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モース硬度計
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『モース4』
この同人誌を休憩室に置き忘れたのが、組合事務所の事務員、三原峰子であるのはほぼ間違いない。
慧一は、喫茶ロマンで真介と話した時点で気付くことができた。
だが、あえて真介には教えず胸に仕舞ったのだ。
あれから慧一は、峰子についていろいろと調べてみた。
過去の社内報を読み返したり、同僚の組合役員にそれとなく話を振って、彼女について聞き出したり。
異様に湧き上がる好奇心に任せて精査し、その結果、次のようなメモが出来上がった。
三原峰子。当年二十歳。
地元の公立高校を卒業後、三田村工業に入社する。
一年目は総務課で事務員として働いていたが、同年秋、組合事務職員補充のためにと声を掛けられ、組合勤務となる。
性格は大人しく真面目。組合行事には積極的に参加し、組合員としての仕事もきちんとこなしている。口数少なく仕事は丁寧。老若男女問わず誰にも親切で愛想が良いため、組合内外とも評判は良い。
「ほほう」
地味な外見を裏切らない堅実な社会人ぶりに、慧一は感心の声を上げる。
お次は、仕事仲間の声と情報だ。
「会社を退けると、まっすぐ家に帰るみたいよ。男の名前が出たためしがないから、彼氏はいないんじゃないの。確か、父親は公務員。母親は専業主婦で、二歳違いの弟がいるとか。そうそう。アクセサリー集めが趣味なんだって。あとは、休日に図書館にいるのを見かけたって誰かが言ってた。まあ、特に変わったところのない、どこにでもいる女の子よね」
最後の一言に、彼女の印象がまとまっていた。
慧一は居間のソファに寝そべり、テーブルに足を乗せた恰好で、メモを何度も読み返した。扇風機の風がメモ用紙をはたはたと揺らしている。
「どこにでもいる……か」
真介から無理矢理預かった同人誌をパラパラとめくり、例の挿絵に目をとめた。真介……もとい、シンとケイという二人の男が愛し合っている場面だ。
何度見ても違和感ありありな体位に、慧一は苦笑する。
ソファに座りなおすと、メモに追記した。
「処女と思われる」
窓の外を見ると、梅雨明けしたばかりの夏空が、青く広がっている。
今日は日曜日だ。
隣の座敷から、昼寝中の両親のいびきが聞こえてくる。
「そろそろ出かけるか」
膝を叩いて立ち上がると、部屋を出た。
女との予定がない休日は晴々として自由で、気持ちが良い。慧一にとって、これは意外な心情だった。
昨夜袖にした川本唯からは、メールも電話もない。案外あっさり振られてくれたのだなと、未練を持たれないことが有難かった。
慧一は、いつも別れを告げられる方だ。なので、今回は少しばかり勝手が違う。
それにしても、昨夜はずいぶんと冷たい気持になったものだ。
自分ながら、ちょっと信じられない思いでいる。
セックスは好きだが、この女とはごめんだと、珍しく拘りを持った。ベッドに関しては積極的で、来る者拒まずのはずが、どうしてか寝たくないと思った。
「まあいいや。それよりも、さらに調査だ」
玄関の引き戸を開けると、夏らしい熱気に襲われる。
蝉の鳴き声が暑苦しさを倍加させるが、さして気にもならない。行動の順立てを組むのに忙しく、意識は現実を離れた場所に集中していた。
行き先は、歩いて十分の場所にある海辺のカフェ。
三原峰子と同じ高校を卒業した進藤という男と、会う約束になっている。
モース4の隅々まで目を通した慧一は、この本の制作者が高校時代に地学部に所属していたという一文を見つけた。
と言うことは、このモースというタイトルは、モースの硬度計からきているのだろう。
モース硬度計は、鉱物の硬さを示す基準を定めた十種類の鉱物からなる。
最もやわらかい鉱物の指標となるのは、硬度1の滑石。
順番に、2は石膏、3は方解石、4は蛍石、5は燐灰石、6正長石、7石英、8トパーズ、9コランダム。
そして、硬度10のダイヤモンドだ。
これは大きな手がかりになる。
慧一は同人誌と彼女の結びつきについて、思い巡らせた。
三原峰子はアクセサリー集めが趣味だという。
アクセサリーには、たいてい石が使われている。あと、彼女の眼鏡のフレームに、硬度4の指標となる蛍石が装飾されてた。
この同人誌の4という数字と薄緑色の表紙は、おそらく蛍石をイメージしているのだろう。蛍石にはピンクや紫などカラーバリエーションがあるが、峰子の蛍石は薄緑色だった。
また、4というのは四冊目の意味があるのかもしれない。
とすると、この同人誌は硬度計の数どおり十冊出る予定なのかもしれない。
既に出ているのかもしれない。
海岸通りをぶらぶら歩きながら、慧一はそんなことを考え、ひとり納得する。
同人誌の奥付には制作者の本名や住所は記されていない。メールアドレスらしき記載があるが、なぜか黒く塗りつぶされ、判読できなかった。
峰子なのは間違いないだろうが、確たる証拠のようなものがほしかった。
そこで、彼女と同じ高校を出た、彼女よりひとつ年下の社員を広報誌で見つけて、これから会おうというのだ。
ずいぶん回りくどいやり方だが、峰子にこの本を突きつけ驚かせてやりたいという、ふざけた気持ちが湧いて、どうにも仕方ない。
