モース10

藤谷 郁

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妄想の産物

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 丘の上に建つレストランは、開店したばかりだというのにほぼ満席だった。予約を入れておいた慧一はホッとしつつ、店員からメニューを受け取る。


「さてお嬢さん方、何になさいますか」


 慧一は峰子と京子を交互に見やり、希望を伺う。

 二人の女性を相手に食事するなど珍しいことだ。部下を引き連れた上司といった気分でもある。こうして向き合うと、峰子も京子も実に若い。

 慧一が付き合ってきた女性はほとんどが年上であり、特に大人になってからは、いくつも年下の娘など相手にしたことがない。

 別に年上好みというわけでなく、お子様はいろいろな意味で面倒くさいという意識がある。

 特に夜、食事の後の展開において。

 峰子も京子も、最初はかしこまっていたが、料理の写真が付いたメニューを見ると相好を崩した。こんなところは微笑ましいぐらい無邪気な女の子である。


「好きなものを頼んでいいよ。遠慮するな」


 この店に他の女と来たことは無い。以前、一人でぶらりと立ち寄った際、気に入ってチェックしておいたのだ。

 この店にして正解だったと、彼は安堵の息をついた。


 食事が始まると、峰子は表情もほぐれ、笑顔を見せるようになる。料理が口に合ったようだ。


(いいぞいいぞ、その調子だ)


 ペリエのグラスを手に、慧一は内心ほくそ笑む。これからは押しの一手である。


「峰子」


 仔羊肉のクラウンローストを噛み切る彼女に呼びかけた。
 さらりと、自然な調子で。

 峰子は眼鏡の奥で大きく目を見開く。

 隣に座る京子もナイフを止め、いきなり呼び捨てにした慧一に驚いた顔を向ける。

 峰子は手の平で口を押さえ、もぐもぐと肉の咀嚼を続けた。ようやく飲み込むと、ナフキンで口の周りを拭い、


「滝口さん……っ」


 精一杯という感じで呼び返す。


「うん?」


 峰子の頬は赤く染まっている。楽しげな慧一に、彼女はナフキンを細かく畳みながら、小さな声で言った。


「口の中に食べ物がある時、話しかけられると困ります……駄目ですよ」


 緊張の面持ちで見守っていた京子がずっこけた。

 当の慧一はにこにこと笑っている。


「ゴメンゴメン、気を付けるよ。ところで、教えてほしいことがあるんだけど」

「何でしょうか」

「モースのことを、訊きたいんだ」


 慧一は真顔になっていた。

 峰子はハッとするが、その言葉を覚悟していたように頷く。


「はい。何でもお答えします」


 従順な眼差しを向けてきた。
 慧一はその態度に、身体の一部が蕩けそうになるが、すぐに気を引き締める。

 ここから、二人を繋ぐ糸を手繰るのだ。



 慧一は峰子から、同人誌「モース」既刊九冊のあらすじと、夏のビッグイベント用に制作したという、現在印刷中の十冊目の内容を聞き出した。

 話の筋を聞くうち、何度か噴き出しそうになったが必死で堪える。

 ケイが自分、シンが真介にどうしても想像されてしまい、おかしくてしょうがない。

 真介が聞いたら卒倒しそうなストーリーである。いや、そもそもストーリーがどうのではなく、愛欲描写がメインなのだ。


 それにしても――と、慧一はモース4の内容と挿絵を、あらためて思い返した。

 峰子による性描写はちぐはぐで、妙なものだった。男の身体や生理をまるで分かっていない。かと思うと、妙に的を射た箇所もある。

 慧一は結論付けた。

「モース」は、峰子の妄想の産物。根拠のない描写と、借り物の知識で積み上げられた創作物だ。

 峰子は男を知らない。

 それなのに、耳年増になって手順や技巧を想像し、大胆な場面を創り出そうと一生懸命なのだ。


 同人誌モースについて語り終わり、気が抜けた顔で食事を続ける峰子。

 慧一は、何も知らない無垢な顔を見つめ、思い切り抱いてやりたい衝動に駆られた。それはこれまで経験のない、強い欲望だった。



 いつしかコースは終盤を迎え、三人はドルチェとエスプレッソを囲む。
 窓の外は暗く、空と海が夜に溶けている。


 たった今、峰子の世界への扉は開かれた。

 だが、まだまだこれからが本番だ。

 はやる気持ちを抑え、慧一は苦い一杯を含んだ。

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