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二人きり
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「慧一さんのスーツ姿って、そんな超レアな写真、いつ、どこで見たの?」
京子が代わりに質問してくれた。
峰子は少しためらった後、慧一にも聞こえるように答えた。
「組合事務所に異動したばかりの頃です。事務所のラックに過去の社内報が揃っていたので、眺めてたんです。そうしたら、五年ほど前の新入社員特集のページに滝口さんと泉さんが、スーツ姿で並ぶ写真が載ってたんです。お二人ともすごく似合っていて、素敵だったから……」
(ああ、なるほど。そういうことか)
峰子が見たのは、入社式と新入社員歓迎パーティーの写真だ。真介と一緒にスーツ姿で写っているのはそれしかない。
「あまりにも素敵だったから、小説にしたいと思ったんです。お二人を、描きたいと思ったんです」
峰子の口調に熱が帯び始める。京子も真剣に耳を傾けているようだ。
だが熱っぽい口調に、慧一は複雑な思いを抱く。趣味の話になると、峰子はやはり熱心になる。彼女は男ではなく、スーツや小説に夢中なのだ。
だがこれで、慧一と真介をネタにした理由は明らかになった。
そこでどうして男同士の愛を描きたくなるのか、慧一には理解不能であるが。
「その写真を見たから『モース』があるんです。私はすぐに創作を始めました。挿絵は、お二人の顔写真が載った広報誌を探して、参考にしました。広報誌は組合事務所に全号揃ってるから、助かりました」
つまり、あの挿絵は顔写真だけを参考に描いたということ。
体位が変になるはずだ。
慧一は納得するが、『顔』に限って言えば、特徴をよくとらえていた。
(もっとも俺は、あの時にあんな表情をしてるつもりは無いけどね……)
しかし、見たことも無いのにそれらしく描くのだから、並大抵の妄想力じゃない。
「その勢いで、一年もたたないうちに同人誌を九冊も作ってしまいました。こんなの初めてです……」
峰子はそこまで言うと、急に口をつぐんだ。
喋りすぎたと思ったのかもしれない。何しろ勝手に妄想のネタにした本人が目の前にいるのだから。
だが慧一は不愉快にもならず、普通に話を聞いた。同人仲間の京子のほうが、驚いた顔をしている。モースの裏話は、初耳だったようだ。
それから峰子は無口になり、行きと同じように慧一と京子が会話するのみ。
気がつくと、W市公会堂の辺りまで戻ってきた。
慧一は焦り始めている。
二人とも、今日の移動手段は電車だという。このままでは、近場の駅で降ろすことになるだろう。
まだ峰子に訊きたいこと、するべきことが残っているのに。
「京子ちゃん、峰子も家まで送るよ。どの辺り?」
慧一は駅前を避けるため、交差点を曲がった。
「そんな、悪いですよ。私達、電車で帰りますから」
京子が遠慮するが、そんなわけにはいかない。
「いや、もう遅いから。さっきみたいに酔っ払いに絡まれちゃ困るし。京子ちゃんはどこ?」
早口で言うと、酔っ払いという言葉に反応したのか京子がおずおずと答えた。
「……では、お言葉に甘えて。私は、本町五丁目のマンションです」
「峰子は?」
「私は磯部町ですけど、あの……」
「分かった」
慧一は峰子が何か言おうとするのを遮り、まず京子の自宅方面へと車を走らせる。
本町から磯部町まで、三十分ほど距離がある。その間、峰子と二人きりだ。
慧一は手を出さずにいる自信がない。
しかし、こうなっては仕方が無いだろう。なるようになれだと、開き直った。
「あの茶色い壁の建物です」
京子が自宅アパートを教えると、慧一は車を寄せて停止した。車を降りる前に、彼女はぺこりと頭を下げる。
「今日は本当にありがとうございました。すっごく楽しかったです」
「いや、こっちこそ。またドライブでもしようぜ」
「三人で?」
いたずらっぽく囁かれ、慧一はうまく切り返せない。峰子をちらりと見るが、聞こえなかったのか、きょとんとしている。
「ところで、慧一さん」
「ん?」
「峰子ちゃんをくれぐれも、よ、ろ、し、く、お願いしますね」
「……」
「ねっ」
京子は慧一の気持ちを解った上で、念を押している。
「もちろん、無事に送り届けますよ。お、ね、え、さ、ま」
二人のやり取りが可笑しかったのか、峰子がクスッと笑う。どこにも不安のない、信頼しきった空気が伝わってくる。
男の心中など、まるでわかっていない――慧一は前を向いたまま、眉根を寄せた。
(酔っ払いから助けてもらったんで、俺を安全視してるのか?)
