モース10

藤谷 郁

文字の大きさ
上 下
28 / 82
キス

しおりを挟む
 広い駐車場は車も少なく、コンビニのガラス窓に映る人影もまばらだった。

 慧一は、建物から離れた位置に車を停めた。
 辺りは暗くシンとして、店内から漏れる明かりもここまで届かない。


(さて……と)


 シートベルトを外すと、後部席に体ごと振り向き、峰子と顔を合わせた。


「あのっ、すみません。失礼なことを言ってしまって……」

「ん?」


 峰子は気まずそうな表情かおで、オドオドしている。

 あんなにきっぱり発言しながら、いまさら怖がる彼女を可笑しいと感じる。だが慧一は笑わなかった。


「いや、感心してるんだよ。君と俺はこれまで接点も無く過ごしてきた。ほとんど口も利いたことがない、それなのに」


 言いながら慧一は、不思議な思いにとらわれる。


(俺だってそうだ。このを認識したのはごく最近で、それこそ、いくらも喋っていない。それなのに、好きになったじゃないか。いきなり好きで堪らなくなった)


「滝口さん……」


 峰子は座る位置を前にずらし、座席に手を掛け、少し身を乗り出すようにした。眼鏡の奥の瞳は、なぜか潤んでいる。

 峰子の顔が近付き、慧一は危ない気分が持ち上がるのを堪えた。今はまだ、その段階ではない。


「ええと……じゃあ、質問に戻るよ。モースのことだ」

「はい」


 峰子の返事は素直だ。きちんと答えようとしている。


「『ケイ』の傲慢でドスケベな性格は、俺を参考にしてるのか?」

「それは……」


 峰子は明らかに狼狽し、言葉に窮した。

 だが慧一は追及を緩めるつもりはなく、彼女の世界へと挑み続ける。


「そのあたりも見抜いてるわけだ」

「うっ」


 慧一は座席の肩に顎を乗せ、峰子の困った顔を見据えた。


「いいえ、あの、それはその……何となく想像しただけで。もちろん、オーバーに書いたんですけど」

「ほう」


 しどろもどろの峰子が、潤んだ瞳で見返してくる。


「……ごめんなさい。想像、というより妄想です。あなたのことを知りもしないのに、勝手にキャラクターやストーリーを考えました」


 峰子は済まなそうにうなだれる。
 今度こそ慧一を不愉快にさせたと思い込んだらしい。

 車のライトは消えている。

 月明かりのもと、彼女の首筋が白く浮かび上がり、慧一の願望を強く揺さぶった。

 なんの計算もない、処女の誘い。


「いいよ。確かに俺は傲慢で、ドスケベな男だ」

「え……」


 顔を上げ、ぽかんとする峰子。可笑しくて、可愛くて、慧一は微笑んでしまう。


「ただし、相手は真介じゃないぞ」


 冗談っぽい口ぶりに、峰子も微笑む。
 慧一には、今日これまでの、どんな表情よりも艶めかしく映った。


「好きな女の子に対しては、そうなる。最近、分かったことだ」

「……」

「君のことだよ」


 波の音だけが聞こえる、海辺の駐車場。

 二人は動かず、長いこと見つめ合った。

 先に動いたのは慧一。

 視線を合わせたまま、峰子の眼鏡に指をかけると、そっと外した。

 顔の角度を傾け、淡い色の、柔らかな唇に近付く。


 彼女の息を感じる。

 あと少しで重なると思ったその時……


「きゃっ」


 か細い悲鳴とともに、彼女が後ろに下がった。


「……嫌か」


 慧一は落胆した様子もなく、普通に呟く。これは予想の範囲内で、当然の反応である。なにしろ相手は、まっさらの処女なのだから。

 峰子は後部座席の背もたれに体をくっつけ、微かに震えている。


「……ダ、ダメです。そんなっ」


 彼女は激しくかぶりを振り、上ずった声で抗議した。


(名前を呼び捨てにされるのはいいが、キスはダメ、か)


