26 / 82
二人きり
2
しおりを挟む
「慧一さんのスーツ姿って、そんな超レアな写真、いつ、どこで見たの?」
京子が代わりに質問してくれた。
峰子は少しためらった後、慧一にも聞こえるように答えた。
「組合事務所に異動したばかりの頃です。事務所のラックに過去の社内報が揃っていたので、眺めてたんです。そうしたら、五年ほど前の新入社員特集のページに滝口さんと泉さんが、スーツ姿で並ぶ写真が載ってたんです。お二人ともすごく似合っていて、素敵だったから……」
(ああ、なるほど。そういうことか)
峰子が見たのは、入社式と新入社員歓迎パーティーの写真だ。真介と一緒にスーツ姿で写っているのはそれしかない。
「あまりにも素敵だったから、小説にしたいと思ったんです。お二人を、描きたいと思ったんです」
峰子の口調に熱が帯び始める。京子も真剣に耳を傾けているようだ。
だが熱っぽい口調に、慧一は複雑な思いを抱く。趣味の話になると、峰子はやはり熱心になる。彼女は男ではなく、スーツや小説に夢中なのだ。
だがこれで、慧一と真介をネタにした理由は明らかになった。
そこでどうして男同士の愛を描きたくなるのか、慧一には理解不能であるが。
「その写真を見たから『モース』があるんです。私はすぐに創作を始めました。挿絵は、お二人の顔写真が載った広報誌を探して、参考にしました。広報誌は組合事務所に全号揃ってるから、助かりました」
つまり、あの挿絵は顔写真だけを参考に描いたということ。
体位が変になるはずだ。
慧一は納得するが、『顔』に限って言えば、特徴をよくとらえていた。
(もっとも俺は、あの時にあんな表情をしてるつもりは無いけどね……)
しかし、見たことも無いのにそれらしく描くのだから、並大抵の妄想力じゃない。
「その勢いで、一年もたたないうちに同人誌を九冊も作ってしまいました。こんなの初めてです……」
峰子はそこまで言うと、急に口をつぐんだ。
喋りすぎたと思ったのかもしれない。何しろ勝手に妄想のネタにした本人が目の前にいるのだから。
だが慧一は不愉快にもならず、普通に話を聞いた。同人仲間の京子のほうが、驚いた顔をしている。モースの裏話は、初耳だったようだ。
それから峰子は無口になり、行きと同じように慧一と京子が会話するのみ。
気がつくと、W市公会堂の辺りまで戻ってきた。
慧一は焦り始めている。
二人とも、今日の移動手段は電車だという。このままでは、近場の駅で降ろすことになるだろう。
まだ峰子に訊きたいこと、するべきことが残っているのに。
「京子ちゃん、峰子も家まで送るよ。どの辺り?」
慧一は駅前を避けるため、交差点を曲がった。
「そんな、悪いですよ。私達、電車で帰りますから」
京子が遠慮するが、そんなわけにはいかない。
「いや、もう遅いから。さっきみたいに酔っ払いに絡まれちゃ困るし。京子ちゃんはどこ?」
早口で言うと、酔っ払いという言葉に反応したのか京子がおずおずと答えた。
「……では、お言葉に甘えて。私は、本町五丁目のマンションです」
「峰子は?」
「私は磯部町ですけど、あの……」
「分かった」
慧一は峰子が何か言おうとするのを遮り、まず京子の自宅方面へと車を走らせる。
本町から磯部町まで、三十分ほど距離がある。その間、峰子と二人きりだ。
慧一は手を出さずにいる自信がない。
しかし、こうなっては仕方が無いだろう。なるようになれだと、開き直った。
「あの茶色い壁の建物です」
京子が自宅アパートを教えると、慧一は車を寄せて停止した。車を降りる前に、彼女はぺこりと頭を下げる。
「今日は本当にありがとうございました。すっごく楽しかったです」
「いや、こっちこそ。またドライブでもしようぜ」
「三人で?」
いたずらっぽく囁かれ、慧一はうまく切り返せない。峰子をちらりと見るが、聞こえなかったのか、きょとんとしている。
「ところで、慧一さん」
「ん?」
「峰子ちゃんをくれぐれも、よ、ろ、し、く、お願いしますね」
「……」
「ねっ」
京子は慧一の気持ちを解った上で、念を押している。
「もちろん、無事に送り届けますよ。お、ね、え、さ、ま」
二人のやり取りが可笑しかったのか、峰子がクスッと笑う。どこにも不安のない、信頼しきった空気が伝わってくる。
男の心中など、まるでわかっていない――慧一は前を向いたまま、眉根を寄せた。
(酔っ払いから助けてもらったんで、俺を安全視してるのか?)
