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彼女はオタク
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「なんだお前、滝口の慧一じゃないか。くそっ」
はき捨てるように言うが、顔はほころんでいる。
「お前いまだに畑荒らしをしよるのか、ええこの色男が」
慧一は苦笑した。子どものころ、弟と一緒に石田の爺のスイカを盗んで食べたことがある。こっぴどく叱られたが、なぜかあれ以来、気安く声をかけられるようになった。
石田の爺は小柄で痩身。腰も曲がって、一見頼りなげな年寄りだが、実はこのあたりの名士で信望厚い世話役でもある。
滝口家の土地も、もともとは石田家の地所であった。
「色男はじいちゃんでしょ。俺は百人も食ってない」
慧一の軽口に爺はヒヒヒと笑うと、肘でわき腹を突いてきた。
「ぐっ、痛えな」
「おお、いい腹筋をしておるなあ。その身体で何人泣かせたやら」
「何の話だよ、このエロジジイが!」
二人は目を合わせると、肩を揺すって笑った。
畑から出て舗装道路に立った途端、急に暑さがこたえてきた。慧一はいきなりポロシャツを脱ぐと、上半身裸になる。
「お前、ガキのころと変わらんなあ。どこでも裸になりよる。……だけども、ええ体じゃ。くそっ」
慧一は、忌々しそうに言う爺に、ふふんと笑ってみせた。
学生時代は運動部に所属し、常に体を動かしてきた。社会人になっても会社の野球チームに入ったり、ジムを利用したりと、意識的に鍛えている。
引き締まった肉体は、彼を実年齢より若く見せていた。
「ところで今しがた、お前の家にえらい別嬪さんが入って行くのを見たぞ」
「別嬪さん?」
慧一は脱いだシャツで汗を拭い、そのまま肩に引っ掛けた。
「お前のコレだろう。家まで来るってことは、嫁にでも貰うのかと思ってなあ」
爺は小指を立て、卑猥な目つきをした。
「そんな相手いないけどな。お袋の友達じゃないの」
「若い娘だよ。何だ、恋人じゃないのか」
爺はつまらなそうな顔で、畑仕事に戻っていく。
後ろ姿をしばし見送ったあと、慧一は自宅へと歩き出した。
◇ ◇ ◇
家に帰ると、玄関に見覚えのあるパンプスが揃えて脱いであるのを見つけた。
「唯……」
口の中で呟き、回れ右をしたところに声が飛んできた。
「慧一、帰ったの? ちょっとこっちに来なさい」
母親の有無を言わさぬ口調に、足を止められる。
半裸のまま居間に顔を出すと、いやに上品な出で立ちをした川本唯が、両親を前にかしこまっていた。
「あなた、こんな良いお嬢さんとお付き合いしているのを、どうして言わないのよ」
母親はソファを立ち上がり、嬉しそうに言う。
慧一はぶん殴られたような衝撃を受けた。
「はい、とても良いお付き合いをさせていただいております」
唯はいつもより薄化粧の顔に笑みを広げると、慧一の父母を交互に見やった。
慧一は昨夜……いや、もっと前から唯に感じていた嫌悪の正体を、今、目の当たりにしている。
「それでは私、これで失礼しますわ」
唯は姿勢を正してから慧一の両親に恭しく頭を下げ、半裸のまま突っ立っている慧一には、
「また、お会いしましょう」
口元だけの笑みを浮かべ、彼の脇をすり抜けた。
「ほら慧一、何をやってる。駅まで送って差し上げろ」
父親は呆然とする息子の背中を押し、それから母親のほうへ何事か耳打ちした。
慧一は仕方なく箪笥からTシャツを引っ張り出して着ると、玄関でパンプスを履く唯のほうへ、ドスドスと歩く。そして、上がり框に腰掛ける唯のつむじを冷たく見下ろしてから、サンダルをつっかけた。
「あら、送ってくれるの? また放っておかれるかと思ったわ」