 ちょっとだけ期待した自分に、慧一は苦笑する。


「峰子」

「は、はいっ」

「俺は、さっき君が言ったように、束縛されるのが嫌いだが、するのはもっと嫌いだ」

「え……?」


 逃げ腰の峰子に、真面目に言って聞かせる。


「俺は君が好きだよ。無理やりにでも手に入れたいと思ってる。意味、分かるよな。でも、それは君を自分の言いなりにするのとは違う」


 峰子は黙っている。

 眼鏡無しの顔も可愛いじゃないかと内心満足しながら、慧一は続けた。


「お互いべったりせず、何の束縛も無い、自由な付き合いを一度やってみないか」


 彼女の世界に入れてほしい。

 奥の奥まで踏み込んでいくチャンス。ここは運命の分かれ道だ。


 真剣な態度に応じてか、峰子はこちらを見直すけれど、やはり目を逸らした。


「付き合うって、そんな……本気ですか。私なんかを、好きだなんて」


 自信なさげに俯く仕草に、慧一はふと、泉真介を思い出す。

 せっかく良い素材なのに、自信のなさが魅力を半減させている。峰子もまさに、そんなタイプだった。


「私は、あなたを勝手にネタにして本を書いてるような、変な人間ですよ」


 少々弱いが、これはこれで手応えだ。


「俺は面白いと思ってるよ、君のこと。好奇心を大いに刺激される」

「お、面白い……ですか?」

「うん。それに、可愛い」


 峰子は首を左右に振り、胸を押さえた。


「そんなこと言われたの初めてです。変わってるとはよく言われるけど。あと、地味だとか。それに、可愛いなんて……」


 暗い中でも頬が赤らむのが分かった。やはり女の子である。


「可愛いよ」


 思いを込めて、もう一度言う。

 峰子はいたたまれないのか、もじもじした。

 自分の魅力に気付かない女は損だ。歯がゆくてしょうがない。

 慧一は、ますます自分が何とかしてやらなくてはと焦り、体の芯が強く疼いた。


「でも……分かりました」


 やがて峰子は顔をゆっくりと上げて、慧一と向き合う。
 頬は赤らんだまま。


「えっ?」


 分かりましたと、確かに聞こえた。

 つまり、承諾したということ――

 彼女の返事がにわかには信じられず、慧一は真意をはかるために彼女を覗き込む。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

魔石と神器の物語 ~アイテムショップの美人姉妹は、史上最強の助っ人です!~

エール
ファンタジー
 古代遺跡群攻略都市「イフカ」を訪れた新進気鋭の若き冒険者(ハンター)、ライナス。  彼が立ち寄った「魔法堂 白銀の翼」は、一風変わったアイテムを扱う魔道具専門店だった。  経営者は若い美人姉妹。  妹は自ら作成したアイテムを冒険の実践にて試用する、才能溢れる魔道具製作者。  そして姉の正体は、特定冒険者と契約を交わし、召喚獣として戦う闇の狂戦士だった。  最高純度の「超魔石」と「充魔石」を体内に埋め込まれた不死属性の彼女は、呪われし武具を纏い、補充用の魔石を求めて戦場に向かう。いつの日か、「人間」に戻ることを夢見て――。

夕陽を映すあなたの瞳

葉月 まい
恋愛
恋愛に興味のないサバサバ女の 心 バリバリの商社マンで優等生タイプの 昴 そんな二人が、 高校の同窓会の幹事をすることに… 意思疎通は上手くいくのか? ちゃんと幹事は出来るのか? まさか、恋に発展なんて… しないですよね?…あれ? 思わぬ二人の恋の行方は?? *✻:::✻*✻:::✻* *✻:::✻*✻:::✻* *✻:::✻*✻:::✻ 高校の同窓会の幹事をすることになった 心と昴。 8年ぶりに再会し、準備を進めるうちに いつしか二人は距離を縮めていく…。 高校時代は 決して交わることのなかった二人。 ぎこちなく、でも少しずつ お互いを想い始め… ☆*:.。. 登場人物 .。.:*☆ 久住 心 (26歳)… 水族館の飼育員 Kuzumi Kokoro 伊吹 昴 (26歳)… 海外を飛び回る商社マン Ibuki Subaru

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

秘密の恋

美希みなみ
恋愛
番外編更新はじめました(*ノωノ) 笠井瑞穂 25歳 東洋不動産 社長秘書 高倉由幸 31歳 東洋不動産 代表取締役社長 一途に由幸に思いをよせる、どこにでもいそうなOL瑞穂。 瑞穂は諦めるための最後の賭けに出た。 思いが届かなくても一度だけ…。 これで、あなたを諦めるから……。 短編ショートストーリーです。 番外編で由幸のお話を追加予定です。

大好きな幼馴染と結婚した夜

clayclay
恋愛
架空の国、アーケディア国でのお話。幼馴染との初めての夜。 前作の両親から生まれたエイミーと、その幼馴染のお話です。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

Catch hold of your Love

天野斜己
恋愛
入社してからずっと片思いしていた男性(ひと)には、彼にお似合いの婚約者がいらっしゃる。あたしもそろそろ不毛な片思いから卒業して、親戚のオバサマの勧めるお見合いなんぞしてみようかな、うん、そうしよう。 決心して、お見合いに臨もうとしていた矢先。 当の上司から、よりにもよって職場で押し倒された。 なぜだ!? あの美しいオジョーサマは、どーするの!? ※2016年01月08日 完結済。

処理中です...