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アプローチ
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午前十一時四十五分。
慧一と製造課の面々は、社員食堂へゾロゾロと移動した。
食堂では毎日二種類のメニューが用意されていて、各々好きなほうを選ぶ。麺類が好きな者は麺類コーナーでラーメンやうどんを頼むこともできる。
今日のメニューは鶏の唐揚げか、鯖の煮付けのセットである。慧一は鯖を選ぶと、ご飯や味噌汁をよそってくれるおばちゃんと冗談を交わしつつ昼食をセットし、いつもの席に着いた。
クヌギの青葉が揺れる窓際の席は、彼の指定席だ。
慧一は箸先で鯖をほぐしながら、男が大半を占める食堂内をなんとなく眺めた。
入り口付近のテーブルに、若い女性がかたまっている。都心の派遣会社から来た彼女たちは顔もスタイルもなかなかのもの。洗練されたいい女達だ。
だが、慧一は何も感じない。
幸か不幸か、彼女達のようなタイプは食傷気味だった。
だから峰子のような、少女の面差しが残る娘が気になるのかなと、自己分析してみる。
トレーを食器返却棚に置いた時、食堂の入り口に三原峰子が現れたのに気が付く。いつものお下げ髪に例の眼鏡、紺の制服の下に白いブラウスを着ている。
慧一の鼓動は、異様なぐらいテンポが速くなっていた。
デザートコーナーに寄り、オレンジをひとつもらうと、さりげなく峰子の背後に回る。彼女は鶏の唐揚げセットを選び、いましがた慧一が座っていた窓際の、まったく同じ椅子に腰掛けた。
慧一の休み時間は残り少ない。
躊躇していられなかった。
慧一は峰子の隣に素早く座ると、彼女が唐揚げを一口食べたところにわざと話しかけた。
「いいスピーチだったよ」
峰子は肉をくわえたまま慧一に見向き、「ウッ」と唸った。
そして、ほとんど丸ごとの唐揚げを口の中に押し込み、懸命に咀嚼し始める。その様子が可笑しくて、慧一は思わず声を出して笑った。
そのおかげかどうか、鼓動のペースもいつの間にか平常に戻っている。
峰子はようやく唐揚げを飲み込むと、ポケットから白いハンカチを取り出し、恥ずかしそうな仕草で唇を拭った。ハンカチに薄紅がついたのを見て、彼女らしい控えめな色だと、慧一は目を細める。
「君、三原峰子さん」
「なな……っ、何でしょうか」
隣にいきなり現れたのは、彼女にとって特別な存在の男だ。気の毒なくらい動揺している。
慧一は、小鳥を捕え食らおうとする猛禽の気分だった。
「いや、今朝のあれ、興味深いスピーチだと思ってさ。君は好奇心が強そうだね」
峰子は箸を止め、慧一の目を見返した。
奥二重の涼しげな目元。濁りのない色をした瞳。素直な眼差しを受け止めながら、慧一は再び、微かな罪悪感を覚える。
「いえ、そんな。すごく上がってしまって、声が裏返りそうになって……大変だったです」
峰子は目を逸らすと、自信なさげに俯く。
彼女の柔らかそうな頬や耳たぶが無防備に晒され、慧一は視線を窓へと移した。クヌギの青々とした葉が、邪念を洗ってくれそうな気がした。
(いや、何やってるんだ俺は。純情な中学生か)
ふと顔を戻すと、峰子は箸を手にしたまま、もじもじしている。慧一が傍にいるのが気になるようだ。
「あ、ごめん。食べにくいよな」
「違います。私、緊張しちゃって!」
慧一が立ちかけると、峰子がなぜか真剣な口調で引き留めた。その意外な反応に慧一は驚き、椅子に座り直す。
「緊張? 俺にか」
「はい……」
頷く峰子に、思わず微笑する。
「気にしなくていいよ。遠慮せず食べてくれ」
「で、では……いただきます」
彼女はやや安心した顔になると、パクパクと食べ始めた。
慧一は食事中の彼女を見ないようにして、オレンジをつまんだ。
さて、何の話をしよう……と、考える。
一番訊きたいのは例の同人誌についてだが、今はまだ取っておきたい。
考えてみれば、三原峰子という女の子を知ったような気になっているが、実際は何も知らないのだ。
(一度、デートでもすれば分かるんだけどな)
「ごちそうさまでした」
明るい声に顔を向けると、彼女の皿はすべて空になっていた。
「おい、早いな。よく噛んで食べたのか」
年長者らしい言葉に峰子は、うふふと笑う。控え目だが、親しみの持てる笑顔だった。
よし、と、慧一は腹を決めた。
「今度の日曜日も図書館通い?」
「日曜日……ですか?」
峰子はきょとんとした。
「俺も付き合おうかな」
その言葉をゆっくりと理解した彼女の頬に、みるみる赤みが差してくる。
あまりにも分かりやすい反応に、慧一は確かな脈を感じたが、彼女の返事は思ってもみないものだった。
「ごめんなさい。私、ダメなんですっ」
言うなり立ち上がると、彼女は慌しく頭を下げ、トレーを持って行ってしまった。
「へ?……おいっ」
慧一は後を追おうとするが、背後から肩を掴まれ、引き戻された。
「社内でナンパするな、馬鹿!」
振り向くと、真介の怒った顔とがち合う。肩を掴む彼の力は思いがけないほど強く、食堂を出て行く峰子の後ろ姿を見送るしかなかった。
(ダメって……どういうことだよ?)