信用されても、あまり嬉しくない。そんなものは、慧一の求める関係と真逆の位置にある。
京子に手を振り車を発進させると、静けさが降りてきた。
峰子は後部席に座り、大人しくしている。交差点に停まると、ウインカーのカチカチという音だけが、やけに大きく響く
(参ったな……)
慧一は、彼女と二人きりなのを強烈に意識した。
この時を待っていたはずなのに、いざとなると惚れた気持ちが邪魔をして、うまく話せないのだ。
こんな心理は初めて知ることだった。
京子が代わりに質問してくれた。
峰子は少しためらった後、慧一にも聞こえるように答えた。
「組合事務所に異動したばかりの頃です。事務所のラックに過去の社内報が揃っていたので、眺めてたんです。そうしたら、五年ほど前の新入社員特集のページに滝口さんと泉さんが、スーツ姿で並ぶ写真が載ってたんです。お二人ともすごく似合っていて、素敵だったから……」
(ああ、なるほど。そういうことか)
峰子が見たのは、入社式と新入社員歓迎パーティーの写真だ。真介と一緒にスーツ姿で写っているのはそれしかない。
「あまりにも素敵だったから、小説にしたいと思ったんです。お二人を、描きたいと思ったんです」
峰子の口調に熱が帯び始める。京子も真剣に耳を傾けているようだ。
だが熱っぽい口調に、慧一は複雑な思いを抱く。趣味の話になると、峰子はやはり熱心になる。彼女は男ではなく、スーツや小説に夢中なのだ。
だがこれで、慧一と真介をネタにした理由は明らかになった。
そこでどうして男同士の愛を描きたくなるのか、慧一には理解不能であるが。
「その写真を見たから『モース』があるんです。私はすぐに創作を始めました。挿絵は、お二人の顔写真が載った広報誌を探して、参考にしました。広報誌は組合事務所に全号揃ってるから、助かりました」
つまり、あの挿絵は顔写真だけを参考に描いたということ。
体位が変になるはずだ。
慧一は納得するが、『顔』に限って言えば、特徴をよくとらえていた。
(もっとも俺は、あの時にあんな表情をしてるつもりは無いけどね……)
しかし、見たことも無いのにそれらしく描くのだから、並大抵の妄想力じゃない。
「その勢いで、一年もたたないうちに同人誌を九冊も作ってしまいました。こんなの初めてです……」
峰子はそこまで言うと、急に口をつぐんだ。
喋りすぎたと思ったのかもしれない。何しろ勝手に妄想のネタにした本人が目の前にいるのだから。
だが慧一は不愉快にもならず、普通に話を聞いた。同人仲間の京子のほうが、驚いた顔をしている。モースの裏話は、初耳だったようだ。
それから峰子は無口になり、行きと同じように慧一と京子が会話するのみ。
気がつくと、W市公会堂の辺りまで戻ってきた。
慧一は焦り始めている。
二人とも、今日の移動手段は電車だという。このままでは、近場の駅で降ろすことになるだろう。
まだ峰子に訊きたいこと、するべきことが残っているのに。
「京子ちゃん、峰子も家まで送るよ。どの辺り?」
慧一は駅前を避けるため、交差点を曲がった。
「そんな、悪いですよ。私達、電車で帰りますから」
京子が遠慮するが、そんなわけにはいかない。
「いや、もう遅いから。さっきみたいに酔っ払いに絡まれちゃ困るし。京子ちゃんはどこ?」
早口で言うと、酔っ払いという言葉に反応したのか京子がおずおずと答えた。
「……では、お言葉に甘えて。私は、本町五丁目のマンションです」
「峰子は?」
「私は磯部町ですけど、あの……」
「分かった」
慧一は峰子が何か言おうとするのを遮り、まず京子の自宅方面へと車を走らせる。
本町から磯部町まで、三十分ほど距離がある。その間、峰子と二人きりだ。
慧一は手を出さずにいる自信がない。
しかし、こうなっては仕方が無いだろう。なるようになれだと、開き直った。
「あの茶色い壁の建物です」
京子が自宅アパートを教えると、慧一は車を寄せて停止した。車を降りる前に、彼女はぺこりと頭を下げる。
「今日は本当にありがとうございました。すっごく楽しかったです」
「いや、こっちこそ。またドライブでもしようぜ」
「三人で?」
いたずらっぽく囁かれ、慧一はうまく切り返せない。峰子をちらりと見るが、聞こえなかったのか、きょとんとしている。
「ところで、慧一さん」
「ん?」
「峰子ちゃんをくれぐれも、よ、ろ、し、く、お願いしますね」
「……」
「ねっ」
京子は慧一の気持ちを解った上で、念を押している。
「もちろん、無事に送り届けますよ。お、ね、え、さ、ま」
二人のやり取りが可笑しかったのか、峰子がクスッと笑う。どこにも不安のない、信頼しきった空気が伝わってくる。
男の心中など、まるでわかっていない――慧一は前を向いたまま、眉根を寄せた。
(酔っ払いから助けてもらったんで、俺を安全視してるのか?)
信用されても、あまり嬉しくない。そんなものは、慧一の求める関係と真逆の位置にある。
京子に手を振り車を発進させると、静けさが降りてきた。
峰子は後部席に座り、大人しくしている。交差点に停まると、ウインカーのカチカチという音だけが、やけに大きく響く
(参ったな……)
慧一は、彼女と二人きりなのを強烈に意識した。
この時を待っていたはずなのに、いざとなると惚れた気持ちが邪魔をして、うまく話せないのだ。
こんな心理は初めて知ることだった。
10
お気に入りに追加
23
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ホリカヨは俺様上司を癒したい!
森永 陽月
恋愛
堀井嘉与子(ホリイカヨコ)は、普段は『大奥』でオハシタとして働く冴えないOLだが、副業では自分のコンプレックスを生かして働こうとしていた。
そこにやってきたのは、憧れの郡司透吏部長。
『郡司部長、私はあなたを癒したいです』
※他の投稿サイトにも載せています。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
カモフラ婚~CEOは溺愛したくてたまらない!~
伊吹美香
恋愛
ウエディングプランナーとして働く菱崎由華
結婚式当日に花嫁に逃げられた建築会社CEOの月城蒼空
幼馴染の二人が偶然再会し、花嫁に逃げられた蒼空のメンツのために、カモフラージュ婚をしてしまう二人。
割り切った結婚かと思いきや、小さいころからずっと由華のことを想っていた蒼空が、このチャンスを逃すはずがない。
思いっきり溺愛する蒼空に、由華は翻弄されまくりでパニック。
二人の結婚生活は一体どうなる?
10 sweet wedding
国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる