手を払う。我に返ったようだ。
とりあえず慧一は安堵した。
「ショックで気を失ったかと思ったよ」
「本当なのか!?」
やっと事態を飲み込めたらしい。
「ああ、本当だ」
「そんな……」
真介は同人誌"モース"を、呆然と見下ろす。
「俺と慧一の、せ……性交場面を描いたのが、あの、三原峰子さん」
「おいおい、シンとケイだよ。変なこと言うな」
慧一は本を取り上げると、ぱらぱらとめくった。
「ここを見ろ」
挿絵のページを開き、隅を指差す。
「ここに小さくサインしてあるだろ。よく見ると他のページにも、この文字がある。これが彼女のペンネームだよ」
真介は目を凝らし、『mie』と、控えめに綴られた文字に見入る。
「みー?」
「読者からはミイさんって呼ばれてるらしいよ。峰子のミイだ」
真介は運ばれてきたブレンドに、震える手でクリームを入れる。スプーンでカチャカチャとかき混ぜ、そっと口に含んだ。
ごくりと飲み込むと、多少落ち着いたのか、ふうっと息をついた。
「……どうやって調べたんだ。納得するよう聞かせてくれ」
慧一は頷く。朝からあれこれと考え、全て話すことに決めていた。
アンフェアなのは、結局自分を窮屈にする。また、自分らしくもないと思い至ったのだ。
風通しをよくしてから、峰子との恋愛を進めていきたい。
それは一瞬のことだが、慧一は反射的に横を向き、怒ったように口を引き結んだ。
峰子は会釈をすると、足早に歩いていった。
慧一はパンプスの音を耳にしつつ、彼女に何も悟られなかっただろうかと心配した。
まだどきどきしている。
認めたくはないが、体は正直だ。
「いいよな、あの子。清潔な感じがして、今時珍しいよな」
峰子の後姿をいつまでも見送る真介に、慧一は複雑な思いだった。
全部話していいものかどうか。
こんなに心も頭も乱される経験はかつて無い。
恋という感情は、実にやっかいでしんどいものだと、慧一は今頃になって学ぶのだった。
◇ ◇ ◇
喫茶ロマンの片隅で、慧一はスマートフォンをいじりながら、真介を待っている。
携帯に女の連絡先を登録したのはいつ以来だろう。
今現在、アドレス帳に並ぶのは、女と言っても色気のない関係ばかりだ。母親と、弟の嫁、あとは会社関係の人間。
俺も寂しい男だなあと、慧一はつくづく思う。
女性だけでなく、男の友人も決して多くない。会えばワイワイやるような間柄でも、連絡先が分からない相手が殆どだった。
昨夜、峰子の連絡先を登録した。
彼女の端末にも、慧一のそれが同じく登録された。彼女のアドレスに「他の男」の名前があるのかどうか、気になった。
彼女の場合、まず有り得ないだろうが、万が一ということもある。
慧一は息をつくと、スマートフォンをポケットに仕舞う。
約束の七時まで、あと十分。
テーブルの上には例の本、モース4が置いてある。
(真介のやつ、どんな顔をするのやら)
同人誌の作者名を知り、驚愕とする友人を想像した。
(あいつは峰子をまるで聖女のように見ている。聖女は聖女だが、かなり困ったタイプだぞ)
慧一はふと考えた。考えたというより、それは妄想に近い。
キスをしてくれと言ったら、キスをくれた。
と言うことは、もしもエッチしてくれと言ったらどうするのか。
『エッチしてくれ』
『はい、します』
(俺にのしかかる峰子。奪われる俺……って、待てよ)
「俺が奪われてどうするんだ」
慧一は苦笑した。いくらなんでも馬鹿げている。
「あるわけねえだろ、そんなこと」
飛躍した想像に独り笑っていると、入り口のドアが開いて真介が現れた。
バイトのおばちゃんにテーブルを教えられ、慧一のほうへ歩いてくる。緊張の面持ちで、だがスタスタと、彼らしい落ち着いた足取りだ。
「待ったか?」
「ううん、ちっとも」
女のような声音で返す。
「……あのな」
慧一のいつもの冗談口に呆れながら、真介はホッとした顔になる。朝、元気がないように見えたので、心配したのだろう。
真介は椅子に座るとおばちゃんにブレンドを頼んだ。それから、厳しい目つきになって慧一と向き合う。
「それで? どうだったんだ、これは」
テーブルの同人誌を指で叩き、調査報告を催促する。
「作者が誰か分かったんだろ?」
「うん」
「工場の人間か? 誰だったんだ」
「うん」
頷くばかりの慧一に、真介は焦れた。
「煮えきらんなあ、早く言えよ」
「驚くなよ」
慧一はカップを置くと、ゆっくり顔を上げ、前のめりの真介に忠告する。
「ちゃんと俺の言うことを信じろよ。怒るなよ」
妙に前置きする慧一に、真介は変な顔をしたが、
「いいぞ、さあ言ってくれ」
さらに前傾姿勢になり、身構えた。
「三原峰子だ」
「……」
真介は無反応だ。
頭の中で、今慧一が言った名前と、目の前にある “いかがわしい同人誌” を、懸命に結び付けようとしているのかもしれない。
それにしても、反応がなさすぎる。
「真介?」
慧一は心配になってきた。
「大丈夫か? おい」
慧一は、微動だにしない友人の、テーブル上で握り締められた拳を掴んだ。
「ぎゃっ!」
真介は叫ぶと、慌てて慧一の手を払う。我に返ったようだ。
とりあえず慧一は安堵した。
「ショックで気を失ったかと思ったよ」
「本当なのか!?」
やっと事態を飲み込めたらしい。
「ああ、本当だ」
「そんな……」
真介は同人誌"モース"を、呆然と見下ろす。
「俺と慧一の、せ……性交場面を描いたのが、あの、三原峰子さん」
「おいおい、シンとケイだよ。変なこと言うな」
慧一は本を取り上げると、ぱらぱらとめくった。
「ここを見ろ」
挿絵のページを開き、隅を指差す。
「ここに小さくサインしてあるだろ。よく見ると他のページにも、この文字がある。これが彼女のペンネームだよ」
真介は目を凝らし、『mie』と、控えめに綴られた文字に見入る。
「みー?」
「読者からはミイさんって呼ばれてるらしいよ。峰子のミイだ」
真介は運ばれてきたブレンドに、震える手でクリームを入れる。スプーンでカチャカチャとかき混ぜ、そっと口に含んだ。
ごくりと飲み込むと、多少落ち着いたのか、ふうっと息をついた。
「……どうやって調べたんだ。納得するよう聞かせてくれ」
慧一は頷く。朝からあれこれと考え、全て話すことに決めていた。
アンフェアなのは、結局自分を窮屈にする。また、自分らしくもないと思い至ったのだ。
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