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キス
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広い駐車場は車も少なく、コンビニのガラス窓に映る人影もまばらだった。
慧一は、建物から離れた位置に車を停めた。
辺りは暗くシンとして、店内から漏れる明かりもここまで届かない。
(さて……と)
シートベルトを外すと、後部席に体ごと振り向き、峰子と顔を合わせた。
「あのっ、すみません。失礼なことを言ってしまって……」
「ん?」
峰子は気まずそうな表情で、オドオドしている。
あんなにきっぱり発言しながら、いまさら怖がる彼女を可笑しいと感じる。だが慧一は笑わなかった。
「いや、感心してるんだよ。君と俺はこれまで接点も無く過ごしてきた。ほとんど口も利いたことがない、それなのに」
言いながら慧一は、不思議な思いにとらわれる。
(俺だってそうだ。この娘を認識したのはごく最近で、それこそ、いくらも喋っていない。それなのに、好きになったじゃないか。いきなり好きで堪らなくなった)
「滝口さん……」
峰子は座る位置を前にずらし、座席に手を掛け、少し身を乗り出すようにした。眼鏡の奥の瞳は、なぜか潤んでいる。
峰子の顔が近付き、慧一は危ない気分が持ち上がるのを堪えた。今はまだ、その段階ではない。
「ええと……じゃあ、質問に戻るよ。モースのことだ」
「はい」
峰子の返事は素直だ。きちんと答えようとしている。
「『ケイ』の傲慢でドスケベな性格は、俺を参考にしてるのか?」
「それは……」
峰子は明らかに狼狽し、言葉に窮した。
だが慧一は追及を緩めるつもりはなく、彼女の世界へと挑み続ける。
「そのあたりも見抜いてるわけだ」
「うっ」
慧一は座席の肩に顎を乗せ、峰子の困った顔を見据えた。
「いいえ、あの、それはその……何となく想像しただけで。もちろん、オーバーに書いたんですけど」
「ほう」
しどろもどろの峰子が、潤んだ瞳で見返してくる。
「……ごめんなさい。想像、というより妄想です。あなたのことを知りもしないのに、勝手にキャラクターやストーリーを考えました」
峰子は済まなそうにうなだれる。
今度こそ慧一を不愉快にさせたと思い込んだらしい。
車のライトは消えている。
月明かりのもと、彼女の首筋が白く浮かび上がり、慧一の願望を強く揺さぶった。
なんの計算もない、処女の誘い。
「いいよ。確かに俺は傲慢で、ドスケベな男だ」
「え……」
顔を上げ、ぽかんとする峰子。可笑しくて、可愛くて、慧一は微笑んでしまう。
「ただし、相手は真介じゃないぞ」
冗談っぽい口ぶりに、峰子も微笑む。
慧一には、今日これまでの、どんな表情よりも艶めかしく映った。
「好きな女の子に対しては、そうなる。最近、分かったことだ」
「……」
「君のことだよ」
波の音だけが聞こえる、海辺の駐車場。
二人は動かず、長いこと見つめ合った。
先に動いたのは慧一。
視線を合わせたまま、峰子の眼鏡に指をかけると、そっと外した。
顔の角度を傾け、淡い色の、柔らかな唇に近付く。
彼女の息を感じる。
あと少しで重なると思ったその時……
「きゃっ」
か細い悲鳴とともに、彼女が後ろに下がった。
「……嫌か」
慧一は落胆した様子もなく、普通に呟く。これは予想の範囲内で、当然の反応である。なにしろ相手は、まっさらの処女なのだから。
峰子は後部座席の背もたれに体をくっつけ、微かに震えている。
「……ダ、ダメです。そんなっ」
彼女は激しくかぶりを振り、上ずった声で抗議した。
(名前を呼び捨てにされるのはいいが、キスはダメ、か)
ちょっとだけ期待した自分に、慧一は苦笑する。
「峰子」