慧一は、初めての接触をしくじったと後悔しながら、何をどうしくじったのか、皆目見当が付かないでいた。
慧一と製造課の面々は、社員食堂へゾロゾロと移動した。
食堂では毎日二種類のメニューが用意されていて、各々好きなほうを選ぶ。麺類が好きな者は麺類コーナーでラーメンやうどんを頼むこともできる。
今日のメニューは鶏の唐揚げか、鯖の煮付けのセットである。慧一は鯖を選ぶと、ご飯や味噌汁をよそってくれるおばちゃんと冗談を交わしつつ昼食をセットし、いつもの席に着いた。
クヌギの青葉が揺れる窓際の席は、彼の指定席だ。
慧一は箸先で鯖をほぐしながら、男が大半を占める食堂内をなんとなく眺めた。
入り口付近のテーブルに、若い女性がかたまっている。都心の派遣会社から来た彼女たちは顔もスタイルもなかなかのもの。洗練されたいい女達だ。
だが、慧一は何も感じない。
幸か不幸か、彼女達のようなタイプは食傷気味だった。
だから峰子のような、少女の面差しが残る娘が気になるのかなと、自己分析してみる。
トレーを食器返却棚に置いた時、食堂の入り口に三原峰子が現れたのに気が付く。いつものお下げ髪に例の眼鏡、紺の制服の下に白いブラウスを着ている。
慧一の鼓動は、異様なぐらいテンポが速くなっていた。
デザートコーナーに寄り、オレンジをひとつもらうと、さりげなく峰子の背後に回る。彼女は鶏の唐揚げセットを選び、いましがた慧一が座っていた窓際の、まったく同じ椅子に腰掛けた。
慧一の休み時間は残り少ない。
躊躇していられなかった。
慧一は峰子の隣に素早く座ると、彼女が唐揚げを一口食べたところにわざと話しかけた。
「いいスピーチだったよ」
峰子は肉をくわえたまま慧一に見向き、「ウッ」と唸った。
そして、ほとんど丸ごとの唐揚げを口の中に押し込み、懸命に咀嚼し始める。その様子が可笑しくて、慧一は思わず声を出して笑った。
そのおかげかどうか、鼓動のペースもいつの間にか平常に戻っている。
峰子はようやく唐揚げを飲み込むと、ポケットから白いハンカチを取り出し、恥ずかしそうな仕草で唇を拭った。ハンカチに薄紅がついたのを見て、彼女らしい控えめな色だと、慧一は目を細める。
「君、三原峰子さん」
「なな……っ、何でしょうか」
隣にいきなり現れたのは、彼女にとって特別な存在の男だ。気の毒なくらい動揺している。
慧一は、小鳥を捕え食らおうとする猛禽の気分だった。
「いや、今朝のあれ、興味深いスピーチだと思ってさ。君は好奇心が強そうだね」
峰子は箸を止め、慧一の目を見返した。
奥二重の涼しげな目元。濁りのない色をした瞳。素直な眼差しを受け止めながら、慧一は再び、微かな罪悪感を覚える。
「いえ、そんな。すごく上がってしまって、声が裏返りそうになって……大変だったです」
峰子は目を逸らすと、自信なさげに俯く。
彼女の柔らかそうな頬や耳たぶが無防備に晒され、慧一は視線を窓へと移した。クヌギの青々とした葉が、邪念を洗ってくれそうな気がした。
(いや、何やってるんだ俺は。純情な中学生か)
ふと顔を戻すと、峰子は箸を手にしたまま、もじもじしている。慧一が傍にいるのが気になるようだ。
「あ、ごめん。食べにくいよな」
「違います。私、緊張しちゃって!」
慧一が立ちかけると、峰子がなぜか真剣な口調で引き留めた。その意外な反応に慧一は驚き、椅子に座り直す。
「緊張? 俺にか」
「はい……」
頷く峰子に、思わず微笑する。
「気にしなくていいよ。遠慮せず食べてくれ」
「で、では……いただきます」
彼女はやや安心した顔になると、パクパクと食べ始めた。
慧一は食事中の彼女を見ないようにして、オレンジをつまんだ。
さて、何の話をしよう……と、考える。
一番訊きたいのは例の同人誌についてだが、今はまだ取っておきたい。
考えてみれば、三原峰子という女の子を知ったような気になっているが、実際は何も知らないのだ。
(一度、デートでもすれば分かるんだけどな)
「ごちそうさまでした」
明るい声に顔を向けると、彼女の皿はすべて空になっていた。
「おい、早いな。よく噛んで食べたのか」
年長者らしい言葉に峰子は、うふふと笑う。控え目だが、親しみの持てる笑顔だった。
よし、と、慧一は腹を決めた。
「今度の日曜日も図書館通い?」
「日曜日……ですか?」
峰子はきょとんとした。
「俺も付き合おうかな」
その言葉をゆっくりと理解した彼女の頬に、みるみる赤みが差してくる。
あまりにも分かりやすい反応に、慧一は確かな脈を感じたが、彼女の返事は思ってもみないものだった。
「ごめんなさい。私、ダメなんですっ」
言うなり立ち上がると、彼女は慌しく頭を下げ、トレーを持って行ってしまった。
「へ?……おいっ」
慧一は後を追おうとするが、背後から肩を掴まれ、引き戻された。
「社内でナンパするな、馬鹿!」
振り向くと、真介の怒った顔とがち合う。肩を掴む彼の力は思いがけないほど強く、食堂を出て行く峰子の後ろ姿を見送るしかなかった。
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