玄関を出ると、唯はあごを突き出し、皮肉を言った。
慧一は彼女に見向き、鼻白んだ顔になる。
そもそも川本唯と付き合うようになったきっかけは、都心のどこかのバーで、隣り合わせた偶然だ。あの頃は半年間付き合ったフリーターの女に振られたばかりで、毎晩暇だった。
(で、一杯のダイキリを奢ってくれた垢抜けたキャリアウーマンと、ついつい馴染んでしまったわけだ)
慧一は自嘲的に笑い、生まれて初めて女は選ぶものだと反省した。
「俺は君を車に乗せるつもりはない。今もこれから先も、ずっとだ」
一度決めてしまうと慧一は、誰が相手であろうとにべもない。唯はさすがに胸を突かれたようで、怯んだ様子になる。
だが、そこは彼女も部下を何人も持つ一流商社のマネージャーだ。胸を反らせると、挑むような声で慧一に詰め寄った。
「じゃあ、駅までどうやって送ってくれるって言うの? タクシーでも呼んでくれるのかしら。それとも、まさかの徒歩で?」
慧一は冷め切った瞳で女を見る。いよいよ地金が出てきたなと薄く笑い、くるりと反転して坂道を歩き出した。
「どこへ行くのよ」
怒りの滲む声で唯が訊いた。
「駅だよ。送ってほしいんだろ」
「……いいわ」
彼女は唇をきつく噛み、取り乱すのを堪えている。
意地になり後を付いて来る唯の顔は、慧一の両親に見せたような、取り澄ましたものではなくなっていた。
「あなたって本当に酷い人ね」
「……」
「あんな風に、いきなり女を捨てるのね」
「……」
「何度も抱いておいて!」
唯がついに声を荒げると、慧一は立ち止まる。
「確か、三度だったよな」
オレンジ色に変わりつつある太陽に目を細め、振り向きもせず口にした。
「三度とも、君の目が誘っていたぜ」
唯は真っ赤になった。
何気ない風を装ったつもりが、女慣れした男には、欲情に濡れた下心を見透かされていた。それを思い知らされての恥辱だった。
彼女はかつて、男からこんな扱いを受けた経験はない。
「許せない……絶対、別れないわ」
はき捨てるように言うが、顔はほころんでいる。
「お前いまだに畑荒らしをしよるのか、ええこの色男が」
慧一は苦笑した。子どものころ、弟と一緒に石田の爺のスイカを盗んで食べたことがある。こっぴどく叱られたが、なぜかあれ以来、気安く声をかけられるようになった。
石田の爺は小柄で痩身。腰も曲がって、一見頼りなげな年寄りだが、実はこのあたりの名士で信望厚い世話役でもある。
滝口家の土地も、もともとは石田家の地所であった。
「色男はじいちゃんでしょ。俺は百人も食ってない」
慧一の軽口に爺はヒヒヒと笑うと、肘でわき腹を突いてきた。
「ぐっ、痛えな」
「おお、いい腹筋をしておるなあ。その身体で何人泣かせたやら」
「何の話だよ、このエロジジイが!」
二人は目を合わせると、肩を揺すって笑った。
畑から出て舗装道路に立った途端、急に暑さがこたえてきた。慧一はいきなりポロシャツを脱ぐと、上半身裸になる。
「お前、ガキのころと変わらんなあ。どこでも裸になりよる。……だけども、ええ体じゃ。くそっ」
慧一は、忌々しそうに言う爺に、ふふんと笑ってみせた。
学生時代は運動部に所属し、常に体を動かしてきた。社会人になっても会社の野球チームに入ったり、ジムを利用したりと、意識的に鍛えている。
引き締まった肉体は、彼を実年齢より若く見せていた。
「ところで今しがた、お前の家にえらい別嬪さんが入って行くのを見たぞ」
「別嬪さん?」
慧一は脱いだシャツで汗を拭い、そのまま肩に引っ掛けた。
「お前のコレだろう。家まで来るってことは、嫁にでも貰うのかと思ってなあ」
爺は小指を立て、卑猥な目つきをした。
「そんな相手いないけどな。お袋の友達じゃないの」
