モース10

藤谷 郁

文字の大きさ
上 下
16 / 82
腐女子峰子

しおりを挟む
「ええと、伊上……京子さん。あと一つだけ聞かせてくれ。君はさっき、彼女の性格と言ったが、三原さんの性格というのはどうなんだい。どんな性格なんだ」


 真剣な表情で身を乗り出した。

 京子はアイスティーのストローをくわえ、上目遣いで見返してくる。彼女はどちらかというと垂れ目で、人の好さそうな印象だが、その視線は妙な鋭さを感じさせた。

 やがてストローを離すと、彼女は深く顎を引いた。


「分かります。峰子ちゃんが理解できないんですね。それはそうですよね。勝手に自分をモデルにして、あのような文章や絵を書いてる女性なんて、薄気味悪いでしょうね」


 京子の解釈に、慧一は言葉を失う。


「普通の男性なら、ドン引きですよね」

「それは見当違いだ」


 怒ったような口調に、京子はえっ? という顔になる。


「真介はどうか知らんが、俺は画一的な考え方をするタイプじゃないんだよ。何でも面白いように受け取る人間でね。三原さん……峰子さんの作った同人誌にも、ポジティブな意味で興味津々だ」


 京子は首を傾げ、疑わしそうに確かめてきた。


「マジですか」

「ああ」

「峰子ちゃんを軽蔑したり、嫌ったりとか、無いんですね」

「腐女子と呼ばれ、それを楽しんでる君らと同じだ。俺も小説のネタにされたことを心から楽しんでるよ」

「……嘘みたい」


 伊上京子は、ずっと警戒していた。峰子の同人誌のことで、慧一が自分に悪意を持って探りを入れるのではと、疑っていたのだ。

 それを正直に打ち明けられると、慧一は苦笑した。


「そりゃあ、探りを入れるよ。悪意じゃなくて好意だけどね。俺は峰子さんのことを知りたくてしょうがないんだから」


 京子は不思議そうな顔をする。


「はあ……それはまた、どうしてですか?」

「惚れてるから」


「それってつまり、好き……てことでしょうか」

「うん。惚れてる。俺はあの子が好きだ。恋してる」


 慧一は大真面目だ。それに、言えば言うほど実感が湧いてくる。この胸の高鳴りは、まさに恋の症状である。


「でも、口もろくに利いたことがないって」

「そう、だから自分でも信じられないんだけど、好きになっちまったものは仕方ない」

「はあ」


 京子はなぜか、ため息を漏らした。


「俺が彼女に惚れちゃおかしいかな」


 峰子をよく知る京子に、訊いてみたいと思った。


「いえ、そんなことないです。ただ、その……あなたは華やかでモテそうだし、スマートな恋愛上手と言うか。要するに、峰子ちゃんとは違いすぎるので」

「タイプが違いすぎる?」

「すみません、私はそう思いました」


 慧一は、京子の率直さが気に入った。

 言いにくいことを口にする時も、彼女は目を逸らさない。これは、曖昧さをよしとする世間では、ある意味世渡り下手な態度だが、慧一には彼女の誠実さと受け取れる。


「私、峰子ちゃんの描いた“モース”の挿絵を見て、あなたのことを想像していました。実際はどんな男性なのかと……それが今日、こうして向かい合って、実に驚いているのですが」


 彼女はもう一度ため息をつくと、今度はうっとりとした目つきで慧一を見つめた。


「本当に美しいですね。滑らかな肌、長い睫、やさしくて憂いのある眼差し、手入れの行き届いたさらさらの髪。背も高くて体格も理想的で、モースの主人公たる条件がすべて備わっています。峰子ちゃんが創作意欲を刺激されるのも無理ないですよ。あなたは本当に、王子様みたいです」