その際シラを切られないよう、証拠固めをしておきたかった。
この同人誌を休憩室に置き忘れたのが、組合事務所の事務員、三原峰子であるのはほぼ間違いない。
慧一は、喫茶ロマンで真介と話した時点で気付くことができた。
だが、あえて真介には教えず胸に仕舞ったのだ。
あれから慧一は、峰子についていろいろと調べてみた。
過去の社内報を読み返したり、同僚の組合役員にそれとなく話を振って、彼女について聞き出したり。
異様に湧き上がる好奇心に任せて精査し、その結果、次のようなメモが出来上がった。
三原峰子。当年二十歳。
地元の公立高校を卒業後、三田村工業に入社する。
一年目は総務課で事務員として働いていたが、同年秋、組合事務職員補充のためにと声を掛けられ、組合勤務となる。
性格は大人しく真面目。組合行事には積極的に参加し、組合員としての仕事もきちんとこなしている。口数少なく仕事は丁寧。老若男女問わず誰にも親切で愛想が良いため、組合内外とも評判は良い。
「ほほう」
地味な外見を裏切らない堅実な社会人ぶりに、慧一は感心の声を上げる。
お次は、仕事仲間の声と情報だ。
「会社を退けると、まっすぐ家に帰るみたいよ。男の名前が出たためしがないから、彼氏はいないんじゃないの。確か、父親は公務員。母親は専業主婦で、二歳違いの弟がいるとか。そうそう。アクセサリー集めが趣味なんだって。あとは、休日に図書館にいるのを見かけたって誰かが言ってた。まあ、特に変わったところのない、どこにでもいる女の子よね」
最後の一言に、彼女の印象がまとまっていた。
慧一は居間のソファに寝そべり、テーブルに足を乗せた恰好で、メモを何度も読み返した。扇風機の風がメモ用紙をはたはたと揺らしている。
「どこにでもいる……か」
真介から無理矢理預かった同人誌をパラパラとめくり、例の挿絵に目をとめた。真介……もとい、シンとケイという二人の男が愛し合っている場面だ。
何度見ても違和感ありありな体位に、慧一は苦笑する。
ソファに座りなおすと、メモに追記した。
「処女と思われる」
窓の外を見ると、梅雨明けしたばかりの夏空が、青く広がっている。
今日は日曜日だ。
隣の座敷から、昼寝中の両親のいびきが聞こえてくる。
「そろそろ出かけるか」
膝を叩いて立ち上がると、部屋を出た。
女との予定がない休日は晴々として自由で、気持ちが良い。慧一にとって、これは意外な心情だった。
昨夜袖にした川本唯からは、メールも電話もない。案外あっさり振られてくれたのだなと、未練を持たれないことが有難かった。
慧一は、いつも別れを告げられる方だ。なので、今回は少しばかり勝手が違う。
それにしても、昨夜はずいぶんと冷たい気持になったものだ。
自分ながら、ちょっと信じられない思いでいる。
セックスは好きだが、この女とはごめんだと、珍しく拘りを持った。ベッドに関しては積極的で、来る者拒まずのはずが、どうしてか寝たくないと思った。
「まあいいや。それよりも、さらに調査だ」
玄関の引き戸を開けると、夏らしい熱気に襲われる。
蝉の鳴き声が暑苦しさを倍加させるが、さして気にもならない。行動の順立てを組むのに忙しく、意識は現実を離れた場所に集中していた。
行き先は、歩いて十分の場所にある海辺のカフェ。
三原峰子と同じ高校を卒業した進藤という男と、会う約束になっている。
モース4の隅々まで目を通した慧一は、この本の制作者が高校時代に地学部に所属していたという一文を見つけた。
と言うことは、このモースというタイトルは、モースの硬度計からきているのだろう。
モース硬度計は、鉱物の硬さを示す基準を定めた十種類の鉱物からなる。
最もやわらかい鉱物の指標となるのは、硬度1の滑石。
順番に、2は石膏、3は方解石、4は蛍石、5は燐灰石、6正長石、7石英、8トパーズ、9コランダム。
そして、硬度10のダイヤモンドだ。
これは大きな手がかりになる。
慧一は同人誌と彼女の結びつきについて、思い巡らせた。
三原峰子はアクセサリー集めが趣味だという。
アクセサリーには、たいてい石が使われている。あと、彼女の眼鏡のフレームに、硬度4の指標となる蛍石が装飾されてた。
この同人誌の4という数字と薄緑色の表紙は、おそらく蛍石をイメージしているのだろう。蛍石にはピンクや紫などカラーバリエーションがあるが、峰子の蛍石は薄緑色だった。
また、4というのは四冊目の意味があるのかもしれない。
とすると、この同人誌は硬度計の数どおり十冊出る予定なのかもしれない。
既に出ているのかもしれない。
海岸通りをぶらぶら歩きながら、慧一はそんなことを考え、ひとり納得する。
同人誌の奥付には制作者の本名や住所は記されていない。メールアドレスらしき記載があるが、なぜか黒く塗りつぶされ、判読できなかった。
峰子なのは間違いないだろうが、確たる証拠のようなものがほしかった。
そこで、彼女と同じ高校を出た、彼女よりひとつ年下の社員を広報誌で見つけて、これから会おうというのだ。
ずいぶん回りくどいやり方だが、峰子にこの本を突きつけ驚かせてやりたいという、ふざけた気持ちが湧いて、どうにも仕方ない。
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