モース10

藤谷 郁

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突撃!

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「ご馳走さまでした、慧一さん」


 図書館を出ると、京子は深々と頭を下げて礼を言った。


「どういたしまして。こちらこそ有意義な時間だった。君に会えて良かったよ」


 慧一は京子と並んで、雨に濡れた石畳を踏みしめるようにして歩く。


「私も慧一さんとお話が出来てラッキーでした。ホント、お世辞抜きで素敵な人で……私、モースに登場するケイをイメージしちゃってたから、うふふ」

「モース……ねえ」


 峰子は、慧一があの同人誌を拾ったと思っている。

 実際拾ったのは真介なのだが、どちらにせよ、慧一が制作者を峰子だと突き止めたことも、大体分かっているらしい。

 もう隠す必要は無い。

 同人誌というツール無しでアプローチを成功させたかったが、そうもいかないようだ。峰子との繋がりの糸を、モースから手繰らねばならない。内容についても、いろいろと訊きたい事がある。


(……どうすればいいかな)


 考えあぐねていると、京子が立ち止まった。彼が気付かず歩いて行こうとするのを、後ろから呼ぶ。


「慧一さん」

「ああ、すまん。どうした」

「私、電車なんです」


 京子は駅への道を指差した。


「そうか。家は遠いの? 俺は車だから、送って行こうか」


 当たり前のように言う慧一に、京子は笑う。


「駄目ですよ。好きな子以外の女を簡単に乗せちゃ」

「ん?」


 そういえばここに来る途中、助手席に乗せるのは峰子しかいないと慧一は考えた。京子の言葉はそれを思い出させ、何とも嬉しくなる。


「でも君は、峰子さんの友達だからね。特別だよ」


 車のキーをポケットから出すと、投げたり掴んだり、片手で弄んだ。


「うーん、どうしよっかなあ」


 京子は峰子より派手なタイプだが、根は真面目そうだ。今日初めて会った男の車に、気軽に乗るのは抵抗があるのかもしれない。

 さすが峰子の友達だと感心していると、京子は意を決したように顔を上げる。


「実はこれから、峰子ちゃんの所に行くんですよ」

「えっ?」


 思いもよらぬ隠し玉だった。


「峰子さんの所へ……今から?」


 慧一は車のキーを握りしめる。


「はい。彼女、今日はW市公会堂のイベントに参加してるんです。ええと、三時までなんですけど、終わったら一緒に食事することになってまして」

「イベント?」

「同人誌即売会です。女性向けの」

「女性向け……」


 分からないことばかりだが、慧一の目は生き生きと輝き始める。


「男はダメなのか? 俺も行ってみたい」


 京子はぽんと手を打った。


「やっぱり、そう言ってくれると思いました。さすがですね!」


 さすがの意味は不明だが、とりあえず歓迎してくれるらしい。京子の笑顔に、峰子の世界が垣間見える気がした。


「でも、会場内は女の人ばっかりですけど、いいですか」

「構わないよ」

「柔軟な人ですねえ~」


 京子は嬉しそうだが、ちょっと不安げに呟く。


「でも峰子ちゃん、やっぱり怒るかもしれないなあ。あなたを連れて行ったら」


 それを気にして言い出せなかったのだ。だけど京子は慧一の味方となり、峰子を捕まえるチャンスをくれた。

 せっかくの隠し玉を生かさぬ手はない。


「俺は行くよ。自分の意志でね。君に命令されたわけじゃない」


 チャンスを生かすも殺すも自分次第だ。

 京子を車まで連れて行くと、後部座席のドアを開けた。


「ここならいいだろ?」

「うふ、ありがとうございます」


 彼女は微笑み、素直に乗り込んでくれた。




「W市公会堂か。二十分もあれば着くな」


 慧一は片側二車線の道路を縫うように走った。交通量が多く走りにくい通りだが、苦にしない。 


「京子さん……堅っ苦しいな。京子ちゃんはそのイベントには出ないのか」

「ええ。抽選で落ちたので」

「ふうん、人気のイベントなんだ」

「そうですね。人気といえば、峰子ちゃんのサークルはファンが多いんですよ」


 慧一の眉がぴくりと動く。


「ファンって、モースの?」

「はい。モースは現在九冊出ています。夏のビッグイベントで十冊目を配布して、それで完結だって聞いてます」

「十冊で終わりか。やっぱりね」

「え、知ってたんですか?」


 京子は驚きの声を上げる。


「モースの硬度計だろ。俺も学生時代、地学には関心があったんでね」

「わあ、峰子ちゃんと気が合いそうですね」

「俺もそう思うよ」


 あれこれ話すうちに、W市公会堂に到着した。


「午後だから駐車場も空いてますよ」


 慧一は車を降りると、そこからは京子の案内に任せた。


(峰子が、そこにいる)


 公会堂の建物に近づくにつれ、慧一はらしくもなく緊張を覚え、顔も強張ってきた。


「ちょっと待った」


 京子を止めると、ガラス張りの窓に自分の姿を映し、身だしなみを整える。白の綿シャツに黒のスラックス。適当な格好で出てきたことを悔やんだ。


(これじゃまるで、初デートの中坊だな)


「大丈夫、じゅうぶんカッコイイですよ」


 マネージャーのように気を配る京子の存在が有難かった。


「それじゃ、行くぜ」


 慧一は気合を入れると、公会堂の入り口をくぐり、峰子のもとへと進んだ。
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