モース10

藤谷 郁

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彼女はオタク

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「なんだお前、滝口の慧一じゃないか。くそっ」


 はき捨てるように言うが、顔はほころんでいる。


「お前いまだに畑荒らしをしよるのか、ええこの色男が」


 慧一は苦笑した。子どものころ、弟と一緒に石田の爺のスイカを盗んで食べたことがある。こっぴどく叱られたが、なぜかあれ以来、気安く声をかけられるようになった。

 石田の爺は小柄で痩身。腰も曲がって、一見頼りなげな年寄りだが、実はこのあたりの名士で信望厚い世話役でもある。

 滝口家の土地も、もともとは石田家の地所であった。


「色男はじいちゃんでしょ。俺は百人も食ってない」


 慧一の軽口に爺はヒヒヒと笑うと、肘でわき腹を突いてきた。


「ぐっ、痛えな」

「おお、いい腹筋をしておるなあ。その身体で何人泣かせたやら」

「何の話だよ、このエロジジイが!」


 二人は目を合わせると、肩を揺すって笑った。

 畑から出て舗装道路に立った途端、急に暑さがこたえてきた。慧一はいきなりポロシャツを脱ぐと、上半身裸になる。


「お前、ガキのころと変わらんなあ。どこでも裸になりよる。……だけども、ええ体じゃ。くそっ」


 慧一は、忌々しそうに言う爺に、ふふんと笑ってみせた。

 学生時代は運動部に所属し、常に体を動かしてきた。社会人になっても会社の野球チームに入ったり、ジムを利用したりと、意識的に鍛えている。

 引き締まった肉体は、彼を実年齢より若く見せていた。


「ところで今しがた、お前の家にえらい別嬪さんが入って行くのを見たぞ」

「別嬪さん?」


 慧一は脱いだシャツで汗を拭い、そのまま肩に引っ掛けた。


「お前のコレだろう。家まで来るってことは、嫁にでも貰うのかと思ってなあ」


 爺は小指を立て、卑猥な目つきをした。


「そんな相手いないけどな。お袋の友達じゃないの」

「若い娘だよ。何だ、恋人じゃないのか」


 爺はつまらなそうな顔で、畑仕事に戻っていく。

 後ろ姿をしばし見送ったあと、慧一は自宅へと歩き出した。



 ◇ ◇ ◇



 家に帰ると、玄関に見覚えのあるパンプスが揃えて脱いであるのを見つけた。


「唯……」


 口の中で呟き、回れ右をしたところに声が飛んできた。


「慧一、帰ったの? ちょっとこっちに来なさい」


 母親の有無を言わさぬ口調に、足を止められる。

 半裸のまま居間に顔を出すと、いやに上品な出で立ちをした川本唯が、両親を前にかしこまっていた。


「あなた、こんな良いお嬢さんとお付き合いしているのを、どうして言わないのよ」


 母親はソファを立ち上がり、嬉しそうに言う。

 慧一はぶん殴られたような衝撃を受けた。


「はい、とても良いお付き合いをさせていただいております」


 唯はいつもより薄化粧の顔に笑みを広げると、慧一の父母を交互に見やった。

 慧一は昨夜……いや、もっと前から唯に感じていた嫌悪の正体を、今、目の当たりにしている。



「それでは私、これで失礼しますわ」


 唯は姿勢を正してから慧一の両親に恭しく頭を下げ、半裸のまま突っ立っている慧一には、


「また、お会いしましょう」


 口元だけの笑みを浮かべ、彼の脇をすり抜けた。


「ほら慧一、何をやってる。駅まで送って差し上げろ」


 父親は呆然とする息子の背中を押し、それから母親のほうへ何事か耳打ちした。

 慧一は仕方なく箪笥からTシャツを引っ張り出して着ると、玄関でパンプスを履く唯のほうへ、ドスドスと歩く。そして、上がり框に腰掛ける唯のつむじを冷たく見下ろしてから、サンダルをつっかけた。


「あら、送ってくれるの? また放っておかれるかと思ったわ」


 玄関を出ると、唯はあごを突き出し、皮肉を言った。

 慧一は彼女に見向き、鼻白んだ顔になる。

 そもそも川本唯と付き合うようになったきっかけは、都心のどこかのバーで、隣り合わせた偶然だ。あの頃は半年間付き合ったフリーターの女に振られたばかりで、毎晩暇だった。

(で、一杯のダイキリを奢ってくれた垢抜けたキャリアウーマンと、ついつい馴染んでしまったわけだ)


 慧一は自嘲的に笑い、生まれて初めて女は選ぶものだと反省した。


「俺は君を車に乗せるつもりはない。今もこれから先も、ずっとだ」


 一度決めてしまうと慧一は、誰が相手であろうとにべもない。唯はさすがに胸を突かれたようで、怯んだ様子になる。

 だが、そこは彼女も部下を何人も持つ一流商社のマネージャーだ。胸を反らせると、挑むような声で慧一に詰め寄った。


「じゃあ、駅までどうやって送ってくれるって言うの? タクシーでも呼んでくれるのかしら。それとも、まさかの徒歩で?」


 慧一は冷め切った瞳で女を見る。いよいよ地金が出てきたなと薄く笑い、くるりと反転して坂道を歩き出した。


「どこへ行くのよ」


 怒りの滲む声で唯が訊いた。


「駅だよ。送ってほしいんだろ」

「……いいわ」


 彼女は唇をきつく噛み、取り乱すのを堪えている。

 意地になり後を付いて来る唯の顔は、慧一の両親に見せたような、取り澄ましたものではなくなっていた。

「あなたって本当に酷い人ね」

「……」

「あんな風に、いきなり女を捨てるのね」

「……」

「何度も抱いておいて!」


 唯がついに声を荒げると、慧一は立ち止まる。


「確か、三度だったよな」


 オレンジ色に変わりつつある太陽に目を細め、振り向きもせず口にした。


「三度とも、君の目が誘っていたぜ」


 唯は真っ赤になった。
 何気ない風を装ったつもりが、女慣れした男には、欲情に濡れた下心を見透かされていた。それを思い知らされての恥辱だった。

 彼女はかつて、男からこんな扱いを受けた経験はない。


「許せない……絶対、別れないわ」
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