「は、はいっ」
「俺は、さっき君が言ったように、束縛されるのが嫌いだが、するのはもっと嫌いだ」
「え……?」
逃げ腰の峰子に、真面目に言って聞かせる。
「俺は君が好きだよ。無理やりにでも手に入れたいと思ってる。意味、分かるよな。でも、それは君を自分の言いなりにするのとは違う」
峰子は黙っている。
眼鏡無しの顔も可愛いじゃないかと内心満足しながら、慧一は続けた。
「お互いべったりせず、何の束縛も無い、自由な付き合いを一度やってみないか」
彼女の世界に入れてほしい。
奥の奥まで踏み込んでいくチャンス。ここは運命の分かれ道だ。
真剣な態度に応じてか、峰子はこちらを見直すけれど、やはり目を逸らした。
「付き合うって、そんな……本気ですか。私なんかを、好きだなんて」
自信なさげに俯く仕草に、慧一はふと、泉真介を思い出す。
せっかく良い素材なのに、自信のなさが魅力を半減させている。峰子もまさに、そんなタイプだった。
「私は、あなたを勝手にネタにして本を書いてるような、変な人間ですよ」
少々弱いが、これはこれで手応えだ。
「俺は面白いと思ってるよ、君のこと。好奇心を大いに刺激される」
「お、面白い……ですか?」
「うん。それに、可愛い」
峰子は首を左右に振り、胸を押さえた。
「そんなこと言われたの初めてです。変わってるとはよく言われるけど。あと、地味だとか。それに、可愛いなんて……」
暗い中でも頬が赤らむのが分かった。やはり女の子である。
「可愛いよ」
思いを込めて、もう一度言う。
峰子はいたたまれないのか、もじもじした。
自分の魅力に気付かない女は損だ。歯がゆくてしょうがない。
慧一は、ますます自分が何とかしてやらなくてはと焦り、体の芯が強く疼いた。
「でも……分かりました」
やがて峰子は顔をゆっくりと上げて、慧一と向き合う。
頬は赤らんだまま。
「えっ?」
分かりましたと、確かに聞こえた。
つまり、承諾したということ――
彼女の返事がにわかには信じられず、慧一は真意をはかるために彼女を覗き込む。
慧一は、建物から離れた位置に車を停めた。
辺りは暗くシンとして、店内から漏れる明かりもここまで届かない。
(さて……と)
シートベルトを外すと、後部席に体ごと振り向き、峰子と顔を合わせた。
「あのっ、すみません。失礼なことを言ってしまって……」
「ん?」
峰子は気まずそうな表情で、オドオドしている。
あんなにきっぱり発言しながら、いまさら怖がる彼女を可笑しいと感じる。だが慧一は笑わなかった。
「いや、感心してるんだよ。君と俺はこれまで接点も無く過ごしてきた。ほとんど口も利いたことがない、それなのに」
言いながら慧一は、不思議な思いにとらわれる。
(俺だってそうだ。この娘を認識したのはごく最近で、それこそ、いくらも喋っていない。それなのに、好きになったじゃないか。いきなり好きで堪らなくなった)
「滝口さん……」
峰子は座る位置を前にずらし、座席に手を掛け、少し身を乗り出すようにした。眼鏡の奥の瞳は、なぜか潤んでいる。
峰子の顔が近付き、慧一は危ない気分が持ち上がるのを堪えた。今はまだ、その段階ではない。
「ええと……じゃあ、質問に戻るよ。モースのことだ」
「はい」
峰子の返事は素直だ。きちんと答えようとしている。
「『ケイ』の傲慢でドスケベな性格は、俺を参考にしてるのか?」
「それは……」
峰子は明らかに狼狽し、言葉に窮した。
だが慧一は追及を緩めるつもりはなく、彼女の世界へと挑み続ける。
「そのあたりも見抜いてるわけだ」
「うっ」
慧一は座席の肩に顎を乗せ、峰子の困った顔を見据えた。
「いいえ、あの、それはその……何となく想像しただけで。もちろん、オーバーに書いたんですけど」
「ほう」