「王子様?」


 京子は褒めたつもりだろうが、慧一は尻がむず痒くなる。


「王子様はよしてくれよ。何だかナヨナヨとした優男って感じで、嫌だね」

「えっ? あ、それはその……失礼しました。まあ、そうですよね」


 眉を寄せる慧一を見て、京子は頬を掻いた。

 大袈裟な賛辞に居心地が悪くなったが、これからが本題だ。もう少し詰めて話そうと、慧一は前のめりになる。


「君、ケーキでも食べる? 奢るよ」

「あ、いえ、お腹はいっぱいですので」

「じゃあ俺はもう一杯コーヒーを飲みたいから、付き合ってくれないか。時間はある?」


 京子は腕時計を確かめ、こくりと頷く。


「はい、大丈夫です。あと三十分ぐらいなら」


 慧一はほっとすると、店員を呼んでコーヒーを二つ追加した。


「峰子ちゃんは男の人と付き合うとか、そういった方向に興味がないんです」

「えっ?」


 続きを話し始めた京子に、慧一は顔を向ける。


「結婚もしたくないって言ってますよ。誰かと二人きりで親密な関係になるなんて、重いって。一生独りで自由に生きるのが理想だそうです」


 雷が近付いたのか、稲光と雷鳴の間隔が短い。暗い空から大粒の雨が落ち、窓ガラスを激しくたたいている。


「だから、リア充の慧一さんと、男性にまったく関心のない峰子ちゃんとでは、想像がつかないんです。恋とか愛とか、付き合うとか」


 コーヒーが運ばれてきた。
 京子はいただきますをしてから、ミルクと砂糖を入れて、ぐるぐるとかき混ぜた。

 慧一は褐色と白の渦を眺めながら、しばし考える。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ホリカヨは俺様上司を癒したい!

森永 陽月
恋愛
堀井嘉与子(ホリイカヨコ)は、普段は『大奥』でオハシタとして働く冴えないOLだが、副業では自分のコンプレックスを生かして働こうとしていた。 そこにやってきたのは、憧れの郡司透吏部長。 『郡司部長、私はあなたを癒したいです』 ※他の投稿サイトにも載せています。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

そこは優しい悪魔の腕の中

真木
恋愛
極道の義兄に引き取られ、守られて育った遥花。檻のような愛情に囲まれていても、彼女は恋をしてしまった。悪いひとたちだけの、恋物語。

トップシークレット☆桐島編 ~お嬢さま会長に恋した新米秘書~

日暮ミミ♪
恋愛
大財閥〈篠沢(しのざわ)グループ〉本社・篠沢商事に勤める25歳の桐島貢(きりしまみつぐ)。 彼は秋のある夜、上司の代理で出席した会社のパーティーで、会長令嬢で高校2年生の篠沢絢乃(しのざわあやの)に一目惚れ。 その三ヶ月後、会長・篠沢源一が末期ガンでこの世を去る。 葬儀の日、父の遺言により会長の後継者となった絢乃を支えるべく、秘書室へ転属する旨を彼女に伝える。 絢乃は無事、会長に就任。会長付秘書として働くことになった貢はある日、会社帰りの愛車の中で絢乃に衝動的にキスをしてしまい――!? 草食系男子の年上秘書×キュートな10代の大企業総帥による、年の差オフィスラブストーリーのヒーローサイド。

貴族の爵位って面倒ね。

しゃーりん
恋愛
ホリーは公爵令嬢だった母と男爵令息だった父との間に生まれた男爵令嬢。 両親はとても仲が良くて弟も可愛くて、とても幸せだった。 だけど、母の運命を変えた学園に入学する歳になって…… 覚悟してたけど、男爵令嬢って私だけじゃないのにどうして? 理不尽な嫌がらせに助けてくれる人もいないの? ホリーが嫌がらせされる原因は母の元婚約者の息子の指示で… 嫌がらせがきっかけで自国の貴族との縁が難しくなったホリーが隣国の貴族と幸せになるお話です。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

10 sweet wedding

国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。

処理中です...