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目玉焼き【1】
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「新婚さんのメニューってどうなんだろ。やっぱりみんな、凝ったものを作るのかな」
会社帰りにスーパーに寄ったはいいが、冬美には何を買えばいいのか分からなかった。
賑やかな売り場には秋の味覚が並んでいる。
「課長の好みは、ええと……」
課長というのは、彼女が昨日式を挙げたばかりの旦那様である。
館林陽一。35歳。株式会社くじらリゾート国内事業部企画課長。
冬美は財務部経理課所属。
部署は違うが、彼は同じ会社に勤める管理職だ。付き合うようになってからも「課長」と呼ぶのが基本であり、結婚したからといっていきなり名前呼びするのは恥ずかしかった。
そもそも十も離れた年上男性と付き合い、しかも結婚するという、年下推しの自分にとって意外すぎる状況に、いまだに慣れないのかもしれない。
「お魚が好きなんだよね。下田のホテルでは金目鯛の煮つけを美味しそうに食べてたっけ」
デートで食事するとき、彼はいつも高級レストランとか、グルメなお店に連れて行ってくれる。
冬美は今頃になって気づいた。これまで彼にはご馳走になるばかりで、一度も手料理を振る舞ったことがない。
「手作りのごはん……か」
冬美は一人暮らしの経験がなく、大学も会社も実家から通い、25歳になる今の今まで母親の手料理を食べてきた。
台所を手伝うことはあったが、米研ぎと味噌汁を任されるていどで、それも休日くらいのもの。大したものは作れず、というか、料理にさほど関心がないのだ。
「今は午後6時。課長が帰るのはだいたい7時半過ぎだから、それまでに作るとなると簡単なものじゃなきゃ……でも簡単でいいのかな? と、とにかくメニューを決めて、急いで買い物して、あわわ」
慣れない買い物に慌てふためいていると、バッグから着信音が聞こえた。
「あれっ、課長からだ。もしもし?」
『冬美さん、お疲れ様です』
おっとりと優しい声が耳に響く。彼は付き合い始めた頃から名前で呼んでいる。
声を聞いただけで、冬美のからだはぽかぽかとした空気に包まれた。
『もしかして買い物中ですか?』
「はい。あ、まだこれからなんですけど」
二人は敬語で会話する。
もうすぐ交際半年になるが、陽一が敬語なので冬美も合わせている感じだ。ちなみに彼は誰に対しても丁寧な言葉遣いである。
『よかった、間に合いましたね。実は先ほど営業部の緊急会議に呼ばれまして、帰りが遅くなりそうなんです』
「えっ……じゃあ、夕飯は」
『食事が出るそうなので、僕の夕飯はナシで大丈夫ですよ』
「そうなんですか」
がっかりすると同時に自覚した。課長と一緒にご飯を食べるのを、かなり楽しみにしていたのを。
夕飯作りというミッションからは解放されたけれど。
『冬美さん? どうかしましたか』
「あっ、いえ。遅くまでお仕事、お疲れ様です。がんばってください!」
大げさなエールは照れ隠しだ。新妻の心情を知ってか知らずか、陽一が明るく笑う。
『ありがとう。終わったらすぐに帰りますね』
「はい。あ……」
通話を切ろうとして、はっと気づいた。
「あの、朝ごはんは何がいいですか?」
今朝は出勤途中にあるパン屋さんで朝食を済ませた。昨日の結婚式とかパーティーとか二次会とか、あれやこれやで疲れてしまい、二人とも寝坊したのだ。
「リクエストがあれば買い物しますので。和食なら鮭とか鯵の干物とか。それともパンがいいですか?」
『そうですねえ』
しばし間を置いてから、返事が聞こえた。
『僕はいつもパンとコーヒーと、目玉焼きかな』
ずいぶん簡単なメニューである。
そういえば、課長は今朝もフレンチトーストとコーヒーだった。普段はシンプルな食生活なのねと思い、胸を撫で下ろす。
『それではまた、後ほど。気をつけて帰ってくださいね』
「はいっ。ありがとうございます」
冬美は通話を切ると、思わず微笑んだ。
「金目鯛の煮つけとか言われなくて良かった~」
明るい気分で買い物を再開する。卵とパンさえあれば朝ごはんができるなんて素敵!