しどろもどろの峰子が、潤んだ瞳で見返してくる。
「……ごめんなさい。想像、というより妄想です。あなたのことを知りもしないのに、勝手にキャラクターやストーリーを考えました」
峰子は済まなそうにうなだれる。
今度こそ慧一を不愉快にさせたと思い込んだらしい。
車のライトは消えている。
月明かりのもと、彼女の首筋が白く浮かび上がり、慧一の願望を強く揺さぶった。
なんの計算もない、処女の誘い。
「いいよ。確かに俺は傲慢で、ドスケベな男だ」
「え……」
顔を上げ、ぽかんとする峰子。可笑しくて、可愛くて、慧一は微笑んでしまう。
「ただし、相手は真介じゃないぞ」
冗談っぽい口ぶりに、峰子も微笑む。
慧一には、今日これまでの、どんな表情よりも艶めかしく映った。
「好きな女の子に対しては、そうなる。最近、分かったことだ」
「……」
「君のことだよ」
波の音だけが聞こえる、海辺の駐車場。
二人は動かず、長いこと見つめ合った。
先に動いたのは慧一。
視線を合わせたまま、峰子の眼鏡に指をかけると、そっと外した。
顔の角度を傾け、淡い色の、柔らかな唇に近付く。
彼女の息を感じる。
あと少しで重なると思ったその時……
「きゃっ」
か細い悲鳴とともに、彼女が後ろに下がった。
「……嫌か」
慧一は落胆した様子もなく、普通に呟く。これは予想の範囲内で、当然の反応である。なにしろ相手は、まっさらの処女なのだから。
峰子は後部座席の背もたれに体をくっつけ、微かに震えている。
「……ダ、ダメです。そんなっ」
彼女は激しくかぶりを振り、上ずった声で抗議した。
(名前を呼び捨てにされるのはいいが、キスはダメ、か)
ちょっとだけ期待した自分に、慧一は苦笑する。
「峰子」
「は、はいっ」
「俺は、さっき君が言ったように、束縛されるのが嫌いだが、するのはもっと嫌いだ」
「え……?」
逃げ腰の峰子に、真面目に言って聞かせる。
「俺は君が好きだよ。無理やりにでも手に入れたいと思ってる。意味、分かるよな。でも、それは君を自分の言いなりにするのとは違う」
峰子は黙っている。
眼鏡無しの顔も可愛いじゃないかと内心満足しながら、慧一は続けた。
「お互いべったりせず、何の束縛も無い、自由な付き合いを一度やってみないか」
彼女の世界に入れてほしい。
奥の奥まで踏み込んでいくチャンス。ここは運命の分かれ道だ。
真剣な態度に応じてか、峰子はこちらを見直すけれど、やはり目を逸らした。
「付き合うって、そんな……本気ですか。私なんかを、好きだなんて」
自信なさげに俯く仕草に、慧一はふと、泉真介を思い出す。
せっかく良い素材なのに、自信のなさが魅力を半減させている。峰子もまさに、そんなタイプだった。
「私は、あなたを勝手にネタにして本を書いてるような、変な人間ですよ」
少々弱いが、これはこれで手応えだ。
「俺は面白いと思ってるよ、君のこと。好奇心を大いに刺激される」
「お、面白い……ですか?」
「うん。それに、可愛い」
峰子は首を左右に振り、胸を押さえた。
「そんなこと言われたの初めてです。変わってるとはよく言われるけど。あと、地味だとか。それに、可愛いなんて……」
暗い中でも頬が赤らむのが分かった。やはり女の子である。
「可愛いよ」
思いを込めて、もう一度言う。
峰子はいたたまれないのか、もじもじした。
自分の魅力に気付かない女は損だ。歯がゆくてしょうがない。
慧一は、ますます自分が何とかしてやらなくてはと焦り、体の芯が強く疼いた。
「でも……分かりました」
やがて峰子は顔をゆっくりと上げて、慧一と向き合う。
頬は赤らんだまま。
「えっ?」
分かりましたと、確かに聞こえた。
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