「若い娘だよ。何だ、恋人じゃないのか」
爺はつまらなそうな顔で、畑仕事に戻っていく。
後ろ姿をしばし見送ったあと、慧一は自宅へと歩き出した。
◇ ◇ ◇
家に帰ると、玄関に見覚えのあるパンプスが揃えて脱いであるのを見つけた。
「唯……」
口の中で呟き、回れ右をしたところに声が飛んできた。
「慧一、帰ったの? ちょっとこっちに来なさい」
母親の有無を言わさぬ口調に、足を止められる。
半裸のまま居間に顔を出すと、いやに上品な出で立ちをした川本唯が、両親を前にかしこまっていた。
「あなた、こんな良いお嬢さんとお付き合いしているのを、どうして言わないのよ」
母親はソファを立ち上がり、嬉しそうに言う。
慧一はぶん殴られたような衝撃を受けた。
「はい、とても良いお付き合いをさせていただいております」
唯はいつもより薄化粧の顔に笑みを広げると、慧一の父母を交互に見やった。
慧一は昨夜……いや、もっと前から唯に感じていた嫌悪の正体を、今、目の当たりにしている。
「それでは私、これで失礼しますわ」
唯は姿勢を正してから慧一の両親に恭しく頭を下げ、半裸のまま突っ立っている慧一には、
「また、お会いしましょう」
口元だけの笑みを浮かべ、彼の脇をすり抜けた。
「ほら慧一、何をやってる。駅まで送って差し上げろ」
父親は呆然とする息子の背中を押し、それから母親のほうへ何事か耳打ちした。
慧一は仕方なく箪笥からTシャツを引っ張り出して着ると、玄関でパンプスを履く唯のほうへ、ドスドスと歩く。そして、上がり框に腰掛ける唯のつむじを冷たく見下ろしてから、サンダルをつっかけた。
「あら、送ってくれるの? また放っておかれるかと思ったわ」
玄関を出ると、唯はあごを突き出し、皮肉を言った。
慧一は彼女に見向き、鼻白んだ顔になる。
そもそも川本唯と付き合うようになったきっかけは、都心のどこかのバーで、隣り合わせた偶然だ。あの頃は半年間付き合ったフリーターの女に振られたばかりで、毎晩暇だった。
(で、一杯のダイキリを奢ってくれた垢抜けたキャリアウーマンと、ついつい馴染んでしまったわけだ)
慧一は自嘲的に笑い、生まれて初めて女は選ぶものだと反省した。
「俺は君を車に乗せるつもりはない。今もこれから先も、ずっとだ」
一度決めてしまうと慧一は、誰が相手であろうとにべもない。唯はさすがに胸を突かれたようで、怯んだ様子になる。
だが、そこは彼女も部下を何人も持つ一流商社のマネージャーだ。胸を反らせると、挑むような声で慧一に詰め寄った。
「じゃあ、駅までどうやって送ってくれるって言うの? タクシーでも呼んでくれるのかしら。それとも、まさかの徒歩で?」
慧一は冷め切った瞳で女を見る。いよいよ地金が出てきたなと薄く笑い、くるりと反転して坂道を歩き出した。
「どこへ行くのよ」
怒りの滲む声で唯が訊いた。
「駅だよ。送ってほしいんだろ」
「……いいわ」
彼女は唇をきつく噛み、取り乱すのを堪えている。
意地になり後を付いて来る唯の顔は、慧一の両親に見せたような、取り澄ましたものではなくなっていた。
「あなたって本当に酷い人ね」
「……」
「あんな風に、いきなり女を捨てるのね」
「……」
「何度も抱いておいて!」
唯がついに声を荒げると、慧一は立ち止まる。
「確か、三度だったよな」
オレンジ色に変わりつつある太陽に目を細め、振り向きもせず口にした。
「三度とも、君の目が誘っていたぜ」
唯は真っ赤になった。
何気ない風を装ったつもりが、女慣れした男には、欲情に濡れた下心を見透かされていた。それを思い知らされての恥辱だった。
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