信用されても、あまり嬉しくない。そんなものは、慧一の求める関係と真逆の位置にある。
京子に手を振り車を発進させると、静けさが降りてきた。
峰子は後部席に座り、大人しくしている。交差点に停まると、ウインカーのカチカチという音だけが、やけに大きく響く
(参ったな……)
慧一は、彼女と二人きりなのを強烈に意識した。
この時を待っていたはずなのに、いざとなると惚れた気持ちが邪魔をして、うまく話せないのだ。
こんな心理は初めて知ることだった。
京子が代わりに質問してくれた。
峰子は少しためらった後、慧一にも聞こえるように答えた。
「組合事務所に異動したばかりの頃です。事務所のラックに過去の社内報が揃っていたので、眺めてたんです。そうしたら、五年ほど前の新入社員特集のページに滝口さんと泉さんが、スーツ姿で並ぶ写真が載ってたんです。お二人ともすごく似合っていて、素敵だったから……」
(ああ、なるほど。そういうことか)
峰子が見たのは、入社式と新入社員歓迎パーティーの写真だ。真介と一緒にスーツ姿で写っているのはそれしかない。
「あまりにも素敵だったから、小説にしたいと思ったんです。お二人を、描きたいと思ったんです」
峰子の口調に熱が帯び始める。京子も真剣に耳を傾けているようだ。
だが熱っぽい口調に、慧一は複雑な思いを抱く。趣味の話になると、峰子はやはり熱心になる。彼女は男ではなく、スーツや小説に夢中なのだ。
だがこれで、慧一と真介をネタにした理由は明らかになった。
そこでどうして男同士の愛を描きたくなるのか、慧一には理解不能であるが。
「その写真を見たから『モース』があるんです。私はすぐに創作を始めました。挿絵は、お二人の顔写真が載った広報誌を探して、参考にしました。広報誌は組合事務所に全号揃ってるから、助かりました」
つまり、あの挿絵は顔写真だけを参考に描いたということ。
体位が変になるはずだ。
慧一は納得するが、『顔』に限って言えば、特徴をよくとらえていた。
(もっとも俺は、あの時にあんな表情をしてるつもりは無いけどね……)
しかし、見たことも無いのにそれらしく描くのだから、並大抵の妄想力じゃない。
「その勢いで、一年もたたないうちに同人誌を九冊も作ってしまいました。こんなの初めてです……」
峰子はそこまで言うと、急に口をつぐんだ。
喋りすぎたと思ったのかもしれない。何しろ勝手に妄想のネタにした本人が目の前にいるのだから。
だが慧一は不愉快にもならず、普通に話を聞いた。同人仲間の京子のほうが、驚いた顔をしている。モースの裏話は、初耳だったようだ。
それから峰子は無口になり、行きと同じように慧一と京子が会話するのみ。
気がつくと、W市公会堂の辺りまで戻ってきた。
慧一は焦り始めている。
二人とも、今日の移動手段は電車だという。このままでは、近場の駅で降ろすことになるだろう。
まだ峰子に訊きたいこと、するべきことが残っているのに。
「京子ちゃん、峰子も家まで送るよ。どの辺り?」
慧一は駅前を避けるため、交差点を曲がった。
「そんな、悪いですよ。私達、電車で帰りますから」
京子が遠慮するが、そんなわけにはいかない。
「いや、もう遅いから。さっきみたいに酔っ払いに絡まれちゃ困るし。京子ちゃんはどこ?」
早口で言うと、酔っ払いという言葉に反応したのか京子がおずおずと答えた。
「……では、お言葉に甘えて。私は、本町五丁目のマンションです」
「峰子は?」
「私は磯部町ですけど、あの……」
「分かった」
慧一は峰子が何か言おうとするのを遮り、まず京子の自宅方面へと車を走らせる。
本町から磯部町まで、三十分ほど距離がある。その間、峰子と二人きりだ。
慧一は手を出さずにいる自信がない。
しかし、こうなっては仕方が無いだろう。なるようになれだと、開き直った。
「あの茶色い壁の建物です」
京子が自宅アパートを教えると、慧一は車を寄せて停止した。車を降りる前に、彼女はぺこりと頭を下げる。
「今日は本当にありがとうございました。すっごく楽しかったです」
「いや、こっちこそ。またドライブでもしようぜ」
「三人で?」
いたずらっぽく囁かれ、慧一はうまく切り返せない。峰子をちらりと見るが、聞こえなかったのか、きょとんとしている。
「ところで、慧一さん」
「ん?」
「峰子ちゃんをくれぐれも、よ、ろ、し、く、お願いしますね」
「……」
「ねっ」
京子は慧一の気持ちを解った上で、念を押している。
「もちろん、無事に送り届けますよ。お、ね、え、さ、ま」
二人のやり取りが可笑しかったのか、峰子がクスッと笑う。どこにも不安のない、信頼しきった空気が伝わってくる。
男の心中など、まるでわかっていない――慧一は前を向いたまま、眉根を寄せた。
(酔っ払いから助けてもらったんで、俺を安全視してるのか?)
信用されても、あまり嬉しくない。そんなものは、慧一の求める関係と真逆の位置にある。
京子に手を振り車を発進させると、静けさが降りてきた。
峰子は後部席に座り、大人しくしている。交差点に停まると、ウインカーのカチカチという音だけが、やけに大きく響く
(参ったな……)
慧一は、彼女と二人きりなのを強烈に意識した。
この時を待っていたはずなのに、いざとなると惚れた気持ちが邪魔をして、うまく話せないのだ。
こんな心理は初めて知ることだった。
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