モース10

藤谷 郁

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二人きり

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「慧一さんのスーツ姿って、そんな超レアな写真、いつ、どこで見たの?」


京子が代わりに質問してくれた。

峰子は少しためらった後、慧一にも聞こえるように答えた。


「組合事務所に異動したばかりの頃です。事務所のラックに過去の社内報が揃っていたので、眺めてたんです。そうしたら、五年ほど前の新入社員特集のページに滝口さんと泉さんが、スーツ姿で並ぶ写真が載ってたんです。お二人ともすごく似合っていて、素敵だったから……」


(ああ、なるほど。そういうことか)


峰子が見たのは、入社式と新入社員歓迎パーティーの写真だ。真介と一緒にスーツ姿で写っているのはそれしかない。


「あまりにも素敵だったから、小説にしたいと思ったんです。お二人を、描きたいと思ったんです」


峰子の口調に熱が帯び始める。京子も真剣に耳を傾けているようだ。

だが熱っぽい口調に、慧一は複雑な思いを抱く。趣味の話になると、峰子はやはり熱心になる。彼女は男ではなく、スーツや小説に夢中なのだ。

だがこれで、慧一と真介をネタにした理由は明らかになった。

そこでどうして男同士の愛を描きたくなるのか、慧一には理解不能であるが。


「その写真を見たから『モース』があるんです。私はすぐに創作を始めました。挿絵は、お二人の顔写真が載った広報誌を探して、参考にしました。広報誌は組合事務所に全号揃ってるから、助かりました」


つまり、あの挿絵は顔写真だけを参考に描いたということ。

体位が変になるはずだ。

慧一は納得するが、『顔』に限って言えば、特徴をよくとらえていた。


(もっとも俺は、あの時にあんな表情かおをしてるつもりは無いけどね……)


しかし、見たことも無いのにそれらしく描くのだから、並大抵の妄想力じゃない。


「その勢いで、一年もたたないうちに同人誌を九冊も作ってしまいました。こんなの初めてです……」


峰子はそこまで言うと、急に口をつぐんだ。

喋りすぎたと思ったのかもしれない。何しろ勝手に妄想のネタにした本人が目の前にいるのだから。

だが慧一は不愉快にもならず、普通に話を聞いた。同人仲間の京子のほうが、驚いた顔をしている。モースの裏話は、初耳だったようだ。


それから峰子は無口になり、行きと同じように慧一と京子が会話するのみ。

気がつくと、W市公会堂の辺りまで戻ってきた。


慧一は焦り始めている。


二人とも、今日の移動手段は電車だという。このままでは、近場の駅で降ろすことになるだろう。

まだ峰子に訊きたいこと、するべきことが残っているのに。


「京子ちゃん、峰子も家まで送るよ。どの辺り?」


慧一は駅前を避けるため、交差点を曲がった。


「そんな、悪いですよ。私達、電車で帰りますから」


京子が遠慮するが、そんなわけにはいかない。


「いや、もう遅いから。さっきみたいに酔っ払いに絡まれちゃ困るし。京子ちゃんはどこ?」


早口で言うと、酔っ払いという言葉に反応したのか京子がおずおずと答えた。


「……では、お言葉に甘えて。私は、本町五丁目のマンションです」

「峰子は?」

「私は磯部町ですけど、あの……」

「分かった」


慧一は峰子が何か言おうとするのを遮り、まず京子の自宅方面へと車を走らせる。


本町から磯部町まで、三十分ほど距離がある。その間、峰子と二人きりだ。

慧一は手を出さずにいる自信がない。

しかし、こうなっては仕方が無いだろう。なるようになれだと、開き直った。


「あの茶色い壁の建物です」


京子が自宅アパートを教えると、慧一は車を寄せて停止した。車を降りる前に、彼女はぺこりと頭を下げる。


「今日は本当にありがとうございました。すっごく楽しかったです」

「いや、こっちこそ。またドライブでもしようぜ」

「三人で?」


いたずらっぽく囁かれ、慧一はうまく切り返せない。峰子をちらりと見るが、聞こえなかったのか、きょとんとしている。


「ところで、慧一さん」

「ん?」

「峰子ちゃんをくれぐれも、よ、ろ、し、く、お願いしますね」

「……」

「ねっ」


京子は慧一の気持ちを解った上で、念を押している。


「もちろん、無事に送り届けますよ。お、ね、え、さ、ま」


二人のやり取りが可笑しかったのか、峰子がクスッと笑う。どこにも不安のない、信頼しきった空気が伝わってくる。

男の心中など、まるでわかっていない――慧一は前を向いたまま、眉根を寄せた。


(酔っ払いから助けてもらったんで、俺を安全視してるのか?)


信用されても、あまり嬉しくない。そんなものは、慧一の求める関係と真逆の位置にある。


京子に手を振り車を発進させると、静けさが降りてきた。

峰子は後部席に座り、大人しくしている。交差点に停まると、ウインカーのカチカチという音だけが、やけに大きく響く


(参ったな……)


慧一は、彼女と二人きりなのを強烈に意識した。

この時を待っていたはずなのに、いざとなると惚れた気持ちが邪魔をして、うまく話せないのだ。

こんな心理は初めて知ることだった。
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