さっきまでの焦りはすっかり消えていた。
会社帰りにスーパーに寄ったはいいが、冬美には何を買えばいいのか分からなかった。
賑やかな売り場には秋の味覚が並んでいる。
「課長の好みは、ええと……」
課長というのは、彼女が昨日式を挙げたばかりの旦那様である。
館林陽一。35歳。株式会社くじらリゾート国内事業部企画課長。
冬美は財務部経理課所属。
部署は違うが、彼は同じ会社に勤める管理職だ。付き合うようになってからも「課長」と呼ぶのが基本であり、結婚したからといっていきなり名前呼びするのは恥ずかしかった。
そもそも十も離れた年上男性と付き合い、しかも結婚するという、年下推しの自分にとって意外すぎる状況に、いまだに慣れないのかもしれない。
「お魚が好きなんだよね。下田のホテルでは金目鯛の煮つけを美味しそうに食べてたっけ」
デートで食事するとき、彼はいつも高級レストランとか、グルメなお店に連れて行ってくれる。
冬美は今頃になって気づいた。これまで彼にはご馳走になるばかりで、一度も手料理を振る舞ったことがない。
「手作りのごはん……か」
冬美は一人暮らしの経験がなく、大学も会社も実家から通い、25歳になる今の今まで母親の手料理を食べてきた。
台所を手伝うことはあったが、米研ぎと味噌汁を任されるていどで、それも休日くらいのもの。大したものは作れず、というか、料理にさほど関心がないのだ。
「今は午後6時。課長が帰るのはだいたい7時半過ぎだから、それまでに作るとなると簡単なものじゃなきゃ……でも簡単でいいのかな? と、とにかくメニューを決めて、急いで買い物して、あわわ」
慣れない買い物に慌てふためいていると、バッグから着信音が聞こえた。
「あれっ、課長からだ。もしもし?」
『冬美さん、お疲れ様です』
おっとりと優しい声が耳に響く。彼は付き合い始めた頃から名前で呼んでいる。
声を聞いただけで、冬美のからだはぽかぽかとした空気に包まれた。
『もしかして買い物中ですか?』
「はい。あ、まだこれからなんですけど」
二人は敬語で会話する。
もうすぐ交際半年になるが、陽一が敬語なので冬美も合わせている感じだ。ちなみに彼は誰に対しても丁寧な言葉遣いである。
『よかった、間に合いましたね。実は先ほど営業部の緊急会議に呼ばれまして、帰りが遅くなりそうなんです』
「えっ……じゃあ、夕飯は」
『食事が出るそうなので、僕の夕飯はナシで大丈夫ですよ』
「そうなんですか」
がっかりすると同時に自覚した。課長と一緒にご飯を食べるのを、かなり楽しみにしていたのを。
夕飯作りというミッションからは解放されたけれど。
『冬美さん? どうかしましたか』
「あっ、いえ。遅くまでお仕事、お疲れ様です。がんばってください!」
大げさなエールは照れ隠しだ。新妻の心情を知ってか知らずか、陽一が明るく笑う。
『ありがとう。終わったらすぐに帰りますね』
「はい。あ……」
通話を切ろうとして、はっと気づいた。
「あの、朝ごはんは何がいいですか?」
今朝は出勤途中にあるパン屋さんで朝食を済ませた。昨日の結婚式とかパーティーとか二次会とか、あれやこれやで疲れてしまい、二人とも寝坊したのだ。
「リクエストがあれば買い物しますので。和食なら鮭とか鯵の干物とか。それともパンがいいですか?」
『そうですねえ』
しばし間を置いてから、返事が聞こえた。
『僕はいつもパンとコーヒーと、目玉焼きかな』
ずいぶん簡単なメニューである。
そういえば、課長は今朝もフレンチトーストとコーヒーだった。普段はシンプルな食生活なのねと思い、胸を撫で下ろす。
『それではまた、後ほど。気をつけて帰ってくださいね』
「はいっ。ありがとうございます」
冬美は通話を切ると、思わず微笑んだ。
「金目鯛の煮つけとか言われなくて良かった~」
明るい気分で買い物を再開する。卵とパンさえあれば朝ごはんができるなんて素敵!
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