モース10

藤谷 郁

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腐女子峰子

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 どうしても、彼女とデートがしたい。

 誘いをかわされた反動なのか、慧一は峰子に執着心を持った。


(どうすればいいかな)


 慧一はこれまで、女性に誘われて気が乗れば食事だのホテルだのに付き合ってきた。

 それなりに楽しく充実した時間を過ごしたと思っている。途中で相手を怒らせ、デートを破綻させることも少なくなかったが。

 慧一から女性を誘ったのは久しぶりだった。

 そして、断られたのは初めてである。

 あの子は擦れていない――と、慧一は確信している。

 男と付き合った経験は皆無だろう。初対面の印象どおり、間違いのない、まっさらな処女だ。


「あの子が欲しい……」


 ストレートな願望が唇から漏れた。

 日曜日の午前中、部屋のベッドに横たわり、遠雷の轟きを聞いている。

 窓の外は雨。

 蒸し暑く、どこへ行く気にもならない。


「あ~、くそっ!」


 慧一はどうしようもなくなってきた。
 七月最後の土曜日。大の男が部屋に閉じこもって悶々とするのは不健康だ。

 起き上がって胡坐をかくと、しばし考える。

 雨だれの音が忙しなく、どうでもいいから外に出ろとせっついているようだ。


「あの子の真似でもしてみるか」


 車のキーを掴むと、部屋を出た。



 ◇ ◇ ◇



 鉛色の海を右手に、車を走らせた。

 雨に煙る道。

 助手席には誰もいない。


(今、隣に誰かを乗せるとしたら三原峰子だ)


 フロントガラスに集中しながら、気がつけばあの子のことばかり考えている。

 ずっと年下の、少女のようなあの子なのにとても気になる。


「恋かな……」


 ほとんど何も知らない相手を好きになるなんてこと、ありうるだろうか。

 一目惚れってやつか。

 慧一は初めての経験に戸惑うが、どうにも幸せな気分だった。鼻歌を歌いながら、市立図書館の駐車場へと車を入れる。

 二年前に建てられたという図書館は、デザイナーズマンションのようなモダンな外観と、広い土地を生かした奥行きを持っていた。

 そのゆったりとした空間にも窮屈なぐらい、さまざまな分野・形態の本が豊富に配架されている。

 映像や音楽などAV資料・CDの貸し出しも行っており、ヘッドホンをつけて鑑賞する人も多く見られる。専用のコーナーは、ほぼ埋まっていた。

 図書館など何年ぶりだろう。

 静かな、咳をするのもはばかられるような独特の空気の中を、慧一はゆっくりと奥へ進んだ。

 ガラス張りの向こうは学習室になっているようで、中高生らしき男女がノートを広げて勉強する姿があった。


(そういえば、今は夏休みの時期か)


 慧一はまず工業関係の書籍コーナーで、仕事絡みの本を眺めた。二冊ほど選んだ後、車やスポーツの雑誌を手に取り、適当なソファに腰掛ける。


「えらくクッションがいいな」


 足を組み、悠々と座ることのできる椅子に目を見張る。自分が学生の頃とは設備も備品も“もの”が違うのを実感した。

 新築の図書館は、彼の概念にある公共施設と違い、快適な設計がなされている。

 居心地の良さに感心し、峰子が好んで通うのも分かる気がしてきた。本だけが図書館の魅力ではないのだろう。


 しばらく読書に集中していたが、慧一は段々と眠くなってきた。空調がきいた館内は気持ちがよく、落ち着きすぎるらしい。

 伸びをすると立ち上がり、返却棚へ本を戻してから辺りを見回す。目を留めた案内板には、二階に喫茶室があると表示されている。


「腹も減ったし、何か食っていくか」


 時計を見ると、あと五分ほどで正午だ。本を読むうち、いつの間にか時間が経っていたのだ。

 慧一はもう一度辺りを見回し、ふっと息をつく。

 ひょっとして峰子が来ているかも知れない……と考えないでもなかったが、誘いを断っておいてそれは無いだろう。

 あの子の場合、それはあり得ない。そんな気がした。

 だが不思議なことに、犬も歩けば棒に当たる。それが人と人の縁というものなのか――

 柱を巻いてらせん状になっている階段を上がる途中、ある言葉が耳に聞こえてきた。


「ケイだ」


 その単語に覚えが無ければ聞き逃すような、小さな声だった。

 慧一は足を止め、声のした方向へ耳をそばだてる。


「リアルケイだよ」


 サッと振り返り、勢いよく階段を駆け下りた。

 見ると、階段の上り口のところで、一人の女性が立ち竦んでいる。

 いきなり降り立った彼に、驚いたのだろう。小柄な身体に大きなバッグを抱いたその女性は、目を瞬かせた。
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