モース10

藤谷 郁

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二人きり

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 アルコール抜きのイタリアンに多少の物足りなさを感じながらも、慧一の気分は上向いている。

 朝の悶々とした状態からは考えられない、この展開。


 勘定を済ませると、店を出た。

 峰子と京子を先に行かせた駐車場は、横手の石段を下りたところにある。慧一は一段ずつ踏みしめながら、あらためて峰子を思った。

 今日の彼女はいつもと印象が違う。


(服装と化粧……魅力に感じるのは、普段とのギャップだな)


 どうして会社では地味な姿でいるのか。今日みたいに若い女性らしく、お洒落すれば良いのに。


「まあ、目立たないほうが他の男に目を付けられなくていいか……ん?」


 駐車場に下りると、自分の車の前に複数の人影があるのが目に入った。

 峰子と京子。そして、彼女らの側に誰かいる。

 背格好からすると男のようだ。


「おい、どうした」


 慧一はまっすぐに近付きながら声をかけた。

 上着を肩に引っ掛けたワイシャツ姿の男が二人、峰子達に話しかけている。


「慧一さんっ」


 男の背中越しに、京子のほっとした顔がのぞく。サラリーマン風の若い男二人は振り向くと、慧一を見て気まずそうに顔を歪めた。

 峰子は京子に寄り添い、こちらにすがるような目を向けている。

 慧一は酔った様子の二人連れを、それとなく観察した。体格はそれほどでもないが、腕に覚えのある連中だとやっかいだ。


「何かありましたか」


 男達の前に立ち、とりあえず穏やかな口調で訊く。
 体は斜に構えている。

 彼らは慧一を見返し、顔を合わせてから、


「いえ、あの。ちょっと道を尋ねてたんです」

「そうです。僕ら、道に迷っちゃって……」


 最後まで聞き取れない声でぼそぼそ言うと、彼らは急ぎ足で立ち去った。

 慧一は、その姿が闇に消えるまで見送り、息をつく。


「ナンパ?」


 峰子と京子に目を戻す。
 内心、胸を撫で下ろしながら、だがそれは表に出さずに笑顔を作った。


「そうなんです! 一緒に飲みに行かないかって誘われて。ああ……ちょっと怖かったね、峰子ちゃん」


 峰子は京子の腕に掴まり、うんうんと頷く。


「一緒に店を出ればよかったな。悪かった」


 慧一は二人に詫びながら、冷汗を拭う。
 ついさっき考えていたことが、これほど早く現実になるとは思わなかった。


(峰子は地味なままでいい。若いやつらの目に留まらないような、ダサい格好でいればいい)




 車のエンジンをかけると、慧一は何気なくバックミラーを覗いた。

 峰子の眼差しがそこにある。どうしてか彼女は、今度は目を逸らさなかった。澄んだ瞳に、心から信頼する気持ちが表れている。

 慧一はごまかすように瞬きして、前を向いた。感謝の色を湛えた眼差しに、逆に気圧されたのだ。

 急にそんな目で見られたら、さすがに調子が狂う。


「よし、帰るか!」


 わざと明るく言うと、峰子の視線から逃げるように車を出した。


「慧一さんって、やっぱり大人ですね。ああいう時、落ち着いて対処できるなんてさすがです」


 京子が後部席から声をかけてきた。ナンパの件についてだ。


「伊達に年は取ってないってね」


 慧一は苦笑する。

 冗談めかすが、女二人を守り切る絶対の自信は無い。むしろそんな自信は、いくつになっても持たないほうがいいのだ。


「ねえ、峰子ちゃん。いやだったよね、酔っ払い」

「えっ? うん、でも……」


(でも?)


 まさか、あんな連中がいいなんて言うんじゃないだろうな。
 慧一は耳をそばだてる。


「ワイシャツの色だけ、いいと思った」


 京子が一瞬絶句し、そして弾けたように笑った。


「そっかあ、峰子ちゃんはスーツフェチだもんね」


 信号が黄色に変わった。慧一は車のスピードを落とし、ゆっくりと停止する。


「スーツフェチ?」

「慧一さん、峰子ちゃんってリーマンのスーツ姿が大好きなんですよ。て言うかむしろ、着ている男よりスーツに萌え~っ!」

「はあ?」


 後ろを見ると、峰子が恥ずかしそうに俯いている。


(スーツに萌え? 要するにスーツが好きってことか)


「それなら、俺も明日はスーツを着て出勤しようかな」


 慧一は軽い気持ちで冗談口をきく。


「慧一さんなら似合うでしょうね。一度見てみたいね、ね、峰子ちゃん」

「私、写真で見たことがあります」

「……え」


 後ろでクラクションが鳴った。いつの間にか信号が青に変わっている。

 慧一は慌てずアクセルを踏み、峰子の言葉を繰り返した。


「写真?」

「はい」

「俺の、スーツを……着た写真?」

「そうです」


 思わぬことを聞いた。
 いつ、どこでそんなものを見たのかなと、急いで考えをめぐらせる。
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