ワイルド・プロポーズ

藤谷 郁

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Wild bride

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 役員室に行くと、専務が待っていた。
 ソファに向かい合って座ると、彼はこれまでになく厳しい顔つきで話し始める。
「北見君、落ち着いて聞いてくれ。先ほど嶺倉水産の社長直々に電話があった。嶺倉部長のことで、君にも伝えてほしいと言われたのだ」
「社長から?」

 一体、何が起きたというのだろう。緊張が高まり、手に汗を握る。
「知ってのとおり、嶺倉部長は工場火災の件で、ノルウェーのベルゲンに出かけている。今、向こうは朝の時間帯だ。彼は30分ほど前、現地の作業員とともに工場が稼働する前の安全点検を行っていた。その時に……」
 金田専務は僅かにためらい、そして思いきったように言う。
「事故に遭った。突然、燃え残った建物の一部が崩れ始めたのだ。彼は作業員を助けるために真下に飛び込み、逃げ遅れてしまった」
「……!」

 息が止まるかと思った。
 まるで、全身の血液が凍ったかのように、みるみる身体が冷たくなる。

「そ、そんな……では、嶺倉さんは……」
「落ちてきた壁と柱の間に狭い空間ができて、その中に倒れている状態らしい。作業員は無事だったが、嶺倉さんは一人閉じ込められてしまった。既に救助活動は始まっているのだが……」
 専務は力なく言葉を継ぐ。
「嶺倉さんは、呼びかけに応えないそうだ。気を失っているか、あるいは……」
「ばかなこと言わないでください!」

 そんなこと、あるわけがない。あの人がそんな簡単に……

 私はでも、めまいがしそうだった。最悪の予想が頭をよぎり、必死に振り払う。
「とにかく、事故の状況については現地の報告を待つほかない。そして北見君、社長はこう仰っていた。いいかね、落ち着いて聞くんだぞ」
「はい」
 ソファに座り直した私に、専務は社長からの言葉を伝える。
「社長夫妻とともに、ベルゲンに同行してほしいそうだ」
「えっ……」

 目を丸くする私に、専務は少し怒った口調になる。
「えっ、じゃない。君は嶺倉家の家族も同然ということだ。息子に寄り添ってほしいという、家族としての気持ちだよ。ビジネスは関係ない」
 家族も同然――驚きながらも、私はその意味をすぐに理解し、実感することができた。

 嶺倉京史は私にとって、かけがえのない男性ひとだから。

「分かったか? 分かったら、今すぐ帰宅して出発の準備に取りかかるんだ。チケットは先方が用意してくださる。身一つで空港に急げ!」


 私は会社を早退し、急いで旅の仕度に取り掛かった。
 その間にも、スマートフォンに注意をはらう。現地で動きがあれば、専務から連絡が入ることになっていた。
「嶺倉さん、どうか無事でいて……どうか……」
 涙が出そうだが、泣いてはいけないと思い、我慢する。
 気を強くもたなければ。彼が大変な状態なのに、私が泣いてどうする。

 キャリーバッグの蓋を閉め、パスポートを確認してからアパートの部屋を出た。呼んでおいたタクシーに乗り、空港に直行する。
 車窓を流れる景色を見つめながら、私の心はノルウェーに飛んでいた。
 一刻も早くあの人のもとに駆け付け、抱きしめてあげたい。
(嶺倉さん……)
 この前グーで殴ったことを、心底後悔した。彼を信じて、いろんなことを許して、もっと優しくすれば良かった。こんなことになるなんて、想像もしなかったのだ。

 空港が見えてくる頃、握りしめていたスマートフォンが鳴った。
 私の心臓は跳ね上がり、全身から汗が噴き出す。
 画面を見ると、金田専務からだ。
(もしや……ううん、そんなこと考えてはだめ)
 しっかりしろと自分に言い聞かせ、思いきって電話に出た。

『北見君、私だ。現地から連絡が入ったぞ』
「は、はいっ」
 緊張でどうにかなりそうだ。片方の手で胸を押さえながら、専務の言葉を待つ。
『嶺倉部長が、呼びかけに応えたそうだ。意識はある』
「……!」
 たちまち視界が滲んだ。呼吸がうまくできず、返事もできない。

『もしもし北見君、聞いてるのか』
「……はい、すみません……っ」
 涙を拭い、息を整える。ここからが大事なのだ、ちゃんと聞かなければ。
『彼は落下物により脚を負傷している。その痛みとショックで、気を失っていたようだ。それで、命が無事なのは良かったのだが、怪我がひどくて、彼は身動きが取れない状態なのだ』
 骨折したのだろうか。彼の苦痛を思い、私はいてもたってもいられなくなる。
 
『瓦礫を少しずつ取り除いて救出しようとするが、時間がかかりすぎる。隙間から中に入って助けるとしても、狭くて近づけない。無理すると一気に倒壊する危険があり、手を出せないのだ』
「つまり、それは……」
『嶺倉さんが自らの力で這い出てくれば、何とかなるのだが、それも難しい。どうにか助ける方法がないか、救助隊が作戦を練っている状況らしい』

(嶺倉さんが……自らの力で)

 不思議な感覚だった。
 私は、嶺倉さんの求めるもの、何が必要なのか、考えずとも分かった。
 彼は今、生死の境に立っているのだ。
 肉体よりも、気持ち――いや、生命力に働きかけるほかない。
 ただの作戦では、彼を動かせないと確信できた。

「嶺倉さんは、上半身は動かせるってことですね」
『上半身? ああ、おそらく腰もやられていないし、腕も動かせると聞いた。ただ、脚の怪我がひどくて意識がもうろうと……』
「専務、すみません。電話を切ります」
 早くしなければ、助からないかもしれない。

 私は神様に祈りながら、スマートフォンをタップした。


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